第11話

巴円ともえまどかッッッ!」


 金切声を上げる桜子さくらこに鼻を鳴らし、巴は悠々と歩みを進める。

 迷いなき進路の先は、無法者たる殺叉丸やしゃまるとアークの両者を横並びで捉えられる場所。

 目的地へと到着し、愛用する薙刀──ストレンジ・カーゴを手首で一回転。使い心地を確かめると切先を正面へ突きつける。薄桃の刀身が揺らぎ、明確な敵意を注がれた殺叉丸が表情を歪めた。


「巴……あぁ、おんしもあんカスの被害者か」


 名を反芻し、脳裏に過ったのは見回り班として国統領を訪れた直後の一面。

 彼女もまたアバド・ンドゥールの凶刃にかかり、右足に深刻な怪我を患っていたはず。眼前に立つ少女の驚愕も、そのような境遇にあった同胞が立ち上がったことに由来するのか。

 と、一人を深める。

 彼女にも、アバドへ報復する権利は確かにある。

 仮に指摘の一つでもあれば納得する理屈。だがそう易々と譲れるほど、殺叉丸の意志は軽くない。


「気持ちは分かるがのぉ……アバドとかいう餓鬼はワシの獲物じゃけぇ。叩くゆうんなら、死体にでもしちょいてくれ」

「勝手に分かった気でいるなど笑止千万。悪鬼に我が心象を理解するなど不可能と知れ」

「あぁ? なんじゃ、急に出てきたと思うたら説教のつもりか?」


 手首を捻り、長ドスの白刃を巴へ。

 下手な会話を続けようものなら、長ドスの刃を赤く染めることも厭わぬ。

 殺叉丸は一つの確かな決意を固め、巴の姿を一瞥。

 最早、眼前に立っている桜子のことなど視界の端にも収めていない。


「邪魔するんちゅうなら、おんしから膾斬りにしちゃるぞ?」

「その妙な訛り……どこの言葉かは把握しませんが、同郷と見受けした。

 同じ日の本を仰ぎ見る者ならば、道義を弁えるべきかと」

「ワシにナシつけたきゃオジギに──!」

「はいはいそこらで、な」


 激高する殺叉丸を制したのは、二人の間に白光の盾を挟み込んだ伊達男。

 なおも噛みつこうと犬歯を剥き出しにする極道へ視線を交差させ、アークは口端に歯を覗かせる。上向きにつり上がった口は、自分に任せろとでも言いたげに。

 不満を目で訴えこそすれども、一定の納得を見せて殺叉丸は長ドスの切先を床へ向けた。彼の態度を他所に、アークはスキップでもしかねない上機嫌さで巴との距離を詰める。


「そこのお嬢さんもさ。あぁんなムッサイ男は俺が制してあげるから、代わりに国統領のことを教えてくれないかな。それと、君のこともさ」


 語尾にハートでもつきかねない声音は耳元で囁くかの如く優しく、オールバックを掻き上げる左手のように声をかけられた相手である巴の背筋を撫で回す。

 激しい嫌悪と共に。

 故に、薄桃の刃が彼の首筋へ向けられるのもまた必然。


「寄るな下郎」

「ヒェ……ひっどいこというなぁ。俺はアレでもあの狂犬の飼い主、みたいなもんよ?

 俺がいなきゃもっと暴れてるもん。あの馬鹿犬」

「誰が犬じゃ?」

「お前だよ力児。少しは考えて行動しろ、単細胞が」


 アークが背後に待機している殺叉丸の言葉に応対して半身を回す。

 その時、彼の黒髪が微かに揺れた。

 不審に思って視線を戻せば、視界の端に舞い散る数本の黒髪と額に汗を流して薙刀を振るう巴の姿。


「仮にも飼い主を自称するならば、丁寧な躾を心がけなさい。務めを果たさず益のみを貪り、何が飼い主か」

「言われとるのぉ、アーク」

「う、うっせぇッ」


 肩を震わせる殺叉丸は病院を訪れてから始めて笑みを見せ、一方のアークは予想外の痴態に頬を上気させる。

 勝手に飼い主を自称した相方が侮蔑されたことで機嫌を良くしたのか、殺叉丸は桜子を放置して踵を返す。一瞬、未だ受付に釘付けとなっていた女性を視界の端に捉えるものの、意に介することもない。

 白鞘に長ドスの白刃を収め、相方の失態を回想して再度肩を揺らす。


「こりゃぁ、待てど暮らせどアバドの居場所は掴めんのぉ。けぇるぞ、飼い主様」

「テメェまで馬鹿にすんのかッ、力児ィッ!」

「なんなんだったんだよ、あの二人は……」


 緊張の糸が途切れ、甘粕あまかすは溜め息を一つ。

 突然病院で暴れ回った挙句、勝手に満足した様子で帰路につく。

 何がなんだか分からない。というか、そもそも素直に帰らせていい訳がないと思うのだが。彼自身は警察に連絡する余裕はなかったが、そこは他の患者や医師に期待ということか。

 直後、騒々しい音を引き連れて巴がその場に崩れ落ちた。


「お、おいッ」

「クッ……たかだかこの程度の挙動に耐えられぬとは……!」


 薙刀を杖代わりにし、息も絶え絶えといった様相。額より滴り落ちる汗の量は、完治は元より安静から解かれたのかさえ疑問視される。

 咄嗟に駆け出した甘粕よりも先に、背後から駆け出したスーツ姿の男が駆け寄った。

 彼女が立ち上がれるように支えたのは、木曽きそ。巴の専属トレーナーと目される人物にして、三人がかりとはいえアバドとの遭遇に於いても引けを取らなかった者。


「大丈夫ですか、巴様ッ?」

「心配は無用、です……ただ、久方ぶりの運動だった、だけ……!」


 甘粕とすれ違う一瞬に見せた凝縮された殺意とは裏腹に、彼女へ注ぐ視線は穏やか。

 二人の細かな関係は不明なものの、本心から心配していることは疑いようもない。そこに打算の類は微塵もなく、純粋な信頼を以ってのみ成立している。


「俺への敵対心も本物なんだろうがな……ったく」


 嫌悪を抱かれる原因に予想がつくばかりに、舌打ちの一つも自然と飛ぶというもの。


「……んでさ」

「ん?」


 不意に地獄の底から零れた声が鼓膜を揺さぶる。

 意識が逸れていたためか、足音への反応が遅れた。

 木曽へ向けていた視線が、正面に立つ少女──骸銘館桜子へと注がれる。


「なんでそんな無理してまで、ここにいるのさッ。

 休んでろよッ、怪我人はさァッ!」

「貴様ッ……誰のせいでこうなったとッ!」


 彼女の内に蓄積された漆黒の発露に、激高したのはトレーナーである木曽。

 そも、アバドの刺突にも──


「私のせいだろッ。知ってるに決まってるだろッ!!!」

「ッ……!」


 掴みかからんばかりの気勢に木曽が唾を呑む。

 そこで始めて、彼は桜子の表情を見た。

 自傷へ耐えるかのように歯を食いしばり、両目からは大粒の涙を流している姿を。


「あぁ、そうよッ。私は見逃したッ。

 その何が悪いのさッ。勝てるか分からない相手が勝手に倒れる好機を、利用しない馬鹿がどこにいるよッ、えぇッ?!」


 口にし、改めて自己の感情と向き合う。

 混沌とした汚泥の中から、自覚した感情の一つ一つを丁寧にサルベージし、己の内へと咀嚼。そのためにも、まずは手当たり次第に口から吐き出す。

 それは奇しくも、病院の待機室で甘粕と共に行った行為の拡大版。

 感情任せな分、より一層の激しさを伴う。


「誰が頼んだでもない人助けなんてやっちゃって、不戦勝でもいいところを変な意地で繰り越して、そうやって自爆の準備ばかり重ねてッ。

 でも、そんな奴を襲った辻斬りに勝てるかも分からなくて……怖くてッ……!」


 肩が震える。

 握られた拳から血が滲む。

 涙に揺れる声音は、彼女自身も自覚していない感情をとにかく激情であると主張する。


「辻斬りを仕留める時にもアンタの存在を感じて……もう、もうッ……!」

骸銘館がいめいかん……貴様……」

「涙を拭って下さい。骸銘館」


 薙刀と、木曽を支えに巴は立ち上がると桜子へ穏やかな声を送る。

 言葉の限りを尽くして罵倒しても許される少女の態度に、桜の瞳は涙で視界を滲ませた。


「だからアンタは……!」

「今吐き出した言葉は、聞かなかった事にしましょう」

「は?」


 桜子の言葉を遮って、巴は力強く否定を送る。

 動揺する相手の様子など知らぬと、巴は己の心象を吐露。


「辻斬りを追ったのも、不戦勝を拒んだのも私の咎。そこに他者の存在を介在させる余地はありません。

 その卑屈こそ、私の意志を蔑ろにした傲慢と心得よ」

「巴……さん……」

「私の覚悟を侮辱するな」


 確固たる意志に基づく行動を、第三者に指摘される謂れがどこにある。

 貴様が肯定しようが否定しようが、行動は不変。なれば、その結果に他者から口出しされるなど如何なる意味でも侮蔑に他ならない。

 とはいえ、それで納得できるのならば、わざわざ巴の前で懺悔めいた告白をしないだろう。

 故に、巴は言葉を続けた。


「もしそれでも自分に責があると宣うのでしたら、私が辿り着くまで祝刀祭で勝ち続けて下さい。

 足が完治した暁には、その慢心ごと両断してくれましょう」

「ッ……!」


 凛とした宣言に桜子は口元を歪め、徐々に解していく。

 強がりにしても引きつった様相が色濃く、これで平常を保っているとは稚児でも思えない。

 それでも、桜子は無理矢理に引きつった笑みを作る。


「上、等だよ……後で、吠え面掻かせてやるから……さっさと治せよ、あ、足を……!」

「えぇ。本戦で相対する時を心待ちにして、リハビリに当たりますわ」

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