第10話

「やはりアバドは敗れましたか。それも骸銘館がいめいかんに対して」


 国統領を一望できる高層ビルの屋上。

 業務の光も途絶えて久しいビル群を眼下に捉え、マリステラ・クラフト・エーカーは呟いた。眼下には、仰向けに倒れたアバドと尻餅をつく桜子さくらこの姿も収まっている。

 一連の顛末は、強制的に未来視が目撃させていた。故に彼女からすれば、未知の事象など一つたりともなく、全てが既知の範疇。

 実に、退屈。


「つまらないですね。本当に……」


 嘆息を一つ。

 首を左右に振り、失望を露わとした。

 自らの意志に関わらず発生する未来視は、推理小説の犯人を暴露するようにマリステラへ退屈を提供する。

 未来が見えた瞬間に期待の一切を捨てていたとはいえ、忠実になぞったアバドは、ある意味では賞賛もの。鎖の結合が解けて動揺した隙に畳みかけられ、そのまま一矢報いようと投擲した光刃でさえ、桜子の喉元には及ばず。

 トレーナーである甘粕あまかすの介入も真っ新な目線で見れば落涙ものであったが、全てを把握していては元の木阿弥。


「つまらない、本当につまらない。全てを見ているというのは、本当につまらない」

「それは俺がこの場所を訪れることもですか」

「当然ですよ……ナーヴ」


 寒風が吹き抜け、頬を突き抜けて金糸を撫でる。

 マリステラの言葉に介入したのは、やや太り気味の少年。

 国際統合高等学校生徒会書記ナーヴ・オイットニー。普段から職務に忠実で、副会長であるマリステラも幾度となく彼に雑用を任せた記憶がある。

 しかして彼が絞り出す声色は平時には程遠く、内面に溜まった苦悩を吐き出すかの如く。


「どうして辻斬りの支援なんて馬鹿げたことをしたんです。マリステラさん……!」

「未知の希求。私の行動基準は、常にそれのみですよ」


 断言するマリステラの態度は、ナーヴに埋めようもない溝を連想させ、事実として彼女に妥協する余地はない。

 振り返ると金糸が後を引き、内より伸ばされた右腕は共に舞踏を演じる相手を手招くように。


「それよりもナーヴさん。私と共に、未知を刮目したいと思いませんか」

「ッ……!」


 予想外の対応だったのか。

 ナーヴは驚愕に口を開き、意識を取り戻すと唇を噛む。

 蠱惑的な、指先にまで天使の宿った提案。もしも彼が生徒会の門を潜らず、マリステラに対して何ら感情を抱いてなければ、差し出された手を掴んでいたと断言できる程に。

 だが、その手を取る訳にはいかない。

 如何に天使の祈りを彷彿とさせても、彼女の本質は名状し難き存在。人間とは価値基準を致命的に違えた、己が欲望に準じる魔人に他ならない。

 だからこそ、返事として右腕を振るう。


「……貴女が全てを反省して、更生するという未知であらば、呑みましょう」

「交渉、決裂ですね」

「残念です……」


 ナーヴが懐から取り出したのは、通信端末。

 既に電話番号は入力完了しており、後はコールボタンをタップすれば彼らの長たる生徒会長の元へと通話が開始される。

 一方、マリステラが悠々と制服の裏から取り出したのは、円筒状の弾倉を上部に配置した独特な形状を採用した拳銃。とある拳銃をモチーフにした上での差異としては、漆黒のフレームの各部に緑のラインを走らせて未来的な印象を植え付けていることか。


とき穿ちの拳銃……」

「私のためにわざわざ取り寄せた。ここで使わない手はありません」


 引金が幾度か引かれるも、撃鉄を叩く音も硝煙の香りもなく、ただ空気の抜けた音が木霊する。

 故障か、否。ナーヴはマリステラの拳銃に銘された二つ名の意味を正確に理解している。が故に、身動ぎを取ることができない。


「これで貴方の抱える最善の一手を封じました。

 せっかくですし、少しお話をしませんか。もしかすれば、誰か助けが訪れるかもしれませんよ?」

「……」


 小首を傾げて親しげに、彼女を知る学校の生徒であらば二つ返事で応じる問いかけに書記は口を結んで睨みつける。

 未来視を有するマリステラが余裕を見せている以上、そのような奇跡未満の事態に期待できようはずもなし。しかして拳銃がいつ何を撃ったのかを把握できないことには、下手な動きを見せる訳にもいかない。

 結果、不本意ながらも彼はマリステラとの会話に応じることとなった。


「では質問です。いったいどうやって私が関わっていると気づいたのですか?」

「……始めは事件現場に落ちていたクナイ型の武器です」


 重く、深く。

 ナーヴはマリステラと事件に繋がる違和感を洗い出す。


「通常の祝刀祭規約に則れば非効率極まりない、投擲を前提としたクナイ。取り扱っている企業を絞り込みさえ完了すれば、特定するのは簡単でしたよ。

 ……ヒューマニックレーベンス。マリステラさんの父親が開発主任を務めている会社でしたね」


 司馬重工は多数の企業を傘下に置いた大規模な複合体の総称でもあり、膨大な協賛リストの内の一つにクナイ型武器を開発している企業が存在した。

 無論のこと、彼が生徒会に属する仲間を疑うに至った理由はそれだけではない。

 より決定的な、これまでの信頼を失墜させて余りある理由が彼の胸中にしこりを残している。


「ヒューマニックレーベンスは司馬重工の中では然して重要度の高い企業ではなく、事実としてクリスタル関連の技術も未熟。だから同社が開発した光刃剣は大したヒット作にもならず、歴史の闇に葬られている」

「随分と調べていますね。関心です」

「惚けないで下さい。

 事件発覚初期に撮影されたカメラの中で扱われている武器……輝きこそ異質なものでしたが、あの柄の形状は間違いなくレーベンス製。

 そして生徒会名義で大量に購入されたクナイに混じって、マリステラさんの名義でその光刃刀が購入されている」


 ナーヴが突き出した書類には、生徒会名義の備品が立ち並ぶ中で確かにマリステラ・クラフト・エーカーの文字が列記している。

 購入内容はヒューマニックレーベンス製の光刃二振り。本来は廃版相当の製品であり、直接企業に問い合わせない限り入手の叶わない代物。

 見世物としての側面が強い祝刀祭に於いて旧式や試作品、廃版といった品は一種のプレミアとして存在感を示す。洗練されていない、未成熟な製品を扱う存在はSFアニメーションの主人公よろしく人々の羨望を集める。そこに実力が伴えばなおのこと。

 故に企業は多くの場合で生産終了したモデルであっても、必要に応じて少数の再生産が可能な状態にしている。

 当然のことながら、指名手配犯の辻斬り犯が電話することなど不可能。


「それはお見事……と、言いたい所ですが、ナーヴの推理には致命的な穴があります」


 眼前で拍手を一つ。

 授業で正答した生徒を褒めるように、マリステラはナーヴへ微笑みかける。

 夜の闇が風に乗じて、彼女の金糸を撫で回す。


「貴方の推理は状況証拠。私と辻斬り犯を繋げる決定的な物証がありません。

 私が光刃刀を取り寄せたのは趣味の廃版武器集めの一環──」

「だったら、なんで俺に銃を向けたッ!」


 マリステラの詭弁を遮るは、ナーヴの叫び。

 彼の推理を一笑に付して欲しかった。偶然の再開に、ただ微笑みかけて欲しかった。

 生徒会の一員である彼女が、国統の生徒に災いをもたらしているなどと性質たちの悪い冗談だと断じて欲しかった。

 しかして現実に突きつけられたのは、殺意の具現にして自身が黒幕だと雄弁に物語る銃口。


「違うと言えばよかっただろッ。自分じゃないと……不幸な偶然が重なっただけと、口先だけでも言えばよかっただろッ!」

「ナーヴ……」

「なんで、いきなり銃なんて……!」


 彼は自身の推理が外れることをこそ期待していたのか。

 マリステラは指摘されて初めて己の失策に気づき、わざとらしく左指を額に当てる。


「あぁ、確信がなかったのですか。これはうっかりですね」

「ふざけないで下さいッ!」

「えぇ、私は始めから真面目ですよ。真面目に……」


 口を開く中で、マリステラは目を閉じる。


「ッッッ?!?!!!」

「全てを見ています」


 同時に、ナーヴの顔と両手が幾度も瞬く。

 眩い薄桃の輝きが、該当部位を破壊し尽くすように。

 初手で大きくひしゃげた携帯端末が宙を舞い、破片が主の身に降りかかった煌めきを反射。地面を数度跳ねて手摺りの隙間を抜けると、遥か下方のアスファルト目掛けて落下していった。

 光の乱舞が潰えた時、ナーヴの顔は見るも無残な惨状となり、両手もまた念入りに骨を砕かれた凄惨な有様。

 他者に情報を伝えることなど、不可能と断言できた。


「決断の時を逸すれば、全ては凶へと転じる。

 さようなら、ナーヴ。ロベルタに会った時には、サインを貰って地獄へと放り投げて下さい、拾いますので」



 翌日。

 辻斬り犯逮捕のニュースは、耳の早い情報機関の手により朝日よりも早く久遠くおん中を駆け巡った。

 センセーショナルな衝撃を伴う速報は人々に安堵と怒気、そして刺激を与える。

 特に四校合同の見回り班は然したる成果を上げる前に国統自身が問題を解決した形になり、少なからず不満を抱いている者も多い。


「おいおい大将、どうするんです。犯人見つかっちゃったらしいっすよ。

 ……俺ぁ、もっと長期の休みを想定してたんだけどなぁ」


 嘆息交じりに肩を竦める長身の少年もまた、不満を抱く者の内一人。

 黒のオールバックを掻き上げた男は純白のコートに全身を包みながらもお洒落のつもりか、内側を黒地に縫い直している。浅黒い肌と彫の深い顔立ちは、騎士然とした者の着用を前提とした制服にはどこか不釣り合いであるも不格好という印象は与えない。それは単に彼自身の見目が優れているという証明か。

 自販機に背を預けている少年の名は、アーク・ディファイブ。

 聖ミカエル学園一年にして学園内での選抜戦を一足先に突破し、夏季合宿の切符を勝ち取った者の一人。

 彼は本来、夏季合宿までの期間を学園内で女生徒に声をかけて過ごそうと画策していた。だが、暇であることを見抜かれた生徒会長である能咬の指示を受け、こうして相方と共に国統領へ足を踏み入れたのだ。


「おーい、聞こえてんのか。力児りきじ

「……」


 アークからの呼びかけにも応じず、一人椅子に腰を下して携帯端末を凝視しているのが国統領へと足を踏み入れた親愛なる友人。

 殺叉丸やしゃまる力児りきじ

 アークと同様、既に選抜戦を突破して暇をもて余していた生徒。尤も彼は物好きなことに自ら見回り班へ志願したらしいが。

 デザインこそアークと同一の制服を纏っているものの、色調は反転するように漆黒。

 彼らからすれば異質な、黄色人種らしい色味の肌に白髪交じりの黒髪を角刈り。顔には右から左に流れる痛ましい傷痕が刻まれている。

 アークの脳裏に過った言葉は極道。

 なるほど、ユニオンが主な出資国家群を務めている国際統合には通わない訳である。


「つうか、いい加減こっちを向け。力児」

「……縫口ぬいくちをやった奴はどこのムショじゃ」

「は?」


 漸く口を開いたかと思えば、アークの語った内容から乖離した疑問。

 疑問符を零した彼へ問い直すように、殺叉丸は端末が映した立体映像を見つめる。


「縫口をやった奴へお礼参りへ向かうんじゃ。エンコの一本二本じゃ済まさんぞ……!」


 指圧が高まる。端末を軋ませ、主の抱く激しい憤怒を代弁するかの如く。縫口の分も代弁するように喉を鳴らし、殺叉丸は怒気を滲ませる。

 彼が怒りを露わにする気持ち自体は理解できるものの、それに付き合わされるのは堪ったものではない。

 元々遠出に乗り気だった訳でもない。アークは慌てて両手を振って、拒絶の意を示す。


「おいおい、冗談は止してくれ。こうなったら俺はジャパニーズ美女とワンナイトラブに出かけるんだよ、お前の知人の仇討ちなんざ知らねぇっての」

「こっちでも散々暴れ腐っとるけぇの、コイツは間違いなく極刑じゃ……じゃったら、ワシが引導を渡しても差はないじゃろうが」

「大有りだろ馬鹿ッ。法律って知ってっか?」

「従う道理がなか」


 腰を上げ、殺叉丸がコートの裏に仕込んでいた長ドスへ手を伸ばす。

 既に幾度も目撃しているはずのアークも思わず目を引く、素材の色味を残した美しい白鞘。粒子武装が溢れ返る祝刀祭にあって異質極まる実体刃は、ある意味では何よりも祝福を受けるに相応しい威容をも示す。

 そしてドスという得物が牙を剥く相手もまた、容易に想像がついた。


「だぁかぁらぁ、止めろっつってんだろッ!」


 朝方、未だ登校する生徒の姿も見えない道路に、虚しい叫びが木霊した。



「ひとまずはこれで三日ほど様子を見て、それでも痛みが続くようでしたらまた診断しますね」

「はい、その時はお世話になりますわ」


 国際統合病院、診察室。

 右手に包帯を幾重にも巻かれた男──甘粕灰音が医師へ頭を下げ、部屋を後にする。

 違法改造で出力が増大した光刃へ直に触れた挙句、長時間その状態を維持した代償が包帯の奥には隠されている。おそらく生命線もズタズタに焼き爛れ、彼の寿命を愉快な短命にしていることだろう。

 掌を見つめる甘粕だが、視線を離すとエレベーターを目指して足を進める。

 幸いとでも言うべきか、指は五本揃って繋がっている。ならばそれで未来ある若者を守れたのだから充分。


「なぁんて、納得できる訳ねぇよなぁ……」


 甘粕は脳内で自分を慰めていた独白に唾を吐き、拳も握れない右手を恨めしく眺めた。

 結局、桜子との戦いの後に急行した見回り班の手でアバドは捕縛され、同時に連絡を受けた救急車が桜子と甘粕を搬送。彼らが治療を受ける一方で、アバドは今頃治安維持組織たる四校同盟アライアンスに引き渡されている。

 慣れない左手でアバド逮捕のニュースを確認済みの甘粕はひとまずの安心感を覚えて、エレベーター内に足を踏み入れた。

 幾人かの医師が甘粕と共に入ったものの特別顔見知りという訳でもなく、当然のことながら会話が生じることもない。一足先に自身の手で停止階を指定していたのも好転したか。


「……」


 無言が苦痛、ではない。むしろ見ず知らずの他人と無理に会話の華を咲かせようと四苦八苦する方が遥かに痛痒な人種である。

 精々できることといえば、アバドが逮捕されたことで無為に搬送される人々が少しでも減って彼らの負担が心身共に減少することを祈る程度か。

 適当に黙祷していると空間が揺れ、エレベーターが目的の階に到着したことを告げる。

 新鮮なアルコールの匂いに鼻腔を慣らしつつ、甘粕はそのまま一つの個室を目指す。

 目的地は、すぐに見つかった。


「邪魔するぜ」

「だったら帰って」


 清潔に保たれた純白の病室。

 人望の差か、彼女よりも先に入院していた巴の個室と比較して、殺風景なまでに見舞い品の影はない。ベッドの上で半身を上げている彼女の周囲を取り囲むのは、満開の花々ではなく自身の手で運び込んだ本の山である。

 病院着に身を包み、肩と額に赤の滲む包帯を巻きつけた少女──骸銘館桜子は不満を隠そうともせず、甘粕を睨みつけた。


「見ての通り、忙しいんだけど」


 彼女が手に取っているゴシップ紙の表紙には、力強いフォントで『怪異!生徒会に潜む陰謀!』と書かれている。尤も暇潰し程度の意図しかないのか、閉じる際に栞の類を挟んだ痕跡はない。


「こっちも特にやることがないんだ。少しくらいトレーナーの我儘に付き合ってくれよ」

「それで年下のガキに頼るとか……友達いないの?」


 桜子の返答を待たず、近くの丸椅子を掴むと甘粕は彼女のベッド付近に腰を下す。

 人の話を聞かないトレーナーに、歯軋りを一つ。

 掌の火傷で済んだ甘粕と異なり、アバドと激闘を繰り広げた桜子は相応の怪我を負っていた。特に目を引く額の傷と右肩の擦過傷は、合計で六針も縫う大怪我。

 当然、完治まで待っていては本戦を棄権することになるため、強行軍は免れない。

 司馬の首を取るのに、傷口が開いたから負けましたなどとせせこましい言い訳を並べるつもりはない。が、万全でも勝てるとは言い切れない相手となると自然と機嫌も悪くなるというもの。

 その上、彼女の神経を鑢で撫で回すものはもう一つ。


「生憎と、友達がいるような奴はこんな仕事につかねぇよ」

「そ」


 素っ気なく返したものの、甘粕は肩を竦めるばかりでなおも居座る。

 敢えて触れずにいるのか、それとも本当に気づいていないのか。どちらにせよ、桜子としては愚鈍なまでの態度に際限なく不快感が刺激されるというもの。

 腹立たしげに付近の新聞を掴むと、乱暴に甘粕の顔へと投合。


「なんだよ、急に……」


 簡単に掴むと、不満を口にしつつも投げられたそれへと目を通す。

 記事の一面を飾っていたのは、連続辻斬り事件の犯人たるアバドが逮捕されたという速報。

 逮捕から新聞を刷るまでに数時間と猶予はなかったにも関わらず、誤字も乱丁もなく成立しているのは編集部の手腕だろうか。記事自体も推移を見守りたいだの続報に期待するだの、現段階での文言が少ない程度で制作にかかる時間を考慮すれば充分な出来栄えと言えた。

 にも関わらず、最大の功労者であるはずの桜子の表情は今にも殴り込みに出かけようかという怒気を孕んでいる。


「どうしたよ、別に変なことも書かれてないし時間の割には上等に纏まってると思うぜ」

「私の名前」

「名前?」

「そう、辻斬りを止めた張本人である骸銘館桜子が一文字たりとも入ってないのよ。こんな手抜きで金を取るなんて楽な商売ね全く……!」


 彼女の指摘を受け、改めて記事に目を通す。

 なるほど確かに。速報と銘打たれた記事の中にアバド・ンドゥールの名こそあれども、彼を捕らえた存在の名は女学生とその専属トレーナーという形でボカされている。


「あぁ……そういうのはアレだろ、実名への配慮がどうたらとかそんな感じのヤツだろ。多分」

「私はッ。そういうのは不要なのッ!」


 声を荒げる桜子だが、自分に言われても困ると甘粕は仰け反るばかり。

 桜子が自身の名を残すことに執着しているのは既に把握済みなものの、彼女を知らない人物にも周知しろというのは傲慢だろう。動物を思わせる唸り声を上げても、甘粕の辟易とした態度は不変。

 すると、微かに騒々しい音が二人の鼓膜を揺さぶる。


「なんだ、急に?」

「廊下……?」


 桜子の関心が移ったことをこれ幸いと、甘粕が扉をスライドさせると幾人かの医師が白衣をはためかせていた。

 その内の一人に声をかけると、医師は先を急いでいると顔を顰めて振り返る。


「やけに騒がしいですけど、どうしたんです?」

「正面玄関に極道が来たんですよ……!」



「な、何の用ですか……!」


 声と肩を震わせ、受付の女性は今日の配置を恨んでいた。

 出勤前の星座占いでは蟹座は一位だった。だから本来の受付担当が急病で休み、自分にお鉢が回ってきた時には早速成果が出たと内心で拳を握ったものである。

 ところがなんだ、この状況は。


「じゃからのぉ、ワシャァアバドっちゅう奴を仕留めた女学生を探し取るんじゃ。心当たりくらいはあるじゃろ?」


 受付のカウンター越しに鋭利な眼差しを突きつけるは、聖ミカエルの制服と同デザインかつ漆黒の衣服に身を包んだ極道。白刃を天井に向けて肩に乗せているのは、手入れが入念に施された白鞘の長ドス。

 背筋を冷たいものが這いずり回っている現状は、星座占い一位の強運とは著しく乖離している。


「テメッ……バッカ、お前ッ。ホンットバカッ!

 開幕からドスをチラつかせる奴がいるかよッ!」

「なんじゃアーク……どうせ懇切丁寧に頼んだ所でこいつらは隠すじゃろ。じゃったら、初手で脅すのが一番じゃけ」

「バカなベクトルで思い切りいいのマジで止めろやッ!」


 極道の横で声を荒げるアークと呼ばれた少年は、聖ミカエルの制服に身を包むものの裏地が見慣れないものに縫い直されていた。

 連れなのだろうか。彼は必死に極道を制しようと言葉を重ねはするも、相手に響く気配はない。


「じゃったらのぉ。その女学生となんら関係のないワシがいったいどうすれば面会できるっちゅうじゃ、のぉ?」


 獰猛な、肉を噛み千切るのに適した犬歯を剥き出しにして、不機嫌さをもさらけ出して問いかける極道。返答を誤れば命はない、そう断言できる凄みに問われた訳でもない受付が鳥肌を立たせる。

 一方、そんなものは慣れたとばかりにアークは頭を掻き、嘆息を一つ。


「はぁ……お前なぁ、女性を誘う文句なんざ幾らでもあるだろうが。

 今朝のニュースで彼女の活躍を知りました。心を奪われたのでどうか一度、その容姿を目に焼けつけたく……とかさ」

「告白の真似ぇせいっちゅうんか、ワレ?」


 加速する剣呑な雰囲気に受付近辺の人々は即座に踵を返し、もしくは内心で女性に合掌して目を離す。

 不幸なのは眼前で一部始終を眺める権利を強制された受付の女性。

 極道は少年と会話を繰り広げるが油断する気配はなく、常に女性へ一定の警戒を置いている。不審な動きを流し目で捉えようものなら、数瞬の内に右手に構えた白刃が赤く染まる。そう確信を抱かせるだけの気配が彼女を萎縮させ、その足を床へ縫いつけた。

 神の不在を呪うしかなかったが、天はそう簡単に己の信奉者を見捨てはしない。


「何やってんの、君達?」


 凛とした声音が、二人の間に別種の緊張を走らせた。

 首を慣らし、極道が背後へ振り返る。

 視線の先には病院着に身を包む少女、そして濡れ烏のスーツを纏った男性が立っていた。

 少女は桜の瞳を鋭利に研ぎ澄まし、左には逆手持ちの光刃刀。男性もまた肩に大柄の得物を担いで待機している。

 しかして、たかだか女生徒とその関係者如きに遅れを取る聖ミカエルの生徒などいない。


「なんじゃぁ、オドレら?」

「ハッ。こういう時の自己紹介はそっちからでしょ」

「あ゛ぁ゛。やんのかワレェッ」

「おいおい。言われてんぜ、力児。せっかく未来の美女がわざわざ足を運んでくださったんだ、ここは冷静に対処しようぜ」

「軟派もんは黙っちょれ」


 力児と呼ばれた極道──殺叉丸力児はおもむろに担いだドスを振るい、タイルを薙ぐ。

 抉れた先はアークとの境界、さながら二人を分かつように隔てられた無形の壁は干渉を拒む無言の警告を兼任する。

 意味を理解した少年は溜め息を零すと、もうどうにでもなれと肩を竦めた。

 沈黙の意味を正確に理解した殺叉丸は桜子を視界に収めたまま、足を進める。


「ワシはのぉ、アバドを仕留めた女生徒とやらに用があるんじゃ。知らんかぁ?」

「あの辻斬りなら私が潰した。どう、これで満足?」


 ほうほうそうかぁ、と頷きながらも黒衣は彼の足取りに追従。

 歩みを続ける様に危機感を覚えた甘粕が二人の間に割り込もうとしたものの、桜子が手で制した。

 距離は徐々に詰まり、やがて相対した二人が互いの顔を見つめる。

 身長差か。桜子がやや首を上げる姿勢となり、一方の殺叉丸は無感動に彼女を見下ろす。

 急速に張り詰めた空気は針の一本で破裂するのが目に見えている。確信を抱くに至った甘粕が先の静止を振り切って走り出そうと踏み込むも──


「おいおい。女性の言葉には素直に従っておくべきだと、俺は思うぜ?」

「……見た感じ、君は結構冷静な印象だったんだがなぁ」

「よせやい、野郎に褒められましてもってヤツだ」


 境界で区切られた先からアークが突きつけた白光の盾、その先端に取りつけられた鋭いクリスタル状の部位に牽制されては強硬することも叶わない。

 ハッタリか、もしくは本当に遠距離からの干渉手段を有しているのか。

 何せ己が得物に盾を持ち出す者など少数派。一線を退いている甘粕には、彼が持ち出した武具の性能すらも検討がつかない。

 不適な笑みを浮かべる少年の表情もまた、正確な推測を妨げた。


「じゃあ次の質問じゃ。アバドは今どこにおる?」

「知らないしどうでもいい。ってか、君が知っても関係ないでしょ」

「大有りじゃ……!」


 低く、唸る声色が殺叉丸から漏れ出る激情の一端を物語る。気のせいか、甘粕の位置からだと長ドスを握る手が微かに震えているように思えた。

 尤も彼の行動にどのような意味があろうとも、無い袖は振れない。

 桜子は躊躇なく、薄桃の刀身を振るおうと手首を捻った。

 その時。


「病院を荒らす悪鬼羅刹が二鬼……必要とあらば今一度、我が刃の冴えをお見せしましょう」

「あ゛ぁ゛、誰じゃぁ?」


 廊下を叩く音がする。

 誰かが歩く音がする。

 古風な物言いを口遊み、薙刀が空を切る音が木霊する。


「誰かと問われれば答えましょう。かつては罪人に遅れを取り、家名に泥を縫った我が名を」

「……!」


 送風機器が送り出す風が燈に染まった髪を揺らし、目の奥では紫の瞳を蔑視に流す。

 それは殺叉丸の恫喝にも怯まず、アークはただ病院着を纏った美貌に見惚れた。

 二人にとっては単なる第三の介入者に過ぎないが、甘粕と桜子にとっては更なる意味が積み重なる。不可能事を起こしているが故に。


「ま、マジかよ……」


 呆れとも賞賛とも取れない声を漏らす甘粕。


「なんで、君が立ってるのさ……!」


 声を震わせ、思わず後退るは桜子。

 誰よりも追い詰められたというように顔を蒼白にして目を見開く様は、先程までとは打って変わった様相を見せる。

 早鐘を打つ心臓が体温を跳ね上げ、額を滴る汗は嫌に冷たい。

 問いかけるその声は、金切声の悲鳴。


巴円ともえまどかッッッ!」

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