第7話
陽の光が西に沈み、太平洋の一角に居を張る学園都市、久遠にも夜の帳が降りる。
時刻にして夜の一一時。メンテナンスの名目で監視カメラの内一つが機能を停止する時分。
連日続く辻斬り騒動によって四校同盟以外の人足が遠退く商業区にあって、その日は高層ビルの合間を縫って相応の人波が流れていた。
ブレザー、コート、学生服。あるいは何れにも属さない私服。
空下太平からの要請で始まった四校合同の見回り、その初日が今日であった。
「
燈のサイドテールをたなびかせ、
側に立って共に歩くのは、彼女の専属トレーナーである
聖ミカエル学園の生徒であり、巴の選抜戦を憂慮している辺り、上級生なのだろう。
「お気遣い感謝します。ですが、巴の家名に於いて、斯様な狼藉を見逃すことなど許されません」
「なるほどね、真面目な娘だ。
何かあれば俺に言ってよ、手伝ってあげるからさ。巴ちゃん」
少年は巴の肩に手を置き、空いた左手で自身を指差す。
語尾にハートでもつきかねない声音に馴れ馴れしい奴だと、木曽は鋭利な眼差しを向けるも、少年が感づくことはない。
「お気持ちだけ受け取っておきます」
「……ま、今はそれでいいかな」
調子の軽い少年は、本当にあの聖ミカエルが選抜した人員なのかと木曽に疑問を抱かせる。同時に、言葉を続けながらも眼球だけは忙しなく周囲を警戒している様にどこかアンバランスさを覚えてしまう。
尤も、どれだけ見回りを真摯に行っている所で巴への応対だけで木曽の心中に於ける評価は最底辺なのだが。
本来は生徒同士二人一組で哨戒に当たる予定であったが、木曽も同行する手筈となったことで彼女の班は三人一組の組み合わせとなった。学生上がりのトレーナーを中心に、木曽と同様に担当と共同で哨戒に当たっている班が幾つか存在している。
トレーナーの全員が選手上がりでも久遠経由でもない。故に少年のトレーナーのように、許可だけ与えて自身は布団に籠っているのが本来は正道である。
「にしても、こっちの商業区って何があるのさ。パッと見、司馬重工とNーモノリス社の影響が強そうだけど」
「そうですね。飲食店や服屋などは、特にNーモノリス社傘下企業の出店が目立ちます。
逆に司馬重工は兵器産出では優秀な成果を出していますが、その他の分野では後塵を帰しているのが実情」
「そうそう、バーチャドール? なんて音声ソフトにも精通してたよね、Nーモノリス社は!」
「……」
彼は有志による哨戒をお見合いと勘違いしているのか。
木曽が苦虫を噛み潰して少年を睨みつけるも、鈍感な彼は肌に突き刺さる眼光を意にも介さない。
店側にも辻斬りの二次被害などを考慮して休業申請を出している都合上、彼女らを照らし出すのは幾つかの街路灯と夜空に浮かぶ星々に限定される。
頭上に建設されたモノレールの路線が、巴達から星々の恩恵を遮る。
その時であった。
『緊急連絡ッ、緊急連絡ッ。商業区Aー3地区で火災発生ッ。』
「Aー3ッ……? 行政区に隣接してる場所をッ……!」
「火災……こんなタイミングでッ……!」
巴の零した言葉に従って少年が視線を向ければ黒煙が夜空を穢し、灼熱が空より落ちたる闇に最後の抵抗を示している。
哨戒と火災への対処、どちらへ向かうべきかそれぞれが逡巡し──
「今宵の獲物は、三人か」
三人の正面、正対する位置に立つ異形の存在を見落とした。
「ッ。離れて、巴ちゃん!」
「えっ、つッ……!」
最初に声の方角へ視線を向けたのは、少年。
咄嗟に巴を押し退け、空いた左手に握る軽粒子ナイフで二振りの光刃を迎撃。
途端、左腕に重く圧し掛かるは、出鱈目な膂力で距離を詰める刃。巴を庇ったが故に不安定な姿勢は、力を込めるには不適格。
「この出力ッ……違法改造かッ!」
「実に素晴らしい慧眼。しかして少女を庇うのは失策だったなァッ!」
「く、このッ……!」
一層力強く押し込み、少年が体勢を崩す。
そのまま乱暴に腕を振るえば、過負荷をかけたクリスタル体の光が少年の胴体を軽く炙った。
異形は決めにかかると薄汚れた白の袖を揺らして逆袈裟に一閃、その直前で身体ごと大きく仰け反らせる。
半瞬と経たず視線を横切るのは、薄桃に輝く一条の閃光。
咄嗟に少年との距離を取ると、三度笠の奥から微かに香る硝煙の先を睨みつける。
硝煙の出先は、木曽の手に握られた鈍色の殺意。
「こう見えて、射撃には自信があるんですよ」
「トレーナー風勢が……味な真似を……!」
「もう一つ、味見を願いましょうッ!」
「──!」
空を裂く烈波の刺突。
半ば無意識に光刃で切先を逸らしたものの、逸らし切れなかった光が三度笠の端に擦過傷を残す。
薙刀、ストレンジ・カーゴの担い手たる巴は冷淡な眼差しを異形へと注ぎ、斜め上方へ向かった柄を更に持ち上げると、月ごと引き裂かんと渾身の力で振り下ろす。
薙刀、槍などの長物の真価は刃のみに在らず。長大なる射程を支える柄そのものがしなりを加えることで、肋骨を容易く粉砕する打撃力を秘めた鈍器となる。
「あッ、がッ……!」
事実、光刃による防御を無理矢理突破して右肩へ叩きつけられた異形は短い悲鳴を漏らし、振り抜かれた反動で地面を幾度か飛び跳ねる。
都合三度の反復で脳震盪から脱した異形は、四度目の接地で右腕を除いた三点を以って立ち上がる。肩の先から伝わる激痛が憎悪の籠った眼差しを一層鋭利に研ぎ澄まし、三度笠の切れ目から三者を睨む。
力なくぶら下げられた右腕は、骨の砕けた証左か。
純白の装束に鮮血を滲ませた姿は、時代錯誤の怪物にも過去より浮上した亡霊にも思えた。顔立ちこそ三度笠に遮られて判別できないが、切れ目から覗ける眼光だけでも内蔵を焼く憎悪の深淵が垣間見える。
「貴様、ら……我が玉座を遮る、矮小な……路傍の石、がぁ……!」
「言うに事欠いて、路傍の石ですか」
応対するは、異形へ冷淡な瞳を注ぎ続ける巴。
彼の男は国統領で幾度も狼藉を働き、幾人もの生徒の将来に暗い影を落としてきた。
そして胸元に輝く校章こそ、異形が学生であるという何よりの証拠。
できない生徒がその理由を解消するでもなく、できる生徒の足を引っ張っているという現実が、巴には耐え難く許し難い。
「己が身を鍛えるのではなく、他者を引きずり落とす稚児にも劣る思考回路。
そのような腐った性根。今ここで引き裂き砕いてみせましょう」
淡い光を蓄えた刃が、しかと異形の姿を捉える。
不意を突かれた時には遅れを取ったものの、現状では数的有利に加えて個人間の力量でも大きな開きは窺えない。リミッターの有無による武装の性能差はあれども、覆せぬ程ではないという自負もある。
故に、外部からの干渉が戦力の均衡を崩す。
耳をつんざく発砲音は闇夜に乗じた投擲に対し、木曽が迎撃の砲火を放ったことに由来する。
宙を舞い落下するは、軽粒子で薄く刀身を覆った苦無。
「新手かッ」
「だぁい正かぁい」
間断なく銃口を向け、捉えた先には辻斬り犯とは異なる異形。
漆黒の衣に四肢へ巻きつけた鎖。胸部には鎖帷子でも隠し切れぬ豊満な双丘。乱雑に巻かれた頭巾の隙間からは金髪が漏れていた。
やや異質な点こそあれども、現した容姿は所属を隠蔽する意図と相まって紛うことなく忍者のそれ。間延びした、真剣味に欠けた声は女性の代物であると推測可能。
異質なる女性は、親しい友人に会ったかのように辻斬り犯へと声をかける。
「押っされているようなのでぇ、わぁたしがぶっ殺しの手伝いをして上げまぁす」
「……野郎二人を血に沈めろ。女は、双刃の錆にしてくれる」
「はいはいはぁいッ。委細承知の合点承知ぃッ。それではそれでは、紳士二人は淑女がお相手いたしまっしょう!」
「鎖ッ?!」
言うが早く忍者が両腕を振るうと、腕に巻きつけられた鎖が弧を描いて二人へ迫る。
意志持つ大蛇の如き所作を飛び退くことで回避した両者だが、即座に距離を詰めて腰に構える忍者の掌打を避け切る手段がない。
「グッ……!」
交差させた両腕を素早く前面へ押し出すことでインパクトの瞬間を狂わせ、衝撃を大きく低減。しかして臓腑を掻き乱す生々しい衝撃は小賢しい浅知恵だと嘲笑うように、木曽へ激しい不快感を届ける。
地面に轍を刻みながら、木曽は巴との距離が離れていくことに警戒を強めた。
「木曽ッ!」
「大丈夫です、円様ッ。それよりも眼前の敵に集中を……!」
巴が視線を木曽から正面へ戻せば、眼前では左の刃が煌めきを放って待ち構える。
光刃をぶつければ、互いの眼前で閃光が激しくスパーク。
「たかだか一年の分際でトレーナーを引き連れるなど……!」
「あら。クオンも少しばかりは、慧眼を備えておいでで!」
「黙れェッ!」
互いに弾け、同時に身を捻って接敵。再度刃を重ね合う。
一本の腕で相対せねばならない異形と比べ、巴は両の腕を万全に行使可能。そこへ得物による間合いの差をつけ加えれば、彼女に負ける要因はない。
血を滾らせながら、徐々に思考も冷静さを取り戻していく。
右腕を負傷した相手は下半身──特に足へ集中的な攻撃を仕掛けてくる。
「ハァッ!」
「フッ……!」
地を這う挙動で迫った今回も、狙いはスカートに隠れた足に違いない。
巴は短く息を吐き、掬い上げる薙刀の挙動で迎撃。前面に出された光刃で防がれたものの、異形は後退して彼女との距離を取る。
異形の動きは何らかの流派の教えというよりも、単なる手癖の領域で済む話。洗練された武道のそれではなく、獣の挙動にも等しい。久遠を来訪して日の浅い一年ばかりを襲撃していた理由も己ずと理解できるというもの。
異形が視線を一瞬、自身の右腕へと注ぐと、観念したように忍者の方を向く。
「鎖の一片を所望するッ」
「はいはいはぁいッ。なんとなぁくやりたいことはぁ、分かってますのでぇッ!」
忍者は異形の声に応じると、木曽と少年の連撃を児戯の如く捌きつつ、鞭の如くしなる右足から鎖を射出。
宙を泳ぐ変幻自在な挙動は、やはり意志持つ大蛇を彷彿とさせる。
「やらせはッ……!」
意図を察した巴は鎖を叩き落とさんと切先を向けるものの、そうはさせじと投擲された異形の得物の迎撃に徹される。
回る光刃の柄を巻き込み、示し合わせたかのように鎖が異形の右腕を包み込む。
腕の固定及びそれに伴う肉体の安定。
固定さえしてしまえば、たとえ骨が折れようとも何ら問題なく戦闘活動を続行可能。身体を動かす度に走る激痛を無視すれば、という枕詞がつくものの。
異形も三度笠の奥に脂汗を隠し、視線を再び巴へ注ぐ。
「第二戦を所望しようか……!」
「あら。これは戦ではなく誅伐……ただの狩りでしてよ」
巴もまた右足で弧を描き、半身の姿勢で異形を睨む。
肺に蓄積された熱を吐き出し、焦らず空気を取り込む。
敗北に繋がる要因はない。盤石の姿勢で事に当たれば、異形に遅れを取る要素は限りなく薄い。
故に、腰を落として迎撃の姿勢。
忍者への対処はあれど、異形を無力化する以前で焦ってしまえばそれこそ利敵行為に他ならない。矜持なき手合いに注ぐ敬意はなけれども、だからこそ丁寧な応対が要求される。
「人の味を覚えた畜生は、今ここで根絶やしとしましょう」
高架下の闇に互いの刃の煌めきを残し、いざ互いの在り方を名乗り上げる。
「国際統合高等学校一年、巴円」
「……クオンハイスクール三年、アバド・ンドゥール」
再戦の号砲はナイフと拳銃、そして多種多様の得物を駆使する忍者の、幾度目かになる激突の衝撃。
最初に駆け出したのはアバド。低く抉る挙動は、腹を地につけるかどうかの寸前まで。喜色に歪んだ口元は獲物を求める捕食者の如く。
対峙する巴は視線を鋭く研ぎ澄まし、アスファルトを巻き込む戦神の薙ぎ。
視界を奪う粉塵を嫌って異形が距離を取るものの、肌を掠める欠片が装束の端を穿つ。
光刃で燃え盛る瓦礫を用いた疑似的な遠距離への干渉手段は、ただでさえ得物による間合いの優位を有している巴の立ち回りに更なる吉兆を呼び込む。
「鎧袖一触……否、触れてすらいませんでしたね」
無理に距離を詰める必要はない。
元より時間がないのは、法を犯しているアバドの側。
攻めあぐねたままに他の班と合流、数の暴力で押し切って捕縛というのも巴側の勝利としては充分。
手首を短く振って薙刀を構えると、視界に捉えるは距離を掴みかねて左右に視線を揺らすアバドの姿。
戦略も戦術もなく、ただ己が快楽と劣等感を誤魔化すためだけの獣。
遮二無二突撃ばかりを繰り返すのも納得というものか。
「クソ、俺が……俺が負けるはずが……!」
「戦場に立った上での称号を、立つことすら放棄した分際で承れるはずがない」
「黙れ、黙れッ。黙れェッ!!!」
巴の指摘が余程逆鱗に触れたのか、アバドは柄から血を滲ませると幾度目かになる突撃を敢行。
彼の叫びに燈の髪が僅かに揺れるが、そよ風に等しくては彼女の意志を削ぐことは叶わない。腰を捻って薙ぎの姿勢を取り、迎撃するのみ。
「ハァッ」
短いかけ声と共に放たれた一閃は、今宵だけで既に数十と繰り返された交差であった。
「……」
「……」
中央は商業区。
陽の光も落ち切った時分、
弾む話もなく、かといって互いに偶然を装って離れることもなく、一定の距離を保ちつつ歩を進める。
桜子の『風を浴びたい』という、なんとも抽象的な要望を聞き入れた形ではあるものの、甘粕個人としてはさっさと帰路に着いて欲しいというのが本音。
未だに選抜戦の最終戦をサボタージュした理由を聞き出せてはいない。
相手の強い要望から対戦カードを翌日に回されたものの、偶然は二度も起きない。もしも明日以降も同様の事態が頻出するようであらば、何らかの手段を講じる必要も生まれてくる。
だというのに、肝心の少女は行為に至った理由に対して無言を貫いているのだ。
現に、白状するタイミングは幾らでもあったにも関わらず、夜の散歩中に彼女が口を開くこと事態が極僅かに留まっていた。
「……」
視線を横に並び立つ少女へと注ぐ。
桜色の瞳こそ依然変わらぬ光を保っているものの、顔色はどこか幽鬼めいた蒼白に変貌している。先程までと比べれば遥かにマシではあるが、比較対象が死人であれば生者は誰でも健康というもの。
「何か、ついてる?」
「別に」
素っ気ない質問に味気なく返すと、甘粕は視線を正面へと戻す。
口を開かせる切欠を作るのが至高なのかもしれないが、トレーナーになって数日の身では話術にまで意識を傾ける余裕がない。
だからこそ、ひたすらに彼女へ同行して自白する時まで辛抱しているのだが。
「全然話す気配がねぇ……」
頭を掻くも、それで状況が好転する訳もなし。
『私は戦えるッ。それで、充分だろッ!!!』
想起するは自販機の近くで見せた、敵へ向けるよりもなお苛烈な眼差し。
最早感情が剥き出し、などという話ではない。
ただならぬ表情から秘匿された何かがあることは一目瞭然、しかし肝心要の何かを掠めることすらできない。
「いい加減しつこい……いいでしょ、別に隠し事の一つや二つ」
「そうだな。それがサボりの口実に使われてなきゃ、別に俺も気にしちゃいねぇよ」
「だから、大丈夫だって。明日はちゃんと四戦やるからさ」
呆れた口調で語る桜子であるが、当事者故にその言葉の説得力が大きく低減していることに気づけない。
嘆息を一つつこうとした時、光刃同士のスパークが二人の鼓膜を刺激した。
「……なんだ、今の」
「誰かがやり合ってる?」
事件予防の一環として短縮営業を強いられ人足が途絶えている状況だからか、微かな音であっても幾つものビル群との反響を経て遥か遠方にまで音を届ける。
時間帯が時間帯。
モザイク街の喧騒が街中にまで届く訳がない以上、二人の脳裏に過ったのは全くの同一犯。
「「辻斬り……!」」
半歩早く、音の方角へと駆け出したのは桜子。遅れて甘粕が後を追う。
二人に危ないから逃げよう、などという惰弱な発想はない。むしろ別の誰かと交戦中である事実が鬱陶しくさえある。
冷や汗の一つもなく、高鳴る鼓動は高揚感に伴って。
無人に等しい歩道は平日の人波が嘘のように鎮まり返り、朝夜の差も相まって根底から異なる街という印象すらも受ける。革靴がアスファルトを蹴りつける音が、嫌に響いた。
どれだけの時間が経過しただろうか。
反響した微かな音を根拠に探らねばならないため、モノレールの高架下に辿り着いた頃には随分と時間が経過していた。
「骸銘館ッ……」
「あの女ッ……!」
辺り一面に投擲武具や銃創が散らばり、アスファルトを抉る夥しい惨状が闘争の激しさを雄弁に物語る。
足音の方角へ振り返った巴は苦虫を噛み潰し、その後ろ姿を認めた桜子もまた視線を鋭く研ぎ澄ます。
本来なら雌雄を決してしたはずの二人。互いに思うことは幾らでも思い浮かぶ。
同時に甘粕もまた巴の奥に立つ異形──アバド・ンドゥールを捉える。
「貴、様ァ……!」
その姿は一言で述べて凄惨。
白にアクセントで血をまぶした死に装束は、まるで機関銃の斉射を受けたかのように穴だらけ。穴の奥から覗ける肉体もまた鑢でもかけたとしか思えない流血を垂れ流し、特徴的な三度笠も結合の多くが焼き切れ各所で麦わらを跳ねさせる。
戦国時代辺りの落ち武者を彷彿とさせる有様は、もしや巴一人で成したことか。
「殺してやるッ、殺してやるぞ……貴様ァッ!」
五臓六腑を焼き尽くし、血液を沸騰させる憎悪を滲ませ、アバドは血走った眼差しで殺意を叫ぶ。
「んだよ。俺達の出番ねぇじゃん」
「そうですね。彼我の実力差に絶望して、向こうで交戦している木曽達の支援へ向かって下さい」
一方で巴に目立った傷はなく、制服に付着した多少の汚れもどちらかといえば転倒などに由来するものだろう。アスファルトに描かれた弧線より奥に、異形が踏み込んだ形跡もない。
桜子が満足するかはともかくとして、この戦いに直接介入する理由は極めて低い。
じゃあそっち行くか、と首を鳴らした甘粕だが、桜子は微動だにせず巴を凝視していた。
「……」
「どうした、骸銘館」
「見学、ですか……いいでしょう、元より貴女に期待はしていません」
「こっちを見ろッ、一年ンッ!」
背後との会話に終始する巴に激高したアバドが叫び、怪しく揺らめく薄桃の刀身を振るう。
巴の張る弧線の外より放たれた刃は当然のように薙刀の先端で斬り払われ、彼女を掠めることすらない。
一歩踏み込み、体勢の崩れたアバドへ巴が鋭い刺突。
強引に身を捻って直撃を避けるものの、なおも左脇に重なるは擦過傷。
歯を食いしばって耐えるアバドだが腹を決めたのか、距離を取ることはなく再度双刃を見舞う。応対する巴の薙ぎに一掃され、距離を詰めることさえままならない。
一歩、踏み込み掬い上げる薙刀の軌跡。
直撃すれば顎の砕ける膂力が迫り、アバドは背を仰け反らせて直撃を回避。
「あ……ガァァァッ!!!」
「人並に悲鳴を上げたつもりですか」
顔を焼く灼熱に絶叫する異形へ、およそ感情の窺えない無機質な声。
大気を巻き込み、連続するは大上段。
神速の振り下ろしが得物の片割れを手放した愚者の右肩を直撃。
幾重にも巻かれた鎖を貫き、アバドの全身に破滅的な衝撃が伝播する。
が。
「ァ……アァァァアアァァッァァッッッ!!!」
「なッ……!」
三度笠の奥から見開いた目を向けると、アバドが左手でストレンジ・カーゴの柄を掴む。
先程までの激痛に叫んだ姿から乖離した挙動に一瞬、巴も動揺を示してしまう。
「え──」
「クソッ。巴ッ、早く離れろッ!!!」
理解の及んでいない桜子とは対照的に、甘粕は咄嗟に得物へ手を伸ばし駆け出す。
距離はそう遠くない。急げば間に合う。
その間にもアバドは限界を超えた膂力で柄を軋ませ、欠片が掌に突き刺さるのも厭わずに握り込む。
手首を捻って柄を折れば、機能不全により軽粒子の供給が停止。薄桃の刀身が霧散していき、微かに伝わる高熱も徐々に息を潜める。
「こ、のッ」
事ここに至り、漸く巴も柄を手放すものの、流石に全てが遅い。
乱暴に投げられた柄を咄嗟にしゃがむことで回避。
「クソ、がッ……!」
投擲された先には甘粕。
瞬間的に赤黒の粒子を解き放つと、重斬刀で斬り落とす。
僅か数秒に満たぬ所作だが、今はその数秒が雌雄を決する分水嶺となる。
距離を取ろうと後退する巴に対し、アバドは腰を捻って刺突の構え。
空を裂き、螺旋を描く薄桃の刀身が巴へと迫る。
一秒が切り裂かれる。
一瞬が切り刻まれる。
一部始終を眺めていた桜子の中で、極々僅かな時間が幾重にも解体される。
切先が貫く先は、巴の左腿──
「──!!!」
夜闇を引き裂く絶叫が、商業区中に響き渡った。
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