第6話
陽が沈み、空を染め上げる茜色が地上にも波及する。
第一トレーニングスペース出入口には選抜戦を終えた生徒やそのトレーナー、会場に集まった観客が列を成す。
敗北によって夏季合宿への道が閉ざされ涙を零す者。
勝利したものの、翌日の結果次第では容易に転落すると忠告する者。
祝刀祭前の余興に過ぎないにも関わらずの熱戦続きに、満足感に包まれた者。
顔色は十人十色であるものの、そこに
本日最終であった
「あの馬鹿ッ、勝手にバックレやがって……
まさか勝手に帰ったとか抜かさねぇだろうな……!」
内心で苦虫を何十と噛み潰し、甘粕は懐から乱暴に携帯端末を取り出すとダイヤルを乱暴に叩く。
画面に表示される番号は、正しく桜子の端末への番号。
「骸銘館ッ、今どこにいるッ!」
『あぁ、甘粕……今は出入口に向かってるけど』
怒鳴りつける声への返事はどこか小さく、巴戦をサボった割には息も乱れて聞こえた。
ただならぬ気配を感じた甘粕は、声量を数段階落として言葉を紡ぐ。
「……大丈夫か、何かあったか?」
『別に……ちょっと顔を見合わせて話したいし、どっかで待ち合せない?』
桜子からの提案は、甘粕としても望む所。
ひとまず出入口に近い自販機で待ち合わせ場所に指定すると、甘粕は足早に現場へと向かった。
ドーム内では予選の直後だというのに、既にトレーナーや同級生とトレーニングを重ねている生徒が散見する。彼らの多くは敗北後にやるべきことを正しく理解している層とそも二年や三年故に選抜戦の後も余裕を備えている層。
ウォータークーラーで喉を潤すものいいが、身体を動かした後に飲む清涼飲料水の味もまた格別。
それを実感として理解しているため、甘粕は生徒の利用する自販機から一歩離れたベンチに腰を下している。
「まだか、向こうが会おうって言ったんじゃねぇか……」
自販機の側にかけられた時計は、既に短針を六から離しつつある。
甘粕が到着してから生徒が五組は立ち寄っているものの、そこにも桜子の姿を認めることはできない。
実はいいように騙して一人勝手に帰路へ着いたのではないか。そのような邪推が脳裏を過っては頭を振って追い払う。
そうして幾度目かの邪推を払拭していると。
「ごめん……ちょっと、遅くなった」
壁に寄りかかり、制服の端々を湿らせた桜子が到着する。
「チッ、全くだよ。試合一個分はおせぇ」
舌打ちすると、甘粕は腹立たしげに皮肉を零した。
何故会場に訪れなかったのか。
妙に濡れているが何かあったのか。
理由を問い質すため、甘粕は凝り固まった腰を上げると。
「その、試合に出れなかった……ごめん」
桜子は深々と頭を下げ、謝罪を口にした。
罪の意識自体はあるのか、普段の様子からは想像もつかない謝意に甘粕も一瞬言葉に詰まる。
しかし理由を聞かないことには素直に受け取ることは叶わない。故にネクタイを締め直し、甘粕は歩を進める。
「その言葉を受け取るには、まずは理由を聞かないとな」
「そ、それは……言えない……」
「は?」
気まずく視線を落とし、それでも桜子はトレーナーの要求を拒絶した。
当然、甘粕としてはそういう訳にはいかない。
何せ大事な試合をサボタージュしたのだ。わざわざ顔を合わせて謝意を見せる気概がある以上、申し訳なさは本物だろうが、理由の隠蔽を許容できるかとは別問題。
甘粕の眼差しが、一層鋭さを増す。
「言えないって、そんなのが通る訳ねぇだろ。
危うく本戦を落としかけたんだぞ」
その上、首の皮が繋がったのは相手方の恩寵によるもの。再現性のない特記事項で、通常ならば素直に不戦勝を受理して終わりだ。
奇特な変人二人に助けられた状況に、なおも桜子は瞳を揺らして訴えを退ける。
「それでも、言えない……明日はちゃんと出るから、それでいいでしょ……」
消え入る声音で、なおも拒絶の意志だけは克明に示す。
その姿が、普段とは異なる様子も相まって甘粕の調子を狂わせる。
「あのなぁ……その言葉を信用する根拠がねぇって言ってんだよ。
なんでサボったのかも分からず、ただ信じろって口約束だけを頼りにしろと。お前だって、こんなのを信じるような馬鹿じゃねぇだろ」
口で交わしただけで契約書に署名もしない約束に、どれだけの説得力がある。
数年来の付き合いならばまだしも、二人の間柄は決して一生徒とトレーナーの範疇を抜け出はしない。まして、契約以前から素行に著しい問題を抱えていればなおのこと。
生来の問題が再び噴出しただけの話。
複雑な理屈もなく、そう切り捨てるには非常に易い。
「なんか別の問題が起きたのか、それとも気紛れか……はたまた持病とか?」
大した意味もない選択肢の羅列。
特に最後の方など口にした甘粕自身も違うだろうと、薄々感じている。
だが、桜子は最後の言葉にこそ過剰なまでに強固な反応を示し──
「違うッ!!!」
「ッ、なんだよ急に……」
腕を振って烈火の如く叫ぶ桜子の気迫に、甘粕の視界に映った生徒が慌てて踵を返す。
寄りかかっていた壁から距離を置き、少女は左手で甘粕の裾を掴む。
敵に注ぐよりなおも苛烈に桜の瞳を燃え上がらせ、無理矢理直視させるように。
「私は戦えるッ。それで、充分だろッ!!!」
熱い、桜子の体内から吐き出された灼熱の吐息が甘粕の頬を撫でる。
そこに混じった鉄の匂いは。
「血……か?」
「ッ……!」
甘粕が零した言葉を切欠に桜子は手を離し、話は終わりとばかりに踵を返す。
途端に再び壁へ寄りかかる姿は、とてもではないが正常な状態から乖離している。
「どこ行く気だよ?」
「ちょっと外に……風を浴びたいのよ」
「そんな調子でか?」
「悪い?」
端的に述べれば悪い。
全力が出せるかどうかの領域ではなく、最早身体を満足に扱うのも億劫な様子とくれば目を離す訳にもいかない。
とはいえ、指摘した所で彼女が素直に応じるとも思えない。
ならだ、折衷案としては一つ。
「悪い。が、俺も同行していいなら許可してやる」
「ッ……」
歯軋りの不快な音が鼓膜を刺激するも、すぐに桜子は返事をする。
「いいわよ。どうせ来るな、って言っても来るんでしょ」
「ご名答」
「邪魔しなければそれでいい……」
自販機から離れる桜子に同行する甘粕。
二人が外に出れば既に夕日も下り、後はどれだけ茜が天空の黒へ対抗できるかといった様相であった。
国際統合高等学校生徒会書記、ナーヴ・オイットニーは調べもののために生徒会室の一角で端末を操作していた。
据え置きの端末に映る情報は現在国統領を賑わせ、
辻斬りの得物は二振りの光刃剣。刀身の色は薄桃と唯一確認されているカメラの映像で確定している。
ならば今、彼の机で存在を主張しているクナイは誰のものか。
「あら、まだ残っているのですか。ナーヴさん」
端末の画面に集中していた小太りの少年は、後方からかけられた声に腰を回して応対する。
正面から放たれる青白い光に照らされたのは金糸の髪を伸ばし、どこか憂いの表情を浮かべた生徒会副会長。
「マリステラさん。えぇ、今いい所なので」
簡潔に述べて久々の対人会話を打ち切ると、ナーヴ体勢を戻して再び端末と向き合う。
無茶をしている自覚はある。
校内外を問わず、最近は辻斬り犯に関する情報を求めて端末と顔を突き合わせ続けている毎日。マリステラに声をかけられたのが、久々の会話であると彼自身も自覚していない。
彼が辻斬り犯逮捕に向けて人一倍努力を重ねているのを知っているためか、金糸の髪を揺らしてマリステラは両肩を掴む。
「あまり無茶をしないで下さい、ナーヴさん。
その身体は貴方一人のもの。代替など効かないのですから」
「……!」
呼びかけ、それでも静止しないと予想がつくため、せめて労いとして肩を揉む。
予想外の感触に丸まっていた背筋を立たせ、直後にナーヴは変に意識したことが伝わったと頬を赤く染める。
「フフフ……ところで、捜査はどの程度まで?」
「そ、それがですね……!」
耳をくすぐる彼女の言葉は心地よく、疲労の蓄積した肉体を睡魔へ誘う。
堪えて上擦った声を上げ、ナーヴは慌てて机に置いたコーヒーに口をつけた。
砂糖もミルクも抜いたブラックコーヒーは、インスタントでありながらも強い酸味で意識を引き締める。調べものをする際のお供は、今回も良質な働きを見せた。
一息ついて呼吸を整えると、ゆっくりとこれまでの結果を述べる。
「そこのクナイの生産企業を探っている所です……レギュレーションで持ち込める武具に制限がある中で、こんな時代錯誤なものを使う輩がそういるとは思えませんし」
祝刀祭に於いて、使用する武具には重量制限が存在する。
兵器群としても優秀な軽粒子や重粒子を主とした武具が主流な理由の一つがこれであり、聖ミカエルに通う生徒の中には軽武装に加えて身体の一部に甲冑を纏う者もいる程に緩くはある。だが出力制限と相まって一撃の威力に劣るクナイとなれば、相応の数を持ち込む必要があり、そうすれば重量制限が不可避となる。
と、かの武具はレギュレーションとの兼ね合いが最悪に近いのだ。
企業も慈善事業ではない以上、生産ラインは残すにしても成果の出ない商品をいつまでも扱う訳がなく、根本的に売れないと分かり切っている製品の企画書に判子を押すこと自体が稀。
「販売企業が見つかれば、辻斬り犯に繋がると?」
「迂遠な道であることは拭えませんがね……でも、他の手がかりがない以上はこうでもしないと」
そう語るナーヴの眼差しは静かに燃え、睡眠不足に刻まれたクマを抜きにしても熱量の程を窺える。
こうなってしまえば、もう生徒会長の言葉も聞き入れはしない。
経験則として知っていたマリステラは肩から手を離し、扉へと歩を進める。
「身体は資本である。無理を押し通すのと無理を常態化させるのは大きく違う。
旧き民より新世界へ送る啓蒙。どの項のものかは、ご自分でお確かめください」
休憩の口実を渡すと、マリステラは生徒会室を後にする。
扉の閉まる音に反応の一つも見せず没入するナーヴは、あれやこれやと手がかりを追い求めた。
既製品であらば何らかの形で刻印されている生産企業の欄が、クナイの表面には確認できない。どころか型番も商品名も、その取っ掛かりすらも存在しない。
まるで、この製品が一般流通しているという事実そのものに問題があるとでもいうかの如くに。
「画像検索をしても何の反応もない……もしかして、相当古い製品なのか?」
たとえば黎明の時代、人々が適切な商品展開の仕方を分からず暗中模索していた時期。
誰もが自らの足で最適解を求めた時に発売された商品であらば、プレミア感を全面に押し出す意図で
ナーヴの予想が的中していれば、捜査はいよいよ困難を極める。
何せ手がかりだと思われた存在が砂の一粒程度の価値しかなく、そこから元々の地形を発見しろと言われたにも等しい重労働なのだ。キーボードを叩く指も強張るというもの。
『娘は
ナーヴに検索の気力を取り戻させたのは、昨日電話を受けた老婆との会話。
一人娘が念願叶って国際統合に合格したものの辻斬りによって足を負傷し、治療が完了し次第久遠を去るのだと、証言を集めるために病院を訪れたナーヴに語ってくれた。
壁に項垂れるのがやっとの後ろ姿と嗚咽混じりに娘の夢を口にした様子が彼の心に深く、何処までも深く、打ち込まれた楔の如く刻まれている。
彼女のような被害者をこれ以上増やしてはならない。
そう思えば、身体に蓄積した疲労も忘却の彼方へと旅立つ。
ナーヴはコップに残ったコーヒーを飲み干すと、再度画面と向かい合った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます