第2話

 屍を積み重ねる。

 屍を積み重ねる。

 血潮を啜った歯車に軋みを上げさせるために。

 血潮を啜った歯車が壊れた拍子に、己が名を悲鳴とするために。



 水平線の彼方より浮上した光が、太平洋を揺蕩う人工島にまで降り注ぐ。人工島の一角である社宅の一つ、窓辺をカーテンで覆った部屋にも、微かに漏れた陽光から敷布団の上で横になっていた男の顔を照らし出す。

 深淵の微睡みに包まれていた男の意識が浮かび上がり、小鳥の鳴き声を切欠として急速に加速する。


「朝、か……」


 陽の光を煩わしいと掌で遮断しながら、男は空いたもう一つの手で眠り眼を擦る。

 気怠げに上半身を起こせば血流が脳内にまで行き渡り、甘粕灰音あまかすはいねの意識が現実世界に覚醒。不機嫌な視線を注ぐ先に、六を指し示す短針。

 目覚ましの起動には未だ時刻の余裕が幾分か存在した。


「無駄に早起きしちまった……」


 掠れた声音で昨日の記憶を──夢の国へと旅立つ直前の出来事を回想する。

 安眠のため、軽い疲労を覚える程度のストレッチとレンジで暖めた牛乳は確かに取った。後で歯も磨いたし、敷布団も確かに敷いている。

 しかし、記憶を振り返れば目覚ましの調整をし損ねていることも明確に思い出せた。

 即ち、自身の失策。

 翌日にも仕事があると、社会人として身体に刻み込んだが故の手違いが、彼から一時間近い睡眠時間を奪い去っていた。


「あぁ、これもあの女のせいだ……」


 白髪を垂らして項垂れ、脳裏に過らせるのは桜の瞳を狂気に輝かせた少女。

 骸銘館桜子がいめいかんさくらこ。適正検査以降、欠席を繰り返している女生徒である。



 時は適正検査の翌日にまで遡る。

 司馬国近しばくにちかとの戦闘に於ける健闘振り、そして彼女自身が見せた狂気的な執着に惹かれた甘粕は、早速彼女と話そうと、検査当時と同じ第八トレーニングスペースの観客席に腰を下していた。

 適正検査終了直後に声をかけなかった理由は、一重に自身の経験談。

 本番ではないといっても、全力を出した直後に話しかける執拗な存在は、無条件で鬱陶しく思えるもの。まして戦況的には押していたにも関わらず、ルールの把握不足が原因で破れたとあっては、肩に触れられただけで怒髪天を突く。

 それは経験として理解していたからこそ、甘粕は日付をズラして気持ちの整理がある程度ついてからスカウトしようと画策したのだ。

 ところが、想定外というものは常に思慮の外から襲い来る。


「いねぇな……」


 独り言を呟く甘粕の視界の先──トレーニングスペース内には桜子と要素を共有する生徒が現れなかったのだ。

 一日であらば偶然、と翌日以降も足を運んできたものの彼女の姿は一切拝めない。

 どころか、少なからず有力な新人がスカウトされていく中で、桜子の名が上がったのは極短期間。三日も経過した頃には、彼女を探し求める者も甘粕一人となっていた。

 国統が所有している一一のトレーニングスペース全てを一日の内に捜索してもなお見つからず、方針の転換に迫られたのが金曜日。


「骸銘館桜子はどこにいるのか……ですか?」


 甘粕が疑問を投げかけたのは、桜子と矛を交えた好敵手──司馬国近。

 尤も彼へ問うたことに何らかの意図があった訳ではなく、単に方針を変えるべく施設へ踏み入れた時に偶然、視界へ収まっただけの話。

 無駄な時間を浪費させられているという意識も手伝ってか、彼女に起因していると理解した途端に司馬の表情が大きく歪む。司馬家の御曹司としても次期二桁台候補として有力視されている身にも似つかわしくない、生の感情を剥き出しにした態度は自然と口にも反映される。


「僕があのサボり魔のことを把握しているように見えますか」

「すまんね、そんな険悪な仲とは知らなくて」

「……いいえ、むしろ貴方が知らないのは当然のこと。ただ、アイツのことになると少し、感情が……」


 一瞬研ぎ澄まされた視線が、次の言葉を紡ぐ頃には元の柔和さを取り戻す。

 軍産複合企業と単なる名家という差はあれど、家の名を背負って立つ存在という点は同じ。なれば、わざわざ国際統合こくさいとうごうの門を叩きながらも奔放な行いを繰り返して名を貶める桜子に対して、悪感情が勝るのは何も不思議ではない。

 入学から数週間足らずでここまでの不和を産み出せるのは、最早一種の才能と一周回った評価を下せはするものの。

 それに、と続けて司馬は会話を続行。


「人伝ではありますが、アイツは学生寮にもあまり帰ってないらしいので、居場所を知ってる生徒の方が少ないとは思いますよ」

「学生寮にも……ねぇ」


 顎に手を当て、思案に没頭する甘粕。

 一方で司馬は眉間にシワを寄せ、次の言葉を待機している。


「……あー、もしかして二人の間になんかあったか……?」

「まさか。個人的な確執で専属トレーナーの話を台無しにするほど、器量が狭いつもりはありませんよ。

 ただ……」


 肩を竦めてみせた司馬であるが、一つの区切りを作ると改めて口を開く。

 社交界などの品性を求められる場では決して出してはならない、一人の戦士としての声音で。


「好悪の感情をハッキリ現す必要があるならば、嫌いだと断言しますがね」



 このまま国統へ通い続けても目的が果たされることはない。

 そう悟った甘粕は急遽学校へ有給を申請し、桜子の捜索へ向かうことにした。

 幸いにも学校に於ける彼の立ち位置は専属トレーナー。申請理由に骸銘館桜子の捜索とつけ加えると、二つ返事で受理された。


『既に雇用トレーナーの内、五割近くが正式な申請を完了している。急ぐことだな。

 如何にマリステラ女史の推薦だろうとも、成果を出せないのであらば、ユニオンは容易く君を切り捨てる』


 申請受理の際、学長から言われた脅しが脳裏を反芻。

 国統の背後に控える国家群が一斉にノーを突きつければ、学校内で異を唱える者などいようはずもなし。奴らが白と言えば、烏だろうと黒人だろうと白なのだ。

 しかして緊張してもしょうがない。

 甘粕は社宅を後にし、足を国統前モノレールへと進める。

 向かう先は中央区を二分する内、商業区と称されるスペース。学校を無断休業した生徒が時間を潰すには丁度いい施設が多数存在している。

 モノレールが外周区を離れるに従い、車窓から眺められた透き通る海が鉄筋コンクリートの高層ビルに覆い隠された。人工島という特殊な出自故、限られた面積を有効活用するために自然と人々は天に居住区を求めていく。

 平日の通勤ラッシュを避けたためか、乗り口も出口も閑散としていた。

 人波も少ない内に甘粕は商業区を歩む。


「記憶だとここらのはずだったが……っと」


 朧げな記憶を頼りとしていると、やがて一つの路地裏へと辿り着く。

 甘粕が記憶していたよりも月日が経過したためか、当時は順調に駆動していた空調設備が軋みを上げていたり、当時自身がデザインした落書きの上から別の落書きが上書きされているなどの変化こそあれ、根本的な部分は当時のまま維持されていた。


「そうそう、この落書きを目印にするつもりだったな」


 落書きの先へと足を進め、途中で足下へと視線を落とす。

 そこには一つのマンホール。盗難防止のロック機構として、専用の鍵を用いなければ開閉は叶わない。

 だというのに、甘粕は腰を曲げて幾つか空いた穴の内二つに指を突っ込むと、軽く力を込めて二〇キロ近い蓋を持ち上げた。

 穴の奥に広がるのは、光届かぬ深淵の闇。

 直近の手摺りだけは確認できたため、甘粕は慎重に一つ一つを掴みながら下る。

 下るに従って鼻腔を油の染みた悪臭が刺激するものの、不幸なことに両手は手摺りの相手で手一杯。出来る抵抗など、口での呼吸に努める程度。

 やがて足全体に硬い感触が伝わり、同時に鼓膜が微かな喧騒の音に揺れる。


「あぁ、やっぱりモザイク街は今もやってるか」


 モザイク街。

 人工島での競争に於いて、下層に位置しない程度の人間が更なる発展のために不正入手した品の売買を行っている地域。本来は地下設備の整備のために設けられたスペースを無断使用している都合上、モザイク街という名義も正規のものではなく、三大国家群やそこに属さない有象無象が分け隔てなく存在することから自然と通り名として浸透したものである。

 四方を鉄パイプと壁面で覆われた圧迫感を覚える道に、所狭しと立ち並ぶは出店の数々。

 屋台に並ぶ品も四校同盟アライアンスの目が及ばないのをいいことに祭の景品などとは訳が違う。


「はいよー。今日はいい薬入ったよー。これ一本で三徹の疲れもぶっ飛ぶよー」

「そこのお兄さん。ウチで扱ってるのは、かの司馬重工が試作しながらも開発途中で廃棄した曰くつきッ。実験で五人もの人間を死に至らしめたと言われる、狂気の粒子加速装置ッ! その回路だよ!」

「……強くなりたきゃ、これ使え」


 謳い文句は様々。一攫千金を画策して、白日の下に晒されようものなら追放も視野に入る不正品を取り扱っている面々は、兎にも角にも買って貰わねば話にならない。

 博打を打って大損では、元も子もない。

 出店の数々が声を荒げる中、甘粕は一つの出店を見つけると迷いなく足を進めた。


「まだやってたのかよ、モハメドのおっさん」

「ん……なんだ、甘粕。似合わないスーツなんか着て」


 椅子の一つ、机の一つもなし。

 地べたに尻をつけ、ビニールシートの上に幾つかの品を雑多に並べた姿は祭の屋台ですらなく、連想するのは始めて地元のイベントに出店した人物。

 漆黒の肌を光らせ汚れ気味のタンクトップを羽織ったスキンヘッドの男が、生々しい音を鳴らして眼球だけを甘粕へと向ける。

 一目しただけで堅気の人間とかけ離れた印象を与える人物だが、甘粕は意に介することもなくさながら旧知の仲であるかのように言葉を続けた。


「なんだじゃねぇよ。これでも今は国統の専属トレーナーやってんだぜ」

「国統の……お前、そんなコネが合ったのか?」

「どうもあったみたいだわ……俺も初耳だけど。それでよ、おっさん。

 今は人探ししてるんだわ」


 所属を口にした途端、辺り一帯の出店から鋭利な眼差しを注がれた気もするが、敢えて無視。甘粕は眼前に腰を下ろすスキンヘッドへと注力する。

 一方、モハメドも頬に手を当て思案に耽った。


「人探し……か。どんな奴だ」

「そうだな。まず桜みたいな綺麗な瞳で、一目すればコイツはやる側、って感じがする」


 髪型や服装、性別すら置き去りにして最初に語るのが瞳の色。

 余程意識的に見ていなければ記憶に残らぬ部位をいきなり上げられ、モハメドはクックッと喉を鳴らす。


「それはせめて、事前に探す時に上げてくれ。もっと先に服装とかあるだろ」

「あぁ、そうか……そうだな」


 指摘されて始めて気づいた甘粕は得心がいったと首肯すると、より分かりやすい特徴を列挙。


「お望みの服装は国統の制服。膝が隠れるかどうかのスカートに、膝を隠す黒のソックス。尤も適正検査で見ただけだから、当然違う服装の可能性もある。

 髪は黒のショートカットで、スカート履く日本人だから当然女」

「ん……? 黒髪で制服着た女生徒……」


 上げられた特徴に該当する者がいたのか、モハメドは首を傾げて唸り始める。

 該当者は数名。

 瞳の色を覚えていれば確信を持てたかもしれないが、人探しの予定もないのに数多いる客の瞳になど意識を注ぐ訳もない。その他の要素は母数が多く、特徴と呼ぶにはややパンチに欠ける。

 故にモハメドは人差し指を立て、何人かいる内の一人を適当に語った。


「そいつの使う武装はロンゲラップか?」


 ロンゲラップ。

 司馬重工とは異なる軍産複合企業、Nーモノリス社が手がけた比較的制御の容易い軽粒子を扱った光刃系列の五代目に当たる機種。クリスタル発光体を刷新した本機は、前身機であるビキニと比較してなお圧倒的な粒子制御能力を有する。

 重粒子を主体とした光刃と互角に渡り合う様を目撃している甘粕にも、その性能の程は窺えた。

 そしてその薄桃が鮮やかな軽粒子を刀身として、桜子は得物として適性検査で振るった。


「おう、そうだ。どうやら、お前の店に寄ったみたいだな」

「あぁ。ソイツは桜子と名乗って、大体一週間くらい前に違法校章を一つ買って……それっきりだな」

「十分。どうせ裏・祝刀祭に参加してるんだろうよ。俺も違法校章を買ってはそこで遊んでた」

「懐かしいな……三年振りくらい、だったか」

「……」


 弾んでいた話も歳月を具体的に述べたモハメドを切欠として、急速に沈静化。

 溜め息を一つ。

 油を売れる程の余裕はないと、甘粕は踵を返して足を進める。後ろ姿で手を振ったのは旧知の人物に対する、少し遅れた礼儀作法。

 モザイク街は一つではない。

 彼が学生当時に通っていたモザイク街がここという話であり、もしも桜子が国統から離れた方へ赴いたのであらば休日を棒に振ったにしてはあまりにも収穫が乏しい。

 逸る気持ちを抑えようにも、甘粕の足取りは自然と加速する。

 やがて出店の喧騒が後方に離れ、代わりに前方から迸る光が微かな歓声と共に訪れた。

 光の先を、甘粕は知っている。

 身体の全細胞が、生傷と共に刻みつけられた記憶を蜂起させる。

 身体を流れる血液が、栄光の日々の再来に沸き立ち煮え滾り、歓声を己のものと錯覚する。


「ッ?!」


 光の先へ足を踏み出し、甘粕は全身に響く大爆音の洗礼を浴びた。

 多数の鉄パイプに紐やチェーンで乱暴に増設した観客席や照明が無秩序に広がり、中心部の開けた舞台にはどこから持ってきたのか、幾つもの鉄板が凹凸を刻みながら鎖で何重にも縛られている。本来の用途である特殊重機の持ち込みには全改修にも等しい労力を求めるだろう舞台で、舞い踊るは二人の戦鬼。


「クソッ、クソクソクソッ!

 俺コイツ嫌いッ、死ねッ!」


 一人は英語に慣れていないのか、単語を乱雑に並べ立てて捲くし立てる少年。

 ほうと呼ばれる中華系の服に学ランを混ぜ合わせ、深い緑を基調とした制服に小柄な体躯を包み込み、両手に握るは二振りの柳葉刀りゅうようとう

 片刃で鉄板を擦り、金切り声を上げて弧を描く。

 軌跡の先にて待ち構えるは、薄桃の光刃を逆手に構えし少女。


「馬鹿みたい言葉使い……英語もっと習ったら?」

「テメェら凡才同じ言葉使うかよッ?!」


 黒髪を肩口まで伸ばし、土の学生服とスカートを着用した乙女。

 少年に注ぐ眼光は、甘粕が求めた狂気的なまでに輝く桜の瞳。

 骸銘館桜子。紛うことなきその人である。


『おぉっとっと、九頭竜第三が誇る『双輪無双』がぁ片割れッ。王強紅ワン・ジィンホン選手ッ、同じぃ一年である桜子選手をさぁらなる攻勢で畳みかけるかッ』

「劣等人種等しく俺達眼前跪けッ!」


 身を捻って螺旋回転する少年の連撃を、一定の距離を維持した上で全てを迎撃する刃捌き。

 ただでさえ主流である光刃と異なり、実体剣故の重量を抱えている上に刀身の幅分嵩張る柳葉刀とあっては、片手で振るうだけでも困難を極める。

 その状況下で嵐の如き斬撃を繰り返す強紅の手腕は、受け流す桜子の腕にも少なからず負荷を与える。


「クッ……!」


 桜子が背後に意識を傾ければ、既に右足の半分近くが鉄板からはみ出ていた。

 これ以上は後退できない。

 追い込まれた実感と、肌のひりつく感覚が嫌に面白く、喉が自然と音を鳴らす。


「ホラホラッ、崖後少しッ。さっさ落ちろ劣等人種ゥッ!」

「がなり立てるな頭に響くッ!」

「なッ……!?」


 力任せの乱舞の間隙を突き、桜子は半身を大きく捻って上回し蹴り。

 革靴の爪先が前屈みで攻勢に出ていた強紅の顎を穿ち、一瞬だけでも意識を刈り取る。幸か不幸か、口内に広がる鉄の味で意識を取り戻した彼に待っていたのは、アッパーの要領で胴体へ迫る光刃であった。

 己を守る得物を失った王に、超熱量の刃を防ぐ手立てはない。


「ガァッ……!!!」

『決まったァッ。桜子選手の振るう一閃が強紅選手の胴体を、校章ごとぉ切りぃ裂いたァっ!!!』

「ふざ、けるな……俺まだやれるッ。こんな雑魚負けるはずないッ……!」

「おいおいおいおい……ルールは守ろうよ、王選手?」


 大仰に肩を竦めてルール厳守を訴える桜子の姿は、適正検査でルール上の敗北条件を満たした者と同一とは思えない。甘粕も額に手を当てて嘆息するばかり。

 すると、鉄パイプが乱立する舞台を器用に潜り抜け、一つのクレーンが甘粕の下へと到達。

 車体に乗っていたのは、マイクを片手に持ちボディラインが如実に現れる扇情的な服を纏った金髪の女性。瞳孔の開き切った様は、良からぬ薬にでも手を出したのではないかという要らぬ不安すら抱かせる有様。


「はぁい、どうしましたぁ。お客様ッ……もしやもしや、観客席が埋まっていてぇ、パイプに腰を下すかお悩みで?」

「そういう訳じゃねぇが……今日の対戦カードはどうなってるのよ?」

「今日の対戦カードぉ? 少々お待ちを……」


 言い、少女は懐から取り出した携帯端末でスケジュールを確認。


「えぇ、今日の試合なんでぇすが……次の試合が一時間後のヒグティ選手対──」

「間があるんだったら、そこに俺を割り込ませてくれないか?」


 休憩を挟むならいいだろ、と少女の言葉を遮って伝える。

 裏・祝刀祭は祭と冠してこそいるものの、実態としては表よりも緩いルールを流血前提で派手に戦うという、無法者が実に好む舞台なだけの話。故に甘粕の時代からタイムスケジュールを無視した乱入は日常茶飯事──どころか、客の中には飛び入り参戦による混沌を望んでいる層すら存在する。

 非正規らしい客事情を理解しているからこそ、少女は胸の谷間から携帯端末を取り出しつつ飛び入り志望者へと問いかける。


「ちょっとお上と話してみますねぇ……でぇもでもでも、どうせ通るとは思うのでぇ、誰とやりたいあかの希望を聞いときますねぇ」

「さっき王なんたらとやり合ってた少女──骸銘館桜子だ」



「認める訳ない、俺強い……劣等人種負ける訳ない……!」

「……」


 実況の少女が甘粕の要望を運営と協議している間、勝者と敗者が分かたれたはずの舞台では強紅が怨嗟の声を漏らしていた。

 それは見苦しく、勝者が歓声を独占すべき場面には凡そ似つかわしくない光景。

 故に桜子は意識を極力向けぬように意識して観客の方を向いていたのだが、いつまでも項垂れた状態でナイフの如き視線を注がれては、限界も訪れるというもの。

 観客席という名義の鉄パイプ群から強紅へと身を捻ると──


「そう俺負ける訳ないッ、死ね劣等人種ッ!」

「なッ……!」


 柳葉刀を構えて迫る強紅の姿。矜持を傷つけられ歪んだ表情は、試合後の不意打ちという卑劣を正当化して有り余る。

 不測の事態に思わず距離を置こうとする桜子。

 しかして、半歩足を下げた段階で思考が周り、足の裏を半分虚空に浮かべるまでに抑えた。

 既に強紅の双剣は彼女の胴を両断せんと解き放たれた。一方、桜子の光刃は今から展開したのでは全てを抑え切ることは不可能。

 右か左か。

 どちらを差し出して反撃に赴くべきか。一瞬の中で脳細胞を全力回転させていると、一発の光弾が視界を過った。

 鳴り響いた銃声が特設ステージ中に響き渡り、遅れて実況の少女が舞台へと振り返る。


「おおぉっと、どういうことぉッ。舞台では敗北したはずの強紅選手が桜子選手に刃を向けてるじゃぁないッ。その上、今の銃声は二人の得物では断じてない。

 いったぁいアタシが少し目を離した隙に何がッ?!」

「そこまでよ、紅紅ホンホン


 少女の問いかけに答えるように。

 人々の頭上に浮かんだクエスチョンマークを消し去るように。

 特設ステージから上空三〇メートル。二人が対峙した場所からほぼ反対側から鈴を思わせる声音が木霊する。

 硝煙を上げる銃は側面に回転式銃倉を剥き出しにした古風なデザイン。西部劇にて保安官や主人公たる流れ者が担う拳銃を彷彿とさせた。

 そして拳銃を操る銃撃者ガンマンは、強紅と瓜二つ。

 操る二丁の拳銃と左のお下げ、そして人形よろしく固まった微笑みを除いて。


「アナタは今回、あの女に負けた。それは事実よ、認めなさい」


 手綱る言葉は、流暢なる中国語。観客席に座する多くの人々にとっては聞き慣れない言語は、元より舞台で凶行に走った少年にのみ向けられたもの。


「け、けど姉さんッ?」

「それとも、ここで暴れて祝刀祭への参加資格まで失うつもり?」

「そ、それは……」


 少女の言葉に倣って、強紅もまた慣れた母国語で会話に応じる。当然ながら流暢な言葉遣いで、不自然な様子はどこにもない。

 言い淀むのも、姉と呼んだ少女に正論を説かれたがこそ。


「復讐も報復も、大舞台で最大限の屈辱の下に。

 短慮なことがアナタの欠点よ、紅紅」

「……」


 姉に諭され、苦虫を何重と噛み潰して強紅は刀を下す。

 一瞬、殺意の籠った眼光で桜子を睨みつけるも、視線を合わせるのも嫌と即座に姉へと向き直った。

 事態の把握に漸く至った実況がクレーンの先へと指示を飛ばして、自らを観客席に立つ少女へと届けさせる。満面の表情と共に、器用な手つきでマイクを弄りながら。


「舞台の二人からぁ観客席まで三〇メートルは下らない距離を見事ッ!

 強紅選手とぉ瓜二つですが、もしや貴女こぉそ双輪無双が片割れたる姉なぁんですかァッ?!」


 興奮のままに言葉を続ける少女に、姉と呼ばれた少女は咳払いを一つすると柔和な笑みを浮かべる


「……フフフ、えぇ。私が九頭竜第三の新星。双輪無双の王強蒼ワン・ジィンツァンよ」

「おぉ、姉弟揃ってとはなんと幸運なのでしょうッッッ。参戦予定がないっていうことはぁ、今日は弟の雄姿を観戦しにでしょうかッ?!」

「そう、ね……結果は御覧の通り、紅紅の敗北ですが」


 強蒼は弟とは違い、公共語を流暢に操ってアナウンスに応じる。それでも異様に高ぶっている少女の圧には、両手を振ってやんわりと抗議の意を示しているが。


「姉として、弟の敗因は何とお考えなのかなぁッ?

 それとさっきは何と言って説得を?!」

「……すみません。私は今回は一観客なので、貴重な晴れ舞台でまで私が出番を奪っては、彼らがあまりにも惨めですし……」

「おぉっと、それは失礼しましたぁッ……こちらもねぇつい、興奮してしまったものでぇ……!」


 丁寧な言葉でアナウンスを拒絶すると、強蒼は観客席へと腰を下す。

 伴って人々の関心は舞台上へと移り、騒動には飽いたと大欠伸を浮かべる桜子へ関心が高まる。気づけば九頭竜の刺客が姿を消しているのも、そこには関係している。

 そこに迫るのはクレーン車に乗車した少女。


「さてさて桜子選手……って、もしやさっきの奇襲で怪我をッ?!」

「ん……あぁ、これは試合の中で口を切っただけだから」


 口元を鮮血で化粧し、適当に拭ったのか制服と左手にも赤を垂らした有様に少女も心配の声音を上げる。桜子も口元だけの笑みで取り繕うも、怪訝な眼差しは免れない。


「で、お次は休憩のはずでしょ。そろそろ私も舞台を降りたいんだけど」

「本来はその予定だったのですがァ……なんとなんと、桜子選手に挑戦状が届いておりまぁすッ。これを開くのも自由、無視するのも自由ッ。さぁ、どうします???」


 いったい何の演出か、少女の扇動に応じて照明が一斉に観客席の一角──甘粕が待ち受ける場所へと注がれる。

 人々の注目が集まる中、男は片手でネクタイを解きながら首を鳴らす。続いて、右手に担う人々の注目を独占せざるを得ない得物を帯電させ、怪しい赤黒の重粒子を迸らせた。

 祝刀祭は全世界に放送されるエンターテイメントである。

 なれば、そこで好まれる礼儀作法というものが存在し、甘粕も四年のブランクこそあれども通じている。


「勿論受けるだろ、学校サボる悪ガキよぉ……お山の大将気取るなら、過去の亡霊如きも軽くいなしてもらいましょうかッ」


 一閃。

 虚空を裂くは重粒子の輝き。

 たなびく長髪は過去より湧き立つ白。

 死体の如き瞳には、血肉に飢えた全盛の甘粕が宿っていた。


「へぇ……」


 突然自身を指名した乱入者を一瞥し、桜子は血のついた口元を獰猛につり上げる。

 時計の針が進む。脳内で時を刻む。

 彼女の意志を際限なく早め、時間がすり減る事実を直視させる。


「いいよ。やろう」


 軽粒子を束ねた光刃の切先を甘粕へ突きつけ、桜子は自身の意志を宣言した。

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