骸銘館桜子は止まれない
幼縁会
序章──邂逅編
第1話
たとえ崖の先にある栄光だとしても、手を伸ばして届く距離ならば伸ばさずにはいられない。
人間とは自壊しながら歩む生き物である。
──ロベルタ・ベスタチオ。旧き民より新世界へ送る啓蒙。二章より。
春の涼風が吹き抜ける時分。
空を見上げれば、新たな旅立ちを祝福するような快晴。どこまでも透き通った青が視界を埋め尽くす。
国際統合高等学校が有する第八トレーニングスペースは、好条件の天候から吹き抜けの空を観客席にまで届けることを選択。故に、普段は人工の明かりが頬を照らす席にも天然の光が降り注ぐ。
「ハァッ」
短いかけ声と共に土煙を上げ、僅か半歩で自動車に比肩する速度を弾き出す。
無知ならば誰もが驚愕に目を見開く光景も、腰を曲げた人々の心には微塵も印象を残さない。それは土を基調とした制服を身に纏う若者も、スーツ姿の大人にしても同じこと。
拍手の一つも起こらない状況下に対峙するは、右手にかの最も人命を奪った機関銃のカスタムモデルを握った少女。
怜悧な眼差しで人力自動車を注視し、殊更ゆっくりと銃口を向ける。
「このグロッキング家次期当主候補、アーネスト・グロッキングにそのような単調な攻め……通じるとは思わないでしてよッ!」
一歩、背後へ跳ぶと同時に発砲。
途端に銃口から、光り輝く光弾の雨が降り注ぐ。
実体なき粒子の掃射が突進していた少年へと殺到し、両の足で慌てて速度を落とす。しかして限界近くまで脚力を振り絞った速度域ではそう上手くいかず、手に持つ光刃で幾つかを弾き落とす代わりに直撃も数発。
「カッ、ハッ……!」
制服を易々と焦がして肉体を抉る灼熱に目を見開くも、歯を食いしばって眼前の少女を睨みつける。
少女はバレエを彷彿とさせる軽やかな動きで距離を置き、少年と一定の間合いを確保。文字通り踊る弾雨は不規則で、ともすれば光刃の間合いに入ることすらも困難を極める。
だが、だがしかし。
呼気を吐き出し、体内から熱を排出。
少年は自らの体内で蠢く闘争本能を自覚し、身を低く屈めると前傾姿勢で突貫を続行。被弾面積を少しでも低下させ、数少ない直撃弾は等しく斬り払う。
机上の空論、絵に描いた餅という自覚はある。
あるが、不可能を夢想してでも果たすべき目標があるのだから──!
「まだ、まだァッ……!」
「気概は充分……しかしてヒヨッコでしてはッ!」
「あぁ、つまんね」
少年少女が互いに固き決意を以って得物を振りかざす決闘を、虚無にも等しき眼差しで視界に収める男が一人。
色味の潰えた白髪を後ろで一纏めにし、背から垂れ流す先端には未練の如き赤のグラデーション。身につけた濡れ烏のスーツは上等ながらも、ボタンも止めずシャツを内から露出させては気位は望めない。何より、深淵を連想させる瞳の黒さが、彼の周囲に無人の観客席を形成した。
古代ローマにて完成された観客席を元に、現代の価値観へとアップグレードされた座席は適度な柔らかさと確かな座り心地で観客の意識を盤面へと注がせる。その努力も当人の気概一つで台無しとなるのは、無機物特有の悲劇か。
「所詮は新入生、録に得物を握ったのも今回が初……そりゃあ、技量で劣るのは分かるがね」
名家の出身らしいアーネストにしろ、そうでない少年にしろ。
単調な試合運びは見る者にも眠気を誘うというもの。スーツを纏う大人達こそ値踏みの視線は緩めないが、生徒の中には既に夢の世界へ旅立った者も多い。
彼らから一歩離れた席に座る男は、物理的にだけではなく精神的にも距離を置くように溜め息を吐く。
「二人ではお気に召しませんでしたか、
「あぁ、全くだな。マリステラ」
人混みから離れた男の名を呼び、マリステラと呼ばれた少女が距離を詰める。
男に注ぐは碧の眼、腰まで伸ばすは気品の金糸。切り揃えられた前髪の下は陽の元には不釣り合いなまでに白く、胸元に出っ張りの窺える制服が濃い色合いをしていたこともそれを強調する。
熱を増す試合に意識を傾けていた観客も、彼女の姿を一目すれば思わず目を奪われる。
甘粕としても、もしも在学中に彼女と遭遇していれば頬を紅色に染めていたであろう美貌が隣の席に腰を下ろす。
それはあくまで授業の一環として行われている適性検査の中でも、生徒会副会長に座する才女としても異質な所業。
甘粕も理解しているからか、溜め息混じりに口を開いた。
「わざわざこんな場所まで来ずとも、生徒会なら特別席が解放されているだろ」
「貴方に話しかけるまで、私がここに座る未来は見えていませんでしたので。
尤も、話しかけた途端に会話の中身まで丸見えですが」
「未来視、ね」
大袈裟に肩を竦めるマリステラへ怪訝な眼差しを注ぐ。
目線に疑問の色が籠っていたのが伝播したのか、彼女は唇を尖らせて抗議を示した。
「あら、まだ疑っているのですか。既に私の未来視は証明済みのはずですが」
「多少はな。
初対面の時は全部仕込みだった、って線は否定できないだろ?」
甘粕の脳裏に過るのは、生徒会室に腰を下ろすマリステラと初めて応対した日。
漫然と毎日を過ごしていたあの日、彼女は未来が見えているとしか思えない現象を連続して引き起こしてみせた。偶然では片付けられない奇跡の乱舞は、虚言と認識していた彼の心境をも大きく塗り替えている。
だが、甘粕が訪れる前段階で仕込んでいた可能性までは捨て切れない。
「でしたら、この戦いの結末を予言しましょう」
「アーネストお嬢様の勝ちをか。その程度なら俺でも──」
「アーネスト、三歩分後退」
マリステラが紡ぐと、さながら彼女の指揮下に下ったかの如く少女は歩を下げる。
後退したこと、その歩数までも正確に打ち抜かれ、甘粕は誤魔化しの口笛を一つ。なおもマリステラは予言書に記された祝詞を読み上げる。
「
「マ、ジか……!」
情緒も何もなく、ただ端的に述べられた虚言が舞台で戦う二人の演者の手によって事実へと形を変える。
互い違いの突撃も。
実戦に乏しいだろう新入生にしては上等な判断力も。
隙を見せた相手への的確な攻勢も。
放たれた弾丸の数すらも余すことなく。
少年の胸元に取りつけられた菱形の校章が主の意識喪失を認識。互いの武器と判定装置へ戦闘停止の信号を発して機械的なブザーが発令。
盛り上がっていたとは言い難い試合へ幾らかの拍手を強要した。
「ッ……」
にわかには信じ難い光景に、甘粕はマリステラの目線にも気づかず息を飲む。
「さて、これで流石に信じて貰えましたか。
それとも、この適性検査自体も仕込みの一種と疑いを?」
「いや、いい……俺一人騙すためにしては大がかりが過ぎる。信じるしかないさ」
「それは結構」
「ただ」
語気を強め、マリステラの言葉を遮る。
かつて、彼女は言った。
甘粕を雇うのは未知を見るためだと
そして彼女の言葉に応じた内容は、今も何ら変わることない。
「今の所、個別で見てやる程の芽はなさそうだがな」
「……」
吐き捨てる言葉に、何も返すことなくマリステラは瞳に甘粕を映す。
或いは、この返事すらも未来視で確認済みとでも言うように。
散発的な拍手が鳴り止み、刃を重ねた二人が舞台裏へと姿を消す。二人がいなくなった後も数名が、深淵のゲートへと熱を注ぐ。
最後の応戦で評価が幾分か改善されたのか、メモ帳にペンを走らせる者や二人を話のタネにする者、席を立った者へ警告の眼差しを向ける者さえ極僅かだが存在している。
自身の冷めた言葉は、ともすればこの場に存在する全てを虚仮にしているのではないか、という疑念が湧かないかと言えば首を横に振る必要がある。
同時に、ならば否定するかと言えば二度首を横に振るだけの話だが。
「大体、俺は祝刀祭で録に結果も残せなかった身だ。そんな奴の指導を誰かが受けたいとは思えないが」
「それはどうでしょうか。
私の未来視での本命は……次の試合です」
「次、ねぇ」
未来視の存在へ疑問を投げかけるのは、最早無意味。だが、彼女は同時にこうも言っていたではないか。
私は既知ではなく、未知を希求している。と。
ならば見せてしまえばいい。彼女が望む未知を。新入生に関心を持てぬまま、一日を終える姿を。
先の少年少女を飲み込んだ深淵のゲートが、続く二人を排出する。
「お、来たか。
「何と言ってもあの初代祝刀祭ベスト八進出の名門、司馬家の一人息子ッ!」
「なんでも、使う武器も市販品の専用カスタムらしいな。司馬重工の厚遇っぷりが窺えるな」
観客席では老いも若きも関係なく、口々に期待を語る。
司馬家の名は、流石の甘粕の耳にも届いている。
そも、現役時代に彼が用いていた得物もまた司馬重工製。その一人息子となれば、意識とは別に関心が高まるというもの。
深淵のゲートから姿を覗かせたのは、黒みがかった赤髪の少年。
国際統合指定の制服に身を包みながらもボタンは全て外し、内から窺えるシャツには力強い習字で『御無体』の文字。顔立ちは整ってこそいるが、どこか平均的な日本人と称すべき没個性さが滲んでいる。名家の生まれというバックボーンには不釣り合いな、もしくは家の名を背負うには不十分といったところか。
腰に帯刀した柄以外に目立った武装が窺えないのも、かの軍産複合企業の御曹司に不釣り合いな没個性感に一役買う。
「
「で、お前がお勧めしたかったのはアイツか?」
柔和な表情を浮かべてこそいるものの、全身から漏れ出る闘志は舞台全域に留まらず二人の戦には些か以上に広大なフィールドを通して観客席に座する甘粕の頬を撫でた。
先に戦っていた名家の少女とは既に一線を画している戦意を前に、甘粕は大口広げた欠伸で迎撃。
甘粕自身、マリステラの本命が彼だと本気で考えてなどいない。そも、名家の生まれかつ入学時点で練り込まれた闘志の持ち主ともあらば、学校側も相応の持て成しを準備しているだろう。とてもではないが、成績も残せずに引退した男へ任せるなど言語道断。
それでも前もって全てを目撃していた故にか、マリステラはゆっくりとした拍手で彼の予想を肯定した。
「いいえ、私が見たのは次の少女です」
言い、視線を司馬とは反対側のゲートへ促すと、そちらの深淵も丁度晴れる時分。
艶を帯びた黒の短髪に国統指定の土の制服。チェック模様のスカートは膝付近にまで伸ばされ、同時に膝を覆うように黒のストッキング。黄色人種らしい肌色に右手を沿えるは刀の柄を彷彿とさせる武具。
そして何よりも印象に残るのは、桜色の瞳。
吸い込まれるような純度の瞳は、ともすれば狂気的なまでの輝きを放つ。
「彼女は
マリステラのどこか投げやりな解説には耳も貸さず、甘粕は桜子の挙動に意識を注力する。
女性としては中肉中背で体躯に恵まれた様子はない。筋線維の出来など、目に見えない形での有意性があるのかもしれない。だが少なくとも、挙動から判断することは不可能。
瞳の輝きこそ印象的ではあるものの、甘粕の関心はやはりというべきか薄い。
「まぁ、目はいいな。だがそれだけだ。
別に眼鏡師を目指している訳じゃない」
「目だけとはいえ、戦い様を見せる前に評価されるとは。いい傾向ですね」
「どうせそれも知っているんだろ」
勿論、と首を振るマリステラから視線を外し、スペースの中央──司馬と相対する桜子へと合わせる。
同じ新入生にして、片や次期二桁台候補。片や授業すら気紛れに休む問題児。
交わされる言葉の応酬も、穏当なはずがなし。
「司馬君が相手なの。悪いけど、買収される気はないよ」
「運が悪かった、とは言いませんよ。普段の素行を考慮すれば、当然神も見放すというもの」
「へぇ、心配してくれるんだ。優しいね」
「ふざけているのですか」
一閃。
刹那の抜刀により、司馬の手に握られるはカーボンナノワイヤーに重粒子を滞留させた光刃刀。司馬重工が示した銘は『
二人の間に舞い散るは赤黒い光で焼き斬られ、微かに残った桜子の前髪。
視線を泳がしにへらと笑う彼女に対し、司馬は射抜かんばかりの鋭い眼差し。
「はっきり言いまして、授業にも出ずにサボり三昧の貴女を見ていると、虫唾が走るんです」
「へぇ、それは失礼。だったら、今度殺虫剤でも奢るよ?」
「そういうふざけた態度がッ……!」
桜子の煽りで臨界を迎え、司馬が再び刃を振るう。
次は鼻先を掠めるか否かで抑えるつもりはない。戯言を繰り返す胴体を絶ち、一刀の下で試合に終止符を打つべく。
しかして桜子も二刀目が必殺の刃であることは理解していたのか、逆手に構えた光刃──司馬重工とシェアを競っているNーモノリス社の傑作軽粒子光刃刀、ロンゲラップ──で応戦。軽と重、二つの粒子が鍔競り合うことで火花を散らし、台風が如き干渉の音と激しい瞬きを放つ。
とはいえ、二つの粒子には密度という埋め難き隔絶の差が存在する。
「ねぇねぇ、まだ試合開始の合図は鳴ってないけど……!
せっかちな男はッ、嫌われるよ?」
「黙れッ……!」
司馬は粒子の密度差と体格差に任せて力任せに踏み込み、桜子の細腕を押し込む。
分かり切った結末を嫌った桜子は、乱暴に身を捻ることで左足を脇腹へと叩きつけ、反動で宙に身を浮かべる。
着地してなお殺し切れぬ勢いは轍と共に土煙を上げ、瞬発力で右に加速。
半瞬遅れ、彼女が居た地点を焼くは赤黒い刃。
「チィッ……」
「外れ、ヘタクソッ」
地を蹴る桜子は薄桃の軽粒子に撒き散らし、蛇を彷彿とさせる前傾姿勢で司馬の周囲を右旋回。
軽口は変わらず。しかして目つきは怜悧に研ぎ澄まされ、油断や慢心の類は絶無。
その事実は、観客席から観察していた甘粕にも伝わっていた。
「あれを避けるか……!」
「あら、随分と見入ってますね」
「得物持って数日でやれる判断じゃないな。サボりって話だが、実家で鍛錬を重ねてたんじゃないのか。骸銘館は?」
実家で宛がわれた専門家との一対一での鍛錬と、大多数に向けた学校での訓練。個人への影響はどちらがより効率的かなど論ずるまでもない。
特に名門の生まれともなれば、この傾向はより顕著となる。
骸銘館家もまた、甘粕の耳に届く程度には名門の血筋。近年では有力選手を排出してこそいないものの、国統に於ける影響力は依然として小さくない。
司馬は彼女を追うのではなく、視界に収めつつ晴眼の構えを取る。
「懸命な判断だ。無理に追って態勢が崩れた隙を突かれるじゃ、ギャグもいいところ」
地面をしかと掴み、大地に根を張る大樹の如き不動の姿勢。解き放たれる烈覇の気迫に圧されてか、或いは単につけ入る隙を見出だせないのか。桜子は司馬の周辺を旋回するばかりで仕掛ける気配はない。
睨みを効かせる眼光は、如何に微小な間隙をも見逃さぬと鋭利に研ぎ澄まされる。
開幕の狼煙すら置き去りにした先から打って変わり、桜子が地を駆ける音ばかりが鼓膜を震わす。
旋回することに二週。先に痺れを切らしたのは獰猛なる蛇。
「待つのは趣味じゃ……ないッ」
極端な前傾姿勢のままに突貫し、二桁メートルはあろう間合いを瞬時に詰める。
這うように迫る桜子へ、司馬は動じることなく晴眼を維持。なおも距離を詰める彼女の頭が漆之番の射程に触れた刹那に、最小限の動作で断頭の刃を振り下ろす。
常ならば一刀の下にその身を灼熱に焼かれ、激痛から逃れるために脳が意識を遮断するが道理。
だが、だが。だがしかし。
「何ッ?」
桜子は光刃を素早く地面へ突き立てることで楔を穿ち、更に渾身の膂力を振り絞ることで自動車相応の速度域に到達した肉体を瞬時に引き戻す。
絶大な負荷に引き起こされる目眩こそあれど、その甲斐もあり赤黒の刀身は彼女の靴の裏を掠めるに留まった。
地につける足は半瞬。
独楽よろしくその身を捻り、少女は刃を振り下ろした姿勢の少年との距離を詰める。
迫る光刃の輝きを前に、咄嗟に司馬は両の手を漆之番から離して交差。防御の構えを取る。
「グッ、ガァ……つぁッ……!」
「ハハッ。まだまだぁッ!」
元々制服の強度は光刃光弾の猛熱に耐え、軽重粒子の粒子構造を乱す特殊繊維が採用されている。故に一撃や二撃貰った所で直接生命活動に支障が起きる訳ではない。
しかし、肉体に襲いかかる衝撃までは消し去れない。
勝算を前に桜子は歯を剥き出しにした狂気的な笑みを浮かべ、刃の乱舞を振るう。
その度に身を穿つ激痛に歯を食いしばり、司馬は意識を失わぬように耐え忍ぶ。全身に力を込め、擦過傷を重ねる制服に目を落とす。
「負け……られる、かッ……!」
「へぇ、まだ足掻くのッ。大人しく意識を手放せぇッ!」
「司馬、重工の名……背負った重み……貴様のように、ただ目的もなく……久遠を訪れた奴に負ける、などッ……!」
「ッ……だったら、そのご自慢の重みで潰れろォッ!」
一瞬、不快そうに歯軋りを鳴らした表情が、何故か無性に甘粕の脳裏に引っかかった。
力任せに振るわれた光刃の軌跡が、司馬の制服に傷を穿つ。
二人の間を舞う制服の欠片。即座に払うは、司馬の右腕。
「ッ?!」
乱打に注力し過ぎた桜子は反応が遅れ、頬を襲う裏拳の一撃へ左手を差し込む手間しか起こせない。無論、その程度の簡易的な防御ではどうすることもできず、鉄拳に弾き飛ばされた肉体が地を滑る。
勢いも尽きぬ内に身を捻って起き上がるも、頬には青痣が克明に刻まれる。
だが、そんなことに意識を傾ける余裕は皆無。理解しているからこそ、桜子は身を剥がされた状態から視線を司馬へと注ぐ。
大太刀相応の柄を掴み、赤黒の刃が一際輝く。
重粒子の超高熱によって熔解した地面が後を引き、光刃を形成するカーボンナノワイヤーから滴り落ちる。
司馬は続いて刃を腰で隠して脇構え。
切先が微かに地面を焼き、暴力的なまでの高温が土を熔解させていく。
「乙女の顔を傷物にするなんて……これは責任を取って貰わないと、ね」
「挑発はいい。来い」
端的かつ簡素に。
口元を拭う桜子の言葉に乗ることなく、司馬は息を吐き出す。
応じるように喜色に目を細め、少女もまた体勢を低く構える。左手で地面を撫で、狂気的な輝きを司馬へ注力。
隙を窺う猶予もない。今更背面へ回った所で司馬の意識を逸らすことは叶わないだろう。
なれば、為すべきは一つ。
「正面突破」
改めて口にし、柄を手元で弄ぶ。
時計の針が、脳内で時を刻む。
喧しいまでに、しつこいまでに。桜子を焦らし、急げ急げと逸らせる。
「……」
「すっかり、この試合に夢中ですね。どうせこれも聞こえていないでしょうけど」
観客席に座る甘粕もまた他の観客同様、二人が織り成す戦いに魅了されていた。側に座るマリステラの言葉も耳に届かぬ程に。
おそらく、この場で唯一冷めた眼差しを注いでいるのは、マリステラ自身であろう。
彼女にだけは、既に戦いの結末とその次の展開が見えていたから。
全てが既知に塗りたくられた灰色の世界に色を灯すには、この程度の代物では物足りない。この程度の因子ではまだ足りない。
「さぁ、見せれるのでしたら見せて下さい。私に未知を」
鼓動の高鳴りを合図に、桜子は三足で加速。
狙うは司馬の首筋。絶てぬまでも一撃の下で意識を刈り取り、終止符を打つ。
目的を遂行するため、桜子は司馬のすぐ側で再度三足で地面を蹴り、最大限の加速。瞬間的に自身の肉体を弾丸に匹敵させ、刃の切れ味を研ぎ澄ます。
急速に起き上がる桜子に対応し、司馬は冷静に身を仰け反らせる。
神速の一閃は、司馬の髪数本を焼き斬るに留まり、次いで不安定な姿勢で大太刀を振るう。
「そんな不安定な刃でッ」
制服の上を切先が撫でる中、桜子は司馬の胴体を蹴り込み距離を取る。
視界が反転する最中に何故か赤黒い重粒子が収まり、カーボンナノワイヤーが収縮。取り回しに不便のない状態にした上で司馬が納刀し、桜子に背を向ける始末。
決着もつかない内に背を向けるなど、侮辱以外の何物でもない。
「馬鹿にしないでよッ。司馬の御曹司君ッ!」
「いいえ、既に決着はついています」
着地した桜子は即座に司馬へ再度接近を図り、光刃を一閃──
「な、に……?」
するも、滞留させていた軽粒子が霧散していたが故に斬るは虚空ばかり。
得物の故障を疑うも、試合開始一時間前にもロンゲラップの調子は確認済み。たったの一試合で故障に至るような乱暴を成した覚えもない。
ならば残るは、第三者の干渉。
「ッ……誰ッ?!」
「胸元の校章。ここまで言わなければ、気づきませんか」
「ッ?!」
指摘を受け、桜子は視線を胸元の校章──厳密には校章があるべき場所へと注ぐ。
ない。
菱形にステンドグラスの意匠を盛り込んだ、国際統合高等学校指定の腕章が。確かに胸元へ取りつけていたはずなのに。
原因究明は、即座に終了した。
「さっきの一閃……!」
「意識喪失だけでなく校章の破壊でも敗北となる。キチンと授業に出ていれば、頭の片隅に置ける話」
攻撃に傾注し過ぎていた桜子の敗因を述べ、司馬がゲートへと足を進める。
何か言葉を発そうものなら、須く負け犬の遠吠えとなる状況では、桜子も歯軋りを鳴らして背中を見送ることしかできない。
幕引きこそ呆気ないものの、番狂わせすら匂わせた激闘へ送られる拍手など、彼らに対しては無価値に等しい。
「流石は司馬の御曹司、最後にはしっかり勝ちを拾ったな」
「とはいえ、あそこまで食らいついた骸銘館も大したもんだよ。去年の奴とか酷かったし」
「俺、あの娘スカウトしてみるわ……キチンと育てば伸びるぞ、ありゃあ……!」
観客席に腰を下ろす大人達は口々に感想を漏らす。それは今年度一番の注目株であった司馬だけではなく、その好敵手足り得た桜子に対しても同様。
一方、大人達から一歩引いた場所に座る甘粕は──
「……」
「どうでしたか、骸銘館の戦い振り」
マリステラに促されるまで、ただ無心で桜子の姿を追っていた。
続いて漏れるは、感嘆の溜め息。
「それは落胆ですか?」
「いいや、むしろ逆だ。
あいつの強さ、直に味わってみたくなった」
紡ぐ甘粕の表情は、猛禽の如き獰猛さを宿していた。
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