第26話 26、三角測量 

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 朝6時になると宿舎には音楽が響き渡った。

曲はこの世界にはまだないグリーグの『朝』だった。

個室の箪笥の中には7枚のズボンと7枚のシャツと7枚のふんどしと7枚のタオルと2本のベルトが入っていたが朝食に置いてあったズボンとシャツを着て来た者は数名だけで多くは昨日着ていた服で食堂に集まった。

ただ与えられた鉢巻は全員が額に巻いていた。

 朝7時、食堂には既にテーブルの上に朝食が並べられていた。

方形のお盆の上には皿に乗った食パンが二枚とキャベツの下敷きの上にポテトサラダと輪切りされたゆで卵の乗った皿と厚めのカップに入れられたコーンスープとオレンジジュースの入ったガラスコップと二本の箸が乗っていた。

ロボット兵は何度も朝食の食べ物の名前と食べ方を説明していた。

ロボットの箸の使い方は絶妙だった。

 朝9時になる前に30名の学生達は校舎の一室に集められた

千が既に教壇の上に立っていた。

9時になると千は話し始めた。

「おはよう、皆さん。授業を開始します。今日の午前中は数字と文字を教えます。宿舎の生活に必須の物だからです。いつまでもロボット兵が音声で説明することは致しません。文字で伝えることができるようになるからです。最初は数字です。一番手前の左端の君、前に出て来て昨日教えた5の数字を黒板に書いて下さい。」

 学生は教壇に上がり、黒板に5の数字を書いた。

「いいですね。席に戻って下さい。その横の君、前に出て12の数字を書いて下さい。」

学生は教壇に上がり、黒板に12の数字を書いた。

「いいですね。席に戻って下さい。その横の君、前に出て20の数字を書いて下さい。できますか。」

学生は教壇に上がり、黒板に20の数字を書いた。

「大変いいですね。席に戻って下さい。その横の君、前に出て28の数字を書いて下さい。」

学生は教壇に上がり、黒板に28の数字を書いた。

「皆さん優秀ですね席に戻って下さい。ここまでは昨日教えた二桁までの数字です。でも数字はいくらでも大きくなります。私の名前は千ですが千個の丸をこれまで通りに書いていたら日が暮れますね。それで数を表わすのには位と言う考えを使います。まだ皆さんは文字を知りませんから書いても分らないと思いますが数字には十の位と百の位と千の位と万の位と億の位と兆の位などがあります。実際にはもっと大きな位があるのですが実際には使いません。そんな時は別の表現をしますが、それを学ぶのは数学の授業の時です。皆さんのこれまでの生活の中で使っていた数字はおそらく100までかもしれません。「夜空の星の数は」って聞かれたら「たくさん」って答えるのか数億個と答えるのかは大きな違いなのです。」

 千はそう言いながら黒板に右側から順に十、百、千、万、少し離して億、少し離して兆の漢字を書いた。

そしてそれらの漢字の下に数字を書いた。

「覚えて下さい。十、百、千、万。十、百、千、万。何度も繰返して口調で覚えるのです。十、百、千、万」と言って千は5分間ほど待った後、次の学生に言った。

「次の学生の方、前に出て156の数字を書いて下さい。できますか。」

学生は教壇に上がり、黒板に156の数字を書いた。

「大変いいですね。席に戻って下さい。その横の君、前に出て2千2百5拾3の数字を書いて下さい。」

学生は教壇に上がり、黒板に2253の数字を書いた。

「大変いいですね。席に戻って下さい。その横の君、前に出て5万2千2百5拾3の数字を書いて下さい。できますか。」

学生は教壇に上がり、黒板に52253の数字を書いた。

 「大変いいですね。席に戻って下さい。これで皆さんは何万もの数を正確に伝えることができるようになったのです。」

千はそう言って黒板に1234567の数字を書いた。

「これは実力テストですね。この数字を言うことができますか。判る方は手を挙げて。」

二人の学生が手を挙げた。

金目族の娘とギンだった。

 「左の女性の方、その場で答えて下さい。」

「はい、先生。百二拾三万四千五百六拾七です。」

「もう一人の方、どうですか。」

「同じです、千先生。」

「いいですね。正解です。今日の数の授業はこれで終わりです。五分間休憩して文字の授業を始めます。ロボット兵、私にコーヒーをマグカップで持って来て。」

「了解しました、千様。」

 「さて、文字を教えます。幸いなことにこの町の言葉は単純な構造を持っております。子音と母音が組みになって言葉を構成しております。皆さんに『ひらがな』と言う文字を印刷した紙をこれから配布します。黒板には拡大した同じものを張っておきます。皆さんは紙に印刷された文字を全て覚えなくてはいけません。」

千は黒板に50音の表を張った。

「私の後について一緒に発音して下さい。右側の上から下に『あ、い、う、え、お』です。

ついて来て『あ』、『い』、『う』、『え』、『お』。もう一度、『あ』、『い』、『う』、『え』、『お』。」

 「いいですね。これらの音は母音と言います。母の音という意味で長く続けることができる音です。最後に一つ残っているのは『ん』です。これも長く続けることが出来ますが『ん』から始まる文字は少ないので別格になっています。『あ』から左側は順に『あかさたなはまやらわ』です。全て最後が『あ』で終わる文字です。繰返して下さい。『あかさたなはまやらわ』、何度も言って口調で覚えて下さい。『あかさたなはまやらわ』。」

学生は何度も繰返した。

もともと立派な成人であるから覚えは早かった。

「次は『い』から左に『いきしちにひみいりい』。すべて『い』で終わる文字です。『いきしちにひみいりい』。」

 千はこうして50音を教えた。

教え終わると早速、質問だった。

「さて次の順番は君だったかな。前に出て来て『さかな』を指して下さい。」

学生は前に出て来て『さ』と『か』と『な』を考えながら指した。

「いいですね。席に戻って下さい。その横の君、金鬼君でしたね。前に出てきて『せんそう』を示して下さい。」

金鬼老人は黒板の前に来て『せんそう』を指し示した。

「いいですね。席に戻って下さい。次の方、・・・」

 千は全員がひらがなを読めることを確認してから続けた。

「これで皆さんは50音表があればひらがなを読むことができるようになりました。宿舎に帰ってからもひらがなを完全に覚えて下さい。そして書けるようになることが必要です。宿舎の色々な物にはひらがなで名前を書いておきます。わからない物の名前があればロボット兵に聞いて下さい。今日の午前中の授業はこれでおしまいです。文字にはひらがなだけでなく多くの文字があります。例えば『め』と言う言葉については顔にある目と草花にある芽があります。同じ音でも意味が違います。それで顔の目と草花の芽を表わす文字があります。漢字と言います。それらは後日教えます。どれだけ漢字を知っているかはその人間の知性を測る基準になると思いますのでがんばって覚えて下さい。解散。昼食は昼の一時です。食堂に集まって下さい。」

 昼食はラーメンだった。

海苔もナルトも支那竹も入っていた。

食卓には胡椒の小瓶が置かれていた。

そこでも千は自慢気に講釈を垂れた。

「これはラーメンという食べ物です。黄色い細い物はメンといって小麦から作った物です。上に乗っている黒い物は海で採れる海藻を乾燥させた物で白に赤い渦巻きが入っている物は魚を加工して作った物で木のような長い物は支那竹と言ってタケノコを発酵させて味付けした物です。テーブルにある小瓶は胡椒です。胡椒の実を粉にしたもので大変辛いので少量だけ振り掛けて下さい。もちろん振り掛けなくても問題ありません。ラーメンは素晴らしい食べ物です。穀物、海藻、魚、茸、そして汁に入っている油、そして色々な神経作用物質を含む胡椒。こんな色々な物を含む食べ物はあまりないと思います。私は大好きです。」

 午後の授業はミーナが行った。

千はコーヒーを飲みながら教室の隅で授業風景を眺めていた。

「私はミーナと言います。川の上流の黒目族の娘です。黒目族はまだ狩猟生活を送っており大変遅れている部族です。布も無く穀物もありません。私は幸運にも千先生と出会い色々なことを教えていただきました。それでは今日は地図の作り方を教えます。地図の基本は測量です。窓の外には井戸の横に高い風車があって井戸から水を汲み上げております。皆さんがもし風車の高さを知りたい時にはどうしますか。一番確実な方法は風車から紐を垂らせばいいですね。でも危険です。地上にいて風車の高さを知るにはどうしたらいいでしょうか。だれか教えて下さい。」

 金鬼老人が手を上げて答えた。

「我々は通常、風車を横倒しにした時を想像して先端の位置から根元までの距離を決める。」

「いいですね。いい方法です。でも横倒しにした場所に近づけない場合があります。そんな時には測量器を使うのです。ここに持って来ました。一本の筒に目盛りのついた木の板と糸で吊るした錘(おもり)で出来た簡単なものです。筒から風車の先端を覗いて垂れた錘りの糸を木の板ごと摘んで目盛りの数字を読みます。後は測定した場所から風車までの距離を測れば風車の高さが分ります。今から図で説明します。」

 ミーナは黒板に地面を表わす一本の線を引き、そこに風車の絵と筒の目線と分度器を描いて錘りの鉛直線を描いた。

「これが条件の絵です。錘り線と風車の間の角度が測定した実際の角度だとすると測定地点から風車までの距離と風車の高さとはこの絵の関係になっているはずです。紙の上に描かれた風車までの長さが仮に50㎝で風車の高さが20㎝だったとします。実際に測った風車までの距離が50mだったとしたら風車の高さはどれくらいでしょうか。一番後ろの右の方、風車の高さはいくらでしょう。」

「20mです。」

 「正解です。今は測定地点から対象場所までが測定できる場合でした。では山の高さを測るにはどうしたらいいでしょうか。山の山頂までの角度は分りますが山頂の位置までの距離がわかりません。方法が分る方はおりますか。」

だれも手を挙げなかった。

「この測量器で山までの距離が測定できます。分りやすいようにこの教室を測定してみましょう。最初に教室の横の長さを測ります。この教室の場合は10mです。紙に10㎝の線を描きます。次に教室の端に行って錘り糸を横に合わせて教室の後ろの角までの角度を測って線を引きます。」

そう言ってミーナは黒板に線の端から二本の線を描いた。

「教室の反対側に行って後ろの角までの角度を測ります。」

そう言って線の別の端から二本の線を描いた。

「もう分りましたね。二つの線が交わった所が教室の後ろ側の角の位置です。あとは角を結べば教室と同じ形になりますから教室の縦と横の長さが分ります。

 「山の位置は同じように測定出来ます。少し正確さが必要でめんどうですけどね。簡単に言えばこの学校の敷地の両端から町の中心と船溜まりを測量して学校から町までの距離や町と船溜まりまでの距離を決めます。同じ方法を山にしてもいいのですが測定している二カ所の距離が小さいのでほとんど同じ角度になってしまいます。それで距離が分っている町の中心と船溜まりから山を測定して角度を測れば山の位置や距離が確定されるはずです。山頂までの高さの角度は既に分っていますから山の高さが紙の上で計算できるはずです。このように三角形を利用して地図を作って行く方法を三角法と言います。皆さんはこの大地がどんな形をしているか知っていますか。どこにどんな山があり何所にどんな町があり、それらの町がどんな道で結ばれているのか知っていますか。おそらく知らない方が大部分だと思います。千先生はこの一年間で皆さん自身がこの大陸の地図を作ることができるようになると思っておられると思います。質問がありますか。」

 一人が手を挙げた。

「世界地図はもらえるのでしょうか。」

「千姉さん、どうですか。」

「卒業の時にさし上げます。ただ、世界は大きいのです。一枚の紙には描ききれないと思います。ですから多数の地図の束になると思います。皆さんには両手を広げた程度の大きさの世界地図をさし上げようと思います。地図は夢を描ける物です。地図の束はこの学校に保存しておきます。それで納得して下さい。」

「了解しました。」

 他の一人が手を上げた。

「世界は大きいと思います。地図は実際にその場所の近くにまで行かなければできないと理解しました。我々学生は世界の色々な場所に実際に行くのでしょうか。」

「千姉さん。バトンタッチ。」

「行きます。大冒険ですよ。皆さんの鉢巻は六種類あります。同じ色は同じ班を意味しています。今は一般教養だから全員が同じことを学んでおりますが、いずれ五人が一班を作ることになります。実際に世界を廻るのはそのうちの一つになると思います。この世界では遷移できる種族がおります。金目と赤目ですね。でも知らない遠くの場所には遷移できないはずです。ですからグループの全員が空を飛んで行けるような機械を皆さんに作っていただいてそれに乗って行ってもらおうと思っております。」

 「千先生。質問をしてよろしいか。」

「金鬼君ね。なんですか。」

「先生は今、『はずです』とおっしゃられた。ワシは金目族で遷移が出来るが確かにその通りだ。遠くの知らない所には遷移ができない。千先生は遷移がどのようにして起るのかを知っておられるのですか。」

「不用意な発言でしたね。知っております。というより知っているつもりです。他の不思議の力の理屈も知っているつもりです。私は知っている限り全部できますから。」

「先生の美しい顔には不思議の目がないが。」

「目がなくても知識があります。皆さんを案内しているロボット兵は私が作った物です。ロボット兵は赤目族の遷移はもちろん緑目のテレキネシスもテレパシーも読心もできます。人間はどんなにがんばっても決して勝つことはできないと思います。」

 「そんな信じられない知識をこの学校では教えてくれるのでしょうか。」

「教えません。この学校では実際に利用できる実学を教えます。残念ですが一年間では不思議の力を理解できるレベルにまでは到達できません。」

「それは残念じゃ。」

「そうですね。」

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