第21話 21、文字と学校 

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 「ミーナさんは千さんから学んでいるのですか。」

「そうよ。3年くらい教えているかな。」

「どんなことを教えているのでしょうか。」

「いろいろよ。数学と物理と化学と生物と地理と音楽と絵画と実学かな。」

「どれも私には初めての言葉です。人間は覚えている量は限られています。どうしてそんなたくさんのものを教えることができるのでしょうか。」

「文字があるからよ。この世界には無いものよ。」

 「文字とは何でしょうか。」

「音を発する形よ。例えば『私はギンです』という言葉があるとするでしょ。『わたし』を丸にして『は』を三角にして『ギン』を四角にして『です』を星形にすると決めたとするでしょ。そしたら『○△☐☆』ってどこかに描いておいたらいつでも『私はギンです』って音を出すことができるでしょ。それが文字なの。」

「確かに便利ですね。」

 「ミーナ、ここにいらっしゃい。」

ミーナは二人の会話を聞いていたので自信をもって近づいて来た。

「ミーナ、これは何て発音する。」

そう言って千はホムスク語の文字を大きいテーブルにゆっくり指で描いた。」

「『私の部族は黒目族です』と読めます。」

「ねっ。ギンさん。こんな文字で書いてあれば忘れることはないでしょ。」

「素晴らしいことです。本当に素晴らしいことです。この町にと言うよりこの世界に文字があったらどんなに便利なことでしょう。」

 「そうね。文字があれば知識の蓄積が出来るから文明が出来るわね。」

「文明とは何でしょうか。」

「そう言われると『これです』って言えないのだけど、気にしないで聞いてね。私の定義だから。」

その頃にはシンも机の所に集まって熱心に千の言葉を聞いていた。

「部族にはいろいろな慣習や習慣があるでしょ。それは文化って言うの。文化には生活レベルは関係しないの。文明と言うのは科学知識のレベルが他と違ってずっと優れている状態のこと。科学知識のレベルが上がるためには多くの人が食料の心配をしないで色々なことを考えたり創ったりすることが必要なの。だから人口が多いことが必須だし過剰の食料が必要なの。この町は食料には困っていないし人口もある程度いるからギンさんやシンさんのように食料生産とは別のことをする人が存在することができるの。食堂のおばさんだって食料生産をしているわけではないでしょ。問題はそれらの人々が生きている間に得た知識を蓄積できないこと。ギンさんが言ったように人間は限られた記憶しかできないし、間違いも多いでしょ。文字が無ければ口伝で子孫に知識を伝えなければならないのだけど、だれもがそれを聞けるわけは無いわよね。しかも伝えることはどんどん増える。文字があれば十年前に誰かが考えたことをみんなが知ることができてそこからスタートできる。そんな風にして科学知識レベルが上がった状態になると生活も上昇するの。そんな状態が文明だと私は思っているの。精神的、物質的に豊かになった世界よ。」

 「そんな風に考えたことはありませんでした。」

「ミーナ、横笛を持っているわね。数曲吹いてみて。」

「了解、千姉さん。」

ミーナはブラジャーの下に隠してあった横笛を取り出し、感傷的な曲と勇ましい曲とゆったりした曲とテンポの速い曲と最後は部族のみんなに聴かせていた曲を演奏した。

演奏が終わるとギンとシンは呆然として暫く何も言わなかった。

「それは普通の木の筒ですよね。そこからあんな美しい音が出るなんて。信じられない。それに出て来た音はまるで生きているようだった。涙が出ましたよ。」

「これが音楽。演奏した曲は大昔の人が作曲したものよ。私やミーナが作った物ではないの。」

「確かに精神的な豊かさの象徴ですね。何の生産性も無いのに人間には必要です。」

シンは憧れの眼差しでミーナを見つめたままだった。

「音楽の楽譜は音の高さと長さの記号だけど文字と同じよ。何かに書かれて後世に伝えることができる。」

 「文字はどうしたら作れるのでしょうか。我々にもできますか。」

「それは簡単よ。人間の口は5つの基本の音に舌や口の開閉で生ずる音を組み合わせて発音できるの。基本の音は『あ』と『い』と『う』と『え』と『お』と別格の『ん』言う母音よ。長く同じ音を出し続けることができる音が母音。例えば『しん』という音は『し』と『ん』でしょ。『し』という音は『い』と言う母音に『し』の最初の音を付けてできるわね。『し』を長く伸ばすと最後は『い』になってしまうでしょ。子音と言う音は長く伸ばせない音なの。結論を言えば50個程度の文字の記号を憶えれば全ての言葉を発音できるようになるわ。ほんとにおおざっぱだけどね。」

「文字を教えていただけませんか。」 

 「うーん。いいけど。ミーナ、どう思う。」

「教えてやりましょう。千姉さん。」

「でも、ミーナが部落に戻るのが遅れるわよ。」

「部落で水田を作るのは急ぐことではありませんし、私が部落を出発した時点で長老様は私がもう戻って来ないとお思いになったと思います。不思議な力も持たない若い小娘が言葉も分らぬ町に出かけて簡単に戻って来れるわけがありませんから。」

「まあ確かに。普通の娘だったら緑目族の攻撃や赤目族の攻撃や青目族の川関所から逃れることはできなかったでしょうね。」

「私はもう少しこの町に居てもいいと思います。」

「OK。そうしましょうか。その方が楽しそうね。・・・」

 千は暫く黙っていた。

千が突然黙った事をみんなが訝(いぶか)しく思うようになったころ千は言葉を発した。

「ギンさん、この町の近くに広い空き地がありますか。その空き地は購入できるのでしょうか。」

「はい、郊外にはいくらでも空き地があります。購入は必要ありません。だれの物でもありませんから。問題は自力でその土地を管理することができるかどうかです。」

「強い者勝ちということですね。」

「そうです。この街並も同じ商店が一カ所にかたまっていたり、住宅街が出来ているのもそのせいです。集まれば力が生じますから。」

 「分りました。学校を作ります。学校と言うのは学問を教える場所です。もちろん文字も教えます。当面は教師を作る学校です。私一人ではとても無理ですから。教師を作って、後はその教師が新しく入学した学生を教えるようにします。」

「あのー。資金はどうするのでしょうか。」

ギンが心配そうに言った。

「資金は必要ありません。私が全て造ります。」

「それでは不思議か異常すぎませんか。金目族に目を付けられます。」

 「どのみち私が異常な力を持っていることは既に金目族には知られております。ですから金目族は私が作った学校は支配体制を脅(おびや)かす物として排除しようとするはずです。そんな攻撃に対抗できる建物でなくてはなりません。普通の建物では金目族の兵隊の攻撃には対抗できません。そのうち、私が体制を破壊しようとしているわけではないと分るはずですが、その先は私にはどうなるかわかりません。不思議の力を男全員が持っている世界なんてこれまで想像したこともありませんから。」

「私もシンもその学校に入れるのでしょうか。」

「もちろんよ。でも学校を作るのに協力してね。」

「喜んで協力します。何でもおっしゃって下さい。シンも協力するよな。」

「もちろんさ。」

 「ありがとう。そしたらまず学校の場所を決めます。今から宿屋に行って荷車を返してから船溜まりに行って種籾を船にしまいます。一緒について来て下さい。船溜まりの辺りは人がほとんどいませんからフライヤーに乗るのに便利です。後はフライヤーで学校に適した場所を捜します。一緒に乗って意見を聞かせて下さい。」

「フライヤーって言うのは乗物ですか。」

「そうよ。楽で便利。」

「いい歳なのにワクワクしますね。」

 マンはお盆を持って空中に昇って消え、ミーナは外に置いてあった荷車を引き、千はその横を歩き始めた。

しばらく経つとギンとシンが賭博場から出て来てギンは賭博場を閉めた。

ギンとシンは目立たないように数十m離れて先に行く荷車の後を追った。

交易者用の宿に荷車を返してからミーナと千は船溜まりに行って種籾を船首の物入れに寝袋と一緒にしまった。

ギンとシンは桟橋までは来ないで辺りをぶらついていた。

 千とミーナは桟橋と宿屋の途中の草むらの中に潜み、ギンとシンが近づくと草むらに呼び寄せた。

「今、フライヤーを呼んだから驚かないでね。安全だから。」

千がそう言った時にはフライヤーが急速に降下して来て、四人の先の草むらに着地した。

千はフライヤーの入口の柵を開いて「人に見られないように早く乗って」と言いながらフライヤーに乗り込んだ。

四人がフライヤーに乗り込むと千は素早くドームを閉じてからフライヤーを急上昇させた。

10秒ほどの事だった。

 「ようこそフライヤーへと言うほど大きい物ではないけど、これがフライヤーよ。重力に逆らって浮かんで、石が落ちると時と同じ加速度で加速して自由に動くことができるの。昔、友達と一緒に造った物だけど、少し改良してあるわ。この前、金目族に急に乗り込まれて驚いた事があったの。それでそうできないように改良しておいたから、もう金目族はこの中に入っては来られない。安全よ。」

「空を飛ぶのには重そうな物ですね。羽もないし。」

「重力遮断材を使ってあるの。上下左右に動けるのは重力が力の元よ。」

「聞きたいことがいっぱいあるようです。」

 海辺の町はそれほど大きな町ではなかった。

大河が北側にある海に注ぎ込む手前に桟橋がある船溜まりがあり、そこから南西の方向に道が続いて途中にある宿屋の前を通って商店のある街中に通じる。

その道の半ばに十字路があり、右側に進むと食料品店や食堂が並びそれを通り過ぎると金目族のお屋敷街を通って海に突き当たる。

十字路を左に進むと広大な住宅街に入り、住宅の一部は川まで広がっている。

その道は穀物の集積場に突き当たりそこで道はなくなる。

集積場の向こう側は延々と続く水田や畑が広がっている。

水田の左側は大河まで続き水田の右側は小高い山裾にまで達している。

水田や畑に必要な水は相当遠くから引き込んでいるのに違いない。

山裾の畑にまで水路が通って水が豊かに流れている。

十字路を真直ぐ進むと急速に建物は少なくなっている。

標高が次第に高くなって最後は立派な山になって、ずっと続いている。

 「空いている所は道路の突き当たりの山の近くだけね。高台だから見晴らしがよくて丁度いいかもしれない。ミーナ、どう思う。」

千はフライヤーを上空1000mに止めて言った。

「いい場所だけどどうして町の人はこれまでその辺りまで広がらなかったのでしょうか。」

「水でしょうね。ほら水田は山の裾野まで迫っているけど、今の場所より上には行けるはずだけど行ってないわね。おそらくそこまでは灌漑用の水が来ないのね。町を見たら飲料用の上水は豊富にあるみたいだから水田用の水と同じようには相当上流から取り入れているはず。水がなければ生活できないからそこより高い場所に建物は建てなかったと思うわ。」

「学校の水は大丈夫なのですか。」

「井戸を掘ればいいわ。大河にも海にも近いから簡単に井戸から水が取れるはず。それより、シンさん。水田地帯と町の間には柵が続いているけどどうして山側には柵がないの。川沿いには柵があるのだけど。」

 「奴隷は山には逃げない。山では食料が無いから生きて行けない。それに水田から山の木の生えている所までは背の低い草むらだ。丸見えだからすぐに見つかってきついお仕置きが待っている。」

「お仕置きって、どんなもの。」

ミーナがシンを心配そうに見ながら聞いた。

「色々あるさ。最終的には殺す予定だからどれだけ苦痛を長く与えて殺すかだけだ。監督官の考え方しだいだよ。それに奴隷は五人単位だ。一人が捕まったら同じ苦痛が残りの四人にも与えられる。死ぬのは逃げた一人だけだ。」

 「シンもお仕置きを受けた事があるの。」

「一回あった。縛られて丸く団子にされたんだ。体中がふくらんで真っ赤になるんだ。痛いなんてものじゃないさ。息を吸うのも大変なんだ。おれは気を失う前に解放されたが逃げた女はそのままにされて黒くなって死んだよ。」

「奴隷から逃れることはできないの。」

「それは簡単だ。毎年四月に言葉の試験がある。それに合格できると堂々と入口から出て行くことができる。おれもそうだった。だから奴隷は必死になって言葉を覚えようとするのさ。希望があるから奴隷で一年間我慢できる。」

「分りました。ここに学校を作りましょう。」

千が決めた。

 その日はギンとシンは賭博場に戻り、ミーナはマンの護衛の下、早めに就寝した。

「明日になれば新しい家で眠ることができる」と千が言っていた。

宿屋での硬いベッドも最後かもしれない。

千はミーナを降ろすと「今日は少し忙しいから」と言い残してフライヤーに乗ってすぐに上空に消えた。

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