第5話 5、樹冠でのクリームソーダ 

<< 5、樹冠でのクリームソーダ >> 

 人間、話が長引けば小便をしなくてはならない。

ミーナは石投げの練習を続けていたが突然練習を止めて川の近くの大石の蔭にかくれて小便をした。

若い娘にとって川は理想的な水洗便所なのだろう。

ミーナが戻って来ると千は「休憩しよう」と提案した。

「美味しいケーキをごちそうするって言ったわね。休憩してケーキを食べましょう。準備して来たの。」

「ココアよりおいしいケーキですか。とっても楽しみです。」

「期待していいわ。木の上で食べましょう。ついて来て。」

そう言って千は林の方に歩き始めた。

 千の歩みは軽やかだった。

ミーナも歩きには自信があったが千の歩き方は駈けているようだった。

石づたいに軽やかに跳び移り、河原と丘の境の小さい崖も一気に跳び移った。

ミーナは一生懸命ついて行かなければならなかった。

林の中に入ると千は歩みを緩め、広まった場所で止まった。

腕のバンドに『フライヤー』と言うと洞窟の時と同じように上空からフライヤーが現れ広場に降りて来た。

フライヤーは木の梢の上に浮いていたらしい。

 千はフライヤーに乗り込み、柵を内側に開いてミーナを呼び寄せた。

ミーナはフライヤーに乗り込み、昨日よりは落ち着いてフライヤーの中を観察することができた。

そしてどの部分も初めて見る物だと確信した。

床に生えている芝生も人工の物であり自然の草ではなかった。

「樹冠の少し下でケーキを食べましょう。」

そう言って千はフライヤーを上昇させ、一番高い樹木の少し下の別の木の樹冠にフライヤーを止めた。

「ここなら日陰になるし、下からも見えないわ。こんな場所は初めてでしょ。」

 「初めてです。千さんはこの世界の部族の出身なのですか。」

「いいえ。遠い星から来たの。」

「なぜここに来たのですか。」

「そうね。色々と事情があるんだけど、この星を選んだのはある人に会いたかったことと息子が以前にここに来たことがあったからなの。」

「千さんは若いのに子供がいるのですか。私より小さい子ですか。」

「いたわよ。凛々(りり)しい若者だった。会った時はミーナより少し大きかったわね。」

「分りました。千さんは私の経験では理解できない方だと分りました。ケーキをご馳走して下さい。」

 「ほんとにミーナは賢い子ね。ちょっと待ってね。」

千は操縦席の前のガラスのテーブルに人差し指を触れた。

ガラスのテーブルにはその時にはいつのまにか色々な模様が映り出されていた。

フライヤーの左側の芝生が持ち上がって4角の箱が二つせり上がって止まった。

千は椅子から立ち上がって箱の蓋を持ち上げ中から白磁の皿を二つ取り出し、もう一つの箱の中からケーキを取り出して皿の上に載せてから操縦席の前のガラステーブルの上に置いた。

皿の上のそれは長四角の10㎝ほどの物で下側が細かい穴が開いた茶色の物で上側には白い物が載っていた。

 「これがケーキなんだけど、今日は暑いんでもう一つを用意したわ。もう少し待っててね。」

千はそう言って箱の方に行きガラスの箱から縦長のガラス容器を取り出し、もう一つの箱から大きめの四角い氷を取り出して容器に入れ、箱の底に手を差し込んで緑の液体が入った容器を取り出して蓋を外して氷の上に液体を注いだ。

それが終わるともう一度箱の底の方に手を入れて半球状の何かを取り出し外側を剥いてから氷の上にそっと載せた。

もう一つの箱の中から軽そうな細い筒状の物を取り出してガラス容器に差し込んでからガラステーブルの上に置いた。

 「さてっと、準備ができたわ。お皿に載っているのが約束のケーキで三角形のガラス容器に入っているのが『クリームソーダ』よ。緑の液体がソーダ水で上に載っているのがアイスクリームって言うの。それでクリームソーダなの。美味しいわよ。」

ミーナにはほとんど全てが新しい言葉だった。

そして全てが初めて見る物だった。

土器もない石器時代の少女には当然だった。

頭の中で次々と組立てられる千の言葉はミーナに次々と新しい語彙を加えて行った。

 「千さんが話す言葉は全て分りましたが意味がまだわかりません。」

「そうだと思うわ。ほとんど新しい言葉だからね。でも食べて話せば次第に意味が分って来ると思うわ。私の通りにしてみて。ゆっくりね。最初はクリームソーダ。グラスを左手で取って、口元に持って来て、右手でストローを口に挟んでそっと少し吸い込む。舌がパチパチとするからそれを楽しんで。そう、そうよ。それからストローを少し出してアイスクリームの下側の少し溶けた所に着けて吸い込む。そうよ、アイスクリームの柔らかな冷たさと甘さが口の中に広がるでしょう。本当は順番はケーキが先なのだけどミーナにクリームソーダの味を先に知ってもらいたかったの。いいわ。ストローを口から離して容器をテーブルに戻す。いいわ。どうだった。」

 「驚きました。川の水より冷たいし、夏なのに氷があるし、甘いし、口の中で爆発しているみたいでした。」

「冷たいのは冷蔵庫に入っていたからで、氷は冷凍庫で作ったからで、甘いのはココアの中にも入っていた甘みの素がはいっていたからで、口の中で爆発する感じはソーダ水に溶けていた炭酸ガスが出て来るためよ。」

「千さんと話していると頭の中がお腹いっぱいになるみたいです。」

「そうね。でも、お腹と同じで時間が経てば消化されるわ。ではお腹を実際にふくらましてみましょうか。ケーキを食べるわ。同じようにして。」

「はい、ドキドキしています、千さん。」

 「ケーキの食べ方は簡単よ。手で茶色のところを摘んで白いクリームの部分と茶色の生地の部分を同時に少し食べる。そう。そうよ。それからクリームの所だけを少し食べて、味わって、次にスポンジの部分を食べて、味わう。そう、後は好きなように食べていいわ。」

ミーナは生まれて初めてケーキを食べた。

ケーキは甘く柔らかく舌で押しつぶすと甘みが口中にほとばしった。

「おいしい。千さん。とっても美味しい。」

「ケーキは私の星でも若い女の子の好物だったわ。」

 「とっても美味しいと感じます。でも、どうして若い娘はケーキが好きなのでしょうか。」

「むむむ。ミーナは鋭い質問をするわね。わからないわ。なぜだろう。そうね。推測だけど、おそらく人間は若い時と年取った時では味の敏感さに違いが出て来るのね。大人になってもそれは変らないと大人は思っていたいのでしょうが確実に敏感さは変るの。例えば子供は非常に高い音を聞くことが出来るので高い音には敏感で、こすれた時に出る高い音には嫌悪感を抱くわ。大人になると高い音は聞こえなくなるの。それと同じで味の感覚も子供と大人では違うのかもしれない。若い女の子や子供は甘みに対して大人が感じる以上の感覚を持っているのかもしれないわね。答えになっているかどうかは分らないけどね。聴覚は簡単に測ることができるから敏感さを測ることができるけど味覚の鋭敏さは簡単には測れないの。だから味覚の年齢変化に関しては良く知られていないわ。まあ、とにかくクリームソーダを飲んでみて、ミーナ。溶けかけて飲み頃になっているわ。」

「はい、いただきます。千さんにも分らないことがあるのですね。」

 楽しい時間だった。

ミーナはケーキよりクリームソーダの方が美味しいと思ったがそれはその日が暑かったためだったかもしれなかった。

ミーナはクリームソーダをグラスの底の一滴までストローで吸い上げたとき、大事な革の水袋を河原に置いたままであることに気が付いた。

「そうだ、水袋を持って来るのを忘れた。千さん、取りに行ってもいいですか。」

「それは大変ね。先に河原に戻って待っていて。後片付けをしてから河原にいくわ。先ずフライヤーを降ろすわね。」

そう言って千はフライヤーを元の林の中の広場に降ろした。

ミーナは大急ぎでフライヤーから飛び降り、もと来た道を走って行った。

 革の水袋は大事な物だった。

水を入れることができる大きな革袋はなかなか手に入れることはできない。

ミーナが河原に戻ると三人の男が革袋の前に集まって革袋を拾おうとしている所だった。

「それは私の物よ。触っちゃあだめ。」

ミーナは大声を出しながら必死に男達に近づいて行った。

その三人の男は昨日ミーナを襲った男達だった。

しかしながらミーナには男達の恐ろしさよりも水袋の方がずっと重要だった。

 「それは私の物よ。触っちゃあだめ。」

ミーナは男達の近くに行って立ち止まって息急(いきせ)きってもう一度言った。

男達はミーナの方を向いて下卑た笑いを口元に浮かべた。

「・・・・。(おや、昨日の娘じゃあないか。今日は協力してくれるのかい)」

男達は笑いながら何か言ったがミーナには意味が分らなかった。

「・・・・・。(今日も小石を投げてもいいんだぜ。その分いっぱい仕返ししてやるけどな)」

男達はまたもや何か言いながら腰に巻いていた革の鞭を解いて引きずりながら顔を片手で覆いながら広がって近づいて来た。

ミーナの石投げを警戒しているらしい。

 ミーナは自分の立場を素早く理解した。

大事な水袋を奪われないために無我夢中で男達に近づいたが今度は自分に危険が迫ってきているのだ。

ミーナは数歩後ろに下がりながら大きめの小石を2個拾った。

背中に挿していた投石具を引き出し、小石を網に載せてから思いっきり真ん中の一番大きな男に向けて石を投げた。

 千さんの言った通りだった。

この距離では人間は反応できないらしい。

男は石を腕で防ぐつもりで左手を顔の横に上げていたのだったが男が石の軌跡を見た時には石は男の眉間にめり込んでいた。

男は声も出さずに後ろに仰向けに倒れた。

男の眉間にはまだ石がめり込んだままだった。

 ミーナは素早く残った石を投石具に石を載せ、一番近づいていた男に向かって思い切って石を投げた。

今度の男は顔の真ん中に腕を立てていたが、石はその腕に当った。

今度の男は「ぎゃっー」という叫びを発することができた。

男の前腕は肘の近くから妙に曲がって垂れた。

骨が折れたようだ。

男は折れた腕をささえてその場にしゃがみこんだ。

ミーナは黙って近くの石を拾って投石具に載せたが、その時には3人目の男は川の方に逃げて川に入ろうとしていた。

もう的としては遠すぎる。

 男は川を渡り越えることができなかった。

男が川の中程にさしかかった時、男の頭が吹き飛んで川に倒れ込み流されて見えなくなった。

ミーナが後ろを振り向くと千が手に持っていた小石を捨てている所だった。

「千さん、ありがとう。千さんはこんな遠くから石を命中させることができるのですか。しかも素手で。」

「そうね、でもまぐれ当りかもしれないわ。」

ミーアはそうは思わなかったが何も言わなかった。

吃緊(きっきん)の行動を必要とする事態が起っているのだ。

 目の前には他部族の男が腕を折られて男のくせに泣き叫んでいる。

向こうの方に仰向けに倒れている額を割られた男は全く動かない。

おそらく死んでいる。

他部族の男を殺したら只では済まない。

部族間の争いになる。

「どうしよう、千さん。他部族の男を殺してしまった。」

「心配しなくていいわ。正当防衛よ。少女に大の男が3人も襲いかかって来たのだから反撃するのは当然でしょ。」

「それはそうですが、向こうの部族が納得するとは思えません。」

「わかったわ。私が何とかして上げる。任しておいて。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る