第3話 3、フライヤー 

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 「さて、日も傾いて来たからミーナを部落の近くまで送って行くわ。ポットの中にはまだ少しココアが入っているけどそのまま持って行きたい。それともポットを洗ってから持って行きたい。」

「ココアが入ったまま持って行きたい。部落のみんなにもココアの甘みを教えたいの。」

「いいわ。でも今日中に飲んでね。長く置いておくと悪くなるから。」

「そうする。食べ物と飲み物は長く置いておくとだめになるから。」

「腐敗するからね。」

 「千さん、いま頭の中で『ふはい』という言葉が聞こえたわ。私には初めての言葉です。」

「そう。おそらくミーナの言葉には腐敗と言う言葉はこれまで無かったの。それでミーナの頭は『ふはい』と言う私の言葉をそのままミーナに伝えたのよ。」

「頭って不思議なことができるのね。」

「ミーナの頭の力は色々なことができるのだけどミーナはまだその使い方を知らないだけなの。」

「男達のような不思議な力なの。」

「それもあるかもしれない。私にはまだミーナの力が何なのかはわからないわ。」

「どうすれば私の力が分るの。」

「力を出せるように頭を訓練すればミーナの力がどんな力なのかが分ると思うけど簡単ではないわ。」

 「訓練って、難しいの。」

「時間がかかるわ。ミーナが石投げの練習をした時間よりは長くかかるかもしれない。」

「わたしの石投げを知っているの。」

「ミーナを襲おうとした男に石を当てたことを見ていたわ。」

「あの石はあの男に当ったの。」

「男の額に見事に命中したわ。」

ミーナは恐怖の時を想い出してあの時の恐怖に体が震えた。

「かわいそうに。そうとう恐かったのね。」

 「千さんは男が恐(おそろし)くはないの。」

「恐くなんてないわ。私は強いから。」

「千さんは女なのにどうして男より強いの。」

「どうして男は女より強いの。」

「男は女より力が強いし不思議な力の目を持っているから。」

ミーナは確信をもって答えた。

「じゃあ、力を強くして不思議な力を持てば男と同じになれるわね。」

「そんなことはできない。」

ミーナはまたも確信を込めて返答した。

 「ミーナはまだ知らないけど、私は女だけど男よりも力はあるわよ。今度、私の石投げの威力を見せて上げる。強力よ。腕は細いけどね。それに色々な不思議な力を出すことが出来るわ。」

「どうして色々な不思議な力を持っているの。不思議な力は一部族で一つだわ。二つ以上の不思議な力を持っている部族は一つだけ。黄金の部族という部族だけで一番強いの。金色の不思議の目を持っている。」

 「そう。そんな部族がいるんだ。強そうね。私が色々な不思議の力を使えるのは私が色々なことを知っているからよ。知識は強力な武器を作り出すことができるし、色々な道具を作り出すことができるから。知識は男も女も関係ないわ。努力すれば誰でも持てる。だから女は男よりも弱くはないの。」

「千さん、私に色々なことを教えてくれない。」

「いいわ。お友達になってまた会いましょう。」

「ありがとう、千さん。」

 「さてっと。私の知識が作り出した物でミーナを部落に送ってあげる。驚かないでね。」

千は手首に巻いたバンドを見つめて「フライヤー」と言った。

ミーナの頭と耳からも「フライヤー」と聞こえた。

洞窟から大きな物が空中に浮き上がって出て来た。

翼もなければ支えもないのに空中に浮かんでいる。

それはゆっくりと千の方に進み、千の前の石畳の上に降りて止まった。

それは厚さが30㎝で直径が5mの円盤形だった。

円盤の周囲は縁から10㎝の位置に高さが1mの柵が廻らされていた。

柵の一カ所は内開きの入口になっていて周囲の柵と同じ作りになっていた。

 円盤の上側は人工の芝生で覆われており、その中央に椅子が二つ置かれていた。

椅子の前には低めのガラスのテーブルが置かれておりガラスの椅子側中央に少し大きめの棒が着いた操縦装置と思われる黒い箱が貼付けられていた。

その黒い箱からの紐はガラステーブルの中央の脚の中に導かれていた。

椅子には脚が無く四角の箱の上に座席が付けられていた。

椅子には両脇に腕乗せの突き出しが付いており、腕乗せの先端上には操縦装置と思われる小さな棒の付いた装置が埋め込まれて透明な蓋で覆われていた。

椅子には4点式の黒い平たい紐が着けられてあった。

 「これはフライヤーっていう乗物よ。私の知識が作ったの。空を飛べるのよ。すごいでしょう。」

「すごい。」

ミーナはあっけにとられてフライヤーを見つめながら呟(つぶや)いた。

明らかに人が作ったものだと分るし、部品の一つ一つが部落では絶対に作ることが出来ない物だとも分った。

 「フライヤーの説明は今度にするわ。とりあえずミーナを部落に送るわね。フライヤーに乗って椅子に座って。」

そう言って千はフライヤーの柵を開いて乗り込みミーナを手招きした。

ミーナはココアを飲む時にテーブルの横に立て掛けておいた水袋を肩にかけ、ポットを左手に持ってフライヤーに慎重に乗り込み、千に言われるように椅子に腰掛け右手で椅子の肘掛けをしっかりと掴んだ。

千は柵を閉じてからミーナの横の椅子に座り、椅子の前のテーブルのどこかを指で押した。

するとフライヤーの周囲から透明な曲がった板がせり出してうまい具合に半球状の天井になった。

中から外の様子は仕切りが無いのと同じように見えた。

「この透明な仕切り板はドームって言うの。ドームは出さなくてもいいのだけどミーナはフライヤーに乗るのが初めてだから恐いと思って囲いを作ったの。出発するわ。絶対に大丈夫。安心して。」

 千はガラスの上の箱の棒を手で掴んで傾けた。

フライヤーは少し浮き上がってから岩棚を飛び出し空中に浮かんだ。

ミーナは思わず椅子の肘掛けを強く握りしめた。

だれだって空中数百mで浮かんだら不安になる。

「ゆっくり下がるわ。大丈夫、安心して。」

フライヤーはゆっくり下がって行き、下の川の水面から1mで停止した。

「この高さなら恐くないでしょ。このまま林を通ってミーナの部落の手前まで行くわね。ドームはしまっておくわ。」

フライヤーは地面の1mほど上をゆっくりと移動して林に入り、木々をぬって進んだ。

そこは既に見知った林の通路であり、良く知った林の匂いがあった。

 フライヤーの高度はたった1mほどだったのでミーナは安心して空中飛行を楽しんだ。

こんな楽な移動はない。

林の下草に煩わされない。

あと少し行けば部落が見えるという地点でフライヤーは地面に降りた。

「ここなら安心して部落に帰れるわね。降りていいわ、ミーナ。」

千は椅子から立ち上がり、枠の入口を開けてミーナに言った。

ミーナは草の生えた地面に立ったとき、それまで溜まっていた安心感が堰を切るように溢れ出て自然と涙が流れた。

 なんと色々なことが起った一日だったのだろう。

水場で水浴してくつろぎ、林で男達に襲われて恐怖を味わい、崖から落ちて気絶する怪我を負い、信じ難い絶壁の洞窟で絶望を感じ、千と出会って初めてのココアの甘みを体験し、空中に浮かんで絶壁を降り、そのまま空中を走って部落に着いた。

こんな話を部落の皆に話して信じてもらえるだろうか。

とても信じてもらえないだろう。

総ガラス製のポットと中に残っているココアが話の証拠になるだろう。

ミーナはガラスポットを大事そうにしっかりと胸に抱いて言った。

 「今日は本当にありがとう、千さん。本当です。」

ミーナは千の顔を見ながら真剣に言った。

ミーナの偽らざる気持ちだった。

千は操縦席に座ったままミーナに微笑んだ。

「また会いましょうね、ミーナ。今度はもっと美味しいケーキを食べさせてあげる。」

「『ケーキ』という食べ物ですか。」

「そうよ。ほっぺたが落ちそうになるほど美味しいから。」

「また甘みに会えますね。」

「ミーナは本当にお利口ね。ミーナが水場に来た時に声を掛けるわ。その時にまた会いましょう。」

そう言って千は右ひじを曲げて顔の横に手の平を立て、左手で棒の上のボタンを押した。

フライヤーは凄い早さで上昇し3秒ほどでミーナからは見えなくなった。

 ミーナはフライヤーが紅に変りかけている夕方の空に消えるまでじっと見つめ、やおらポットを大事そうに胸に抱いて部落の方に向かった。

部落の中はいつもの通りだった。

ミーナがこんな目にあったのにだれも気にしていない。

でもそれは無理も無かった。

ミーナが朝方に水汲みに出かけて夕方まで帰って来ないことは良くあることだった。

ミーナはさぼりの常習者だった。

部族の大人達はミーナが多感な年頃にあることを知っていたのでそれを許していた。

 ミーナは母親のいる場所に向かった。

母親は部族の女達と夕餉の支度をしていた。

「マミー、ココアをもらったわ。とってもおいしいのよ。」

母親は手の動きを止めてミーナの方を向いて面倒くさそうにいった。

「ココアっていったのかい。何だい、それは。」

「これよ。この中の茶色の物がココアなの。」

ミーナはガラスポットを自慢げに母親の目の前に掲げた。

「この壷はどうしたの。いったい。ミーナ、言ってごらん。」

母親はココアよりも総ガラス製の透明な美しい形のポットに興味があるようだった。

「きれいなお姉さんからお土産にもらったの。ガラスでできているの。ポットって言うのよ。」

「がらすだってえ、ぽっとだってえ。そんな名前は聞いたことがないね。」

「今日の一日の出来事は後で話すわ。とにかくマミー、ココアを飲んでみて。明日までは取っておけないから。」

「ココアねえ。」

そう言いながら母親は左手の平を凹型に曲げて前に差し出した。

 ミーナは慎重にポットを傾けて母親の手の凹みに半分ほど注いだ。

母親は手の平の茶色の液体をうさん臭そうに見てからココアを口の中に注いだ。

ミーナは母親の顔が変って行く様子をニコニコしながら見ていた。

最初、母親の顔は後ろに引っ込んだ。

なぜだか分らないが人はまずくてはきだす時は顔を前に出すし、美味しい時は顔を引っ込める。

それから母親は目を閉じて言った。

「美味しい。なんて美味しい味なんだ。」

「その味は『甘み』って言うんだって。果物にも入っているけど他の味の素も入っているから分らないんだって。」

「そのお姉さんがそう言ったのかい。」

「そうよ。ミーナはカップでココアを3杯も飲んだのよ。これくらいかな。」

そう言ってミーナはポットの中程を指差した。

 「こんなにおいしい物なら長老様にさし上げて来なさい、ミーナ。」

母親は周囲の女達の手前、そう言ったのかもしれなかった。

ミーナは反論した。

「でも、マミー、残りはほとんどないわ。私はマミーに飲ませたくてポットを残ったココアごともらって来たの。マミーもう一度飲んでみて。そうしたらポットを洗うことができるから。」

「そうかねえ。残り物をさし上げたら失礼かもしれないね。ミーナ、最後の残りをポットから飲んでもいいかね。」

「いいわ、マミー。でも気をつけてね。ポットは落としたら壊れるから。」

「分ったわ。」

母親はガラスのポットをミーナから受け取ってポットの手触りを確かめてから入っていた残りのココアを一気に口の中に流し込んだ。

さっきよりも甘かったが少しざらざらした物も入っていた。

 ミーナは母親からポットを受け取り、水を少しだけ分けてもらってポットをゆすいで洗った。

ポットは向こう側が透けて見える透明性を取り戻し、裏革で水気を取るとミーナの大切な宝物になった。

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