第2話 2、絶壁の洞窟
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ミーナが気が付いた時、ミーナは裸で柔らかい板の上に仰向けに寝かされ、体の上には柔らかく暖かい物が掛けられていた。
半身を起こして辺りを見回すと板の横には台があってミーナの衣服や石投げ具が置いてあり4個の水袋も台に立て掛けてあった。
体を調べたがどこにも傷はなかった。
逃げる時にも傷を負ったことは知っているし、あんな高さの崖から落ちたのだ、傷無しでは済まされない。
それに水場に来る途中で作った草切れもきれいに無くなっている。
ミーナが寝ていたのは大きな洞窟の中だった。
入口は大きく、傾き始めた日の光が差し込んで洞窟内を明るく照らしていた。
ミーナは寝ていた板から立ち上がり素早く衣服を身に着けて石投げ具に小石を詰めてから腰に吊るした。
水袋を肩に掛けてから注意深く洞窟の出口に向かった。
理解できない疑問はいくつもあったがとりあえずこの洞窟から逃げ出すことが大事だった。
この洞窟が自分を助けてくれた誰かの住処(すみか)であろうことは推測できたが相手が何者であるのかわからないのだ。
状況を知るためには先ずこの洞窟から出なければならない。
ミーナは洞窟から出て洞窟前の広い一枚岩の上に立ってから辺りを見回して唖然とした。
一枚岩は崖の面に突き出ている岩棚だった。
岩棚の数百m下にはミーナが水を汲んだ川が流れていた。
洞窟は岩棚の上数百mも続く垂直の岩の断崖の途中にあった。
昔は岩の上から滝が流れ落ちていて一枚岩にぶつかって大きな洞窟が出来たのだろう。
下から洞窟は見えないし、崖の上からも洞窟は見えない。
洞窟の向いの山から見ても見えないかもしれない。
張り出した一枚岩は外に向かって少し上側を向いている。
正面上方から眺めれば見えるはずだがそんな高い山は正面にはない。
ミーナははっきりと認識した。
ミーナはこの洞窟から逃れることはできない。
垂直に近い岩の崖は登ることも降りることも絶対にできない。
部族の男だってだれだってそんなことはできない。
「気がついたようね。」
岩棚の先端に立って文字通りの絶望の縁に立っていたミーナの頭の中で言葉が聞こえた。
ミーナは素早く後ろに向きを変えて腰を落として身構えた。
洞窟の入口には一人の女が立ってミーナを見ていた。
女は白い衣服を纏(まと)っていた。
首から足首まで輝くような白い衣服で、靴も白い皮のような丈夫そうな物だった。
腕は手首だけが素肌を曝していた。
顔は端正で左右が対称で微笑んだ口元から白く小さな歯が見えていた。
部族の女達よりずっときれいだ。
頭には半円形の輪を載せていて頭の後ろには金色の光の輪が輝いていた。
「だれだ。」
ミーナは乱暴な言葉で失礼だとは思ったがそれが率直な気持ちだった。
「私は千と言うの。あなたの名前は何と言うの。」
女は確かに口から声を出しているのだがミーナにはその言葉が理解できなかった。
でも頭の中ではミーナの部族の言葉がはっきりと聞こえた。
「ミーナだ。」
構えの姿勢を崩さず、頭を動かさないで女の目を見ながらミーナは答えた。
「ミーナさんね。いい名前だわ。こんにちは。」
女はいくらか腰を曲げて顔を前に出して言った。
「こんにちは。」
ミーナは思わず挨拶に応じてしまった。
「素直ないい子ね。怖がることはないわ。何もしない。言葉を知りたいだけなの。」
女は軽く頷いてミーナの同意を求めた。
ミーナはいくぶん警戒感を解いて言った。
「話しているじゃあないか。」
「ミーナはお利口ね。確かに話しているわ。でも耳からではなく頭の中から聞こえるでしょ。それは私が不思議な力で話しているからなの。私は女だけど不思議な力をだすことができるの。」
「それならわかる。お前の不思議な力は頭で話す力なのか。だが目を持っていない。」
「ミーナは知らないだけなの。女の不思議な力の目は体の中にあって外からは見えないの。」
「それなら分る気がする。男は外に出ていて女は引っ込んでいる。わたしにもそんな目が体の中に入っているのか。」
「そうよ。ミーナはその使い方を知らないだけ。」
「ほんとに。」
その頃にはミーナは防御の構えを解いていた。
その目は興味で輝いていた。
「もう少し話しましょうか。おいしい飲み物をごちそうするわ。喉が乾いたでしょう。ここがいい、それとも洞窟内にする。飲み終えたらミーナの部落まで送って行くわ。」
「ここがいい。」
「いいわ。ここで景色を見ながらちょっと待っていて。飲み物を持ってくるわね。」
そう言って女は後ろを向いて洞窟に入って行った。
その姿には何の警戒感もないように見えた。
ミーナも警戒感を完全に解いて岩棚から辺りの山々を見るだけの余裕が出て来た。
女がミーナを部落に戻してくれることが分ったので最後の心配が消えたのだ。
暫く待つと洞窟から女が出て来た。
4角い箱を押している。
箱の下には丸い物が付いており、箱を押すとうまい具合に回転して前進する。
ミーナにはその理屈はすぐに理解できた。
丸い物は転げやすいのだ。
でも部落にはそんな物はなかった。
なんでそんなものを思いつかなかったのだろうとミーナは自分を恥じた。
ミーナはまだ大人ではないけれど、自分自身では工夫することが得意でそれを誇りに思っていたのだ。
女はミーナの前にまで箱を押して来て、箱の下から木製の板の束を取り出して広げ、小さいが背の高い椅子を組立てた。
ミーナはそれを見てまたもや感心した。
折畳んだ板が椅子に変った。
理屈は簡単だった。
ただ、これまで思いもつかなかったことなのだ。
「興味がありそうね。名前を言うから覚えてね、ミーナ。」
女の声がまた頭の中から聞こえたがミーナと言った言葉は耳からも聞こえた。
優しい、美しい声だった。
「箱の下に付いている丸い物は『くるま』って言うの。それから下から取り出して組立てたのは『いす』って言うわ。それからこの箱だけど、これには特に名前はないわ。言って見れば『箱車』かしら。これから取り出すのはテーブルと言うわ。ミーナの部落でも食事をする時は平らな所に食べ物を並べるでしょ。」
「平らな所に食べ物を並べて食べるのは男だけだ。女は立って食べるか手に持ったまま座って食べる。」
「そうなの。でも、食べ物はテーブルに並べて椅子に腰掛けて食べると楽だしおいしいわよ。」
「ミーナもそう思っている。」
「意見が一致したわね、ミーナ。準備を続けるわ。」
女は箱車の上の板を外し、中から薄茶色の液体の入った透明な容器を取り出してテーブルの上に置いた。
「これは『容器』が普通の呼び方だけど『ポット』と言ったらいいわ。中に入っている液体は『ココア』っていう甘い飲み物よ。ポットは透き通っているでしょ。材質の名前は『ガラス』って言うの。地面のピカピカした砂を熱すると溶けた柔らかいガラスに変るからこんな形にすることができるの。中が見えた方がいいでしょ。」
女は手にする物の名前を言いながらテーブルにガラスのポットと白磁のカップを並べた。
どれもミーナには初めての物だった。
そしてどれもピカピカしてきれいだった。
「さて、準備ができたわ。ミーナはこの椅子に腰掛けて。巾が狭くて背板もないから後ろにひっくり返らないでね。」
ミーナはテーブルの上の白磁のカップを見ながら足を広げて椅子に慎重に腰掛けて椅子のすわりを確かめた。
太腿の一部が椅子に触れて冷たかった。
女はポットの取っ手を右手でとって左手をポットの底にそえてミーナの前のカップに薄茶色の液体を満たした。
テーブルの対面にあるカップにも液体を満たしてからポットをテーブルの中央に慎重に置いた。
それを見てミーナは女に聞いてみた。
「ポットは壊れやすいのか。」
女は椅子に腰掛けながら微笑んで答えた。
「そうよ。ガラスはきれいだけど壊れやすいの。石の上に落としたら必ず割れる。ポットを持ってもいいわよ。取っ手を掴めば熱くはないわ。でもガラスの底は熱いからしっかり掴んではだめ。火傷をするから。」
ミーナは右腕を伸ばしてテーブルの中央のポットを掴んで持ち上げ自分の胸の前にかかげ、左手を透明なガラスに注意深く触れた。
熱かったが火傷をするような熱さではない。
これから飲もうとする液体が入っている容器だ。
火傷するような熱さであるはずがない。
ガラスは凹凸のない透明な表面で肌に吸付くような触感を持っていた。
ミーナはこれまでこのような触感を持つ物に出会ったことがなかった。
部族の女達が身につけている飾り玉の触感と似ているがそれよりもずっと手の平の皮膚に吸付く。
ミーナは慎重にポットをテーブルに戻した。
女はそんなミーナを微笑みながら見ていて言った。
「気に入ったようね。そのポットはお土産にあげる。帰りに持って行っていいわ。」
「ほんとう。これをわたしにくれるの。」
ミーナは目を輝かした。
「あげる。ミーナと話した記念よ。」
「ありがとう、えーと。」
「千よ。私はミーナより年上みたいだから『千さん』と呼んで。」
「ありがとう、千さん。」
「どういたしまして。ココアを飲んでみて。カップの取っ手を掴んでこうして飲むの。」
千は右手でカップの取っ手を摘み、左手をカップの底に添えて液体を一口飲んだ。
喉に液体が飲まれた証(あかし)が出た。
ミーナはそれを見てから右手でカップの取っ手を摘み、左手を底に添えて湯気が出ている茶色の液体を恐る恐る啜った。
口の中に今まで味わったことがない心地よい味が広がった。
「その味は『甘み』って言うの。おいしい果物にも甘みの素はいっぱい入っているのだけれど果物には別の味の素も入っているから単独の甘みにはあまり出会わないわね。どう、おいしい。」
「おいしい。千さん。ほんとにとってもおいしい。」
ミーナは千とココアを交互に見ながらそう言ってココアをもう一口飲んだ。
またもや甘い刺激が口中に広がった。
結局ミーナは3杯のココアを飲んだ。
3杯目を飲み終えたときにはミーナは千を友達と認めた。
甘い認識だったが甘いココアにはそれだけの力があった。
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