母が尋ねて/Louvreate's Question

ウツユリン

スポーツマンシップに則り

『――ねえ、ユウくん。ちょっと訊いていい? カノジョとか、いるの?』

「な、なんですか、ルヴリエイトさん。いきなり。ていうか、もう訊いてるし」

 狙い澄まして飛んできた、やたら固そうな土のボールを、引けた腰でかろうじて避ける。

 そのまま転げるように遮蔽板——同じく土でできた、壁へ屈みこんだところで、勇義はそう尋ねられた。——横をぷかぷかと、呑気に漂う正十二面体、サッカーボールのような雪白色の筐体きょうたいに。

『ほら、ユウくんがうちに来てからバタバタしてて、あんまりお話できなかったじゃない? ワタシ、やっぱりコミュニケーションって、大切だとおもうの。だから作戦会議も兼ねて、ね。で、どういう子がタイプ?』

「どこが作戦会議なんです! いまはそんな余裕なんか——」

『——"大砲"がくるわよッ!』

「——っ!」

 ルヴリエイトの警告を受け、隠れたばかりの壁を蹴った勇義は、行き先も決めずにただ身を躍らす。——そうしなければ、死ぬからだ。

 その死を告げるかのような、大地を震わす咆哮が続いて。

「————」

 直後、五十センチは優に超える厚さの土壁が、巨大な岩石の墜落によって一瞬で崩れ去った。

 もうもうと立ち込める土煙はまるで隕石かなにかの落下だが、そうではないことを駆ける勇義は知っている。実際は岩石でさえなく、乾いた土と砂を押し固めただけの塊であることも知っている。

 ただ——、

「威力ありすぎだぁてっ‼」


 ——鍛錬に付きあって。

 いつものぶっきらぼうな口調で、研修先の救助体レンジャーチーム〈CL〉の副官ヴァイス——リエリーに、そう告げられたとき勇義自身も、日課の腹筋運動を済ませたところだった。本来なら、腕立て伏せがルーティンに続くはずだったが、それはいつでもできる。

 それよりも勇義は、早く強くなりたかった。——非力な自分を、まざまざと見てしまったから。

 先日の山火事の救助活動。

 そこで訓練生としての勇義は、己の不甲斐なさを嫌というほど思い知った。なまじ、訓練校での成績がよかったぶん、現場でも動けるとそう、無意識に思っていたのかもしれない。

 結果は、チームの足を散々に引っ張った挙げ句、一歳しか違わない年下のリエリーに助けられていなければ、業火に吞まれていた。

 これから救助体レンジャーとしてやっていくには、まだまだ鍛錬が足りない。

 だから勇義は了承の旨を返し、リエリーの後へ続こうとして、ふとグラウンドの端へ目が吸い寄せられる。

 地響きを立てながらボクシングステップを踏んでいる、茶黒い巨躯——"戦錠せんじょう"のセオーク。世界最強のレンジャーとうたわれながら、そのまわしい外見からみ嫌われている、沈黙の英雄。

 救助体レンジャー保護対象者ゲスト——通称〈黒狼〉に限りなく似た、半獣の姿。その本能的な嫌悪感をおぼえる外貌に、本音を漏らせば初対面から勇義は怖かった。

 が、それは吐き気をもよおすような嫌悪ではなく、圧倒的な強者つわものを目の前にした畏怖にちかい。

 だから、不意打ちさながらの、前を行くリエリーの"提案"に、勇義は反応ができなかった。

 ——ロカ! ひよっこがスパーリングしてほしいって!


『——二時の方向、エリー接近、距離十五。作戦通りにね。ユウくん、走れる?』

「——ああっ!」

 緊迫感のない索敵結果が、ルヴリエイトの人工音声を通じて、勇義のイヤコムへ届く。

 同時に、ハンドサインで握る仕草をした勇義の手に、立体映像のボールが出現する。

 当たり判定を確かめるためだけの、触覚フィードバックがついた実体のないボール。本来、このボールを使うのが、スポーツとしての〈シュードッジ〉の正しい在り方だ。

 プレイヤーへ当てることが目的ではなく、あくまで俊敏性や判断力、プレイヤー同士の連携を競い合う、れっきとしたスポーツだ。

 ——が、今やそれは、なぜか一方的に土塊を投げつけられる、理不尽な"デスマッチ"になっていて。

「当た、れっ!」

 壁から飛びだし、ペアを組んだルヴリエイトのガイドを元に、思い浮かべたフィールドの配置から標的を定める。

 案の定、二つほど離れた壁から、アビエイターグラスが頭を覗かせていた。

 振りかぶった腕の先に、ユニーカによって硬化した土の球が握られている。投球モーションに入ったリエリーの口角が獲物を発見し、獰猛に歪んでいた。

 ——が、勇義の狙いは、そのアビエイターではない。

「サシでやって、勝てるかぁよっ!」

 勇義が渾身の力で放った、ホログラムの球。それは投球者の腕のわずかな筋肉の捻りを検知、曲がる魔球となってフィールドを貫いていく。

「ちょ⁈ ずるっ!」

 勇義の狙いを察し、濃いサングラスの奥のリエリーの目が見開かれる。が、時すでに遅く、ホログラム球は射線上のリエリーを弓なりに掠め、その背後——敵の大将さながら、赤の旗を背に庇う巨躯めがけて突っこんだ。

 ——正確には、その背後の旗を狙い。


『——人に球を当てる点に掛けちゃあ、エリーちゃんは修羅といっていいわね。ユウくんは、痛いの好き?』

 なぜか筐体きょうたいのピクセルを自慢げに波打たせ、白い雪色の正十二面体がうなずく仕草をしてみせる。

 ホログラムボールを勇義が放つ前、隠れていた遮蔽物が土塊の爆撃によって大地へ還った直後の、ルヴリエイトの言葉だ。

 勇義と一機は、自陣にちかい位置まで後退を余儀なくされ、三つほど遮蔽物を辿れば、ぽつんと大地に突っ立つ孤独な青旗が見て取れる。

 そんな無防備な"標的"をなぜ、勇義たちが守っていないかというと——、

「嫌いに決まってるじゃないですか! ていうか、旗を無視とか、もうシュードッジでもなんでもない気がするんですけど。これ、いったい何の鍛錬なんですか?」

『そりゃあ、もちろん、新人いじりよ。でも、ただ陣取りして、速攻で旗を取ったっておもしろくないじゃない? やっぱりボコ……可愛がってあげなきゃね。ユウくんはまだ訓練生だけど』

「……ジョークですよね」

『ええ、冗談に決まってるじゃない。——これは、"冷静でいるための特訓"よ』

「冷、静……?」

『いまユウくん、理不尽すぎるぜオレ、っておもってるでしょ』

「はい」

『まあ、素直で可愛いわ! 義息むすこがいたら、きっとこんな感じ——』

「——ルヴリエイトさん」

 奇跡的に、敵側の攻撃が止まっている現在。

 が、フィールド中央に身体を晒し、土のボールを弄びつつ、「おらおら! ぺちゃくちゃしてないで出てこいっ」と、悪役も顔負けな台詞を吐くリエリーの声が、耳をすまさずとも聴覚へ届いている。しびれを切らしてその球を投げつけてくるのも、時間の問題だ。

 ——その後方で頭を抱える"戦錠せんじょう"の姿がなぜか浮かんで、慌てて勇義は幻影を追い払った。

『ルー、って呼んでくれていいのよ? というか、これ、うちでの約束ね。ともかく、こういう理不尽な状況は、救助活動じゃあよくあること。そこで取り乱すようじゃ、要救助者どころか、チーム、果ては自分の命だって危うくする』

 いつも通りの明るい人工音声が、勇義の心へ突き刺さる言葉を投げつけてくる。

 現場でのイレギュラーなど、救助活動には茶飯事。

 それをイチイチ、『理不尽だ』と叫んだところで、何も解決しはしない。

 理不尽だろうと、人は黒狼化するし、自然は猛威を振るい、命は潰える。

 その理不尽にせめて抗うべく、救助を使命に背負って立つのが救助体レンジャーだ。

 ゆえに、"希望の象徴"とそう皆が呼ぶ。尽きたことわりになお、屈しないでいるために。

 偉大すぎる自然に抗えず、脆弱すぎる人の心は抗えず——それなら命だけは、救えるものと信じて。

 その信じる人々の、理不尽に対する怒りの矛が救助体レンジャーであり、理不尽の矢から護る盾もまた、救助体レンジャーだ。

 だから、救助体レンジャーは——たとえ志す者だとしても——、理不尽に動じてはならない。

「——ルーさん、オレに考えがあります」

『あら! お義母かあさん、うれしいわね。ちょうどワタシも、言おうとしてたとこなの』


「——サシでやって、勝てるかぁよっ!」

 ルール通り、ホログラムのカーブ球を投球すると同時に、勇義は駆けだした。〈制装ユニフォーム〉のブーツへ力を込め、アシステッドアーマーの俊足を引きだす。

 事前に決めたルールと異なるのは、〈制装ユニフォーム〉の使用の可否だ。幸い、そこには誰も触れていない。

 ——ならば、使ったところで問題はない。

 球のサイズに触れなかったせいで、危うく勇義は土塊隕石メテオストライクの下敷きになるところだった。これで、おあいこだ。

「ちょ⁈ ずるっ!」

 勇義の進路をとっさに塞いでくる、ベテラン救助体レンジャーのリエリー。非難より先に身体が動いているのは、さすが"戦錠せんじょう"の副官ヴァイスといったところだ。

「言うと——おもった、ぜっ!」

 自分より、経験も実力もある相手。そんな相手に真正面から挑むほど、勇義も考えなしではない。だからリエリーを自分に引きつけ、差しだした利き腕でない左腕を犠牲にする。

 それに、これはスポーツだ。

 勝ち負けは、つかみ合いで決するのではなく、ルール上の決定——『相手チームより速く旗に触ること』でジャッジが下される。

 案の定、駆ける勇義を引き止めるべく、リエリーの両手が勇義の左腕をつかんだ。——理不尽なユニーカを行使する、それに欠かせない武器が封じられる。

「そんな球、ロカが——」

 最初に勇義の放ったボールは、リエリーの言った通り、易々と腕を伸ばした戦錠せんじょうの極太の腕へあっけなく、霧散させられる。

 ——それさえも、作戦には織り込み済みで。

「ルーさんっ!」

『はーい』

 と、陽気に返事を返し、正十二面体のAIはスピーカーの音量を上げると、

『ユウく〜ん! うちのエリーちゃん、お嫁さんにどうかしらー!』

「————」

 刹那、世界最強のレンジャーが、足を滑らせた。

「もらったぁあ‼」

 けてあった右腕。その手にボールを召喚し、スナップを利かせた球が宙を切る。

 勇義の放ったその次打が、赤い旗の支柱をポンと、打った。


《了》

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