第20話忘却の彼方から終わりを告げる




 王宮からの正式な使いが我が家を訪ねて来てから7日後。特に知り合いもいないはずなのに王宮に招かれた私は、王家御用達の豪奢で華美な馬車に詰め込まれ、なぜか第二王子様との茶会へと配送されました。


 あて所に尋ねありません、と返品してくれないかという私の期待は物の見事に打ち砕かれ、あれよあれよと通されたのは見事なバラが咲き乱れる王宮の庭園のど真ん中。

 落ち着いた色合いのテーブルと椅子は薔薇園の色彩を邪魔することなく佇み、そこに鎮座する男性も合わせて美術品のような美しさを放っていました。もはや眩しすぎて目の毒です。危険です。逃げるべきだと内なる声が聞こえます。その声に従ってトンズラをかましたい衝動を飲み込んで、私は優雅に席に座りました。


 ここで重要事項の為ご報告いたしますが、王宮に着いてから今まで、庭園の真っ只中だというのに、驚くべきことに虫を一匹も見ていません。王族は虫除けの魔法でも使えるのでしょうか?


 そんな現実逃避が頭を埋め尽くすほど、私は緊張でどうにかなってしまいそうでした。場を包むいつまでも続く静寂に、自然と額に冷や汗まで滲んできます。


 コン先生曰く、目上の方が口を開くまでは淑女は声を発してはならない。

 曰く、不躾に無闇に相手へ視線を向けてはならない。

 曰く、名乗るのも促されてから。


 物覚えの悪い私に先生が根気よく教えてくださったマナーを思い出しながら、この重苦しい空気を俯いて耐えます。

 そんな中、まるで機械のような無駄のない所作で、従事の方が美味しそうなお茶を注いでくれました。

 が、


 曰く、お茶を飲むのは促されてから。


 という先生の教えが私を縛り付け、喉の渇きから茶器へと伸びようとする手を妨げます。

 そうこうしていると、正面からティーカップを置いたような甲高い音が聞こえました。向かいにお座りの相手はお茶を飲んだようです。羨ましい。この芳しいお茶を私も早く飲んでみたい。早く促して。早く早く。ハリーアップ!


「……噂とは、まこと当てにならぬものだな」


 王家御用達の高級茶葉からの誘惑に屈していた私へ、男性はお声を掛けられました。


「男と男の間をふらりふらりと歩き回り皆をその気にさせては逃げ回る妖艶な美女が、ある日を境に改心してピタリと男遊びをやめ、随分としおらしくなったと聞いてな。機会があればその手腕をこの目で見たくなったのだが……」

「人違いです」

「そのようだ」


 声を掛けてくださったので、改めて真っ直ぐ相手を見ました。

 目の前には、この国の全女性の憧れの的、第二王子様がいらっしゃいました。

 なんというキラキラ。元婚約者のデュクス様もお綺麗だったけれど、それ以上に整った顔立ちに目が潰れそうです。私ごときが直視してはならないという見えない重圧に、眼球が今にも悲鳴を上げそうです。


「プエラフロイスといったな」

「はい」

「当国第二継承者、レグルスだ」

「よろしくお願いいたします」

「そなたには俺と婚姻して貰う」

「はい?」


 私の耳がおかしくなったのでしょうか?

 挨拶もそこそこにするべきではない言葉が聞こえた気がしたのは、気のせいですよね、そうですよね。


「聞こえただろう。幾度も言わせる気か?」

「いえ……あの……」


 なんと言えば不敬にならないのでしょう?

 このときの私はそればかりで頭がいっぱいでした。

 万が一にも王家の怒りを買ってしまったら末代まで根絶やしにされてしまう。そう先生は言っていました。王家は偉くて怖いものだと。絶対に不敬を働いてはならぬと。

 不敬に当たらぬように、かつ可及的速やかに、この話題をそれとなく逸らさなければなりません。けれど、言葉が何も見つかりません。


「わ、わたくしはその……」

「知っている。記憶が無いのだろう? 問題ない」


 問題ありまくりです。私はいま、言うなれば幼児と同等、いやそれ以下の知識しかない人間。何の役にも立たないのです。毎日マナーや学問の勉強しているからこそ解ります。ハッキリ言って、第二王子との結婚なんて十年後ですら務められる気がしません!


「俺は王位継承権第二位にいるのだが、第二位としての大事な勤めがある。何か解るか?」

「……いえ。存じません」

「継承権第一位であり次期王となる第一王子殿下、まあ我が兄上だが、彼の子の配偶者を仕立てる事だ」

「え?」


 何を、どうすると……?


「我が王家の血は美しく気高くあらねばならない。見目が良いだけで国民は安心するし、外交の通りが良くなる。その為に、美しい血を王家に取り入れ、より王家を盤石なものとしていく事が、次期王の弟として生まれた俺の使命。つまり俺の伴侶は美しき者でなければならない。そなたは俺が生まれてから見た女性の中で一番美しい」


 そこまで言い終えると、殿下は優雅にティーカップを口元へと運び紅茶を召し上がりました。

 続く沈黙。からの沈黙。


 えっとつまり、私の容姿を高く評価してくださって、容姿の良い子を作りたいから結婚しろと?

 なるほど……そんな思考な王族って普通に怖いです。この国の普通が何かは知りませんが、私の感覚がそう言っています。


「ああ言い忘れていたが、そなたの親には通達済みだ。あとはそなたが是と言えばよい」


 退路は既に断たれているそうです。この国で一番偉い王家からの命を断る愚か者など、我が家に居ないのは知ってました。ええ知ってましたが、売り飛ばされた気分です。


 ……あれ? でもちょっと待ってください。


「殿下、一つお聞きしてよろしいでしょうか」

「許す」

「なぜ、わたくしの承諾を得ようとしてくださっているのでしょうか? 仮にわたくしが是と言わぬとも、ご命令なさるだけで婚姻は可能かと思うのですが……」


 王子は真っ直ぐ私の目を見てこう言いました。


「これから永い時を共に過ごす相手に、どうして強制などできよう」


 とても配慮のあるお優しい言葉のようでいて、永い時を共に過ごすのは確定事項でらっしゃるのですのね。

 王子は目線を外すことなく、その強過ぎる眼力を遺憾なく発揮し私を萎縮させてこう続けました。


「答えを聞こう」

「……わたくしに、どうして否など言えましょう……」

「ほう。記憶を失くし赤子と化したと聞いたが、存外頭は並のようだ。これなら日常会話に不便は無いな」


 ……どうやら、王子様からの試験だったようです。

 本当に、噂とは当てにならないものです。国中の女性が憧れる第二王子殿下は、どこまでも寛大で温和で雄大で高雅で優美で…とにかくとても素敵な殿方だと思っておりました。だって国中の乙女の憧れですよ?

 対して目の前の王子様は、横柄で傲慢で高圧で傲岸で尊大で……とにかくとても怖い方にお見受けいたします。半分は私の勝手な偏見ですけれど。

 噂とは、本当に当てにならないものですね。



 それにしても、と私は思いました。

 あまりにも似ている、と。いつかの雨夜に忍び込んで来た怪盗のおバカさんにひどくそっくりで、既視感と違和感が頭の中で波打って折り混ざります。

 薄暗い中で見たので細部までは分りませんが、髪型や輪郭や体躯が瓜二つです。


 私の視線に気付いたレグルス様は不敵に笑ってみせました。


「なんだ? 俺に見惚れたか?」

「……失礼いたしました」

「よい。解っている。あいつと見比べたのだろう? 俺達は誰もが見間違えるほど似ているからな」


 そう言った彼が今度はどこか自嘲気味に笑うので、思わず目を見張ってしまいました。

 似合わない、と強く思ったのです。レグルス様のことなど、何一つ知らないはずなのに。

 私の困惑を知ってか知らずか、目の前の王子は強気に鼻を鳴らされました。


「フン、同情など不要。この顔は凡庸だとて、平凡ではない。そなたの顔と合わせれば、どう転んでも見目麗しい子ができよう。ならばそれで重畳」


 国中の乙女が憧れる美貌を持ちながら、そんな風に己を評するこの人の強がりに、私はそのとき酷く心を撃たれたのです。ええ、撃ち抜かれたのです。

 私と、正反対だと。


 私が私を認識した瞬間から今の今まで、信じられるのは見た目だけでした。

 記憶を無くし、何一つも覚えていない、何も持っていない私に残されたのは、この身一つでした。

 鏡に映る私は、どの角度から眺めても非の打ち所がない美少女で、それだけは疑うことのない事実。外面の美しさだけは揺るがない。虚ろで朧げで取り留めのない内面の代わりのように、私の容姿だけは確固たる美しさを保っている。それだけが、私の指針。私が私を保っていられる、自信を持っていられる唯一。


 けれど、王子様は逆なのですね。

 その美しい見目に、自信がないのですね。


 そのことに、私の心は騒ついたのです。私を美しいと言ったその口で、己の容姿は凡庸だと卑下する様の、なんと儚いことでしょう。

 王子様らしくない華奢な微笑みが、私の心を鷲掴んで握り潰したのです。パーンっと弾けて飛び散りばら撒かれ、ハートはじんわりと熱を持って体の節々に沁みていきました。


 それを人は、恋というのでしょうか。

 だとしたら今まさに、私は恋をいたしました。


「そんなにもお子をと、お思いなのですね」

「我が勤めだからな」

「……もう一つお訊きしても?」

「よい。許す」

「わたくしに子が成せなかった場合、いかがするおつもりで?」

「なんだ。恐れているのか?」

「はい。この上なく」


 貴方のその翳のある笑みを変えることが、憂いを晴らすことが、果たして私に出来るのでしょうか。

 出来るかよりも、出来なかった時の彼の落胆と絶望を想像して怖くなりました。

 それを恐怖に思うほどに、私はもう彼を好いていたのです。恋は突然で突拍子もなく突進してくると聞いてはいましたが、まさかこんなにも急速に自分の感情が支配されるものだとは知りませんでした。ええ、私の思考は既に彼のことでいっぱいです。彼に嫌われたくないと、嫌われることが恐怖だと思っています。


 そんな恐慌状態の私を見てか、レグルス様は声を出して笑いました。


「フハハ! そう怯えるな。そなたは知らぬようだが、現王であらせられる我が父とその妃である我が母の仲は、当国では知らぬ者が居らぬほど良い」

「……左様でございますか」

「仲が良い為、子が多い」

「……はい……」

「俺には兄弟姉妹が多くいる」

「……はい……」

「心配には及ばぬという事だ」


 私がお馬鹿だからでしょうか? 殿下の言葉が足りなさ過ぎる気がするのですが、気のせいですか?


「……確認してもよろしいでしょうか?」

「よい」


 国王陛下にお子が多いため、レグルス様には兄弟が多い。そのこころは?


「わたくしが子を成せぬとも、殿下のご兄弟様達が勤めを果たしてくださると?」

「フハハハハハ!」


 私の回答に、王子様は愉しげに笑います。

 あ、これバカにされているな。と思ったのは内緒です。


「どの子が次代の王の伴侶になるかは問題ではない。まあ厳密には重要ではあるが……。俺は権力に興味はない。次代もその先も継承権争いになるべく関わりたくないというのが本音だ」

「でしたら、配偶者になる子の親になるのは……」

「そうだな。避けたいところだ。しかし、使命から逃げるのも良しとせん。第二王子として生まれたからには、その使命は全うせねば目覚めが悪い」


 では、私でも、こんなに中身が無くて物覚えも要領も悪い、見た目しか取り柄の無い私でも、貴方の伴侶になっても良いのですか?


「安心したか?」

「……はい」

「軽蔑したか?」

「え?」


 軽蔑? 何を? 誰を?


「妻を子を産むだけの道具とする外道だと軽蔑したろう?」


 王子様の深紅の瞳が私を射抜きました。


 怯えているのはどちらなのでしょう。彼は伺うように私を見つめて、じっと私の言葉を待ちます。

 そんなお顔をしなくても、私の心は既に貴方に奪われているというのに。


「本心を申し上げれば、我が身に余る大役を背負わねばならないのかと萎縮しておりましたので、殿下に気を配っていただいて心が軽くなりました」


 仮に母体だけを求められたとしても、それでも一時でも貴方を独占できるのなら、喜んでこの身を捧げたい。貴方が一片の影もなく笑ってくれるのなら、いくらだってこの容姿を利用されて使われてもいい。

 そんな風に想っているのです。想ってしまっていることを、貴方は知りもしないでしょう。


「加えて申し上げれば、わたくしは過去の記憶がございませんので、恥ずかしながら中身に自信がございません。己が何者であるか見定めている最中なのです。ですから、わたくしの見目にのみ評価をくださり、心より安堵しております」


 恭しく頭を下げました。

 本当は、彼の顔を見るのが怖かったのです。


 こんなにも空っぽな私は、見目しか取り柄がありません。それを改めて自分で口にして恥ずかしくなったのです。面を上げる度胸が私にはありませんでした。


「プエラフロイス」

「はい……」

「名が長いな」

「な?」


 名? 名前?


「愛称は何という? プエラか? プエフか? フロイスか? プラスというのも良いな」

「はあ……」

「名とは体を表すと言うが、俺はそうは思わん。大抵の名は己ではなく、先人によって否が応でも付けられる。親が子へな。だが親は子を育てこそすれ、子を作り上げるのは子自身。本人次第だ」


 お顔を見るのが怖くて目を泳がせる私が気づかぬ内に、いつの間にかレグルス様は私の傍らまでやって来て、そっと私の手を取りました。

 驚いて思わず見上げた先に、私の心を奪い去ったあの笑みがありました。


「そなたが何者であるか定めるは、そなた自身。呼び名を幾らでも変えられるように、己で如何様にも変化できよう。仮にそなたが今と変わったとて、俺は変わらずそなたの側にいると誓おう」


 そう言って、私の手の甲に口付けた王子様は、打って変わって傲岸不遜に微笑まれました。


「フハハ! これで迷いも晴れたな。では今この時よりそなたは俺の婚約者とする」


 もしかして私、遊ばれてます……?


「……き、気が早くございませんか」

「元来、気は短いほうだ。これでもそなたに合わせているつもりだ」

「左様ですか……」

「だが堪えるのにも限界というものがある。俺としては既成事実を先に作っても構わんのだが……」

「か、構ってくださいませ! そこはどうか堪えてくださいませ!」


 さらっと顔に似合わない酷い事を言った王子様は、改まったように声音を変えて私の耳元にお顔を寄せて囁きました。


「俺と結婚してくれるか」


 一国の王子にここまで言わせて拒める乙女はいるのでしょうか。いえ、拒んだらそれは乙女ではありません。

 私は今できる精一杯の笑みを浮かべて頷きました。


「はい。慎んでお受けいたします」




 こうしてわたくしプエラフロイスは、晴れて第二王子の妃となりました。婚約期間をたったひと月とし、早足で挙式をあげて人妻となりました。


 相変わらず昔の記憶とやらは思い出せそうにありませんが、今はそれなりに楽しくも面白おかしく毎日を過ごしております。


 え? 他の方々はどうなったか?


 それは私の与り知らぬこと。私が知り得るのは、第二王子のレグルス様と私のことくらいでございます。

 え? それを語れと?

 そのお話は、また別の機会に致しましょう。



 これにて、プエラフロイスの記憶喪失とその顛末にございます。

 ご静聴まことにありがとうございました。









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