第12話忘却の彼方で盗まれぬ




 夜も更けた午後2時。窓辺からコンコンコンッと規則正しい音が聞こえてきました。

 眠りもせずひたすら待ち構えていた私は、けれど待っていたと思われるのは癪な為、敢えて一度目には反応を返しませんでした。

 二度目に、コンコンコンッと鳴ると同時に、鍵を掛けたままのはずの窓から、人影が現れました。ヌルッとスルッと、それは室内に入って来たのです。


「怪盗ラトロ、ただいま参上! 待たせちゃったねお姫様」


 腹が立つほどとても陽気な泥棒が、本日も不法侵入して来ました。


「あれ? 滑った?」


 窓から入ってきた自称怪盗は、優雅にお茶を飲む私へ愛想笑いを浮かべてきました。無論、お茶はとっくに冷めています。何せ、入れて貰ったのは3時間ほど前なのです。何時に来るかまでは分からず、長期戦を控えた私にケリーが気を利かせて入れてくれたのは、香りの良い深い緑のお茶でした。

 そして部屋の各所には、同じくケリーが用意してくれた小さなキャンドルが灯っています。まだこの小さな火は消えていません。そうです、この度は前回の不手際を反省し、部屋全体を仄かに明るくし、相手の一挙一動がはっきり見えるようにしたのです。これで不覚を取ることは二度と無いでしょう。


「これでも巷では有名なんだけどな〜」


 泥棒が何か一人でぶつぶつ言っています。

 何が有名なのでしょう? 変質者として指名手配でもされているのでしょうか?

 いずれにしても、独り言は他人に見られると結構恥ずかしいものだと、この泥棒は知らないみたいです。勿論、経験談です。


「人気もあるんだよ? 俺が盗みに入った家は必ず可愛い娘さんがいるって噂になって、是非とも我が家に来て欲しいって言う女の子が来年まで予約待ち状態でさ」

「なるほど。だから前回、時間が無いとおっしゃっていたのですか」


 街中の可愛い女性の家を回るとなると、一晩で10件は侵入しておかないと全部回れないでしょう。この王都に何人可愛い女性がいるのかなんて、家に押し込められて教本とコン先生と日がな一日睨めっこしている私には知りませんが、それくらい早いペース配分にしなければ、予約をした方々全てに会いに行けないでしょう。もっとも、彼の発言が真実だとすればの話ですが。

 そもそも可愛いの基準は判断する方の好みに大きく左右されると思いますから、この泥棒の基準を満たす女性がどれだけいるのか疑問でもあります。いえ、興味などありません。全然ありません。


「それで、今夜は本当に待っててくれたみたいだね。よく俺が来るのが分かったね? 俺、神出鬼没が取り柄なのに」

「我が家には優秀な人材がおりますので」

「ああ、ケリーさん? あの人出来るよね〜。最初この家来た時、あの人に殺されそうになってさ〜。君も気を付けたほうがいいよ〜? ああいうタイプは怒らせると怖いからさ」


 脳裏に『盗聴』の二文字が過ぎり、背筋に悪寒が走りました。


「そういえば、君はケリーさんにも本性晒してたんだよね〜。悪女好きの彼の為に」


 え? いきなり何の話ですか?

 そして、何故貴方がケリーの嗜好を知っているのですか?


「あはは、全部顔に出てるよ〜。そんなんじゃ、悪い男に利用されちゃうよ?」

「…分かりました。貴方に警戒します」

「あ、分かっちゃった? そーそー、俺、悪い男」

「知ってます。泥棒ですから」

「残念、惜しい! 正解は、超絶人気のイケメン怪盗だからでしたー!」


 ……なんでしょう……初めて人様を殴りたくなりました。暴力的加虐思考ではなく、あくまでも不可抗力の正当防衛として、この怪盗とやらを殴って黙らせたくなりました。誰かこの無駄に陽気な男の口を接着剤で塞いでください。針と糸でも可です。


「ね? 俺、どっからどう見てもイケメンでしょ?」

「……いけめん?」

「カッコいい顔ってこと!」

「それは認めます」

「え?」

「ですから、貴方の顔は綺麗だと思います」


 初めて薄暗い部屋の中で見た時から、整った顔立ちだと認識はしてました。イケメンという言葉は初耳ですが。


「ふ〜ん? へぇ〜?」

「…なんでしょうか?」

「いや別に? 記憶は無いのに、俺がカッコいいかは分かるんだなって思っただけ」


 泥棒はキャンドルの無い、私に表情が見えない部屋の隅で、そう言いました。


 確かに、その通りです。

 美醜の見分けなど、記憶が無い私には本来不可能なはずなのです。

 彼の顔に限らず、私自身の顔についても、美醜の判別など出来ないはずなのです。


 私がぐうの音も出ず俯いていると、怪盗は小さく吹き出しました。


「ぷっ。そんな困んないでよ〜。まるで俺がイジメたみたいじゃーん」

「……相手を不快にさせる事をイジメと称するのでしたら、被害者の自覚はあります」

「へぇ? そんなに俺とのお喋り、イヤ?」

「嫌かどうかと問われれば、頷く以外の選択肢はございません」

「あはは、そっかそっか〜」


 顔を上げると、キャンドルの揺れる明かりに照らされた、とても端正な顔が笑っていました。


「俺の顔、実はある人に似てるって話題なんだよね〜」

「はあ……」

「知らない?」

「……生憎勉強漬けの毎日で、噂にはとんと縁がありません」

「ありゃ〜残念。前の君は俺の顔、すっごく好きだったのになあ〜」

「え?」

「俺の顔、この国の第二王子にそっくりなんだよね〜」


 今、聞き捨てならない言葉と聞きたくも無い重要な事実が述べられた気がしますが、気のせいじゃないですよね?

 プエラフロイスがこの怪盗の顔が好きで、その顔は王子様に似てる?


 まず第二王子って誰ですか? 初めましての初耳ですけれど。

 それと、急に前の私の情報を小出しにしないでください。情報量過多で頭が破裂しそうです。


「その顔、全く憶えてないんだ? 王子のことも」

「……前も申し上げましたが、貴方のことも何も憶えておりません。断片的に知識は何故か覚えてるというか知っているものもありますが、人や出来事などは何も……」

「前の君は俺の好みを見事に演じてくれたんだけどな〜」

「……え?」

「前の君は俺が会いに来ると、俺好みの性格を演じてくれてたんだよ」


 ……あ……悪女というのは本当だったのですねプエラさん……ケリーから聞いても正直半信半疑だったのに……泥棒にまで本性バレバレの悪女だったとは……。

 己のことながら名前にさん付けしてまで他人事のようにそう思いつつも、己のことなので非常に恥ずかしくなりました。だって、相手に演技だとバレてるのに演じてたってことですよね? そんなプエラさん、傍目から見たら滑稽以外の何者でもないじゃないですか。

 穴があったら入りたいとは、今の心境を指すのでしょう。今すぐ穴に埋もれて土に還りたい気持ちです。それもこれも全部プエラさんのせいです!


「……どうやら俺が惚れた演技派女優は、本当にいなくなったみたいだね」


 私が一人悶々と葛藤していると、いつの間にやら傍らまで近寄ってきた怪盗は、私の飲みかけのティーカップを手早く取り上げ、勝手に残りのお茶を飲んだのです。

 冷め切ったお茶は苦味を増しています。それを彼は、表情一つ変えずに飲み干しました。


「今の君も魅力的だけど、俺が欲しかったお姫様は君じゃない。けど君なら……いや、君こそお姫様に相応しい……俺の役目も……これでようやく終わる……」


 音も立てずにカップを皿の上に戻した怪盗は、そう小さく独り言を呟くと、またキャンドルの無い場所まで下がってしまいました。

 私には、今彼がどんな顔でどんな想いで言葉を紡いでいるのか、暗闇に邪魔されて分かりません。


「さよなら、美しいお嬢さん。また逢えるその日を楽しみにしております」

「え? ちょ、ちょっと待ってください! 説明を……」


 窓辺で優雅に一礼した怪盗へ、私は慌てて駆け寄りました。

 けれど怪盗は怪盗らしく、身軽に窓枠に登り、暗闇の中私を見下ろします。


「追われると嬉しい反面、逃げたくなっちゃうんだよね〜。だから俺は前の君と結ばれない運命だった訳だけど、今の君をお姫様にしてあげることはできる。それがせめてもの……」

「いえ、そういうのは良いので簡潔に話してください」

「……情緒ってもの知らないの?」

「ただ今勉強中です」


 情緒の勉強の為、コン先生に買って貰った画集を毎日寝る前に見ています。絵を見て情緒が育まれるのかについては甚だ疑問ではありますが、見ると寝付きが良い気がするので、今も枕元に置いてあります。


「……今の君、変わってるね。変って意味で」

「記憶が無い人間に対してその発言は如何かと存じます。謝罪と訂正を求めます」

「顔はおんなじなのに、こうまで違うのか〜」

「悪女な私は、残念ながらこの世から消えました。今は善良市民です」

「もう俺だけに本音を言ってくれたりしないのは寂しいかな〜。せっかく役得だったのに」

「それ、詳しい説明を求めます」

「……言わないよ」


 瞬きをする間に、窓に引っ付いていた人影が跡形も無く消えていました。

 焦って窓の鍵を解き開けると、バルコニーの手摺の上に人が立っていたのです。

 それを阿呆のように口を開けて見上げる私。


「前の君との思い出は、前の君と俺だけのものだから。いくら同じ顔でも、教えてあげないよ」


 月を背にして夜空に立つ姿は、さながら怪盗のようで。

 逆光でその美しい顔は見えなくても、その風格は世の乙女を魅了する魔物そのものでありました。


「おやすみ、お姫様」


 月明かりが照らす夜空の中に、怪盗はまるで夢のように消えてしまいました。


 それから私は二度と怪盗に会うことはありませんでした。








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