第27話 選ばれたのは綾⚪︎でした。

 結果から言って俺も白馬もなんとか制限時間内にケーキの完成にまではこぎつけることが出来た。


「二人ともお疲れ様でした。作業を中断してください」


 タイマーのアラームを止めて制限時間の終わりを知らせるミア。その表情は真剣そのもので俺に対して「悪いけど審査に私情は持ち込まないから」と言っている気がした。


「では、審査員三名による実食を終えたのち各項目の採点を経て最終的な評価を下します」


 いよいよ実食か。


 そう思うと忘れていた緊張感が再びノミの心臓を震え上がらせた。

 正直言って自分の作ったケーキにまるで自信が持てなかった。

 作業に関しては自分の出来る精一杯の力で取り組んだつもりだ。

 だけど、そんなのはあくまでも精神論であって過程と結果に反映されなければ意味がない。


 俺の目で見た感じでは仕上げのデコレーションに関しては白馬の方が上だと思う。


 デコレーションの出来栄えはケーキの評価において味と同じくらい重要なポイントでもある。特にこのシュヴァルツヴェルダーキルシュトルテは見た目が黒っぽくて地味だからデコレーションの粗がシンプルな白地のショートケーキよりも目立ちやすい。


「いやはや、流石は成績優秀者だね。正直言って間に合わないんじゃないかと思っていたけど、仕上がりに関しては合格点を出しても良いんじゃないだろうか?」


 学園理事長はミュラー親子の顔色を伺いながらそう評価を下した。


 まぁ、学園理事長としての面子もあるし自分の経営している学園に在籍する生徒をそうそう批判するわけないよな。


 これは評価を忖度されそうだ。


「ふーん。見た目だけはそこそこ真面ね。総合的にはどうかはまだ分からないけど」


 二つのケーキを見比べてそう辛口評価を下すミア。その厳しい眼差しは父親のミュラーシェフも同じで場の空気が緊張感で張り詰めていくのが肌でヒシヒシと伝わってきた。


「ケーキは私が切り分けますので少しお待ちください。ついでに代表者の二人も自分と相手のケーキを食べ比べしてみて下さい。この試食は良い勉強になると思うので」


 ミアは予め湯煎で温めていた波刃の包丁を手に持ち二つのホールケーキを手慣れた所作で六等分に切り分けていく。


「待っている間が手持ち無沙汰だったので実力の証明として二人の皿には私が作ったカービングフルーツを乗せて置きますね。良く見て今後の参考にして下さい」


 ミアが持って来た皿には二人分のケーキと共に鮮やかな飾り切りが施されたリンゴ丸ごと一個が乗っていた。


 その飾り切りの精度の高さに思わず見入ってしまった。とても短時間で作ったとは思えない繊細な仕事は見る人を魅了するには充分すぎるクオリティだった。


 しかし、なんだろう。俺の方だけ妙にハートマークが多いような?


 白馬の方は薔薇バラの花がメインに見えるが……ふむ?


 まぁ、同じデザインだと作る側も飽きるからな。そういうことにしておこう。


「いやぁ、流石は史上最年少でドイツの国内コンクールを連覇しただけの事はありますね。これで我が学園のコンクール受賞は安泰あんたいですよ。ははは……」


 学園理事長の発言がお世辞なのか素直な感想なのか判断に困るところだが……ミアが指導者として問題ないのは誰の目から見ても明らかだろう。


「ふん。これくらいなら練習すれば誰でも出来る様になるさ」


 学園理事長の発言に思うところがあるのか、いけすかない感じで生意気なことを口にする白馬。


 いや、お前どこ目線で物言ってるんだ? それ言ったら全人類が練習さえすれば何でも出来るように聞こえるんだが?


「ich bin sicher köstlich(味は悪くないね)」


 ギリギリ聞き取れたミュラーシェフの言葉を自分なりに解釈すると高評価ではないが及第点くらいは出してもいいと言った感じの様子だった。


 問題はどっちのケーキを食べて言ったのかが分からないという事だ。


「まぁ、食べなくても勝敗はついてますけど。せっかくだし頂いておくか……こっちの方だけ」


 パクりと、片方のケーキだけを口に入れるミア。こちらからだと誰の作ったケーキを食べたかがまるで分からない。


「……Das mag ich!(これ好き!)」


 あまり期待していなかった様子のミアはそう言って目を大きく見開いた。


「あ、あー。コホン、私ほどではないにしろ、まぁまぁの味ですね。あむっ」


 そう言ってミアは片方のケーキだけを綺麗に食べ切った。いや、片方しか食わないんかい!


 まずい、あれが白馬の方だったら確実に俺が負けるじゃねーか。マジでどっちか分かんねえ!


 というか、渡されたケーキもどっちのが自分のやつか全然分からないんだけど?


 ケーキなんて切り分けられると見た目がほぼ一緒なもんだから、自分の作った方がどちらかなのか目印になる物が無いとまるで判別がつかない。


 食べ比べてみてと言われても、材料が全て一緒なんだから味なんて大差ないと思うんだけど──


 いや、片方だけ少しジェノワーズが固いか? 分からん、微妙な違いすぎて俺には判別できねーわ。


「お待たせしました。それでは審査の結果を発表します」


 審査員三名による採点をまとめたミアは静かにその結果を報告した。


「審査の結果3-0で──」


 それは自分でも信じられない結果だった。


「勝者、子川綾人。イェーイ! やった〜!!」


 勝者を宣言した瞬間に歓喜の声を上げるミア。もはやその顔にさっきまでの真剣な表情は見る影も無かった。


「やったね綾人♪ Gratuliere!(おめでとう)」

「だから近いって!」


 何故か抱きついて来そうな勢いのミアを手で制す。待て、ステイ、お座り!


「え〜ドイツならこれくらいのスキンシップは親しい間でなら普通だよ?」

「まだ親しい間じゃないのでご遠慮願います。あとここは日本だから」

「もー、綾人の照れ屋さん。ミアはもう綾人とは友達のつもりなんだけどなー」

「友達にしても距離が近過ぎると思うけどな!」


 こんなところを万が一にでも小虎に見られたらと思うと背筋が凍る思いだった。浮気ダメ絶対。


「当然のこと納得のいく説明はあるんですよね?」


 場の空気を置き去りにして好き勝手に盛り上がっているミアを相手に白馬は抗議の声を上げた。


 その声は不服というより怒りを押し殺している様なとても低くて重い声音だった。


「それは不完全な物を、いえ、失敗した物を我々に提出した貴方が一番理解しているのではないですか?」


 もしかしたら、この場でミアの言葉に一番驚いたのは俺なのかもしれない。


 白馬が失敗した? 一体何を?


「白馬くん。貴方はどうしてジェノワーズ作りで生地に熱をつける『共立て法』ではなく卵黄と卵白を別々に泡立てる『別立て法』を採用したんですか? 今日の講習会は共立て法だったはずですよね?」


 ミアの質問に白馬は答える。


「……その方が共立て法よりも早く生地を上げられるし、ココアの油分による気泡の消失を防げるからです」

「なるほど、たしかにバターケーキなどの油分が多い生地でも卵液を泡立てるジェノワーズ法よりもバターとメレンゲを別々に泡立てるシュガーバッター法を採用する傾向にあります。ですが、それはあくまでもメレンゲに使う卵白が冷たい場合に限ります。貴方が使用した卵は間違いなく室温と同等のぬるい状態だったはずです」


 ミアは菓子作りの基礎知識に則って白馬の作業にいくつかのダメ出しをする。


「貴方の作業は度々見ていましたけど、冷えてない卵白を高速で泡立てていたからメレンゲがボソボソの状態になっていましたし、粉ふるいも一回しかしていないからココアの粒が固まっていました。何より粉合わせの見極めが甘いです。別立て法だからといって混ぜ過ぎれば結局は生地が死ぬので失敗するのは当たり前です」


 それに比べて、と。ミアは比較対象に俺の作ったケーキの評価を始めた。


「綾人の生地は共立て法で時間が許す限り丁寧に段階を踏んで気泡の粒を細かく揃えているから生地の質感が貴方のと比べると歴然の差で柔らかいんです。食べて分かりますよね? この違い」

「……共立て法なんて湯煎を沸かす時間が無いからやっていたら間に合うわけないだろ。それに熱をつけなければ卵液だって中々泡立たないはずだ。どうやってやるんだ」

「綾人は湯煎を使っていませんよ。コンロの火を使って焦げない様に卵液に直接熱をつけていましたから。まぁ、失敗しやすいのであまりお勧めは出来ない方法ですけどね」

「…………」


 俺が説明しなくても全部見ていたミアが解説してくれるから本当に助かる。


 一歩間違えればボウルの底に卵焼きが出来上がる危険な賭けだったけど、アドリブで作業したのはどうやら正解だった様だ。


「たしかに生地の質は劣っているかもしれない。でも、他のパーツとデコレーションに関しては僕の方が遥かに上のはずだ!」


 自分の敗北を認めたくない白馬はなおもミアに抗議の声をぶつける。


「たしかにデコレーションに関しては綾人の方はギリギリのラインで及第点を出せるくらいのヤベー代物でしたけど」


 忖度のない評価を口にするミア。ねえ、悪意のない酷評が一番傷付くって知ってる?


「ですが、今回の勝負はあくまでも総合評価で優劣をつけています。貴方の敗因は背後の作業台にもちゃんとありますよ?」


 そう言ってミアは白馬の作業台を指差した。


 作業台に敗因? 一体何が?


 俺と白馬の作業台を見比べても違いなんて洗い物があるか無いかの違いくらいしか──


「実技形式のコンクールにおいて不衛生な作業台は減点の対象になります。それに衣類の汚れも明確な減点の対象なんですよ。知ってましたか?」


 言われて気付く。白馬の作業台は細かい粉の汚れや洗っていない調理器具が作業台に散見していた。それに白馬が着ている白衣にもチョコレート色の汚れがわずかに付着している。


 あんな所まで見ているのか。怖い、ミアのやつ下手な姑よりも衛生面に厳しいぞ。

 

「今の説明でも不服なら採点した三人分の評価シートも見せますよ?」

「………見せてください」


 白馬はミアから受け取った評価シートを食い入る様に見詰めていた。


「……なんだこれは、こんな露骨な点差と評価で認められるわけないだろ!」


 持っている評価シートを破り捨てそうな勢いで白馬は激昂した。


「まだ分かりませんか? 不完全な失敗作を上部だけ取り繕って提出するその精神が気に入らないって言ってるんですよ。ねえ、お利口気取りのお坊ちゃん?」

「…………っ」


 手を震わせていた白馬はそれ以上は何も抗議しなかった。


「……気分が優れないので僕はもう帰らせてもらいます」


 そう言って白馬は学園理事長とミュラーシェフの方に頭を下げて自習室から出て行った。


「一度勝ったくらいでいい気になるなよ」


 そんなベタな捨て台詞を吐く余裕があるなら俺が変に気を使う必要もないだろう。


 勝負が終わり室内に渦巻いていた嵐は過ぎ去った。白馬が実習室を去ったタイミングでようやく学園理事長が声を上げた。


「御二方うちの生徒がどうもすみません。白馬くんは少々プライドの高い生徒でして……」


 申し訳なさそうに謝罪する学園理事長にミアはこう返した。


「いえ、あれくらいの気位の高さがないとコンクールで賞を取るのは難しいでしょう。安心してください学園理事長、彼はまだまだ伸びますよ」


 意外にもミアは白馬を高く評価している様子だった。さてはツンデレ気質なのだろうか。おそらくただのSだと思うんだが。なんせあんな無理難題を学生にやらせるんだから。


「まぁ、伸びしろという将来性なら彼の方がずっと上なんですけどね?」


 チラッと俺の方に視線を向けるミア。その目は獲物を狩る野生のライオンの様にギラギラと輝いていた。


 なんだろう、俺そのうちミアに食われるのかな? 物理的に。


「いやー、正直言って生徒の質が悪かったら特別顧問の件は断るつもりだったんだけど。素敵な出会いもあったし学校に転入するのも悪くないかもねー。ふふっ」


 愉快そうに笑うミアを放置してこそこそと近付いて来た学園理事長はボソリと俺に耳打ちしてきた。


「子川くん。くれぐれも彼女のことをよろしく頼むよ」


 そう言ってバンバンと俺の肩を叩く学園理事長。


 なんだろう、その面倒事を押し付ける感じの圧力めいた肩叩きは。


「いやー、これで一安心ですなシェフ?」

「Stimmt(その通りです)」


 お偉い方々は二人で固い握手を交わしていた。


 ……さては、学園理事長。ミアの人格に問題がある事を予め知っていたな?


 よく見るとミュラーシェフの方もようやく肩の荷が降りたと言わんばかりの疲れた表情をしている。


 まさか身内の厄介払いに利用されたって線はないよね? 違うよね?


「綾人、これからよろしくね?」


 嬉々とした顔でグイグイと人の腕にまとわりつくミアの姿を見て俺は思った。


 このスキンシップでの圧の強さが妙なほど似ているのは……やっぱり二人が本当の姉妹だからなんだろうな。

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