第26話 いつかのクリスマス、約束のケーキ

 雪国生まれの俺にとってクリスマス当日に雪が降るホワイトクリスマスは別段珍しい事ではなかった。


 それはドイツ生まれの妹も同じでクリスマスに雪が降る事に特別な感情はなく、雪が降ると朝起きるのが辛い程度にしか思っていなかったようだ。


「はぁ、今年のクリスマスもまた二人きりだね。お兄ちゃん」


 クリスマスの朝。冬休みの初日。例年の如く親父とお義母さんの仕事が多忙を極め家族そろってのパーティーが出来ないことを嘆くように妹は深い溜息を吐いた。


 雪が降るほど気温が下がっているから外で溜息を吐くとそれはそれは真っ白な溜息だった。


 ホワイトクリスマスと同じくらい二人きりのクリスマスは別段珍しい事ではない。むしろ変わり映えがなくて飽き飽きしてすらいる。


 だから退屈になっているイベントに何か一つだけでも変化が欲しかったのかもしれない。


「お兄ちゃん、これ見て! 世界のケーキ大図鑑だって」


 退屈を紛らすために二人で出かけたショッピングモールの書店で、妹は立ち読みしていた洋菓子の専門誌を俺に渡してきた。


「ねーねーお兄ちゃん。今年はクリスマスケーキ自分たちで作ってみようよ」


 変わり映えのないクリスマスに何か変化が欲しかった妹は俺にそんなお願いを要求してきた。


「ふーん。ケーキね。素人が手を出しても失敗するのがオチだろ」


 ケーキ作りに興味が持てない俺はペラペラと専門誌のページをめくる。そこには世界各国の様々なケーキの名前が載っていた。


「こういうのは俺じゃなくて桜花姉に頼めよ。調理師の専門学校に行ってるからきっと俺よりも上手だぞ?」

「ええ、おねーちゃんに会うとまたフリフリの可愛い服着せられるからだ」

「良いじゃないか。可愛がられて」

「着せ替え人形扱いは可愛がられてるかビミョーなとこだよ?」


  過去の体験を思い出して妹はうへぇ、と身を震わせていた。そんなにフリフリの服は嫌なのか。似合っているのに。


「それにおねーちゃんはクリスマスの日はケーキ見たくないって言ってたよ?」

「……ああ、そういえばそうだったな」


 当時の桜花姉はまだ専門学校に就職して日が浅く新人の助教師はクリスマスシーズンになると、どこかの店で研修という名の過重労働を強いられている状態だった。それが学生時代から続いたせいで今でも軽いトラウマになっているらしく、クリスマスシーズンはいつも精神面がナイーブになっていた。


「お兄ちゃん莉奈これが良い。黒い森のケーキ。シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテ。これドイツのやつなんだよ」

「……なんだ、この真っ黒なケーキ。クリスマス要素ゼロだな」

「くっくっく……莉奈の中に眠るドイツの血が本場の味を求めているのだよ」

「いや、何キャラだよお前」

「ケーキの名前が厨二っぽいから拗らせてみた」

「現役の中三がいまさら厨二病を拗らせるな」


 そんな感じでクリスマスケーキを自分たちで作るかどうかで揉めていると偶然みたいな必然の様に聞き慣れた声に名前を呼ばれた。


「やっほー子川くん。クリスマスの日に本の立ち読みとか寂しい冬休みの過ごし方だねー」


 ほぼ毎日顔を突き合わせている相手が冬休みに入ってまで出会うとか……これはもはや一種の運命ではないだろうか。


「うっせ、お前も来てる時点で同類だろうが。高三の冬休みの大事な時期に遊んでんじゃねーよ」

「はい子川くんから特大のブーメランいただきました。これは良く飛びそうなやつだねー。ヒュンヒュン」

「エアブーメランしてるやつ初めてみたわ。つか、小虎。お前昨日も遊んでただろ、大学の受験勉強はどうした?」

「んー? わたし大学には行かないよ? あれ? 言ってなかったっけ?」


 小虎と雑談を交わしているとクイッと服の袖を妹に引っ張られた。


「……お兄ちゃん。莉奈、ケーキの材料買ってくるね」


 俺の影に隠れていた妹は小虎に挨拶することもなくそそくさと書店から離れていった。


「あれ? 莉奈ちゃんもいたんだ? もしかしてわたし邪魔しちゃった?」


 俺が壁になっていたせいで妹が見えていなかったらしく小虎は目をパチクリと見開いていた。


「いや、別に。立ち読みしてただけだから気にすんな」

「ふーん。お菓子の本かぁ。やっぱり子川くんって料理の学校に行くの? 夏休みの時にオープンキャンパス行ってたよね?」

「あ、ああ。まだどっちにするか迷ってる段階だけどな」

「どっちって?」

「調理か製菓で」

「ふーん。だからお菓子の本も読んでいたんだ?」


 小虎は菓子類の書籍の棚から本を一冊取り出して興味深そうに本を読んでいた。


「……わたしさ、未来の旦那さんと一緒に自分の結婚式で食べるウェディングケーキとか子供にあげる誕生日ケーキ作るのすごーく素敵だなって思うんだよね」


 唐突になんの脈絡もなく。小虎はそんなことをポツリと呟いた。


「……お前がパティシエ? 間違いなく経営してる店が潰れるな。摘み食いで大赤字だして」

「子川くん。デリカシーって言葉知ってる?」

「いや、そもそもパティシエとか大変だろ。歳上の従姉がめちゃくちゃ大変だって言ってたし」

「それ言い出したら調理師も大変でしょ? 3Kの筆頭だよ飲食関係って」

「まぁ、そうなんだけど」


 小虎はその後も愉快そうに食品関連の書籍を立ち読みしていた。


「まぁ、でも。それも悪くないかもね。ねえ、子川くんの行った専門学校ってまだオープンキャンパスやってるかな?」

「たしか応募の締め切りが二月下旬だから冬休み明けにあと一回くらいはあると思うけど」


 なんだ? 小虎の奴も調理師の専門学校に興味があるのだろうか。


「そっか、ありがと。聞きたいこと聞けたからわたしも受験頑張るよ」

「お、おう。お前ならどこ行っても余裕で受かると思うけどな」

「そういうとこはハッキリと言っちゃうんだよねー子川くんて。ズルいよ」

「…………?」

「……鈍感──気付い──んか」


 モニョモニョと何かを口籠もる小虎。小虎が何を言っているのか俺にはよく聞き取れなかった。


「じゃあ、またね子川くん。この受験が終わったら二人で祝勝会あげようね」

「やめろ、変なフラグ立てるな」

「あははは、大丈夫だよ。子川くんは心配性だなぁ」

「秀才のお前は大丈夫だろうけど凡人の俺は落ちる可能性があるんだから言葉には気を付けろ。マジで」

「安心して子川くんが浪人になってもわたしは友達でいてあげるから。あっ、それとも恋人の方が良かった? クリスマスだけに」

「……よーし。人のことをからかう輩は来年の年賀状も虎のイラストにしてやるよ」

「仕返しが地味だ!」


 妹をほったらかして。長々と小虎と談笑したせいか俺はこの後に記憶から抹消したいほどの重大な失敗をしてしまった。


 記憶から消したい苦い、苦い、苦い失敗。


「お兄ちゃん。早くケーキ作って」


 家に帰って来ると妹は買ってきた材料をテーブルに広げて俺にそう催促してきた。


「……お兄ちゃんは莉奈のためにケーキ作ってくれるよね? 莉奈のためだけに特別なケーキ、作ってくれるよね?」


 まるで今にも泣き出しそうな声で。妹はただひたすらにそれだけを願っていた。


「……分かった。作ってやるけど、あまり期待するなよ? なんせ作るのは初めてなんだから」


 スマホで調べたレシピサイトの作り方を見様見真似で作ったもんだから完成したケーキはケーキと呼ぶには生地が固く、生クリームも妙にゆるくて、とてもじゃないが食べられる代物ではなかった。


 材料も道具も知識も何もかもが足らない失敗作。そんなのが美味いわけがない。


 なのに──


「美味しい。すごく美味しいよ、お兄ちゃん」


 無理して笑顔を作って、喜んでいるフリをしているのが露骨で滑稽に見えて。そんな顔で美味しいと言われても心にはまったく響いてこなかった。


「……こんなのが美味いわけないだろ。お前、俺のこと馬鹿にしてるのか?」


 たぶん俺は慣れないことをやらされた上に無様に失敗したから、自分の不器用さに苛ついていたんだと思う。


 他のやつならもっと上手く出来た、と。


「そんなことないよ! お兄ちゃんが莉奈のために頑張って作ってくれたケーキが美味しくないわけないよ! 莉奈は今凄く嬉しいよ!」

「じゃあ具体的にどのあたりが美味いか言ってみろよ。潰れたスポンジケーキか? それともべちゃべちゃなクリームか? ああ、そうだよなチェリーだけは美味いよな。生のままなんだから」

「…………っ」


 みっともなく妹に八つ当たりして。自分の不器用さを認めたくなくて。自分の才能も将来性も勝手な決め付けで判断していて。


 受験を控えていた高校三年生の俺は兄としても人としても、何もかもが足りていなかった。


「……莉奈はお兄ちゃんの作ってくれたケーキ好きだよ。だって“大好き”なお兄ちゃんが莉奈のために頑張って作ってくれたんだから」


 それはお前が無理矢理にでも俺に作らせたからだろ。良いよな、強請る側は無責任でいられて。


 期待に応えられなかった俺の気持ちなんてお前に分かるわけないよな?


「お兄ちゃんありがとう。大好きだよ」


 そんなザラついた気持ちのまま一方的な愛を妹に押し付けられたから。


「…………んっ」


 甘いはずのクリームの味もただただ苦いだけで。


「……えへへ、キスしちゃった」


 はにかむ妹の笑顔もただひたすらに不愉快に感じて。妹のした行為が、好意が酷く気持ち悪くて。


「……お前、何してんだ?」

「んっ……お兄ちゃんのことが大好きだから。莉奈なりに愛情表情してみたんだ」

「お前が好きなのは都合の良い時に優しくしてくれる兄貴のフリをしてる俺だろ!」

「……お兄ちゃん?」

「それはな、本当の俺なんかじゃないんだよ!」


 どうやら自分が思っていた反応と違ったらしく妹は俺に怯えた顔を向けていた。


「ガキのくせに大人ぶったことするんじゃねーよ」

「お兄ちゃん……どうしたの? 莉奈、何か悪いことしちゃった?」

「馬鹿か。お前みたいな手の掛かる妹なんて好きになれるわけ、ないだろ……」

「…………っ!?」


 俺の心にも無い一言に傷付き妹は瞳から大粒の涙を零していた。


「ごめん。ごめんねお兄ちゃん。莉奈はお兄ちゃんにとっても邪魔な子だったんだね……」


 その日を境に俺と妹の仲のいい兄妹関係は破綻した。俺が家を出る日まで妹とは家庭内別居みたいな冷えた生活を送っていた。


 改めて振り返ると人生最悪のクリスマスだった。


 ああ、そうだよ。だから今度は失敗なんてしない。


 この一年は決して無駄なんかじゃないと。必ず証明してみせる。


 次は必ず成功させてみせる。


 だから莉奈、もしも、もしももう一度だけ俺の作ったケーキを食べてくれる機会があったら。


 その時は嘘のない本当の感想を俺に聞かせてくれ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る