第25話 さぁ、食戟(デュエル)の時間だ。

 料理勝負に選ばれたお題は今日の講習会でミュラーシェフが実際に作っていたあの『黒い森のケーキ』の異名を持つシュヴァルツヴェルダーキルシュトルテだった。


「そういえば、各クラスの代表者ならC組も呼ばれるはずじゃないの? さっきの中にいなかったけど?」

「C組は担任の先生が今朝の時点で辞退を表明したんだ。これ以上の負担は御免だからと言ってな」

「ええ。それなら桜花姉も辞退すればよかったのに」

「生憎と私は自分の教え子を侮辱されたまま黙っているほど出来た教師ではないんでな」


 その目には少しばかり敵意の様な剣呑な鋭さが宿っていた。


「……何かあったの?」

「ああ、ちょっとな」


 会場入りする前の時間潰しに自教室で渡されたレシピに目を通しながら桜花姉とそんな雑談をしていると、桜花姉は何やら背後から不穏な気配を匂わせていた。


「職場のトラブルならフリーダイヤルの電話相談とかあるけど?」

「なに、綾人が心配することじゃない。若造が気に入らない古参の醜い嫉妬みたいなものさ」

「それはどう考えても後輩イジメなのでは?」

「私がそんな瑣末さまつなことに気を病むと思うか?」

「いや、一ミリも思わな──痛い痛い! いきなり頬をつねらないでよ!」

「気にするな。ただの八つ当たりだ」


 どうやらフリーダイヤルで電話相談が必要なのは俺の方らしい。相談内容は担任によるパワハラ。ついでに軽度の暴力も追加で。


「つーか、何で俺には事前に情報を話してくれなかったの?」

「決まっているだろう。内容を話すと逃げられると思ったからだ」

「なるほど、よく俺のことをご存知でいらっしゃる」

「ふっ。伊達に何年も姉をやっていないからな」


 嬉しくない信頼関係を確認したあたりで時刻は予定の五時に差し掛かっていた。


「……そろそろ時間だな。行ってこい」

「どうせなら激励の一言でもかけて欲しいんだけど?」

「なんだ、背中なら叩いてやるぞ?」

「そういう体育会系のノリはいらないから」


 柄にもなく緊張していると、桜花姉はフッと笑みを浮かべた。


「ふふ、緊張しているのか? 大丈夫だよ綾人なら問題ないさ。何もな」

「何を根拠に言ってんの」

「教え子を信じて送り出せない様では教師としても姉としても失格だからな」

「つまり期待に応えてあげないと俺のせいで桜花姉の株が下がると」

「変に曲解するな。大丈夫だ、負けても誰も綾人を責めないよ」


 ……でも俺が負けたら桜花姉は自分を責めるじゃないか。

 

 別に自分のために勝とうとかは一切思わないけど。この勝負が負けられない戦いなのは間違いないだろう。


「ふぅ、……行ってきます」


 桜花姉に別れを告げて指定された実習室に向けて移動を始める。


 この時間になると学校内に生徒はいない。通路にいる人物なんて今から不本意な勝負を始める対戦者くらいしか立っていない。


「てっきり敵前逃亡でもするのかと思ってたよ」


 会うや否や開口一番に煽り文句を垂れ流す白馬。


「出来ればそうしたかったんだけどな。逃げたら担任に処される恐怖に比べれば嫌なヤツと料理勝負する方がメンタル面で二億五千倍くらいマシだからな」

「そうかい。逃げるだけで処されるなら負けたらさぞや酷い目にわされるんだろうね。君が気の毒でならないよ」

「始める前から勝った気になると足元をすくわれるぞ。ついでに言えば対戦者をナメるのもタブーだ」

「ご忠告ありがとう。でもね僕は他者との競争事においては常に全力で取り組んでいるから油断なんて稚拙な真似はしないよ。たとえ相手がドブネズミでもね」

「いや、雑種犬より扱い酷くなってんじゃねーか。せめてハムスターくらいにしておけや」


 どうやら俺と白馬は壊滅的に馬が合わないらしい。白馬だけに。


 そんなクソつまらないギャグを考えてしまう程度には俺の情緒は不安定になっていた。


「失礼します」


 予定時刻になると白馬が率先して会場に入って行った。俺も白馬に続いて中に入る。


 中にはさっきの会合でいたあの三人が立っていた。


「二人とも、先ずは手を洗う段階から準備を始めてください」


 ミアに指示された俺と白馬は実習室にある洗面台で手を洗った。まぁ、この辺りは実習でも毎回やっていることだから別に気にする事じゃないと思うけど……。


 なんだろうな、妙にミアの視線が気になる。まさか、この段階から採点しているのだろうか?


 もしかしたら、この勝負は単にケーキの出来栄えだけを競うものではないのかもしれない。


「では今回のルールを説明します。テーマは本日の講習会でも作ったシュヴァルツヴェルダーキルシュトルテ。レシピは事前に渡した物を参考にして作ってもらいます。材料はこちら側で事前に計量した物を使用して下さい。道具の使用は各自の判断に任せます。なお、公平を期すためにケーキに不要なアレンジを加えることは禁止とします」


 つまるところ今回の勝負のポイントはいかにレシピを忠実に再現出来るか、その技術を試されているというわけだ。


「そして、制限時間は勝負開始から“一時間”までとします」


 ミアの言った無理難題に俺は耳を疑った。

 

 え? 制限時間がたったの一時間? 嘘だろ?

 実習でも最低二時間はかかってるのに……その半分でやれっていうのか?


 どうやら白馬の方も考えは同じらしく、場を仕切っているミアに抗議の声を上げた。


「待って下さい。ジェノワーズを焼くだけでも三十分近くは時間が掛かります。一時間ではとても真面な品が出来上がるとは思えませんが?」

「間に合わせてください。出来ますよね?」

「…………っ」


 ピシャリ、と。秒で白馬の抗議を斬り捨てるミア。


「…………」


 なるほど、この勝負に対する認識を改める必要があるな。


 俺と白馬の勝負というよりもこの場を仕切る『女王様』であるミアに自分の実力を認めてもらう。言い換えれば自分の限界との戦い。この勝負はそういう勝負なんだろう。


 下手に対戦相手にライバル意識を持つと自滅するかもしれない。


「……俺は大丈夫です」


 正直言って完成するかどうかも怪しい。単純に普段の実習でやってる作業を倍速で動いて六人でやっていた作業を全部一人でやるという考えただけでも無理だと思ってしまう作業内容だ。


 諦めたら試合終了とはよく言ったもんだ。自分で限界を決めていたら上達するのも上達しないよな。


「では、両者ともに準備は出来ましたね? 私が合図と同時に一時間のタイマーを押しますので時間になったら完成の有無に関わらず作業を中断して下さい」


 覚悟を決めた俺と白馬は各自の作業台に着いた。隣をチラッと盗み見ると白馬の方は俺に意識を割いている余裕は無さそうだった。


「Los, aufgeht´s!(行け! 頑張れ!)」


 ミアはそう言ってタイマーのスイッチを押した。


 開始の合図というよりミアから応援されている様な気分だった。


 合図と同時に俺が最初に始めた作業はシュヴァルツヴェルダーキルシュトルテの土台になるジェノワーズ、ココア味のスポンジケーキ作りだった。


 このケーキを構成するパーツは全部で六つ。ココア生地の土台、キルシュ(さくらんぼ)風味の生クリーム、洋酒(キルシュ)の入ったシロップ、飾りの刻みチョコレート、サワーチェリーのコンポート。


 白馬も言った通りジェノワーズの作業時間だけでも焼成時間込みでおおよそ三十分の時間を必要とする。他のパーツを作る作業時間と仕上げに使う作業時間を逆算すると、どう考えてもジェノワーズを焼いている最中に他のパーツを作る必要がある。


 いやいやいや、間に合わねーだろこんなの。頭おかしいって。


 流石にミキサーとかの機械類は使えても時間が圧倒的に足りない。


 とりあえず少しでも早くジェノワーズを焼き上げないと。


 そんな焦燥感に押されてジェノワーズの生地作りに取り掛かる。全卵を解きほぐしグラニュー糖を加えて湯煎で生地を温めて──


 湯煎で温める? わざわざお湯を沸かす時間を取ってまで?


 作業をやっている最中に俺は変な違和感を覚えた。


 本当にこの勝負はケーキを時間内に完成させる事だけが目的なのだろうか?


 もっと他に試されている事があるんじゃないのか?


 まるで意図してこちらを焦らせている様な──まさか?


 渡されたレシピにもう一度目を通すと俺はある事に気が付いた。


 ……やっぱりそうだ。生地作りの細かい行程もシロップやチェリーの冷却方法も使用する道具を含めて作業内容に関しての指定は特に記載されていない。


 俺は単純に昼間に見たミュラーシェフの作業を再現しているつもりだったけど。今考えればそれはあくまでも時間に余裕がある場合の作業行程だ。


 道具の使用は各自の判断に任せます。ケーキに不要なアレンジを加えることは禁止します。ミアが言った事を逆手に取ればつまり材料と完成品が同じならやり方は好きにして良いという意味になる。


 なら、時短出来る作業は可能な限り省略するべきだ。アドリブは臨機応変に、つまりはそういう事なのだろう。


「あ、一つ伝え忘れましたがジェノワーズの粉合わせの時は私が手伝うので呼んでください。流石に一人でやるのは厳しいと思うので」


 作業開始から数分が経った時にちょうどジェノワーズの生地を立て終わりそうなタイミングでミアがそう声を上げた。


「お願いします」


 先に補助の要請を出したのは白馬だった。


「はい。じゃあ入れますよー」


 白馬サイドに移動したミアは手慣れた所作でふるった粉類を生地に加えていく。


 この段階でもう既に俺と白馬の作業時間に差が出始めていた。


「こっちもお願いします」

「はーい♪ 待ってました♪」


 白馬から遅れて体感一分弱のタイミングで俺もジェノワーズの粉合わせに作業を移した。


「ふーん。綾人の方はちゃんと気泡が細かくなってるね。やるじゃん」


 俺の生地を見てミアはそうポツリと呟いた。

 わざわざ感想を言うって事は白馬の方は違うのか?

 というか、距離が近い! 作業中にグイグイ来ないで!


「あの、ミア……近いからもう少し離れてくれないか?」

「えー、離れたせいで粉をこぼしてもミアは責任取らないよ?」

「……このままでお願いします」

「はーい♪ 入れますねー♪」


 泡立った生地にココアの入った粉類を加えるて混ぜ合わせると、たちまちに泡だった気泡がココアに含まれる油分のせいで消えていった。


 ココア生地は普通のジェノワーズよりも生地が死にやすい。当然のこと作業難易度はより高くなる。


 作業の最中で過去にこのケーキを作るのに失敗したという苦い経験が昔の記憶として鮮明に蘇ってきた。


 今度は絶対に失敗しない。


 そう心の中で奮起して俺は出来上がった生地をオーブンの中に入れた。

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