第24話 奇遇ですね。同じ名前だなんて……は

 小虎が自力で問題を解決したことによりもう俺が恋人のフリをする必要がなくなったという悲しい現実に気付いてしまった午後四時過ぎ。悲しみを堪えて俺が向かった先は職員室の奥に位置する来客用の応接室だった。


「ごめんね子川くん。わたしこれから戌井さんと一緒にカラオケ行くから今日は先に帰るねー。バイバイ」


 向かう道中で数分前に交わした小虎との別れの挨拶を思い出した。


 小虎のやつ、急に戌井さんと意気投合するとか。どういうつもりなんだ。まるで意図が読めない。


 まぁ、俺はアイツが毎日を笑って過ごせるなら交友関係とか何でもいいんだけど。


 しかし、改めて思うと小虎は本当に凄いやつだ。つい最近まで険悪な関係だった相手と友達になるなんて。俺には到底真似できない。


 そんな胸の大きさに負けない器量のある女なんて男が惚れない訳がない。


 やっぱり小虎は人としてのスペックが違うな。もうその人間性に尊敬すらしている。


 流石に褒めすぎか。どうせなら本人に直で言えればいいんだけど。ほら、何か小虎って褒めるとすぐ調子に乗るから。


 まぁ、尊敬しているという一点では今から会う相手も同じくらい尊敬の念を抱いているんだけど。


「来たな。ひとまずは安心したよ」


 応接室の前に立っていたのは俺の到着を待っていた龍ヶ花先生だった。


「すまないな。面倒な事に巻き込んで」

「始まる前から面倒とか言わないで欲しいんですけど」

「そうだな。それはあまりにも先方に失礼だった。気をつけるよ」

「いや、そうじゃなくて……まぁ、いいですけど」


 このタイミングでVIPルームでもある応接室に呼ばれるという事は……ほぼ間違いなく俺はミュラー親子ともう一度対面することになるだろう。


 いくらなんでも別れと再会のスパンが短すぎる。他でもない桜花姉の頼みじゃなければまず間違いなく面会をお断りしていただろう。


「ところで俺が呼ばれた理由をそろそろ聞いても?」

「言っただろ。今回の案件は綾人が適任だと私が判断したからだ」

「それはつまり俺がドイツ語を話せるからですか?」

「それもあるよ。しかし、それだけでは到底足りないから私は綾人に頼ったんだ。一番信頼できる教え子の一人として私が綾人を選んだのさ」

「ごめん。桜花姉が何を言ってるか俺には分からない」

「こら、学校にいる時は龍ヶ花先生だ。まぁ、いいさ。この借りは近いうちに返すよ。本当に助かった」

「じゃあ、お言葉に甘えて今度焼肉でも奢って貰おうかな」

「ああ、いいぞ。弟を甘やかすのも姉の仕事だからな」


 どうやら今から始まる『面倒なこと』は焼肉と吊り合うくらいの案件らしい。

 ええ、もうそれ絶対面倒臭いやつじゃん。

 そもそも桜花姉が嫌がる時点で絶対にロクな事じゃないだろ。

 今から借金返済のためにマグロ漁船でも乗るのだろうか。流石に違うと信じたい。


「やぁ、まさか君が来るとはね。意外だったよ」


 聞き覚えのある声に防衛本能が過剰に働き背後にいる男を見る目にグッと力を入れてしまう。


「……白馬」

「はは。そんなに睨まないでくれよ。僕は君と争う気はないよ。少なくともこの場では、ね」

「…………」


 良くもまぁそんな心にもない事が言えるな。お前も俺に対して敵意剥き出しじゃねーか。


「白馬、担任の大巳おおみ先生は一緒じゃないのか?」

「ええ、先生なら来ませんよ。今は忙しいから結果だけ後で報告してくれと言われました。どうせ勝つのは白馬の方だからと」

「……そうか、まぁいい。二人とも中に入ってくれ」


 桜花姉と白馬の話を聞く限りどうやら白馬の方は今回の案件について何かしらの情報を事前に聞かされている様子だった。


 いや、何で俺だけが知らないの? もしかしてイジメ?


「失礼します」


 桜花姉が先陣を切って入った応接室の中には予想通りの人物二人と知らない老人男性の三人が待機していた。


「学園理事長、要望のあった成績優秀者の二名を連れて参りました」

「ああ、ご苦労。龍ヶ花先生」


 ああ、なるほど学園理事長ね。入学式の挨拶でクソつまらん話を延々と話してたのを薄っすらとだけ覚えている。


 しかし成績優秀者って何のことだ? さっぱり話が見えない。


「Krass!(うわー、すごい!)」


 本日三度目の邂逅かいこうに驚いた様子を見せるミュラーシェフの娘さん。うん、そうだね。俺もビックリしたよ、はは。


「君達もすでに話は聞いているとは思うが、あまり気を悪くしないでくれ。これも言わばコンクールにおける選考会セレクションの一環だと思って事に臨んでくれたまえ」


 学園理事長がそんな事を言ったけど、俺は先生から今回の件の概要を聞かされてないんですよね。何一つも。


「いや、マジで今から何するんですか?」


 小声でそう桜花姉に話しかけると教師モード状態にある『龍ヶ花先生』はフイッと素知らぬフリを貫いた。


 え? 何でこのタイミングで無視するの? 意味わかんない。


「あー……その事なんですけど、出来ればミアはこっちの人のクラスに入りたいかなー、なんて思ってみたり」


 訳が分からない状況下でさらに訳の分からない事を言うシェフの娘さん。何故か俺の隣に近付いて来た。しかもかなりの至近距離まで。


「君、約束通り名前を教えて。ミアはもうさっき名乗ったよ」


 気さくさを通り越してフレンドリーシップが強過ぎると思うんだが。

 周りに人がいるのにお構いなしか。この人もパリピ陽キャの民なのだろうか。


「……子川綾人です」

「へー、子川綾人かぁ。ん? 子川綾人?」

 

 名前を名乗ると翠眼の瞳が訝しげに俺の顔を見詰めた。


「んん? 子川綾人って名前を最近どこかで聞いたような?」


 奇遇ですね。俺も最近ミアって名前をどこかで聞いたんですよ。あれいつだったかなー。


「……ねえ、綾人。変なこと聞くけどミアを二回りくらい小さくした感じの『義理の妹』がいたりしない?」


 それは俺にとって決定打に等しい質問だった。

 いくらなんでも質問が具体的過ぎるだろ。

 はい、この瞬間にミアさんが妹の実の姉であることがほぼ確定しました。

 いやー世間て意外と狭いんですねー(棒読み)。

 親父が確証を持つのも納得だ。この既視感は他人の空似で済まされるレベルじゃない。それは父親のミュラーシェフも同じだ。


「……さぁ、妹はいるけど君と似てるかはちょっと確認しないと分からないかな?」

「そう? んー。まぁ、いいか」


 流石にここで事実確認をするのはやめた。絶対にさらなる混乱を招くから。

 というか、名前を知った途端に名前呼びするんだこの人。これだからパリピ陽キャの民は。小虎だって名前で呼んでくれたことないのに。

 畜生、俺も小虎のこと風花って呼びてーよ。


「ところでミアさん。距離が近いんで少し離れてもらってもよろしいですかね?」


 物理的にも精神的にも距離感が近いんだよなぁ。


「同い年だから敬語はいらないよ。それに呼び方もミアでいいよ綾人。なんならミーアって呼んでくれてもいいから」

「愛称の方は遠慮しておきます」

「えー? ミアのことドイツ語で口説いてきたのに? 綾人って本当は奥手なんだ?」

「あれは別に口説いたわけじゃなくて……その、素直な感想を言っただけだから」

「いいね、それ。ナンパよりもずっと好印象だよ。ますます気に入っちゃった」

「いや、何で余計に近付いてくるの?」


 そんな事を話していると野太い声が場の空気を引き締め上げた。


「Hey Mia Lass das!(ミア、いい加減にしろ)」


 ネイティブなドイツ語で娘を一喝したのは父親のミュラーシェフだった。日本語が分からないからか娘が何か粗相をしでかしたと思っているのかもしれない。


「Alles klar……(分かりました)」


 どうやら父親には逆らえないらしくミアは文字通りの叱られた子供の様にしょんぼりとした顔で元の位置に戻っていった。ナイスパパ、グッジョブ!


「改めまして自己紹介します。私はミア・ミュラー。ドイツにおける技術者の国家資格『Geselle(ゲゼレ)』を所有する菓子職人のマイスターです」


 砕けた感じの印象が強かったさっきとはまるで違い、ミアは表情をキッと引き締め生真面目に自分の役割を果たした。


「本日はこちらの学園理事長の要望に従い父と共に講習会に参加させていただきました。失礼を承知で言いますが、私から見た印象ではここの学生の実力ではとてもコンクールで賞を取れるとは思えません。ハッキリ言ってレベルが低すぎます。たとえ父からの技術指導があったとしても短期間でのスキルアップは難しいでしょう」


 そのミアの辛口混じりな説明のおかげで今回の件に俺が招集された理由が少しずつ明らかになっていった。


「この事は学園理事長にも事前に説明させて頂きましたが、父の代わりに私が技術顧問として協力する以上はコンクールで結果を出す必要があります。ですので指導する生徒の人数は厳選した上で最大五名までにさせて頂きます。可能なら指導はワンツーマンでやらせて欲しいです」


 マイスター、技術顧問、指導、コンクール。

 散りばめられた数あるピースを繋ぎ合わせて考察すると、どうやらミアはコンクール絡みで呼ばれたようだ。おそらく多忙な父親の代わりに指導者としてこの学園に所属するのだろう。


 つまり今回の件は言わば選考会の前哨戦みたいなもの……なんだろうな、知らんけど。


「先んじて私が所属する予定の各クラスの代表者にはその持てる技術を料理勝負という形で披露していただきます。教職員や代表者にも思うところもあると存じますが、何卒ご理解のほどよろしくお願いします」


 そう言ってミアは俺たちの方に向かって深々と頭を下げた。


 多少の生意気な発言があったにしろ、その姿勢からは彼女の誠実さと真剣さが伝わってきた。


 いや、つーかマジで日本語上手いな。俺ら日本人ですらそんな丁寧な言葉遣いは中々できないと思うけど。


「そう言うからには君は少なくとも僕よりも技術が上だと自負しているんだよね? 正直言って有象無象の底辺と一緒くたにされて引き合いに出されるのは心外なんだけどな」


 意外にもこの場でミアに噛みついたのは白馬だった。おそらくレベルが低いと言われたことがしゃくに触ったのだろう。


「私から見れば学生の時点でコンクールのスタートラインにすら立てていません。自慢するつもりはありませんが、私は現場での実務経験も積んでいます」


 いつだったか桜花姉がドイツの国家資格、マイスター制度について話していたことがあった。向こうの国では義務教育課程が終わると各職業での現場に入り実務経験を積みながら資格習得を目指していると。


 なら資格を持っている彼女は紛れもないプロフェッショナルであるわけだ。学生の俺たちが下に見られるのも無理はないだろう。



「ふん。実務経験がなんだ。何かしらの証明を見せてもらえないと納得出来る訳がないだろう。僕はてっきりミュラーシェフ直々に指導して貰えると思ってたんだからな」

「……こんな小娘では不満ですか?」

「当たり前だろう。何が悲しくて実績のない女子相手に教えをわないといけないんだ」


 なおもミアに噛み付く白馬に俺は横槍を入れる「もう、その辺にしておけよ」と。


「実力どうのこうの話なら間違いなく俺らよりも上だぞ。お前は講習会でシェフの補助アシストをしていたミアの動きを見ていなかったのか? お前にあれと同じ動きが出来るというなら俺はこの時点で負けを認めるし、コンクールでお前が優勝するのを信じて疑わないくらい尊敬の念を抱いてやるぞ?」

「……調理の補助なんて誰でも出来るじゃないか」

「じゃあ、もっと分かりやすい判断材料を教えてやるよ。講習会で出されたあの試食のケーキ、たぶんだけどミアも何個か作ってるぞ。しかも昼休みの間にだ」

「…………っ」


 俺の指摘を理解したらしく白馬は押し黙った。どうやら白馬でもあのケーキのクオリティの高さだけは認めざるおえない様子だった。


「んん〜。正確にはバームクーヘンだけは前もって店で焼いたやつなんだけどね。まぁ、ミアが作ったって意味では間違ってはいないよ」


 俺の発言に補足を入れるミア。

 ああ、なるほど。だから美味いって言ったらあんなに喜んでいたのか。疑問に思っていたことがようやく腑に落ちた。


 女子の手作りケーキだと分かればもっと大事に食べたんだけど。いや、その考えは流石にキモいな。うん。


 実力の証明も果たされた以上、白馬が異議を唱える要素は無くなったと言っていいだろう。現に白馬はそれ以降は特に何も発言しなかった。


「勝負の審査は私と父と学園理事長の三名による多数決で決めます。勝負の開始時刻は今から三十分後の午後五時から。学園内にある調理実習室を借りてこちらが指定した品目のケーキを制限時間内に作ってもらいます。二人とも他に何か質問は?」


 シンと静まり返った部屋で俺も白馬も無言で承諾の意思を示した。


「では、これより私の指導権とクラス編入の権利を賭けた料理勝負を始めます」


 今回の案件に関する全ての説明が終わり俺はふと、こう思った。


 こんな面倒事は焼肉でも割りに合わないよ。ねえ桜花姉?

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