第21話 短いお別れだったね……
特別講習会がどういう催しなのかを簡単に説明すると学校外から来る業界では有名なプロのシェフがケーキやパンの作り方を間近で教えてくれる勉強会というところだ。
講師役のシェフは有名な洋菓子店のオーナーであることが多い。時には外国に在住するスターシェフがわざわざ来日してその技術を惜しみなく披露してくれる事もあるので学生の自分達にとってはプロの技術を学べる数少ない機会でもある。
会場入りする前に渡された資料にざっと目を通すとそこには今回の講師の大まかな経歴とプロフィールが記されていた。
講師の名前はレオン・ミュラー。ドイツ国内で開催された洋菓子コンクールで数多くの賞を受賞。世界大会の権威であるクープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリーのドイツ代表としての出場経験もある。彼の経営する洋菓子店で製造されるバウムクーヘンは日本の百貨店でも提供されている。
学生の自分には分からない領域ではあるが、ざっと見た感じでも凄い人だというのはよく分かった。
そんな凄い人がうちの専門学校に来るなんて、一体学校側は授業料でおいくら万円払ったのだろうか。
そんな
自分が所属している製菓コースにはうちのクラスのB組以外にもAとCがありその数を合わせれば会場の人員はゆうに百人は超える。
そこに会場に入れない一年生のリモート授業組を入れればその数はさらに膨大となる。
全校集会とか人混みが嫌いな自分としては、いっそリモート授業でのんびり見学したい気分だった。
「子川くんおいで〜こっちこっち〜」
会場で俺を見つけた小虎は幼い我が子を呼ぶ母親の様に手招きした。
小虎のいる場所は中央列のど真ん中だった。
ええ、そんなど真ん中とか目立つ場所嫌だし。
小虎には悪いけど後ろの隅っこに行かせてもらおう。
首を横に振って拒否の意思を伝えると小虎の表情はシュンと落ち込んであからさまに元気が無くなっていた。
小虎には悪いと思っている。しかしながら羞恥心には抗えなかった。
……こんなんで恋人のフリしてやるとかよく言えたな。情け無いな俺は。
罪悪感と自己嫌悪を抱きながら後ろの隅っこに座ると座った拍子に小虎の隣に座る男子生徒の姿が目に入った。
いかにもイケメンって感じの雰囲気だった。
小虎の交友関係は俺が把握し切れないほど広い。男の友達だって俺以外にも沢山いるはずだ。それに小虎が男にモテるのは今に始まったことではない。むしろあの容姿でモテないとか男側の感性を疑うレベルだ。お前、ちゃんと玉ついてる? みたいな。
小虎と見知らぬ男子学生は親しげなムードで会話している様子だった。
その光景を見るといつぞやの夜を思い出す。
そうあれは先月の四月十日の夜。その日は小虎の二十歳になる誕生日だった。バイト先の居酒屋で偶然にも目撃した小虎の誕生日パーティーの様子とその光景が良く似ていた。
まぁ、その誕生日パーティーが最悪だったと本人が散々愚痴を言っていたんだけどな。しかも俺の誕生日の四月二十五日に。
『何で来てくれなかったの? 愛想笑いするのめっちゃしんどかったんだけど!?』
そんな愚痴を聞かされた自分の誕生日がはたして喜ばしい事なのかは判断に悩むところだ。
いや、そもそも俺バイトあったし。知らない人に囲まれて食事とか無理だし。
それにまだ付き合ってもいないし。彼氏じゃないし。他の男に絡まれる小虎を間近で見たくないし。だから行かないという選択は当然の帰結だ。
男の嫉妬とか見苦しい真似を小虎に見せたくないからな。
そんな事を考えてもう一度だけ小虎の方を見ると俺はある事に気が付いた。
「…………」
あー。なるほど。
小虎のやつ愛想笑いの時は手を口元に持ってくるのか。そんな仕草今まで一度も見たことないから知らなかった。
遠目で見た感じあれはだいぶイラついてるな。講習会が終わったら何か奢ってやるか。間違いなくこの件でキレ散らかすだろうし。
「えー、これよりミュラー氏による講習会を始めます。ミュラー氏が会場入りしたら皆しっかりと挨拶する様に」
教頭らしき初老の男性教員(名前は知らない)が号令すると後方の扉からいかにも外国人シェフといった感じの男性が静かな足取りで会場に入ってきた。
隣を横切るミュラーシェフの横顔を見るとその迫力のある顔に少しばかり圧倒された。威厳があるというかオーラがあるというか。こういう感じはカリスマ性というのが一番近いのだろうか。
胡桃色の淡い茶髪と翡翠色の翠眼。それを見ると俺の中にある既視感が再び過剰に反応する。
そのすぐ後ろに同じ色合いの女性がくれば尚更──ん?
シェフの後ろに見覚えのある人物がいる。というか一時間前くらいに会話したあのドイツ人と思われる女性が純白のコックコートを着て歩いていた。
「Ich freue mich, dich wiederzusehen(また会えたね。嬉しいよ)」
俺と目があった彼女はそう言ってヒラヒラと手を振った。
あの人、ミュラーシェフの関係者だったのか。
「Guten Morgen, meine Damen und Herren!(皆さんおはようございます)」
教卓に移動したミュラーシェフはネイティブはドイツ語でそう挨拶した。貫禄のある顔の割に声音は随分と穏やかだった。
「グーテンモールゲン」
片言のドイツ語で一斉に挨拶をする学生一同。そんな稚拙な挨拶を切り裂くかの様に流暢な日本語がマイクを通して会場に鳴り響いた。
「はい、皆さんこんにちは〜。本日の講習会でレオン・ミュラーの通訳と助手を務める娘のミア・ミュラーです。父が日本語全然話せないので質問は私に聞いてくださいね。どうぞよろしくお願いしまーす」
開幕からそんな挨拶が出たものだから当然のこと会場内が騒ついた。
「何あれ日本語超上手くね?」
「いや、あれは日本に住んでる人でしょ」
「えっ、でも娘ってことはミュラーシャフがお父さんなんだよね? それにしてはお父さん若くない?」
「それ言ったら娘も若いでしょ。うちらと一緒かちょい下じゃないのあの子」
会場のざわつきが大きくなったことに危機感を募らせたのか、耳慣れた一喝が会場を静まらせた。
「皆、静かにしてくれ。講習会の最中だぞ」
我らがドラゴン桜花の注意で会場は一気に静まり返った。流石は泣く子も震えるドラゴン教師。圧力ならそこら辺の鍋よりも強力だ。
「あはは、ビックリしたよね。こう見えても日本語にはちょっと自信があるんだ。私は昔からジャパニメーションが好きでそれを観て日本語を勉強してたんだ。面白いよねワンピとか鬼滅とか進撃とか」
日本語どころか人心掌握も達者なミュラーシェフの娘はその巧みな話術を駆使して司会を進行していく。
というか、さっきミアって言ったな?
つい最近そんな名前をどこかで聞いた様な?
「さてさて、今回の講習会で皆さんに披露するお菓子はドイツの伝統的なお菓子であるアプフェルシュトゥルーデル、シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテ、シュネーバル、そしてうちの店自慢のバウムクーヘンの計四種類を作っていきます」
渡されたレシピに目を通すとバウムクーヘン以外はほとんど知らない名前の菓子だった。
ただ一つだけ赤と黒の不気味な色合いのチョコレートケーキ、シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテだけは見覚えのある物だった。
そういえばずっと昔に妹にせがまれて作った事があったな。まぁ、当時は失敗したけど。
「それではこれから六時間の間よろしくお願いしまーす」
そんな司会の言葉を聞いてハッと思い出した。
そういえば今回の特別講習会は昼休みを挟んでほぼ一日中あるんだっけ。地味にしんどい。
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