第二章
第12話 男子が好きなやつ
ベランダで一夜を明かしたせいか俺の身体は冷凍したバナナの様にバッキバキに凝り固まっていた。
ベランダから朝日を呆然と眺める午前七時前。妹が起きるタイミングを見計らって中に入ろうとするとキッチンの方から食欲を刺激する甘辛い香りが流れてきた。
疑問に思い部屋に入ると──そこには制服の上にエプロンを身に付けた妹の姿があった。
「おはよ。お兄ちゃん」
まるで昨夜のことが何もなかったかの様にあくまでも自然に振る舞う妹。
「……お前、何してる?」
「何って朝ご飯作ってたんだけど?」
「朝飯?」
「うん。お兄ちゃんばかりに作ってもらうのもなんか悪いかなって思って」
「…………」
テーブルに並んでいる食器を見てふと思う。俺の記憶の中では妹は料理が出来なかったはずだが……ふむ。
「お前、料理作れるようになったのか?」
「うん。ここ一年の間にね。お兄ちゃんの料理に比べたら全然ダメダメだけど」
「…………」
顔と声のトーンがちぐはぐだった。長年の経験則で妹が無理矢理に笑顔を作っているのが薄っすらと分かってしまった。
「なんでまた料理を始める気になったんだ? 昔は料理面倒臭いとか散々ボヤいていただろ」
「……自分で作らないとまともなご飯食べられないから。お兄ちゃんはもう家にいないし」
「…………っ」
妹の声には覇気がなかった。まるで全てを諦めたかのような、そんな絶望感が
「一人ぼっちのご飯が美味しくないからせめて何か変化をつけようと思ったんだ」
「……お義母さんがいるだろ」
「莉奈一人分だけなら作る必要が無いと思ってるんだよ。あの人は」
「…………」
それはつまりそういうことなんだろう。
昨日の言動を振り返れば聞かなくても察しがついただろ。何を野暮な事を聞いているんだ俺は。
「コンビニのご飯とかスーパーのお惣菜ってなんであんなに同じ味ばかりなんだろうね。味気なくて食べるのもう嫌になっちゃった」
「…………」
ああ、まただ。また俺は何も出来ない。
知らぬが仏とはいうけど。知らないから全てが許されると思うのは大間違いだ。
小虎はああ言っていたけど。やはり俺にも何かしらの責任を、義務を果たす必要があるんじゃないのか?
でも、この場合はどうするのが正解なんだ。今更家に戻ったところで現状が好転するとは思えない。
──バカバカしい。お前が莉奈を守ってやれば良いだろ。
自分を客観視している自分が再び自分を嘲笑う。だからお前は優柔不断なんだよ、と。
もしかしたらそれは世間一般では『悪魔の囁き』と呼ばれる現象だったのかもしれない。
「……匂いだけは美味そうだな。何作ったんだ?」
「スタミナ丼」
「……なんて?」
「スタミナ丼。いや、焼肉定食かな?」
「……朝から焼肉、だと?」
焼肉みたいな匂いがするとは思ったが。妹よそれだとメニューのチョイスが完全に牛丼チェーン店の朝定食なんだが。
「お前、朝からガッツリ飯食べるような奴じゃなかっただろ。急にどうした?」
「えっ、だって……」
目をパチクリと瞬きした後で妹はこう言った。
「男の人ってガッツリ系が好きなんだよね?」
「……まぁ、たしかに好きだけど」
否定はしないけど。流石に朝から焼肉は重いだろ。
「あっ、匂いの心配なら大丈夫だよ。ニンニクは入って無いから」
「いや、そこじゃねーんだわ。気になるところは」
「莉奈ね。お兄ちゃんにはたっぷりと
「気のせいかな、スタミナが違う意味に聞こえたんだが?」
「我慢できないくらいムラムラして欲しいんだ」
「確信犯じゃねーか」
どの口で小虎のことを
「はい、お兄ちゃん召し上がれ。莉奈の手料理いっぱい食べてね」
嬉々とした様子で朝食をテーブルに運ぶ妹。不覚にもその持ち前の明るい性格に俺はまた助けられてしまった。
そうだよな。せめて食事の時くらいは穏やかな気持ちでいたいよな。
昨夜のいざこざは一旦忘れよう。
「ん〜。やっぱりお兄ちゃんの作ったいちごジャムおいしー」
「いや、お前は焼肉食わないんかい」
ジャムトーストにかじり付く妹に思わずツッコミを入れてしまった。
というか、俺が作ったなんて一言も言っていないはずだが。
「どうして俺が作ったジャムだと思う?」
「ん? だって甘い味するし。美味しいし」
「いや、市販品でも甘いだろ」
「んー。こーゆーのは感覚の問題、なのかな?」
「いや、俺に聞くなよ」
少なくとも妹は味音痴ではなかったはずだ。俺が美味いと思う物は同じ様に美味いと言っていたし不味いものはハッキリと不味いと言い切るのが妹の性格だ。
まさかその歳で味覚障害ってことは無いよな?
気になって。
一口、妹が作った焼肉定食に
白飯に合う甘辛い濃いめの味付けではあるが
別段に不自然な点は見当たらない。
「お前、これちゃんと味見したか?」
「したよ。えっ、何? 何か変だった?」
「……いや、それなりに食えるから驚いた」
「酷い! 女の子が作った手料理の感想がそれとかお兄ちゃんの甲斐性なし!」
「悪かった。普通に美味いよ」
「普通は余計だってば」
朝食が終わると妹はエプロンを畳んだ後でこれ見よがしに俺の目の前でクルリと一回転してみせた。
回転の勢いで丈の短いスカートがふわりと宙を舞った。
「お兄ちゃんどう? 莉奈の制服姿可愛い?」
正直言って妹の日本人離れした容姿に制服を足すと完全に海外レイヤーのコスプレにしか見えない。
可愛いか可愛くないかで言えば可愛いのは間違いないんだが……何というかチョイスがマニアックなんだよなぁ。
「見て見てお兄ちゃん。莉奈ね、今日はニーソ履いてみたんだ」
わざわざ下着が見えるギリギリまでスカートをまくった後でニーソを俺に見せ付ける妹。ニーソよりも色白の太股に目がいって仕方がない。
「なんでわざわざ俺に見せる」
「なんでって感想が欲しいから」
「何の感想だよ」
可愛い感じに小首を傾げて妹は言う。
「男の人ってこーゆーのが好きなんだよね?」
それはつまり俺にマニアックな趣味嗜好があると思われているのだろうか。しかも妹から。
胸にネクタイ、萌え袖のカーディガン、膝が丸出しの短いスカート、そして足には絶対領域のニーソ。こんなベタな性癖の塊が刺さる奴なんてかなりの確率で変態だと思うんだが。
「……お前、そんな格好で学校に行ったらクラスの女子に『萌えキャラ』とか変なあだ名付けられるぞ」
「大丈夫、陰口なら既に学校のSNSで散々晒されてるから」
「いや、それは何も大丈夫じゃないだろ」
「大丈夫だよ。莉奈の可愛さに嫉妬してる雌豚の遠吠えなんかじゃ莉奈のハートは一ミリも傷付かないから」
「せめてそこは負け犬にしてやれよ。いや何に負けたのかは知らんけど」
やはりというべきか、容姿が秀でている女子は何かと同性間の間で苦労を強いられている様だ。高校時代の小虎を間近で見ているから妹の苦労は何となくだが察せられる。
「ふふーん。莉奈は学校でもキラキラなんだからね?」
何故か勝ち誇った顔の妹は得意げになって自慢話を始める。
「お兄ちゃんは知らないだろうけど莉奈ってば学校だと男の子にめちゃくちゃモテるんだよ」
「そうか。大変だなお前も」
「そーなんだよ。この前も三年生の先輩に告られてさー。あーでもでも莉奈には歳上の彼ピッピがいるから無理だって断ったんだー(チラッ)」
チラッとこちらの様子を
「まぁ、その彼ピッピもゆくゆくは彼ピになる予定なんだけどねー(チラッ)」
「彼ピと彼ピッピの違いが俺には良く分からんけど良かったな。守ってくれそうな相手がいて」
「…………むぅ」
俺の素っ気ない態度に妹はプリプリと憤怒した。
「つまんない! お兄ちゃんがヤキモチ焼いてくれないの莉奈すごーく
「なんで俺がヤキモチ焼くんだ。どうせ焼くならパンとかクッキー焼くわ。食えるし」
「少しは焦ったりとかしてよ。えっ、お前好きな人いるの? からの〜実は彼ピッピはお兄ちゃんでした〜ってドッキリサプライズやる流れだったじゃん今の流れだと!」
「どうせそんな事だろうと思ったからスルーしたわ」
「酷い! 莉奈のことスルーしない……ん?」
何やら難しい顔をした妹は暫くうんうんと唸った後にニヤリと不敵に笑った。
「どうした急に笑ったりして」
「なんでもなーい」
「いや、何かあるだろその顔は」
「べつにー。莉奈はお兄ちゃんがちゃんと『自覚』持ってくれてるのがすごーく嬉しかっただけだから」
「……自覚?」
何を言ってるんだコイツ、頭にプリンでも詰まってるのだろうか。
これだから恋愛脳は。すぐに何でもかんでも色恋沙汰に結び付けたがる。腹立つからそのアホ毛引っこ抜いてやろうか。
「ところでお前、制服に着替えたってことは学校にはちゃんと行くんだよな?」
「うん。行くよ、お兄ちゃんのバイクに乗せてもらって」
「…………」
ここで口論したらまた昨日の二の舞になる。直感と長年の経験則に基づき俺は妹のお願いを頭ごなしに否定するのを辞めた。
「莉奈に勝負で勝つまではお兄ちゃんに拒否権はないから」
「……分かったよ。乗せてやるから支度しろ」
「やった。お兄ちゃん大好き。ちょっと待っててすぐ着替えるから」
「いや、そこからさらに着替えるんかい」
「んー。だってお兄ちゃん以外には媚び売りたくないし」
どうやら性癖の塊を表したパリピ系の制服姿はただ単に俺に見て欲しかっただけらしく、外で待っていると妹は一般的な女子高生の模範みたいな割と地味な感じの制服に着替えてきた。
「行こ? お兄ちゃん」
心底嬉しそうにバイクの後部座席に座る地味な感じのJK妹を見てふと思った。
そういう清楚な感じも悪くないな。うん。
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