第11話 勝負しよ(二回戦目)

 俺の知る限りポッキーゲームのルールは大きく分けて三つある。


 一つ、ポッキーを多く食べた方が勝ち。

 二つ、ポッキーを先に口から離した方が負け。

 三つ、ポッキーを途中で折ったら負け。


 他にもルールは多様にあるのだが、今回の勝負はシンプルにチキンレース方式を採用するらしい。


「つまり俺がキスするギリギリまでポッキーを食べれればその時点で俺の勝ちって事だな?」

「そうだよ。食べる量の勝負だと審判ジャッジがいないから正確に分からないし」

「まぁ、確かにそうだけど」

「あっ、ちなみにうっかりキスしたらノーカンで仕切り直しね」

「安心しろ。それはない」


 妹が提示したルールは圧倒的に俺が有利な条件だった。


 妹の中では俺がチキってポッキーを離すか折るかして自滅すると思っているのだろう。


 妹は俺のことを若干ナメている節がある。それは昔からで普段の小生意気な態度にも表れている。


 勝負事において相手をナメる行為は敗北に直結する愚行だ。どうやらこの勝負も俺の勝ちは磐石の様だ。


 しかし、念には念を入れるべきだ。


「もう一度だけ確認するけどチョコレートの部分を食べ切ったら俺の勝ち、でいいよな?」

「そうだよ。お兄ちゃんが日和らずにチョコレートの部分だけを食べ切ったら莉奈の負けだから」

「お前が負けたら俺の言うことには逆らわない。そうだよな?」

「うん。逆に莉奈が勝ったら莉奈の言うことは何でもきいてもらうから」

「何でもは無理だな」

「ええ、お兄ちゃん女々しい。そこはノータイムでOK出そうよ」

「俺にも出来ないことはあるからな。つーかどうせ負けないから」

「分かった。最初のお願いは勝った後で考えるね」


 マイクパフォーマンスめいた煽り合いを終えた俺と妹は狭い部屋の中心で静かに向き合った。


「じゃあ、準備するね」


 そう言って妹は。


「んっしょ……よし、このあたりかな」


 何の脈絡もなく。


「お兄ちゃん見て、このパンツ可愛いでしょ?」


 パーカーのすそに手を入れ、おもむろにパンツを膝上まで下ろした後、何事もなかったかの様にピンと姿勢を正した。


「…………っ!?」


 妹の奇行にまるで理解が追いつかなかった。膝上で丸まっている猫柄の子供っぽい下着。それが嫌というほど目に入ってくる。


「……お、お前。いきなり何やってるんだ?」


 そんな質問に妹はニヤニヤと俺を小馬鹿にした感じで答える。


「お兄ちゃんは妹のパンツなんて何とも思わないんだよね?」


 確かに昨夜は妹にそういうことを言った。

 だけど、今は状況が違う。

 下着どころか裸まで見てしまったから。


「思わないんだよね?」

「…………」

「妹のパンツなんかじゃ全然エッチな気分にならないんだよね?」

「…………っ」


 狼狽えている俺の反応を心底楽しんでいる様子の妹は何度も何度も俺にその事を問い質してきた。


 その質問に答えたら俺の中にある何かが音を立てて崩れ落ちる気がした。


「言っておくけど拒否したらその段階でお兄ちゃんの負けだから」

「…………お前、ふざけ──」

「じゃあ、始めるね。はいどーぞ、あむ」


 妹は俺の返答を待たずに口にチョコレート菓子を咥えてあごを少しだけ上に向けた。


 その宝石の様に鮮やかな光を放つ瞳はジッと俺の顔を見上げている。


 その熱を帯びた上目遣いの眼差しが目で語りかけてくる。


 大人になった莉奈をもっと見て、と。


「……こんなのアンフェアにもほどがあるだろ」


 分かったよ。お前の言いたいことは。嫌ってほど分かった。

 でもな、俺はやっぱりお前の兄なんだよ。

 お前の一方的な気持ちには応えてやれない。だって俺はお前のお兄ちゃんだから。

 覚悟はできた。

 この勝負に勝って全てにケリをつける。


「……後悔、するなよ」


 そう言って、チョコレート菓子の先端を咥えようと姿勢を下へ下げると妹は高さを合わせるべく爪先立ちをしてわずかに背伸びをした。


「…………」

「…………」


 チョコレート菓子を口に咥えると改めて自分と妹の身長差を思い知った。

 中腰が辛いとか、爪先立ちが辛そうだとか。

 鼻息が荒くなってないだろうかとか。息苦しいとか。そんなことばかり考えて。

 口の中は甘くて、少しだけほろ苦くてチョコレートの味が確かに舌で感じられた。


 サクサクと。少しずつ食べ進めると妹の顔がやけに近くて、顔のパーツの小ささに改めて驚かされた。


 まつ毛の長さも瞳の大きさも鼻の小ささも唇の厚さも、全てが良く見えた。


 ああ、分かってるよ。お前は凄く可愛いよ。

 身内びいきを抜きにしても可愛くて仕方がない。上目遣いだから、余計に愛おしく感じる。


「……んっ」


 全体の半分くらいまで食べ進めると妹は顔を赤らめてキスを強請る様にそっと瞳を閉じた。


 これで唇に触れたら三回目のキスになる。

 それだけは何があっても阻止しなくてはならない。これ以上兄妹の関係にヒビを入れるべきではない。


「…………っ」


 まだ間に合う。まだ引き返せる。

 そう思ったから、俺は途中で動きを止めた。


 だけど。


 ──焦ったくて切ないよ、お兄ちゃん。


 幻聴にしてはやけに鮮明クリアな声だった。


 ジジジ、と。ファスナーの下がる音が聞こえた。


 妹が着ている黒いパーカーの隙間からは色白の谷間が闇夜に浮かぶ月の如く薄っすらと顔を覗かせている。


 自分の右手に妹のか細い指が絡み付いてきた瞬間、悪い予感が電流の様に身体を走り回った。


 まさか、自分の胸を直に触らせる気なのか?


 いざなう様に。色白の谷間に向かう自分の右手を見ても俺は妹の手を振り払えなかった。


「……んっ」


 わずかに手に収まり切らない妹の胸はすべすべな肌とか、きたてので卵の様だとか、そんな安い言葉では言い表せないほど手触りが良かった。


「ん、はぁ……」


 妹の口から漏れる息はどこか切ない様子で、手に伝わる心臓の鼓動は苦しさをしきりに訴えている。


 その吐息が妙に生温かくて、くすぐったい。


 恥ずかしいのを我慢して触らせているのが良く分かる。顔どころか耳まで赤くなっている。


「ふー、ふー、ふぅ……」


 潤んだ瞳は揺れていて、俺から『何か』を求めている様な熱っぽい眼差しだった。


「…………」


 どうしてそこまで。

 たかが勝負にそこまで犠牲を払えるんだ。

 もっと自分の身体を大事にしてくれよ。


「……ほれれほう?」


 その時に妹が何を言ったのかは分からない。おそらく妹はここまでやっているのに曖昧な態度のままの俺にしびれを切らしたのだろう。


 胸を触らせていた手を掴み下へ、下へと誘導していく。ヘソよりもさらに下の──


 自分の股下にある花の蕾へと。


「いや、流石にそれは兄じゃなくてもドン引きだからな!」


 思わず、そう喋ったせいで俺は咥えていた物を口から離してしまった。


「…………あっ」


 それは俺が圧倒的に有利な条件下で妹に敗北した瞬間だった。


「もぐもぐ……やった。この勝負は莉奈の勝ち!」


 食い残しの菓子を食べ切った妹は心底嬉しそうに自分の勝利を宣言した。


「異議あり!」


 明らかに不正を働いた妹に俺は抗議の声を上げる。


「ブブー。お兄ちゃんの反論は却下されました。残念ですが判決ジャッジくつがえりません」

「待て、まだ未遂だから猥褻わいせつ罪は適応されないだろ! 俺は無罪を主張する。弁護士を呼んでくれっ!」

「んん? お兄ちゃんが何を言ってるか分かんないんだけど?」

「…………おおう」


 おっと、危うく自分自身で問題のすげ替えをするところだった。危ない危ない。


「お前、ちょっとそこに座れ」

「……パンツ脱いだ方が良い?」

「ふざけんな! 今すぐ着衣の乱れを直せ!」

「ぶー、お兄ちゃんのクソ真面目」


 露骨に不満を露わにする妹は渋々とパンツを穿き直してそっとファスナーを閉めた。


「お前、自分が何やったのか分かってるのか?」

「べー。お説教なら聞きませーん」

「聞け、俺の話を」

「聞かないよ。莉奈は悪いこと何にもしてないし」

「……してるだろ」

「それはお兄ちゃんの中で、でしょ?」


 お互いの意見が交わることもなく会話は平行線の一途を辿たどっていった。


「……頼むから、もっと自分を大事にしてくれ」


 そんな俺の切なる願いに妹は言う。まるで人の話を何も聞いていないかの様に。


「ちゃんと大事にしてるよ。莉奈が自分の身体を使って誘惑する相手はこの世界に一人しかいないから」


 その発言とその眼差しはどこまでも真剣そのものだった。


「お兄ちゃんは違うかもしれないけど。莉奈は『特別な相手』にしかそーゆことしないから。そこんとこ誤解しないでね?」


 違う、そうじゃないんだ。

 俺が言いたいのは──


「……次やったら問答無用で追い出すからな」


 言いたい事を上手く言語化できなくて。気付けばそんな事を妹に言っていた。


「……約束、ちゃんと守ってね?」


 お互いに言いたいことだけを言って。その日の兄妹間の会話はそれで終わりを迎えた。


 ベランダで一夜を過ごす事を決意した俺は寝る時にただ呆然と自分の右手を眺めていた。


 その指先には妹の出した蜜の余韻がぬめりとしてわずかに残っていた。

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