第9話 気の置けない女友達

 悪友の予期せぬ来客で妹と今後の予定を話す機会を完全に見失ってしまった。


 小虎の来訪から少し時間が経ち現時刻は夜の八時を過ぎていた。


「へー、バイクってそうやって修理するんだ」


 暗い中でバッテリーを交換する作業を興味深そうに観察する小虎の手には小型のペンライトが握られていた。


「てゆーか修理屋さんに頼まないで自力で直すんだね。子川くんて何気に器用だよね、手先だけは」

「小虎、それは褒めてないよな?」

「そうだね。子川くんの人間性は間違いなく不器用だから」


 その悪態吐いてる割にめちゃくちゃ楽しそうな顔してるのマジで理解に苦しむ。

 小虎は本当に性格が悪いよな。


「人間性が不器用で悪かったな。ライトこっちに向けてくれ」

「あいよー。任された」


 妹と小虎の鉢合わせ(修羅場とは言わない)を避けるために俺が選んだ選択はバイクの修理を口実に小虎と一旦外に出るという行動だった。


 一応はお互いに認識があるとはいえ、二人が和やかムードで同じ空間を共有できるかと問われれば……それはおそらく否だろう。


 協調性の高い小虎の方はともかく、まず間違いなく妹が小虎を邪険に思う。


 これ以上妹に余計なストレスを与えないためにもここは二人を分断するのが得策だろう。


 言っておくが断じて女同士の修羅場が怖いからではない。いや本当に。


「悪いな。バイクの修理手伝ってもらって」

「べつにー。わたしもこの子にはお世話になってるからさ。流石にこれくらいは手伝うよ」

「そうだな。むしろ今までの足代を払うくらいの働きはあってもいいと思う」


 高校時代から今現在に至るまで俺の運転するバイクに小虎を乗せてやった回数は数え切れないほどある。小虎からしてみればタクシー代わりの感覚だったのだろうけど。


「ふーん。払ってあげよっか?」

「いや、払うってべつに俺は金を要求しているわけじゃなくて……」

「わたしの身体で」

「バッ!? お前」


 小虎の口から出た爆弾みたいな単語に動揺した瞬間、俺は小虎にしてやられたと思った。


「あれー? 子川くんってば変な勘違いしてない?」

「…………」


 その悪戯っ子みたいなニヤけた顔が腹立たしいほど魅力的だから本当にタチが悪い。


「……俺をからかって楽しいか?」

「うん。めちゃくちゃ楽しい。子川くんイジリはわたし史上最高のエンターテイメントだから」

「俺をイジるよりNe○flixで海外ドラマ見る方が何倍も楽しいと思うけどな」

「それはそれ、これはこれってことで」

「どんな理屈だよ、それ」


 そんな感じで雑談を交えバイクの修理を進めていく。予備のバッテリーと交換するだけなので作業自体は大して時間は掛からなかった。


 なるべく時間を引き延ばすつもりだったのだが小虎の助力もありものの数分で修理は完了してしまった。


 ブォンと。動作確認のためにスイッチを入れるとエンジンが慌ただしく回り始めた。


「お〜さっすが子川くん。バイクの修理もお手の物だねー」

「…………」


 不味い、まだ考えがまとまっていない。


 作業の間、俺の頭の中は小虎に現状をどう説明するかでいっぱいだった。


「修理終わっちゃったね。これからどうする?」

「あ、あーその……」


 悪いけど今日は帰ってくれ。そう言えば済むはずなのに心の中では小虎を引き留めたい気持ちがある。


 もしかしたら本心では小虎が来て助かったと思っているのかもしれない。


 落ち込んでいる妹とどう接すれば良いか分からないから。


 いっそ安いプライドをかなぐり捨てて小虎に相談するのも一つの手ではないだろうか。


 しかし、相談するにしても変な誤解を生まないために諸事情の説明はしっかりとする必要がある。


 だけど──


「小虎、実は……」


 嘘をついて上手いこと誤魔化せないだろうか。そんな卑怯な考えが俺の中に確かな形で存在していた。


「莉奈ちゃん大人っぽくなったね」


 小虎は。

 俺の頭をカチ割って中をじっくり観察したかの様にその話題を引っ張り出した。


「……中身はまだまだガキのままだけどな」

「ええ、そう思ってるのは子川くんだけかもしれないよ?」


 小虎はわざとらしく頬をプクッと膨らませて不満気に言う。


「いやーけちゃうなぁ。わたしって未だに優先順位が二番目なんだもん」

「…………何の話だ?」

「子川くんの中で『友達のわたし』は二番目って話」

「それこそ、そう思ってるのは小虎だけだろ」


 少なくとも友達の中では小虎が一番だ。


「いやいや、だって子川くんは今日に限らず莉奈ちゃん絡みのことはわたしの誘いよりも優先してたじゃんかさ」

「そう、だったか?」

「そうだよ。高校生の時とか何回あったか分からないくらいにさ。傍目はためから見たらシスコンだと思われるよ?」

「だから俺はシスコンじゃねーから!」


 小虎の口から言われたくない単語が出て俺は思わず大きな声をあげてしまう。


「あっ、やっぱ気にしてたんだ?」

「次言ったら暫く口聞いてやらないからな」

「珍しく言動が小学生だ」


 フッと薄く笑って小虎は言う。


「んー。でもね、わたしはお兄ちゃんしてる子川くんのこと好──良いと思うけどなぁ」


 何かを言い掛けて素早く言い直す小虎。その顔は少しだけ赤味を帯びていた。


「……いや、何で今目をらした?」

「べ、べつに? 何でもないし……」

「……そうか?」

「そうだよ」


 コホン、と。咳払いを一つして小虎は言う。

 まるで何も言わなくても伝わる以心伝心の様に。


「相談に乗ってあげるよ?」

「…………」


 普段の性格が悪いから、お人好しの面が出るとそのギャップに心がやられてしまう。


 この時の俺はもう既に男としての安いプライドをかなぐり捨てていた。


「……嫌なことがあって落ち込んでる相手にはどうやって接すれば良いんだ?」


 俺の質問に小虎は柔らかい笑みを浮かべて答えた。


「特別な事はする必要ないと思うよ。特に人間性が不器用な子川くんの場合はね」


 それはつまり下手に慰めない方が良いという意味なのだろうか。


「話を聞くだけで後は何もしないのか?」

「そ、誰かと一緒にいるだけで救われる事もあるし。悩みを聞いてもらうだけで気持ちが軽くなることもあるよ」

「でもそれじゃ根本的な問題の解決にはならないだろ。ある側面ではそういうの無責任なんじゃないのか?」

「ほんと真面目だなぁ。莉奈ちゃんは『お兄ちゃんとしての子川くん』を頼って来たんでしょ? なら求められていること以外は他人任せでいいと思うよ?」

「他力本願とか神頼みとほぼ一緒じゃないか」

「んー。時には何も考えないで運とか直感に身を任せてみるのも悪くないよ。わたしは中学から先の進路は全部フィーリングで決めたし」

「おい、こら」


 小虎の性格ならやりかねないからタチが悪い。流石に嘘だと思うけど。


「心配しなくても大丈夫だよ。子川くんが一緒なら莉奈ちゃんは救われるよ。きっとね」

「一体何を根拠に言ってるんだ」

「んー? だってここに救われた実例が一人いるから」

「…………」


 小虎は得意げに昔の話を語った。


「隣の席にいる優等生の皮を被った不良をちゃんと『息苦しさ』から解放してくれたし。ね? 子川くん?」

「自分で自分を優等生とか言うな」


 まぁ、実際に優等生だったんだけど。結局高校時代はテストの成績で小虎に勝てた事が一度もなかったから。


 昔話をすると少しだけ高校時代の小虎が脳裏をよぎった。荒んだ目で紫煙をくゆらせていたあの頃の小虎が。


「いやー、あの時に貰ったアメ美味しかったなー。タバコなんかよりもずっと身体にいいし。わたしが甘い物好きになったのはあの時からだったかもね」

「酒は未だにやめられてないけどな」

「それはそれ、これはこれってことで」

「どんな屁理屈だよ。まぁ、酒類は菓子作りに必要だからな」

「そうだよ。お酒は必要だよ」

「飲み過ぎには注意だけどな。特に小虎は」

「うい。気をつけます」


 そんな風に馬鹿な話をグダグダと話していると不思議とさっきまで重かった気持ちは少しだけ軽くなっていた。


「禁煙、ちゃんと続いてるのか?」

「もちろん。どっかの誰かさんに「タバコ臭い女は嫌いだ」って言われたからねー。わたしその人にだけは嫌われたくないし」


 パチリと、わざとらしいウインクをキメる小虎。その露骨すぎるあざとさに一体何人の男が騙されたのだろうか。俺以外に犠牲者がいない事を切に願っている。


「その割に普段の対応が蔑ろになっている気がするんだが?」

「違うんだなーこれが。イジりは言わばコミュニケーションの一つだよ」

「ふむ。なるほどイジりはコミュニケーションか」


 言って小虎の胸元に目を向ける。ノースリーブのブラウスに付いているボタンが苦しそうな悲鳴を上げている気がした。


「大きいのに小虎とはこれいかに」

「あっ、子川くんがわたしの胸イジるのは普通にセクハラだからね」

「解せぬ」

「子川くんのムッツリスケベ」


 身の危険を感じたのか牙を剥き出しにして威嚇する小虎。怖え、まるでマジもんの虎じゃねーか。


「子川くん。愛のないイジりはイジメと一緒だからね? イジメは絶対に駄目なんだからね?」

「それだとまるで自分のイジりには愛があるような言い方だな」

「…………っ」

「だから何で急に目を逸らす」


 ゴニョゴニョと何かを口籠る小虎。薄っすらと「また自爆した」という単語が聞こえた……気がした。


「と、というわけで……わたしはもう帰るから。ごめんね、兄妹水入らずの時間を邪魔して」

「お、おお。べつに邪魔だとは思ってないけどな」

「あ、ありがとう子川くん。また明日学校でね」

「お、おお。また明日」


 別れの挨拶を交わすと何故か赤面している小虎は脱兎の如く闇夜の彼方に走り去って行った。


「わたしのバカー! ちゃんと素直になれー!」


 そんな誰かの叫びが暗闇の彼方から聞こえた気がしたが……たぶん気のせいだろう。うん。


「……ありがとうな小虎。お前と友達になれて本当に良かったよ」


 面と向かって本人に礼を言うのは恥ずかしさを通り越して悶え死にする恐れがあるので、俺はこっそりとスマホを取り出してメッセージを送る。今日はありがとうな、と。


「……アイツ、既読付けるのマジではえーな。秒で即レスしてるし」


 やはりと言うべきか、小虎は本当に気の置けない奴だと思った。

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