第7話 親父に連絡
一日の授業が終わり放課後になると、教室内にいる人は少なくどこか物静かな空気に満ちていた。
「んー。やっぱ専門学校だと部活とか無いからみんなさっさと帰っちゃうよねー」
小虎はそんな事をポツリと呟いた後、俺の視線を一切気にせずにこの学校の制服であるコックコートをいそいそと脱ぎ始めた。
下に薄手のインナーを着ているとはいえボタンを一つ一つ外していく動作と結んだ髪を解く仕草は──何というか、言いようのない色気と
いや、眼前で生着替えするなよ。どうしてこの学校は個人のロッカーはあるのに更衣室は無いのだろうか、
まぁ、常識のある女子はトイレで着替えてるっぽいけど。ただ単に小虎が異常なだけか。
「なんだ、部活でもやりたいのか?」
「や、そういう訳じゃないけど。なんていうかさ、学校終わったらすぐ帰るのなんか嫌じゃない?」
「お前それ高校の時も言ってたよな」
「そう、高校の時はそんなノリで子川くんをあちこち連れ回して遊んでたんだけどねー」
意味深な視線を俺に向ける小虎。ああ、これはまた『悪いこと』が起こる前触れだ。
「……とりあえずコンビニ行こっか?」
その下から覗き込む様な甘えた視線、俺以外の男だったら100%勘違いしていただろう。
生憎とこっちは友人関係五年目のベテランだ。小虎の考えている事はだいたい分かる。
思わせぶりな態度で俺を手玉に取ろうなんて考えが見え透いてるんだよ。
俺は小虎なんかに騙されないからな。
「連日の浪費は流石に勘弁してくれ」
「えーケチ。昨日はわたしが割増で払ったんだから良いじゃんかさー」
「苦学生の懐事情を甘く見るな。節約生活は大事だぞ。特にエンゲル係数とかな」
「エンゲル係数」
子川くんて真面目だよね、と小虎は薄く笑った。
「む〜、分かった。じゃあ、お金使わない遊びしよ」
「具体的には?」
「家でゲームやるとか」
「ゲーム?」
「そう。この前子川くん家でやった二人の合同誕生パーティみたいにさ。ついでにご飯も作ったりして」
「……俺の家?」
そこで。
俺は家に置いてきた妹の存在を思い出した。
今我が家には爆弾がある。
どう考えても今の状況で小虎を家に招くのは論外だ。
「あ、あー。そういえば俺この後に用事が入っててさ……」
「用事? バイクの修理とか?」
「あ、あー。それもあるけど……」
「あるけど?」
「か、買い物とか?」
「んん、なんで疑問系?」
小虎は
「ねえ、子川くん。わたしになんか隠してない?」
「き、気のせいだろ」
「本当に? 何かあったんならちゃんと言ってね? 相談乗るから」
「ああ。何かあったらちゃんと言うから。じゃあな」
「むー、とりあえずバイバイ」
そして、俺は小虎から逃げる様に教室を出た。
やれやれ。
面倒見が良いのは小虎の美点だけど……正直言って話さなくても良い事までは相談に乗って欲しくないかな。
妹の家出とか。身内のゴタゴタとか。そういうの他人に話すのは恥ずかしいから。
それに話したら多少なりとも相談相手の負担に繋がる。それはなるべく避けたい。
つーか第一友達に身内の恥とか見せたくねーし。しかも妹がらみの案件とか普通に無理だから。
小虎には俺がシスコンだと勘違いされたくないし。
「……とりあえず親父に連絡するか。流石にもう起きてるだろ」
玄関を出て少し歩き、学校の敷地から離れたタイミングでスマホを取り出し、親父に連絡を入れる。
「ああ、綾人か。どうした?」
呼び出して数秒後に受信。親父の声はいかにも寝起きと言った感じだった。
俺の親父はいわゆる『夜の店』で客に酒類を提供する仕事を生業としている。
バーテンダーと言えば聞こえは良いかもしれないが要は典型的な夜型人間のダメ親父だ。
息子の俺の目から見ても親父は何かとだらしない。酒、女、金のトリプル役満だ。
べつに妹の家出を止められなかった非を責めるつもりはない。責めるつもりはないけど不満だけはこの場で言わさせてもらうつもりだ。
「親父、実は莉奈が──」
事の
「そうか、お前の家に行ってたのか。着信拒否されて連絡取れなかったから心配だったんだ」
「親父一体何やらかした? 莉奈が家出するとか余程のことだぞ?」
どうせまた風呂上がりに半裸のままでリビングを練り歩いていたのだろう。それか酔っ払った勢いでウザ絡みしたのか。相手は思春期真っ只中の女子だから少しは対応に気をつけて欲しいところだ。
「……その様子だと莉奈本人の口から家出した理由は聞いてないみたいだな?」
「あ、ああ。時間も遅かったしとりあえず後回しでいいかなって」
「そうか。とりあえず名誉のために言っておくが家出した原因は俺じゃないからな」
「ええ。てっきりまた半裸でリビングうろついたり酒の勢いでウザ絡みしたのだとばかり」
「アホか。お前の親父はいつから変態不審者になったんだよ。普通にセクハラで捕まるわ」
「いや、捕まりはしないだろ。知らんけど」
「あー。でもやっぱ俺、莉奈に嫌われてるのかなぁ。最近はおとーさんの服と一緒に洗濯しないでとか、一番最初にお風呂に入らないでとか言ってくるし……」
「安心しろ親父。それは年頃の女子なら普通の反応だ」
実父ではないとはいえ一応は家族だから。まぁ、妹に好かれているかは……うん。
「で、親父が原因でないなら家出の理由はなんなんだ? まさかお義母さんて事は無いだろうけど」
「ああ、実はな──」
親父にしては珍しく妙にシリアスな空気だった。
どうやら妹の家出した理由は俺が思っていたよりもずっと重い内容だったらしい。
「この事はお前にも後で連絡するつもりだったんだけど……どうやら莉奈はかーさんの『本当の子』じゃないらしい」
「…………は?」
寝耳に水の内容だった。
莉奈が、妹がお義母さんの子供じゃない?
それって、どういう事なんだ?
「すまん親父、順を追って説明してくれ。それを知った経緯は?」
「あー、確か事の発端は正月明けの時だったな。年賀はがきに紛れて家に一枚のエアメールが届いたんだ。差出人はドイツ在住のミアって人からだった」
海外からの手紙。それはつまり莉奈が幼少期に住んでいたという生まれ故郷からの知らせでもある。
容姿からしても分かる通り妹は純粋の日本人ではない。それが俺と妹の関係が義理の兄妹である事を明確に強調している要因でもある。
「そのミアって人が莉奈にとっては生き別れの姉にあたる人らしくてな。手紙の内容を簡潔に話すと実の妹を実家に連れ戻したいって話だ」
「…………」
実の姉? 実家に連れ戻す?
どういう事情があったのかは知らないけど、そんな事──今更にもほどがあるだろ。
「そんでこれは事後報告になるんだけどな。ゴールデンウィークに入ってから先方がこっちに来日してきたんだ。そんでもって実際に莉奈の『本当の家族』に会ってみたんだよ」
「……会ったのか?」
「ああ、先方の要求を無下に出来なくてな。俺ら家族三人と先方の父親を含めた五人で会食したんだ」
急なことだったからお前は呼ばなかったと親父は言った。
「…………肉親だって確証は、あったのか?」
「ああ、あれは間違いなく莉奈の姉と父親だったよ。特に姉はめちゃくちゃ美人でな。莉奈もあと数年すればあんな感じになるんだろうな。確か歳はお前と一緒の二十歳だったかな」
「別に親父の主観とかいらないから。今後の方針はどうすんだ?」
俺は親父が話した内容に少しばかり苛立ちを募らせていた。
どいつもこいつも勝手が過ぎる、と。
「俺は最終的な判断を莉奈に任せるつもりだった。結果は知っての通りだけどな。莉奈は行動で拒絶を示したよ。母親だと思っていた相手が実は叔母でかなりのショックを受けていたみたいだ」
「……そこは親父がきちんと言うところだろ。莉奈はもう俺達の家族だからって。莉奈だって親父が曖昧な態度だと不安になるだろ」
暫しの沈黙を挟んで親父は言った。
「……そう言いたかったんだけどな。先方の意思とかーさんの意思を無視して俺の一存で強行するのは流石にエゴだと思ってな」
「……だからって!」
吠えた後、昨夜に見た妹の様子を思い出す。その顔を思い出すと頭に上り始めていた血がサッと下がり、欠いていた冷静さをなんとか取り戻せた。
「…………悪い。急に怒鳴って」
「良いよ。お前の意思はちゃんと分かったから。やっぱ今更だよなー俺らからしたら」
こういう寛大なところはちゃんと父親なんだなと思った。
後は莉奈の意思を尊重するだけ、そう思っていた。
だけど──。
「それでお義母さんの方は?」
「んー? どーだろーな?」
「いや、なんでそこは曖昧なんだよ……」
「かーさんにも色々あるんだろ。つー事で悪いけど暫くの間でいいから莉奈の面倒見てやってくれよ。こっちはこっちで動かないといけないからさ。あーそうそう莉奈の生活費は後で送るからな」
「え? ちょっ……」
「じゃーな」
プープー。
一方的な要件だけ伝えられて電話を切られた。
「…………」
おやじぃぃぃぃ!!
ふざけんなよ! 俺に莉奈の面倒が見れるわけないだろ!
何か問題起こったらどーすんだ?
ワガママな妹の世話とかクソ面倒臭いわ!
……いや、でもやるしかないよな?
「はぁ、せめて預かる期間くらいはちゃんと具体的に提示してくれよ。二、三日ならともかく一週間以上は流石に厳しいって」
とりあえず食料品の調達からだな。他の生活必需品は……まぁ、本人に聞いてからだな。
「……あいつ、何が好きだったっけ?」
親父との会話の中で着いた胸の中にある『熱いもの』に内心で戸惑いつつも俺は渋々ながら妹の面倒を見る事を心に決めた。
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