第6話 製菓の授業はだいたいこんな感じ

 午前か午後の授業に何かしらの調理実習が入っている学校なんて調理師の専門学校でない限りまず有り得ない時間割だろう。


「今日の授業で作る物はオーストリアの伝統菓子カーディナルシュニッテンだ」


 午後の授業である洋菓子実習の担当講師はうちの担任だった。


 実習の担当講師は授業内容で変わるのだが、洋菓子実習に関してはだいたい自分のクラスの担任教師が受け持つことが多い。


 担任の口から聞き慣れない単語が飛び出すと小虎を含めたクラスメイトの面々は頭に疑問符を浮かべていた。


「か、かーでぃなるしゅにってん? 何それどんなケーキか全然想像出来ないんだけど?」


 小首を傾げる小虎につられてクラスメイトの面々もヒソヒソと呟いた。正直言って俺もこのケーキの名前は初耳だった。


「簡潔に言えば卵黄ベースのビスキュイとメレンゲの二層に分かれた生地にコーヒークリームを挟んだケーキだ」


 律儀に小虎の疑問に答える先生。迅速な対応は流石としか言えない。泣く子も震えるドラゴン桜花は相変わらず現在だった。いや、泣く子を震えさせたら駄目だろ。


「というか、教科書に記載されているレシピをちゃんと見ろ。特に小虎」

「うい。さーせんした」


 調理実習でよくあるやり取り。小虎への注意はもはや日常的と言っていいだろう。


 しかし、オーストリアの伝統菓子か。こういう感じのケーキは日本のコンビニではまずお目にかかれないだろう。


 外国の伝統菓子とか、学校の授業じゃなきゃ作れないよな。


 俺たちのクラス『製菓技術科』は主に洋菓子や和菓子の菓子類から製パン、ついでに細工菓子の技術や知識を専門的に学ぶ学科である。


 ざっくばらんに説明すれば将来的に洋菓子店やパン屋で働きたい学生が集まる学科だ。


「カーディナルシュニッテンの起源は諸説あるが無難な説は枢機卿すうききょうの身に付けている服や帯が黄色と白の縞模様だったという話だな」


 洋菓子の歴史オタクと言っても過言では無い龍ヶ花先生のうんちくに耳を傾けつつ教科書に記載されているレシピに目を通す。


 作業工程は割とシンプルで二色の生地を焼いてコーヒー味の生クリームを挟むだけだった。


「まず初めにメレンゲ生地から作成していく。割卵した卵白をボウルに入れてハンドミキサーで軽く撹拌かくはんした後グラニュー糖を二回に分けて加え柔らかい角が立つまで泡立ててくれ」


 龍ヶ花先生のデモンストレーションを見学しながら各々がせっせとノートにメモを書いていく。


 クラスメイト達の面持ちは真剣そのものだった。そうする理由は単純で後々で自分達が実際に作るから作り方をちゃんと覚えていないと万が一失敗した場合試食の時に悲惨な目にあってしまうからだ。


「次にビスキュイの生地作りに移る。ボウルに全卵と卵黄を合わせた物にグラニュー糖を一度に加えリボン状の線が描けるまで泡立て、そこにふるった薄力粉を加え切るように混ぜ合わせる」


 龍ヶ花先生の流れる様な作業スピードにメモを取る側のこっちはいつも悪戦苦闘を強いられている。


「は〜、相変わらず作業が早いっすねー。ほぼ同時進行じゃないですかー」


 先生の作業を見詰める小虎が感心の声を漏らす。それに関しては俺も激しく同意している。


 生地作りはスピード勝負。そう言われる所以は主に『生地の死にやすさ』にある。


 卵の気泡を含むメレンゲやビスキュイ生地は衝撃や時間経過、他に油分など泡を消す要因がいくつもある。生地から気泡が消えれば焼き上がりの生地は膨らまず薄く平坦になってしまう。


 そんな洋菓子作りの基本的なことをこの一年でドラゴン桜花の教育的指導(間違ってはいない)でしっかりと学習した。


「生地が出来たら先にメレンゲをしぼり袋に入れてベーキングシートを引いた鉄板に等間隔で横に真っ直ぐ平行にメレンゲを絞る。そしてその隙間にビスキュイ生地を浅く絞り縞模様の形を作ったら上から粉糖を薄く振りかけて予熱したオーブンに入れ上火180℃下火は160℃で15分から20分ほど焼いたら生地の完成だ」


 作業を見ているクラスメイトの一人がポツリと呟いた「説明一度も噛まないのナチュラルにやべーよな」と。


 下手なアナウンサーより滑舌が良い。流石はドラゴン桜花。もう感想が称賛の言葉しかない。


「まぁ、オーブンの温度と焼き時間は『オーブンの癖』に影響されるからあくまでも目安と思っておいてくれ」


 そもそもの話、俺はオーブンに上火と下火があることをこの学校に入るまで知らなかった。業務用のオーブンは家庭で使っている物よりも遥かに設定が複雑だった。


「では、各自班に分かれて作業を始めてくれ。試食で不味い物を食べたくない生徒は真剣に取り組んでくれ。各班の生地が焼き上がったらクリーム作りと仕上げの工程を説明するからな」


 龍ヶ花先生の号令を聞いてクラスメイトの面々が各班の作業台テーブルに移動する。


 一つの班に対して男子二人の女子四人。それが六組の計三十六人。

 男子十二人に対して女子が倍の二十四人。男女比にするとちょうど1:2の割合だ。

 普通の学校ではまずありえない男女比だろう。

 龍ヶ花先生いわく製菓のクラスは毎年女子の比率が高いらしい。逆に調理師科の方は男子の方が多いとの事だ。


 右も左も女子だらけクラスに入った事を後悔していないと言えばそれは嘘になる。


 どうして俺は二択で修羅の道を選んでしまったのか……女子しかいないクラスとか普通に息苦しくて肩身が狭いだけだというのに。


「子川くんおいでー計量から始めてくよー」


 現実に嘆いていると同じ班のメンバーである小虎が小さい子に連れう母親の如く俺を呼んだ。


「今日はもたもたしてられないよ? うちの班二人も休んでるからチャキチャキやらないと時間内に終わらないんだかんね?」

「……ああ、分かってる」


 サボリ魔の戌井いぬいさんはともかく猿渡さるわたりが休んだせいでこの班の男子俺だけじゃねーか。普通に肩身が狭いわ。


 もうね小虎がいなかったら俺は何も喋れないよ? 

 俺は基本的に女子が苦手だから。


「使う道具の準備は兎山うさぎやまさんと日辻ひつじさんにお願いするね」

「……分かった」

「うん。分かったよ」


 小柄で寡黙なクラスメイトの兎山さんとナチュラルパーマが印象的なゆるふわ系女子の日辻さんの二人は黙々と準備に取り掛かった。


 班長である小虎の仕切りで調理実習は着実に進んでいった。


「というわけで難しいところは子川くんに全部丸投げするからよろしく」

「何がというわけでだ。少しは自分でも出来る様になろうという向上心は無いのか?」

「や、ちゃんとした試食のケーキ食べたい欲に比べたらわたしの向上心なんて絵に描いた餅以下だから」

「そんなんで良いのかお前の将来性」


 結局のところ『見極め』の難しい気泡の立ち具合や粉の混ぜ具合に関する作業は全部俺がやった。


「ふむ。今回の実習で一番出来の良いカーディナルシュニッテンを作った班は五班だ。よくやったな」


 先生の下した評価に一番反応したのは班長の小虎だった。


「流石はわたしが仕切った班ね。人数不足も見事にカバーできたし。うんうん偉い」


 豊満な胸を張ってドヤ顔の小虎。いや、お前は計量した後はほとんど俺の補助しかやってないだろ。


「これも二人のおかげだね。ありがとう」

「……(こくこく)」


 ゆるふわ笑顔の日辻さんと無言で頷く兎山さん。ふむ、礼を言われるのは悪い気はしない。


 悪い気はしないけど素直に喜べない。


「ふふーん。次もこの調子で高評価取りに行くぞーってね」


 おだてられて調子に乗る小虎。次も取れたら苦労はないんだけどな。

 今日の実習に関しては平和そのものだったからな。

 なんせ今日は戌井さんが不在だったから。猿渡は……うん。


「うわー美味しっ。何これ、ケーキなのに口当たりがめちゃくちゃ軽いんだけど?」


 試食の時間になると小虎のテンションは最高潮に達していた。


 花より団子。色気より食い気。小虎を見ているとそんな言葉が頭に浮かんだ。


「……幸せそうだな」

「そりゃもちろん。スイーツは乙女のエネルギー源なんだからね?」

「そうか。俺の分もやるからほどほどにしておけよ」

「えっマジ? ありがと子川くん」


 食い過ぎると太るぞ。喉元まで出かかった野暮な言葉は試食のお供に出された紅茶で飲み込んだ。


 この時飲んだ紅茶が妙に渋く感じたのは単純に茶葉の量を間違えたからではないだろう。きっと理由は他にあると思う。


 チームワークを乱す邪魔者がいなければ作業はスムーズに終わるし、何より出来上がりも良い。高評価を得るなら不要な人物は最初から切ればいいのではないだろうか?


 実習が終わったあたりでそんな悪い思考が俺の中でグルグルと渦巻いていた。


 ただ一つだけ言える事は今日の授業は何ごともなく平和なまま終わったということだ。

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