第5話 担任が美人の従姉だと何かと目を付けられて辛い
「子川くんダッサ! 言ってる自分が遅刻してやんの! マジウケるんだけど!?」
自分の席に着くと隣から朝の挨拶もなく開口一番で小虎がそう言った。概ね予想通りの展開だった。
「……うっせ。ちょっと色々あったんだよ」
「えー色々って何? わたしすごーく気になるなー」
ニヤニヤと笑うテンション高めの小虎に「べつに」と素っ気ない返事をするとニヤけた面が急にシュンと真顔に戻った。
「あっ、ごめん。やっぱ昨日は無理させちゃった? もしもそうなら誘ったわたしのせいだよね? 今度からはもっと気を付けるから」
そう言って申し訳なさそうに謝る小虎。謝罪するという事は多少の罪悪感はあったらしい。
しかし、そんな謝罪は全くの的外れなわけで。小虎が謝る必要は一切ない。なんせ昨夜はなんだかんだで俺も楽しかった。
「ちげーよ。遅刻した理由はバイクがエンストしたせいだ。小虎は関係ない」
「ダッサ! やっぱ子川くん笑いの神様に愛されてるなー」
しょんぼりしていたのも束の間。再びケラケラと笑う隣人にさっき募らせた一抹の罪悪感を返せと言ってやりたかった。
「朝礼を始める。みんな席に着いてくれ」
入室した担任の発する凛々しい声を合図に喧騒に満ちていた教室内は真冬の雪原の様に静まり返った。
「せんせーおはよーございます」
クラス委員長である小虎の号令でクラスの面々が担任の教師に「おはようございます」と朝の挨拶をする。
意外に思われるかもしれないが小虎のやつはリーダーシップがそれなりに備わっている。クラス委員長や学校行事のまとめ役から挙げ句の果てには合コンの幹事など責任者の役職に就く事が多い。
そのせいで余計なストレスを抱えることもあり友人の目線で見ても難儀な性格だとは思っている。
「では出席を取るぞ。一番──」
名簿に視線を向ける担任の教師・龍ケ
純白のコックコートに身を包んだその姿を撮影すれば下手な女優よりも映える映像が撮れるだろう。
漆黒のポニーテールが妙に様になっている。まるで武士道を重んじる侍のようだ。
背も割と高い、スタイルも良い、顔も綺麗。おまけに二十五歳と教師にしては若いときたもんだ。
そんな美人が担任ならクラスの男子はさぞや幸せな学生生活を送っているだろうと──そう思うのは断じて大間違いだ。
この美人教師には『ドラゴン桜花』というはた迷惑な通り名がある。呼ばれている理由は想像にお任せする。ヒントは名前。
というか、怖くて下手に人物評価なんてできたもんじゃない。
なんせ龍ケ花先生は俺の──
「子川綾人。呼んでいるんだが返事は無いのか?」
「──あっ、はい」
「最前列で何を呆けている。どうやら子川の頭はまだゴールデンウィークが終わっていない様だな?」
しっかりしろ。そう言ってギロリと担任に睨まれた俺は蛇に睨まれた蛙ならぬドラゴンに睨まれたチワワくらいの心情だった。
美人の眼光は背筋が凍るくらい鋭かった。
「はい。すいません……」
まったく困ったもんだ。座席がど真ん中の最前列だと何かと担任に目をつけられる。
「……ふひ、ダッサ」
隣で必死に笑いを堪えている小虎。お前、後で覚えてろよ。
「小虎、私語は慎め」
「あっ、はい。さーせんした」
天罰がくだったのか担任に注意される小虎。隣人には悪いが「マジざまぁ」と内心でほくそ笑んだ。
「欠席が何名かいるが、ひとまずは我がクラスの面々がゴールデンウィーク中に何かしらの不祥事を起こさなかったことをここに報告しよう。私の耳に入っていないだけかもしれないが皆には引き継ぎ節度を守った学園生活を過ごしてほしい」
ふと、ゴールデンウィーク前に注意された龍ヶ花先生の言葉が脳裏をよぎった。
あまりハメを外すなよ。二十歳ではあるが君達はまだ学生なのだから、と。
こういう注意が事前に入るのが大学と専門学校の違いなのだろう。
高校よりも自由なのに大学よりも自由が効かない学校。それが俺が抱いている専門学校に対する
「知っての通り二年生になった諸君には休み明けから様々な課題が待ち受けている。七月の夏季研修もそうだが、秋に開催される技能五輪やジャパンケーキショーに向けた選考会。前期試験と本丸の製菓衛生師試験も夏休み明けに控えている。夏休みはあってもあまり余裕は無いと思っておいた方が良いだろう」
担任の口から今後のスケジュールをざっと紹介されるとやる事があり過ぎて少しばかり意欲が削がれた気分になる。
「冬には就職活動も控えている。進路選びは君達にとって重要な選択の一つだ。今から就職活動に向けたアンケート用紙を配る。研修先も含めて可能な限り自分の希望を書いてくれ」
配られたアンケート用紙に目を通すと書かないといけない項目が多くて俺のテンションがメジャーリーガーのフォークボールより急激に落ちていった。
「せんせー、プレッシャーになる事ばかりだと疲れるんで何か楽しい学校行事とかもお願いしまーす」
重くなったクラス内の空気を読んだのか、単に胆力が無駄に有り余っているだけなのか、小虎の奴がそう声を上げた。
「ふむ。学校行事ならゴールデンウィーク前にみんなで『笹団子』を作っただろ」
「あれ学校行事だったんですか!?」
小虎の過剰なリアクションにつられたクラスメイトの面々は「あれ学校行事だったんだ……」と驚いた様子を見せる。
学園生活二年目にして知った驚愕の事実だった。いや、去年もやったけど。
「なんだ不満か? 我が校に脈々と伝わる大切な行事なんだぞ」
「いや、そーゆーのじゃなくてもっとこう文化祭とか体育祭とか修学旅行とかテンション上がるイベントを言って欲しかったんですけど……」
「テンションが上がるイベントか。ハロウィンはそこそこ忙しいし。クリスマスは──ただの地獄だし。バレンタインも──割と地獄だし。イベントなんて何一つ楽しい事はないぞ?」
「あっ、はい。もう大丈夫です……」
どうやら仕事脳の龍ヶ花先生は重い空気を払拭したかった小虎の意図を読み取れなかったらしい。
流石はクラスのまとめ役、少なくとも場の空気は多少なり和んだ気がする。
「まぁ、なんだ……褒美、というわけでは無いが十一月にヨーロッパの研修旅行が控えている。特にフランスは良いぞ。思う存分に本場の洋菓子を楽しめるからな」
十一月なんて半年も先じゃないですか。なんて野暮なツッコミはクラス内の誰一人として声に出さなかった。
「わたし、この戦いが終わったらフランスで本場のマカロン食べるんだ……」
わざとらしい死亡フラグを口にする小虎の瞳はわずかに涙で濡れていた。
どうか十一月まで強く生きてほしい。そう願わずにはいられなかった。
そして。
朝礼が終わると嫌な予感が的中し案の定というべきか、龍ヶ花先生に「廊下に来いと」呼び出しを食らった。
間違いなく遅刻の件だろう。うちの担任は遅刻にやたらと口うるさいから。
人気の無い廊下の隅に向かうと威圧感が溢れ出ている担任教師の姿があった。今から池田屋に討ち入りでもするのだろうか。現代が幕末じゃなくて本当に良かった。
「遅刻した理由は生活指導の先生から聞いている。バイクが故障したそうだな」
「あ、はい。申し訳ありません」
とりあえず謝罪だけはする。どこぞの誰かと違って俺は軽口を叩けるほど胆力がないから。
ましてや相手がこの人なら
「単に寝坊なら気を付けろの一言で済ませるつもりだったんだがな。メンテナンスの不備は事故に繋がる重大な過失だ。ましてやバイクは自分の命を預ける物だからな。以後厳重に気を付けろ」
「はい。すいません」
たかがメンテナンス不備で、と思うかもしれないがこの人は昔から何かと俺に『大きなお世話』を焼いてくれている。
目を掛けてもらっていると言えば聞こえは良いが要は未だに俺を子供扱いしているだけだ。
「それはそれとして、最近の調子はどうだ綾人。バイトが忙しくてまた部屋が散らかっていたりしないか?」
「……お陰様で部屋だけは綺麗だよ」
問答無用で断捨離されたからな。家に生活必需品しか残ってなくて娯楽的要素がテレビとゲームしか残ってない。
「そうか、正月に家庭訪問して部屋を掃除した甲斐があったな」
「ゲリラ的に来る家庭訪問は担任の仕事ではないと思うんだけど」
「あれは担任としてではなく私個人の仕事だよ。従姉の姉として不出来な弟分の面倒を見るという言わば大人の責務だ」
「桜花姉はいつまで俺を子供扱いするんだよ。俺だってもう二十歳なんだけど」
「二十歳でも綾人は私の従弟で私の生徒に変わりはない。それに私よりも精神面がまだ幼い。悔しかったら背丈だけじゃなくて精神面でも立派になれ。私よりもな」
そう言って担任の教師であり俺の従姉でもある龍ヶ花桜花は目を細めて薄く笑った。
こうやって普段は見せない柔らかい表情を見せられるとその笑顔を他の人にも見せてやれば良いのに、と思う。
「ふふ、頭を撫でようにもこうも背が高くなってしまってはそれも叶わないな」
「だから子供扱いはやめてくれって」
「小さい頃の綾人は素直で可愛かったんだけどな。お姉ちゃんは少し寂しいよ」
寂しいなら早く彼氏を作ってそのまま結婚してくれ。言ったら処されるから何があっても言わないけど。
「進路のアンケートはなるべく具体的に書いてくれ。叔父さんも綾人の将来に期待しているはずだ、頑張れよ」
「…………」
私も期待している。そう言って背を向け漆黒のポニーテールを揺らしながら龍ヶ花先生は廊下の角に消えて行った。
姉代わりの担任教師を見送って俺はふと思う。
兄や姉が下の兄弟の面倒を見るのは別に特別なことじゃない。
相手が自分よりも歳下だから何かと世話を焼きたくなるだけだ。
そこに特別な感情はない。こっちからしたらそれは当たり前のことだからだ。
優しさなんて存在しない。あるのは義務感だけだ。
ズルい、か。確かに普段は見せない顔を自分にだけ見せるのはズルいよな。
「……甲斐性のある世話焼きお姉さんとか、従姉じゃなかったら惚れてるつーの」
誰にも聞かれない独り言を呟き俺は自分の居るべき場所にこっそりと戻った。
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