選択
その声は和らいでいた。比較して、今まで聞いていたトウカの声が、酷く疲れて強張っていたのだと思い知る。
しかし、嫌がられて、怒られて、憎まれて、さらに嫌われるのだと思っていた。そんな声を聞くことになるとは思っていなかった。あるいは最後通告かも知れないと考えて、怯む。
「しかも、それで、儂は救われる。――なんと都合のいい」
微笑みに自嘲が滲んだ。都合がいいと思ってもらう訳にはいかない。トウカはユウケイを嫌っていて、故に手助けをはね除けてしまう。
「トウカさんのためじゃないですよ。貴方が見たいつかの人たちと、メルさんと、自分の好奇心のためです」
「……うん。そうじゃろう。だが……」
その先を言わず、しばし沈黙した後で、再度トウカは口を開く。
「今から儂が言うことを、けして覚えるな」
「え、えぇ。はい」
トウカは息を吸って、明瞭に言った。
「ありがとう、ユウケイ。助けようとしてくれて」
太陽と共に生まれた朝露。冷たい夜に光る星。澄んだ空に舞う風花。
その時のトウカの目は、そういうものに似ていた。
「あの時……借りを返してもらいに、儂がお前に会いに言った時。儂は、未来を変えることに意味があるのか、聞こうと思っていた。……そう疑念を抱く時点で、儂は疲れていたし、何より飽いていた。助けようとすることも、助けないでいることも、どちらも苦しい割に、どうでもよくて」
その言葉は独白のようだった。ユウケイに聞かせるための言葉ではなかった。だから、思うところはあったが、相槌は打たず、黙って聞く。
「だけど、今は少し気が楽じゃ。何も変わってはいないが……お前のおかげで。息がつけた」
元々恩返しだということもあったし、トウカからの感謝は望んでいなかったが、自分のおかげだと言われると、やはり嬉しくなる。
その緩みを叱りつけるように、トウカは手を握りしめた。
「だが、それは。それは……さすがに、甘え過ぎじゃ。悩まなくていいなんて、そんなのは。結局、何も選択出来ないのだとしても、儂は、そのことを悔やまなければならない。それもまた自分の選択として、責任を持たねばならない」
決然とした顔は、ユウケイの言葉を必要としていない。
「だから、脅されたからではなく、自分の選択として、儂はお前の手を取るぞ」
言い切ると、トウカは深々とため息を吐いた。
「……最悪。反吐が出る。今言ったこと全て取り消して、お前蹴っ飛ばして帰りたい」
「止めてくださいよ。忘れるから。結論だけ、受け取っておきます」
結局甘えられているなあと苦笑いする。ただ、口が悪いのは何とかした方がいいと思うが、甘えられていること自体は、別に悪い気はしなかった。
今は咎めないでおく。たぶんトウカは、精一杯頑張ったのだろうから。
微笑ましく思う気持ちは表に出さないよう事務的に、今後のことを軽く話す。
メルにはもちろん、それ以外の人にも、トウカが見た未来のことは、すぐには話せない。将来、メルが人々に何らかの危害を加えるとなれば、どうあっても監禁などの手段を取ろうとする人は現れる。
しかし、書斎にあるという「答え」が見つからなければ、別に未来を回避する手段を考えなくてはならない。この二つは並行してやるべきだが、そのためには、協力者がいる。
加えて、トウカが健康的な生活を送れるように、面倒を見る人も、しばらくは必要だ。勝手に未来を見てしまう目では、大多数と同じ授業は受けられないから、適宜少人数授業などを案内した方がいい。
本当なら自分でやるべきだが、放っておくとこの子供は、また書斎にこもりきりになる気がする。学舎に入れて放置は出来ない。
トウカは最初は渋っていたが、ユウケイでは抵抗があるのなら、別に人を用意すると言うと、何とか手を打ってくれた。
たぶん、そのうち自分で頼れる相手も見つかるだろう。何せ学舎には色々な人がいる。
話を終えて、最後に問いかけた。
「もし良かったら、トウカさんの目から見たメルさんについてだけ、教えてもらえませんか?」
「役に立つようなことは、何も知らんぞ」
「あぁ、いえ。トウカさんの目から見た……つまり、関係性です。友達だとか恋人だとか」
「……何故、そんなことを知りたい」
乱暴なことを聞いている自覚はあった。「不躾で申し訳ねぇとは思いますが」と付け足しつつ、問いに答える。
「普通に人付き合いする分には何だって構いませんが、深く介入するのなら、ある程度分かっておかないと。例えば、友達同士の二人への対応と、恋人同士の二人への対応は、全く同じではないでしょう」
トウカはその説明で納得したようだった。しかし、顔を背けて小声で唸る。
「関係か……。何じゃろうな」
「言葉に出来ない関係もあることは、承知しています。トウカさんの言葉だけを鵜呑みにする訳ではありませんから、あまり正確でなくても構いません」
トウカは絞り出すように口にした。
「……友人。恩人でもある。あと、口うるさく言われる時は……極たまに、子であるような気がする時もある」
口うるさくなってしまう気持ちは、少し分かる気がする。
まだ言い足りないようで、トウカは天井を仰いで考え込んだ後、口を開いた。
「それと……仇でもあるか」
その瞬間、冗談には見えない顔をしていた。
ユウケイの顔を見たトウカは、酷薄そうに笑った。
「……ふん。一々勘繰られるのも、それはそれで気に障りそうじゃ。メルの未来も含め、会った時のことから話してやるから、お前の方で上手く解釈しろ」
「え。……それは、いいんですか。色々と」
トウカは目を伏せる。どこかぼんやりとした声が答えた。
「お前がどう感じるのか、興味もある。多くの人と会って来たお前になら、彼奴について理解出来るだろうから」
それは負け惜しみには聞こえず、むしろ、ユウケイの経験と知識への信頼に満ちているように聞こえた。初めて素直に頼られたような気がして、胸をつかれた。
「……それでは、ありがたく拝聴します」
そこで終わっておけばいいものを、居心地の悪さと微妙な後ろめたさに耐えられず、問いかけた。
「……ところであの、今の、忘れた方が良かったりします?」
しばし沈黙してからトウカは「うん」と顔をそらした。その瞬間、言わなければ良かったと軽く後悔したが、同時に、安堵もしていた。
いつか。それを望むことは、きっと不毛ではない。
だんだんと不機嫌そうに口が曲がっていくのを見て、気をそらすためにも、話を、と促す。トウカは一つ息を吐いて、話し始めた。
話している間のトウカは、終始どこか、寂しそうだった。
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