脅迫

「あ、あぁ」

 戸惑ったような顔に少し笑いそうになりながらも、努めて淡々と告げた。

「でも、何かあると知って、見過ごすことも出来ない性質でして。だから俺、未来予知の研究をする代わりに、メルさんの研究をすることで、その未来を回避出来ないか、やってみようと思います」

 トウカはたっぷりと間を置いた後、心底怪訝そうに言った。

「……は?」

「メルさんがその未来の中心にいるんでしょう? だったら、メルさんに張り付いていれば、変えられるかも知れないじゃないですか」

 じっとトウカに凝視される。視線の圧に負けて、目をそらしながらも話を続けた。

「単純に研究してみたいという下心は、ないでもないですが……メルさんのためでもあります。メルさんの魔術の性質はどうあれ特殊ですから、放っておくといつか、妙な研究者や組織に目をつけられるかも知れない。そうなる前に、学舎の研究者の研究対象として管理、かつ保護する方が良いと思うんです。学舎と対立するとなれば、下手な輩は手を出して来なくなりますから」

 これは嘘でもない。例えば、以前の魔獣食堂襲撃事件の時、魔獣を討伐しなかったのは、魔獣が誰かに管理されている可能性を考えてのことだった。だが、もしあの時点で管理者を確認し、管理者がいないことが分かれば、魔獣は殺されていても仕方なかった 。同じことがメルにも起こらないとは限らない。

「逆に、メルさんが何かしても、学舎で守ることが出来る」

「……お前は本当に、世話焼きじゃのう」

「どうも」

「余計なことをするな」

「嫌ですか。残念。でも、それだけでは止める気にはなれませんね。研究のためしつこく付きまといますので――それか、研究室に監禁でもした方がいいか。まあ、何にせよ嫌になる程顔を合わせることになるでしょうから、これからよろしくお願いします」

 憎々しげに睨まれる。

「……まあ、どうせメルの方から断られるじゃろうな。好きにすればいい」

「メルさんは断りませんよ」

「……何の根拠があって」

 馬鹿にしたように笑いながら、だが少し不安さも滲ませて、トウカは問いかけて来る。

 どうせ嫌われ役になるからと、精々憎たらしく笑って見せた。

「断られそうになったら、「詳しいことは分かりませんが、トウカさんがメルさんの未来に懊悩しているので、解決するために協力してくれませんかー」と、正直に話すので。トウカさんに優しいメルさんは断りません。でしょう?」

 んぐ、とトウカの喉で、蛙の断末魔のような音がした。

「ま、待て。それは言うな。──そうじゃ、命の恩が残っておるな。それを使う。お前、これ以上関わって来るな」

 どうしてもトウカはメルに、自分が見た未来を知られたくないらしい。それで人々に嫌われて来たのだから無理もない。その気持ちを踏み躙るようで心苦しかったが、しらっと応える。

「深く恩義を感じているからこそ、その頼みは聞けません。さっきも言いましたが、これはメルさんのためでもあるので」

「この……」

 トウカからの感情が、大嫌いから憎しみへ変わっていくのを感じながらも、最後の一手を打った。

「まあ、研究も保護も、別に俺である必要はないので、生徒か研究者で他にやりたい人がいるのなら、その人に譲りますが」

 これが上手くいかなくても構わない。しかし、上手くいったら良い、と思いながらトウカを見る。

「他?」

 少し視線をさ迷わせた後、トウカは微妙に面白くなさそうな顔で答えた。

「が……学長、に……頼んで……。引き受けるかは、知らんが……」

 思わず苦笑いした。

「そうなりますか。難しいな」

 そう言えば、トウカから学長への、信頼の程度も分かっていなかった。これは予想外だと困っていると、呟きを聞き咎めたトウカが、訝しげに睨みつけてくる。

「……「難しい」とは何じゃ。また何か企んでおるのか」

「「また」って。今回は確かにちょっと、こうなったらいいなという希望はありますが、そんなしょっちゅうやりませんよ」

「……」

 どうでもよさそうに、トウカは目を伏せる。

「また、と言えるくらいに手慣れていれば、もう少し上手くやれるんでしょうが。どうも後始末にしか縁がないもので、こちらから仕掛けるのは不慣れです」

 ユウケイの言い訳めいた言葉が、空虚に響く。

 完全に無視して考え込んでいたトウカは、ぽつりと言った。

「では、代わりなど……」

 たぶん、このままでは、ユウケイが欲しい答えには辿り着かないと察する。もう少し助け舟を出すべきかと考えた時。

「儂、か」

 不意にトウカは答えに達した。

 メルを知る者は、メルに肉薄することを許される者は、他にない。他に選択肢はない。

 ただ、それだけでは足りない。

「今のトウカさんには譲れません。魔術研究院管理局被験体管理部への登記は、学舎か研究院に所属していないと出来ませんから。――トウカさんが学舎に所属して登記するなら、いよいよ俺に手を出す権利はなくなる訳ですが。生徒でなくて、残念でしたね」

 トウカは視線を揺らした。ここまで言えば、ある程度ユウケイの狙いは分かってくれるだろう。

 トウカを生徒にする。一人にしないために。ユウケイが駄目でも、他の誰かがトウカを助けられるように。メルやユウケイといった限られた人だけでなく、不特定多数の、トウカが思いも寄らない人の交流を与えたい。

 ただ、素直に受けてくれるかどうか。まだ安心は出来なかった。

「つーか。どうして、生徒じゃないんですか? 機会はあったと思うんですが」

 ここが、分からない。理由によっては、全ておじゃんになる、致命的な聞き損ない。

 トウカは何故、生徒ではないのだろう。

 生徒になれば、生活や研究において、何かと融通がきくようになる。未来を変えて、メルのすることを止めるという目的も、自分から何かしない限りは、阻害されることもない。

 無論、色々な手続きは必要で、その分痕跡も残る。ただ、二人の協力者は学長。面倒事を回避する手段は、いくらでも用意出来そうなものだ。

 加えてユウケイの手元には、処理し切れない奇妙な事実が一つある。それが、学長をさらに怪しく見せる。

 トウカがどうするにしても、生徒にならなかった理由は出来れば知っておきたかったので、首を傾げてじっと見返した。トウカはたじろぎながらも答えた。

「必要がなかった。学長が、この部屋に、儂の求める答えはあると言うておった。そこに答えがあると分かっているのに、他の余計なことで時間を取られることもない」

 聞いてみれば、色々と腑に落ちた。二人が誘われたのが、他の禁域ではなく、ヘルメスの書斎であった理由など。

 畏れると言うより、呆れてしまう。

「何なんだ、あの人は……」

 禁域は学舎の秘密。主に管理しているのは学長だろうし、置かれている書物の中身も知っていて、おかしくはない。ユウケイが引っかかるのは、そこではない。

 学長は「答えはある」と、存在だけを示唆した。そこが気に食わない。答えがどこにあるかは分からなかったのかも知れないが、その曖昧さのせいでトウカは、一人この場所で答えを探すことになった。

 出来る範囲での精一杯の協力をしたと言われれば、否定出来ないのが、なおのこと鬱陶しい。

 しかし、「答えはある」という希望のせいで、トウカが追い詰められることを、学長は想定していたはずだ。持て余していた奇妙な事実が、ユウケイに直感させる。

 学長は、ユウケイが二人に会うよりずっと前に既に、トウカとメルの管理者としてユウケイの名前を、勝手に登記していた。

 それを知ったのは、トウカの素性を調べている過程でのことだった。何か情報が得られないかと、念のために管理局に問い合わせてみたら、トウカとメルらしき形態の魔物が、何故か自分の名前で研究対象として登記されていた。

 その時点では、誰が何のためにそんなことをしたのか、分からなかったが。今思えば明らかに、やったのは学長だ。

 ただ、不可解だった。

 非合理ではない。

 研究対象として登記されていれば、不法滞在にならない。また、さっき言ったように、危険な人物や団体に危害を加えられそうになっても、学舎の名の下に庇護を期待出来る。

 逆に、登記自体には何ら損はない。管理局から振る舞いをうるさく言われたり、所在地を確かめられることはない。研究対象の管理は厳密ではない。敷地の外にいる研究対象も存在するため、厳密に管理にしようがないのが実際のところだ。

 生徒のように授業などの時間的拘束がないだけ、研究対象として在る方が、自由かも知れない。

 だから理解は出来る。むしろ妙手だ。不都合なく、利益だけを得ている。

 しかし、それにユウケイの名を使ったことが、ずっと納得いかなかった。

 その疑問が、今、何となく、直感的にではあるが、解決した。

 恐らく――もし、二人が問題を起こしても、直ちにユウケイに連絡がいくようにするためだ。例えば、根を詰め過ぎたトウカが倒れた時。袋小路に入ったトウカが誰かの知恵を借りたくなった時。助けを求めてのばした手の先に、ユウケイが居るように。

 学長は二人に、入学式のことなど、ユウケイの話をしている。それもたぶん刷り込みだ。まるで知らない相手ではないという安心感を与えるための。結果として、知らぬうちに一方的に嫌われていたが。

「なあ。……生徒に、なれるのか」

 呼びかけに顔を上げた。

「なるつもりがあるのなら、誰でも、いつだってなれますよ」

 答えながら、学長のことを頭から払う。今はどうにも出来ないことだし、優先度も高くない。何しろ、結果的にかも知れないが、学長の行動は何の不都合も生み出してはいない。迷惑をかけられる立場として、勝手に予定されていたユウケイも、今は自らの意志で動いている。

 ひとまずはトウカのことが先決だ。トウカの心身を健やかに保つため、様々な人や知識と接することの出来る環境に身を置いてほしい。そのためには、生徒になるのが相応しい。

 生徒ではない理由が、「必要がない」という、それだけのことなら、それ程問題はないだろう。

 そう思ったのに、ユウケイの答えを聞いてもトウカの表情は暗く、重い荷を何とかして抱えているかのようだった。

「何か他に、問題が? 授業に出るのが嫌とか」

「問題はない」

 問題あるんだろうな、と思った。トウカ自身にも、明確に理由は分かっていないのかも知れないが。だが、この際、そこには触れない。トウカの納得は必要がない。

「……何にせよ、トウカさんが生徒になって、メルさんの研究者にならないのなら、俺がその位置に収まるだけです。俺としては、それでもいいんですけどね」

「脅し……」

「そうですよ。正直、問題があろうがなかろうが、トウカさんに選択肢はありません」

 意外にも、トウカは微かに笑った。

「それは、楽じゃな。とても楽。悩まなくて済む」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る