秘密

「……二度と言うなと言ったのを忘れたか」

 完全にメルの独断であり、そして気に食わない言葉であったらしく、その声には赤々とした怒りがこもっていた。

 光の異界へ行った折、ユウケイは、トウカの魔術に関しても当然調べた。一旦怒るトウカを見て見ぬふりして、これ以上あまり刺激しないように、言葉を伏せて問いかける。

「研究と言うのは、魔術を……ですか」

「うん。だけど、ただ理解するだけでは意味がない。最終目的は、トウカを助けることだ」

 表情は分からず、ただ黒い。声は人を誘惑するように耳触りが良い。どういう感情で話しているのか簡単には分からない。

 だが、ユウケイの耳には、その言葉に嘘はないように聞こえた。

「あの街に行ったのなら、トウカのことも聞いたんだろう? 知っているのなら、助けたいと思うはずだ」

 確かに、知ってはいる。


 学長に連れて来られるまで、二人が住んでいたのは、光り輝く市の「外」にある墓場だった。

 何故なら。

 その市の中に、トウカがいる場所はなかったから。

 トウカは忌み嫌われていた。

 悪人と見なされていた。

 何故なら。

 「変えられない」未来を見る魔物だったから。


 昔、魔物と人間は対等の関係になく、物事は人間中心にあった。魔物が平穏に暮らすには、人間の社会に合わせる必要があった。

 しかし、全ての魔物がそう出来るはずもない。人間に害をなさなければ生きていけない、そういう魔物もいた。

 人間はそれを悪と呼んだ。

 魔王が起こした平等革命を契機に、社会は変革する。人間と魔物が対等にいられる社会を作る取り組みが推進されるようになった。魔術研究院附属第一学舎もその流れで創設された施設だ。

 しかし、魔物と一口に言っても、実際には様々な生態を持つ人々の集合体。全ての魔物に住み良い社会はすぐには作れない。

 トウカも、意志とは裏腹に、その性質によって社会から溢れてしまう魔物の一人。

 未来を見るだけならば、救世主にもなれたかも知れない。しかし、変えられない未来は何の役にも立たないどころか、人々に絶望を撒き散らす。

「具体的に、望むものは何ですか」

「対症療法はいらないんだ。どうせ、トウカの美しさを曲げて、社会の方に合わせるやり方しか出て来ないだろうからね」

 魔術の発動の根本にあるのは魔力器官であるのだから、何らかの方法で魔力器官を封じてしまえばいい。あるいは人里離れた所で暮らせば、風聞に苦しむことはない。探せば他にも方法はあるだろう。しかし、メルの言う通り、何かしら不自由にはなる。

「……そうですね。駄目なんですか?」

「トウカは何も悪くないのに、何故変わらなければならないんだ」

「そうは言っても」

 言おうとした瞬間、ぞくりと寒気が走った。

「とは言え月に叢雲花に風。いくら恨んでもどうにもならない物はあると、理解はしているよ。だから、社会を変えろとは言わない」

 笑み混じった声が言う。

「具体的には、未来を変える方法を見つけて欲しい」

 瞬間、空気を裂くようにトウカが叫んだ。

「誰がそんなことを頼んだ!」

 鮮血を散らすように怒りが迸る。無意味とは知っているだろうに、トウカは立ち上がって座布団をメルに向かって投げつける。案の定座布団はメルを通過して、後方にばさりと落ちた。トウカは苛立たしげに地団駄を踏んだ。

「おいユウケイ、断れ。聞くに値せん戯れ言じゃ。人に黙って、勝手なことを」

 何故、そんなにも怒るのか分からない。

「あぁ──分かったぞ、メル。お前、儂をも罠にかけようとしたな」

 トウカは微かに震える指で、メルを指した。

「ユウケイ。こいつが回りくどい罠をしかけた本当の目的は、お前の進退を人質に取って、儂に研究を了承させることじゃ。儂を説得するのは無理と思うて、他人を巻き込みよった」

「あぁ……」

 遅れて理解する。

 そもそも、メルにとって一番の障壁は、ユウケイではなく、トウカだったのだろう。

 理由は分からないが、トウカは以前にも研究を提案され、それを強く拒絶していた。

 しかし、研究にはトウカの合意が不可欠だ。

 メルが思うように研究をさせられる研究者を得たとしても、最終的にトウカに拒絶されて終わるようなら、意味はない。

 だからメルは、トウカに拒絶されないように策を立てる必要があった。

 その方法が、ユウケイの進退を人質に取ること。

 本来の計画通りなら、トウカの研究は、ユウケイの処分を取り消すための交換条件となっていた。

 自分が拒絶すればユウケイが処分を受けると言われれば、トウカは渋々でも研究を受け入れる。少なくともメルは、そう考えた。

 しかし、その計画は破綻した。

 メルの望みを叶えるためには、トウカの説得が必要となる。

「頼むよ、ユウケイ君」

 鼻につく声だと思った。

 一番気に食わないのは、メルがユウケイのことを、「善人だ」と言ったことだ。

 ユウケイにだって、これからやりたいことがある。一生を懸けてもいいと思ったことだ。

 しかし、メルの頼みを聞けば、そのための時間も労力も奪われることになる。どれだけかかるか分からない。だから、自分の望みを叶えたいユウケイは、この頼みを無視したい。

 善人でなければ、迷わずそう出来たはずだ。

 ユウケイには、すぐには決められない。

 その善性を見越され、あまつさえ当てにされているのが、腹立たしい。

 一つ、息をつく。

「……トウカさん次第、ですかね」

 トウカに向き直る。収まり切らない苛立ちと、外敵を見つけた猫のような警戒心が、表情いっぱいに溢れている。

「……儂の答えは決まっておる」

「何故、そう拒むんです?」

 研究自体はそう悪いことではないはずだ。未来を変える方法が分かったとしても、変えないという選択肢もある。未来を変える方法を知ること自体は、選択肢を増やすだけで、損にはならない。

「未来を変える方法を、知りたくないんですか?」

 視線が揺れた。

 やはり、未来を変えたくない訳ではない。

「例えば。未来を変える方法が分かれば、一方的に責められることはなくなりますよ。今まで悪者を見るように見て来た奴らに、テメェらの力不足だって言ってやれる」

「そんなものはいらない」

「でも分かったって困らないでしょう。選択肢が増えるだけです。変えたくない未来は、誰にも言わずにおけばいい」

「……そういう問題ではない」

 だが、その問題とやらを言おうとはしない。

 以前、トウカと学庭で話した時のことを思い出す。トウカはメルに関する秘密を抱えている。

 トウカの拒絶の強さは、あの時と重なった。

「それも一人で抱え込むつもりですか」

「余計なことを言うな」

「どうして、誰にも頼ろうとしないんです?」

 その態度は徹底している。わざわざ学舎まで来たと言うのに、ヘルメスの書斎にこもって、ユウケイが調べても出て来ないくらいに、他者との関わりを断っている。

 魔術的な困難や市での過去について知ったから、人を避ける性質なのだと、何となく納得していたが――本当にそれだけなのだろうか。

 授業での様子を思い返すと、人が苦手ではあるのかも知れないが、特別に人嫌いであるとは思いにくい。

 一人でやることに、単純な好き嫌いではない、れっきとした理由があるとしたら、どうだろう。

 基本的に、自分の能力を超えた問題は、一人で抱えていても解決しない。解決出来そうな人を、さっさと仲間に引き入れることが肝要だ。

 だが、一人でやることにも、一つ利点がある。

 秘密が広まらないことである。

 例えば手柄の総取りをしたい時。自分の間違いを知られたくない時。悪いことをする時。一人でやる必要が出て来る。

 だが、トウカはそれを、メルにすら隠そうとしている。

 一番頼りにしているのは、メルだろうに。

「あぁ、そういうことか」

 不意に脳内に光が走った。

 誰にも知られたくない秘密。メルすら知らない、トウカだけが抱える秘密。そんなものは一つしかない。そして、そのせいで研究されることを恐れているのなら、それは無理からぬことだ。

「トウカさんは、メルさんの――」

「言うな」

 食い気味に遮られ、見ると、ただでさえ白い顔から、さらに血の気が引いていた。

「それ以上、言ったら……」

 脅しのようだが、後は続かない。美しい青い目が、縋り付くように見詰めて来る。今にも切れそうに張り詰めた糸を、その目の奥に幻視する。

 少し迷ったが、メルに顔を向けた。

 以前に、夢魔から聞いた話が脳裏に蘇る。

 トウカはメルと名を呼びながら、燃える街の夢を見ていた。

 それが、単なる夢でなかったとしたら。――実際に見た未来を元にしたものなのだとしたら。

 トウカは、メルが致命的な悪を成す未来を見たのではないか。

 その未来を、研究の過程で、自分以外の誰かに知られることを、恐れている。

 一度見た未来予知を再び確認するかは場合によるだろうが、有り得ないとまでは、言い切れない。そしてトウカは、ほんの些細な可能性であっても、大丈夫だろうと楽観視することは出来なかった。

 万が一にでもそれが、誰かに伝わってしまったら、メルの立場も命すらも、危うくなるから。

 しかし、メルには何も言えない。

 トウカはずっと、変えられない未来を見たことで、迫害され続けてきた。加害であると念入りに刷り込まれてきた魔術を、最も大切な人に向けたことだけでも苦しかっただろう。その上、あまりにも酷いその内容を告白することなど、出来なかった。

 こうしてトウカは一人になった。

「メルさん、書斎へ。俺とトウカさんの二人だけで、話をさせてください」

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