対話空間

 本棚に収められた本は、製本された物ばかりではなかった。大小異なる紙を紐で無理やりにくくった紙束や、石版、紋様の入った箱などが乱雑に押し込められている。よく見ると本棚の規格も統一されていない。硝子の扉が設えられている物もある。

 ひとまず、目に見えて危険な物は見当たらない。しかし、ニコの言ったように、そう一筋縄ではいかないのだろう。気になる物を見かけても、触れるのは止めておいた。シャラクがニコに合鍵くらいは作らせるだろうから、次の機会に便乗しよう。

 足音は赤い絨毯によって吸収される。たまに背後でニコの作業の音が軽くするくらいで、それ以外の時、書斎は静かだった。

 トウカにこれまでの経緯を説明し、一段落つくと、メルが言った。

「先程、妙なことを言っていたね。私の本当の目的というのは、どういうことだい?」

「今更、誤魔化す程のことではないでしょう」

 声の聞こえた足元に筒型灯を向けると、光から逃げるように微かな黒い粒子が散っていった。

「メルは灯りが苦手じゃ。止めてやれ」

「すみません」

 「面倒をかけるねえ」などと気の良い老人のように言うメルを無視して、トウカに問いかけた。

「ところで、ここっていつも暗いんですか?」

「暗い。灯りも窓もないんでの」

「どうやって生活してるんです?」

「今は手元にないが、筒型灯がある。それに儂は多少、暗闇でも目が見える」

「視界はそれで確保出来ても……暮らすには不便でしょう」

「メルが何とか……。メルに何とか、させておる」

 言い直したのは、「させている」ことを強調したかったらしい。

「そうなんだよ! トウカは人使いが荒過ぎる。全く。寝る暇もないくらいだ。ユウケイ君からも言ってやってくれないか」

「メルさん、便利そうですもんね」

「君までトウカの味方かい? 分かるけれどね。この世に二つとない神秘的な碧玉の目に、きめ細かい肌。もちろん性格も……少し生意気なところもあるが、それを補って余りあるかわいげがある。全くこんな暗闇で眠らせておくのがもったいないよ」

「……おい。これは儂が話を戻さねばならんのか?」

 呆れ顔を受けて話を戻す。

 メルがユウケイをこの場所に呼び出した理由は、人に聞かれない場所で話すため、それ以外にも目的があるという話だった。

 これに関しては本当に、言うまでもないような簡単なことなのである。

「話を聞かれたくないというだけなら、メルさんのあの空間で話せばいい。大勢の人のいる学舎の敷地で、トウカさんを完全に隠せるくらいですし、出来るでしょう?」

「うん、出来るね」

 声と共に突如足が地面に向かって引っ張られ、赤い絨毯にずぶりと沈んだ。思わず焦って赤い絨毯に手を突こうとするものの、砂に触れた時のように手応えがない。抵抗虚しく、そのまま吸い込まれた。

 一瞬の浮遊感の後、足裏が地面らしき物を捉える。今度は頭をぶつけて失神するようなことはなかった。

 筒型灯で照らしても、何も浮かび上がらない。しかし、トウカの姿ははっきりと目に映る。暗闇ではなく、ただただ黒い空間だ。

 戸惑っている内に、トウカもいつの間にか、目の前に立っていた。

 そしてトウカの向こうに、煤のような黒い粒子が凝っていく。背景も黒のためよくは見えないが、何かしら「居る」ことは分かる。

 最終的に黒い凝りは、輪郭の曖昧な人間のような形を取った。少年くらいの大きさだ。前に見た時は犬の形をしていたように記憶しているが、これも、メルなのだろう。

「あちらをご覧ください。二つ、水たまりのような物が見えるね?」

 案内に従って視線を向けると、少し遠くに言われた通りの物が見える。

 水たまりの中には、それぞれシャラクとニコが見えた。こちらに気がつく様子は全くない。

「呼びかけてみてもいいよ」

「い、いえ。外に声が聞こえないようにすることが出来るのは分かりました」

 色々と問い詰めたい気持ちを飲み込んだ。話が逸れ過ぎて、収集がつかなくなりそうだ。またトウカににらまれてしまう。

「俺を書斎に呼んだのには、話をすること以外に、目的があると認める。そういうことでいいですか?」

「あぁ、認めるよ。それで、その本当の目的まで、分かっているのかな?」

「具体的な内容は分かりませんが、大枠では」

「聞いてみたい」

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