ヘルメスの書斎

 足元の赤い絨毯と、近くにある本棚の一角。目に見えるのはそれくらいだった。

「真っ暗ですね……」

 灯りがないようだ。元は意図せず出来てしまった空間なのだから、灯りがないことくらい、予想して然るべきだった。運搬機に備え付けられた天井灯の灯りは差程強いものではないし、持ち運びも出来ない。どうしようか考えていると、「シャラク」とニコが声をかける。

 ニコが手渡したのは筒型灯。内蔵した魔石によって、光を発する魔術を発動させる物で、一般に広く普及している魔道具だ。ちなみに、最初に発明したのはニコだが、販売する権利を騙し取られたと噂に聞いたことがある。本当かどうかは分からない。

 周囲をざっと照らしてから、シャラクは躊躇なく足を踏み出していった。いきなり消えるようなことはなく、少し行ったところで立ち止まる。

 名前通りに、ここは「書斎」ではあるらしい。筒型灯で照らされる先には、立ち並ぶ本棚が見えた。本の大きさが揃っておらず、図書館に比べると雑然とした印象を受ける。本の題名を見ようと目を凝らしたが、見える範囲にある本の背表紙には、ほとんど何も書かれていなかった。

「本には触れねぇ方が良い」

「魔術書か」

「それもある。本に見えて、本じゃねぇもんも眠ってる。……下手なもん見ると、魔眼鏡が壊れんなぁ」

 会話を聞きつつ、トウカとメルの姿が見えないか、話し声などが聞こえないかと耳をすませる。

 書斎の構造も未知数である。どれだけの広さを持っているかも分からない。

「あの、ニコさん、俺にも何か、視界を確保出来る物をお貸しいただけないでしょうか」

「あ? あー……他はねぇな。おい、シャラク。今日の主役はこっちの旦那なんだろ? 一人で先行くんじゃねぇよ。それ返せ」

「あ、ありがとうございます……」

 灯りが運搬機の方へと戻って来る。筒型灯を受け取って、ユウケイは恐る恐る運搬機から出た。絨毯は思っていたより毛足が長く柔らかで、寝転がっても体が痛くなることはなさそうだ。

 早くメルとトウカに会いたい気持ちもあったが、思い出してニコに問いかけた。

「時に、ニコさんはこれからどうするんですか?」

「俺? 俺は調査……と、修理か」

 運搬機をぐるりと見回す。

「ヘルメスの書斎で使われてる技術の調査が、俺への依頼で報酬だ。どうもお宅の話に後から乗っかる形になっちまってるようだが、こっちも仕事なんで、隅っこで勝手にやらしてもらうぜ」

「あぁ、いえ。俺もここに来る方法に関しては、シャラクさんに一任していたので、隅っこと言わず堂々とやってもらって大丈夫です。むしろ近くで仕事ぶりが見られて、嬉しいくらいです」

「そうかい」

「……すみません。申し遅れましたが、ユウケイと申します。ここの学舎で生徒代表をしております」

「へぇ。若ぇ割にちゃんとしてんねぇ。じゃあ、知ってるようだが、こっちも言っとくか。俺ァニコだ。シナルって街で物作ったり直したりしてる」

 戻って来たシャラクが「自己紹介の時間か?」と揶揄うように言う。「シャラクさんもします?」と返したが無視された。

「反響定位で地形を確認した。大講義室くらいの広さで、段差はない。隅の方に人が住んでいる痕跡はあるが、それ以外は本棚が並ぶだけだ。ここ以外に見て分かる出入り口はない。だが、誰もいない。待ち合わせの場所と時間はこれで合ってるのか?」

 ユウケイより余程真面目に探索してくれていた。若干申し訳なくなり、ユウケイも気を引き締める。

 シャラクには、メルの空間のことは明かしていない。

「大丈夫です。……たぶん、います。いますよね、メルさん、トウカさん」

「いるよ」

  笑い声が響き渡った。シャラクが振り向き様に腕を振ったが、全く意に介していなさそうに笑い続けている。上から、下からと、横からと、声の発信位置は定まらない。シャラクが盛大に舌打ちする。続く言葉は、かなり奥から聞こえて来た。

「私は他人に聞かれない場所で話をしたいと言ったのに、危なっかしい人を連れて来たものだね、ユウケイ君。しかも二人も」

「それは……まぁ、すみません。口は堅い人達ですし」

 筒型灯の灯りがかすめた先に、一瞬人影が見えた。あらためてそちらに向ける。

「それに、俺をここに呼んだ本当の目的は、話を聞かれたくないからじゃないでしょ?」

 本棚の間に、ほっそりとした人影。白金が光る。

「こんにちは、トウカさん。お邪魔してます」

「……さっき、メルがお前を呼んだと聞いた」

 「さっき」という言葉にあからさまに不満を込めている。

「じゃあ、トウカさんにとっては、突然の訪問になってしまいましたね。すみません」

「どうせメルのせいじゃろう。謝らずとも良い、が……何が起きているか、誰か教えろ」

「焦らない焦らない。聞いていれば分かるさ」

 今度は運搬機の上部辺りから声がする。「気味の悪ぃ奴だな」とニコがあけすけに言った。

「ま、何か知らねぇが、あとはそっちの話だよな? 俺は関係ねぇんで、そろそろ調査に移らせてもらっていいかい」

 許しを得てニコは運搬機に向き直り、心なしか生き生きと作業を始めた。

 シャラクに視線を向けると、関心なさそうに、ふいと視線を逸らされた。

「さて。メルさん、少し奥で話しましょうか」

 トウカに率いられる形で、ユウケイはただ一人、書斎の奥へと足を踏み入れる。

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