回想―落下―

 一度目「奥本悠」の最期は、夕日の差し込む地方都市の駅だった。

 学校帰りや仕事帰りの人々がまばらに現れ始める頃、駅に滑り込んでくる電車の前に身を投げ出した奥本悠は、衆人環視の前で成すすべなく轢かれて終わった。

 後にどう処理されたかは分からないが、自殺でも事故でもない。

 「ユウケイ」になった今も、背を押した手の感触を覚えている。

 自分の背を押した人物も、およそ察しがついている。

 人に好かれる性質ではない自覚は、子供の頃からあった。死の瞬間より記憶を遡ってみても、思い浮かぶのは、怒るクラスメイトやしんと静まる教室、誰もいない放課後、真っ赤な帰り道。涙、日陰、遠くから聞こえる笑い声。

 奥山悠は嫌な奴だった。少しばかり自分が優秀であることを鼻にかけて、他者に期待せず、猜疑心に溢れて、内心で周囲の人々を見下して、自分一人で生きていけると粋がる。そういう奴だった。

 殺されても仕方のない奴だった、とは思わない。

 しかし、殺される程に憎まれていても不思議のない奴だった。

 今になって、その愚かさを後悔している。

 ただ、前世について研究しているのは、その過去を変えようとか、自分を殺した人物に会おうとか、そういう理由ではない。もう「奥本悠」は死んだのだし、自分を殺した人物に対する恨みもない。

 ユウケイはただ、苦しいまでの郷愁に蹴りをつけたいだけだ。

 ところでこれは走馬灯では、と思った瞬間に視界が図書館に戻って来た。どれくらいぼんやりしていたか分からないが、まだ閲覧区画は見えていない。ここにはどれだけ本があるのだろう。

 全身を風が打つ。本棚が瞬く間に後ろへ流れて行く。

 恐ろしいことに、走馬灯から気が付いてから少しすると、これが楽しく思えて来た。自然と笑ってしまう程に。前世でも今世でも体験したことはないが、あえて恐怖を感じる速度を味わって楽しむ、いわゆる「絶叫」というのは、こういうものではないのか。さすがに図書館で声を限りに叫ぶことは出来なかったが、それでも感じたことのない爽快感だ。

 あまりの恐怖で逆に、人を興奮させるような液が分泌されているだけの可能性もある。

 そんな時、正面――すなわち階下から、吹き抜けをすさまじい速度で上って来る人影が見えた。司書長ネリハスだ。司書長は咄嗟に方向を逸らしてユウケイを回避する。お互いに驚きながらも、そのまますれ違った。

 ユウケイは思い出して、手の中の鍵を握り締める。

 しかし、しばらくして、聞き覚えのある声で「ユウケイ!」と呼ばれて、背筋が凍った。何とか視線を向けると、ユウケイが通り過ぎて来た方向、遠くに司書長らしき人影が。

 悪性研究會とユウケイの繋がりは知らないはずだが、吹き抜けの落下は不自然過ぎるから、目をつけられても仕方ない。しかし、司書長はかなりの勢いで逆方向に向かっていて、止まるのにも時間がかかったはずなのに、追いついて来るのがあまりにも速過ぎる。

 このままでは追いつかれてしまう。しかし、ユウケイには為す術もない。焦りを覚えていると、閲覧区画が豆くらいの大きさに見えて来た辺りで、吹き抜けの間に網が広がった。

 網はユウケイを受け止めると、そのまま下に向かって伸びていき、袋状にユウケイを包み込む。ぶらんと宙に吊り下がった状態だ。どうするのかと思っていると、網が大きく左右に揺らされて、横の階で待機していた者らに回収された。

 いい加減酔いそうだが、酔わない。事前に獣人に渡されたあの錠剤、酔い止めだったのではと思い始める。

 ユウケイを網から解放すると、悪性研究會所属らしい協力者は、ユウケイを台車に載せて、積み重なった箱を模した覆いをかけた。

 雷のようにごろごろと音を鳴らしながら、台車は縦横無尽に駆けていく。ほとんど目隠しされているようで怖いし、情けないので自分の足で走るくらいしたかったが、正直なところ最上階からの急速落下で足に力が入らなくなっていた。それに、秀でて足が早い訳でもない人間を、この局面で走らせることはしないだろう。

 恐らく司書長は追って来ている。

 ただ、台車も別に楽な訳ではない。ぐったりしていると、台車が停まった。

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