書斎侵入作戦開始

図書館遊園地

突入

 寮で起きた座布団盗難騒ぎの後処理をしていると、小柄な人間が何気なく近づいて来て、ユウケイに小綺麗な封筒を渡して立ち去った。

 自室で中の便箋を開くと、端に山羊の紋。本文には、約束の日付に図書館の裏手に来るようにという指令と、動きやすい服装で来るように、などといった注意点が書かれていた。

 ユウケイが上から下まで目を通し終えると、便箋は隅から燃え始めた。狼狽えて部屋の中を右往左往しかけたが、便箋はふとユウケイの手から抜け出て蝶のように飛翔し、机の上に置きっぱなしにしていた封筒に止まって、その上でゆっくりと灰になった。

 封筒ごと灰を屑籠に捨てて、二日後の放課後。

 図書館は既に騒がしかった。

 裏手に回ると、片目に大きな傷の入った獣人の生徒がユウケイに目を止める。

「よぉ、代表。早速だが、屋上に上がるから掴まってくれ」

「よろしくお願いします。それで、今日はどういう手順で行くんですか?」

 やる気は充分。意気込んで聞くが、獣人はあっさり無視して、ユウケイをおんぶすると、周辺の木々を足場に使って、瞬く間に六階分の高さを駆け上がった。

 誰もいない屋上にユウケイを下ろし、すぐに動けるようにと指示して、錠剤を手渡して来た。

「これ、何ですか?」

「さっさと飲め。でないと地獄を見るぞ」

「……どういう手順で行くんですか?」

 怪しんだ末に仕方なく錠剤を飲みつつ問いかけるが、「合図聞き逃しちゃ不味いからもう話しかけんな」と素っ気なく告げられた。何一つ質問に答えてもらえない。何かとてつもなく悪い予感を覚えながらも、ユウケイはやむを得ず口を閉じた。

 一体どうするつもりだ、と脳内でシャラクに問いかけるが、想像上のシャラクは意地悪そうに笑うばかりである。

 関門は、風の魔術を用いて図書館を縦横無尽に移動する司書長ネリハス。その腰の鍵束についている鍵のどれかが初期型運搬機の中にある、ヘルメスの図書室の扉を開く。ただ鍵を奪うだけでなく、その犯行の真の狙いを悟られないようにしなければ、最悪退学となる。メルとトウカにも累が及ぶかも知れない。

 不意に獣人が顔を上げた。

「五、四、三」

 秒読みが始まる。ひょいと俵担ぎにされた。獣人は屋上を取り囲む柵に向かって、軽い足取りで駆け出す。屋上。地上六階の高さ。

 これは、この勢いは、とユウケイは無意識に、丹田に力を込めた。

「二、一」

 柵を蹴って、獣人は空に向かって跳んだ。

 すぐ近くに何か、小さな黒い物が浮かんでいた。獣人はそれをつかみ取って、落下していく――と思いきや、空中を蹴って反転した。ぐるりと視界が回る。空中に足場を作るような魔術やそれの使い手はいくつか思い浮かぶが、今はよく考える余裕がない。は、とユウケイが気がついた時には目前に、開け放たれた図書館の窓が迫っていた。獣人はユウケイを抱えたまま、図書館の中に飛び込んだ。

 本の森を疾走している。

 頭蓋の中で脳が弾んでいると思うくらいにしっちゃかめっちゃかだったが、ユウケイは思考しなければならなかった。状況を把握しなければ、不測の事態があった時に対応出来ない。それに、シャラクに文句を言うことも出来ない。

 まず、現在地。獣人は屋上から飛び降りて、すぐ下の階の窓に飛び込んだ。通常建築であればそこは六階のはずである。しかし、大量の本を収納するために拡張され続けているこの図書館は、外見上の階数と、内部の階数が異なる。

 ここは六階なのか。

 周囲を見渡してみれば一目瞭然、否である。この階には、無辺の森から移植した木々が到る所で生い茂っている。低層階にはない光景だ。完成後に付け足された七階以上。屋上のすぐ下であることを鑑みれば、答えは明らかである。

 最上階。

 本棚の立ち並ぶ区画を抜けて、吹き抜けに出た。獣人は立ち止まる。うっかりユウケイは下を見た。

 バベルの塔と比される物を見下ろす視点とは、つまりこれが神の視点ということになるのだろうか。

 抱えられて足が浮いているせいもあるが、馬鹿程怖い。学んでいる分野の本はないため、最上階に来ることはあまりないのだが、以前に見た時よりもさらに高度が増している気がする。

「代表、これ、しっかり握ってろよ。離したら殺されるぞ」

 何か手渡された。

 黒っぽい、錆びた鍵だ。

「これっ!」

 ユウケイの問いかけを無視して、獣人は口に笛をくわえて吹いた。音はしない。犬笛か。

「よーし。口閉じてろ」

 獣人は軽く助走をつけて、今度は地上六階どころか、途方もない高さに向けて、跳んだ。

 地面がない。

 必死に状況に食らいつこうとしていた思考が、ふっと白くなった。

 しかし、気を失わせてはくれなかった。

 胴を支えていた腕に力がこもる。

 あれ、と思う。この勢いでは吹き抜けを跳び越えることは出来ないし、不思議と視線は下向きで、これじゃあまるで行き先が真下であるかのようだ。

「行って来ぉい!」

 浮かんだ疑問を取り残し、ユウケイの体は加速して吹き抜けを落下していった。

 景色が背後に消えていく。妙に視界が煌めいて、いやに世界が綺麗に見えた。

 幾重にも重なる本棚を照らす、ほのかに赤みを帯びた灯りは、遠い記憶を呼び覚ます。

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