閑話休題
「そっちも面白かった!」
打てば響くというような返事に、思わず笑みがこぼれた。
「移動にも色々と種類がある、というのも興味深かったが、中でも空間に関する話が面白かった。空間はそこに在るものと言うか、その内部にあるものに変化はあっても、それ自体は揺らがぬものだと何となく思うておったが、実は喪失したり分かたれたり動いたりしておるのだな」
「そうですね。空間ってのは結構奥が深くて。いや、俺も完全に理解してるって訳ではないんですが……」
専攻している時間と無関係ではないので積極的に学ぶよう努めてはいるが、何せ時間も空間も人間の知覚では捉えられる範囲が狭過ぎて、中々理解し切れない。トウカは鼻を鳴らした。
「なんだ、そうなのか。ならお前には分からんかのう。さっきの教師には聞けなんだのだが、あのメルの真っ黒い空間のことが気になっておるのじゃ。覚えておるじゃろう、お前を助けたあの黒い場所。あそこがこの世のどこに位置しておるのか、そもそも何なのか、いまだによう理解出来ん」
気になってはいたが、トウカの方からメルのあの空間について話が出るとは思っていなかったため、言葉に詰まった。
あの時は狼狽していたためよく観察出来なかったし、異界だと断じるには検討が足りていなかったと今は思う。この世のものとは思えない異常な景色に異界だと考えたが、後から考えてみると、ユウケイの知らない空間系の魔術であると考えられなくもない。
ただ、空間系の魔術だとしてもやはり異常で、少なくとも今のユウケイの知識では上手く処理出来ない。
詳しく知りたいのはユウケイの方だ、とすら言いたかったが、この様子ではトウカに聞いても答えは返って来そうにない。
「あいにくと、分かりません。そもそも俺はメルさんに関してもよく分かっていませんし……。あの人、どういう魔物なんですか? 影のような……あまり見たことがない風貌でしたが」
魔物の分類方法の一つに、生まれ方で分ける物がある。親から生まれ、親と似た性質を持つものを複生、対して、空間に凝った魔力などから自然発生するものを単生と呼ぶ。割合としては複生が八、単生が二といったところだ。
単生の魔物は独特な形態を取ったり、独特な魔術を使うことが多い。そして多くが一代限りで生を終える。
だから、未知の魔物自体は、際立って珍しいという程のことはない。
だが、あの規模の魔術は、さすがに話が変わって来る。
トウカは気分悪そうに顔をしかめた。今まで見た中では、一番のしかめ面だ。
「……言えぬ」
言えない、と来た。隠すようなことでもあるのだろうか。
「失礼。踏み込み過ぎでしたね。お詫びに先の質問について、俺の推測で良ければ答えます」
トウカから許しの言葉はなかったが、核心に踏み込み情報を得るために、一方的に言う。
「俺はあの空間を見た時、異界ではないかと思いました」
「異界? 魔界とやらとは違うのか」
「魔界は異界の一種で、魔力が強い土地のことですね。何かしらの力が、通常の場所よりも強く働く場所を異界と呼びます。力っていうのは、例えば、風力とか電力とか汽力とか……もっと漠然としたものもありますが。その土地に昔から生きている人は、それが普通だと思っているので、気づいていないことが多いですけど」
「光が強い場所とか?」
「あぁ、あるんじゃないですか。死が強い場所とかがあるくらいですし、何でもありですよ」
「死」
「俺も聞いただけですが、死者と会えるとか人が生き返るとか、逆に不老不死すら殺すとか何とか。まあ、それを強いと呼ぶのかは、よく分からないですけどね。ともかく異界というのは、普通の場所とは異なる力が働く場所だと考えておけば良い」
「なるほど。確かにメルの空間は、普通ではないと言うか……メルのためにあるような空間じゃ」
「メルさんのため」
思わず空を仰ぐ。
それは異界の成り立ちとして、あまりにも「有り得る」話だ。
「……異界には、もう一つ特徴があります」
充分な心構えはなかったのに、気づけば口にしていた。トウカに聞き返されて、しまったと口をつぐむ。
誰にも言わないで上手くメルに近づいて、あの異界が新創の異界だと証明することが出来れば、ユウケイは一躍時の人。一気に研究者として名を上げることが出来て、研究費なんかも労せず手に入れられるようになるかも知れない。それに単純に、誰も知らないことを発見するのは気持ちが良い。可能であれば独り占めして、世間を驚かせたい。
美しい青の無垢な瞳に見詰められて、あえなく邪な欲望は萎んで消えた。
メルは今のところどうなっても構わないが、目を輝かせて教師の話に耳を傾ける若輩が悲しむ顔を見るのは、ユウケイには辛い。
「トウカさん。俺の杞憂かも知れませんが、これから言うことを心に留めておいてください」
周囲を確認して、誰も話の聞こえる距離にいないことを確認し、声を落とす。トウカは戸惑ったように首を傾げる。
「異界は自然には出来ないんです。魔物の手によって、その魔物が暮らしやすいように、創られる」
「おぉ。当てはまるの、メルに」
「ですが、異界を創ることの出来る魔物は、絶滅している……と言われています。それもここ数百年ではなく、数千年も前に」
トウカの戸惑いが大きくなる。
少し気の毒になったが、ここまで話したら最後まで話すしかない。
自分でも冗談ではないかと思いながら口を開く。
「その魔物を、俺たちは魔法使いと呼んでいます。神話に語られる、最初に世界に君臨した魔物です」
トウカは、黙り込んだ。魔法使いについての説明は必要なさそうだ。
神は大地と人間を創った後、人間を助けさせるために魔物を創った。
その魔物の中で最も優れていたのが魔法使い。彼の人々は、最初は人間が住めるように大地を創り替えていた。しかし、徐々にその本懐を忘れ、欲を出し、世界の支配を目論むようになる。遂には、世界を独占するために、魔法使い同士で戦うようになってしまった。
神は自らの愛し子である人間を守るため、人間に力を与えて、戦いを治めさせた。罪と傷を負った魔法使いは、全てが身を隠し、そして再び人間の春が戻る。
伝承によって細かな差異はあるものの、長命種の証言や各地の痕跡から、概ね事実はこうであったと分かっている。
その魔法使いが、再びこの世に姿を現したとなれば、世界中に激震が走る。
実際に何が起きるかは――あまり考えたくない。
トウカの顔は深刻そうに沈んでいる。その表情の奥にどのような想像が広がっているのか考えて、ふと、居た堪れなくなった。
「ま、メルさんの空間が異界だというのは、あくまで俺の推測ですから。覚えておいてはほしいですけど、何の証拠もないし、あまり深刻に考え過ぎないでいいですよ」
「……」
「トウカさん?」
トウカは立ち止まってしまった。思い詰めた表情で、どこでもない場所を見ている。
「何か、心当たりでもあるんですか?」
「ない」
「……即答はかえって怪しい感じがしますよ」
トウカは無言で視線を上げる。
その目を見た瞬間、直感が「不味い」と言った。
輝きは失われ、そこには泥濘のような倦怠が横たわっている。
同じような目を何度か見たことがある。ゆっくりと心を亡くしている人の目だ。
「魔法使いだの何だの、くだらん。メルは、ただの……少し口うるさいだけの、その辺にいる、普通の魔物じゃ」
トウカはまた目を伏せた。顔を隠すように、額に手を押し当てる。
「もうその話はいい。ユウケイ。約束通り、儂の問いに答えよ」
咄嗟に「嫌です」と断った。何となく、この会話の流れで出て来る質問には、不吉なものを感じた。
「約束したじゃろう」
「しましたけど、今は嫌です。トウカさん、俺に質問するより、もっと他に頼むべきことがあるんじゃないですか? 困っていること、あるでしょう」
何もユウケイだって、進んで面倒事を背負いたくはない。むしろ、積極的に人に押し付けることを旨としているくらいだ。
しかし、それ以上に、困っている人を放って置きたくない。態度が悪くて人が苦手で、頼ることの出来る相手が少なさそうな人物であれば尚更だ。
「俺が嫌だと言うのなら、他の奴でもいいですから」
「難事があるとしても」
不快そうに目を細める。
「他人には頼まぬ。一人でやる」
その言い分はかなり、ユウケイの癇に障った。
「一人で、どれだけのことが出来ると思ってんだか。メルさんと一緒にいるなら分かってるだろ」
「うるさい。知ったような口をきくな」
トウカはか細いため息を吐いた。何か、ぽつりと呟いたが、ユウケイの耳には届かない。
どこか宙に浮いたような、不安定な足取りで歩き出す。
「――気が削がれた。帰る」
「どこに帰るんですか、トウカさん」
「言う必要があるか?」
完全に機嫌を損ねてしまったようだ。硬い拒絶の意志を背から滲ませ歩いて行く。
このまま行かせてしまっては、借りを返すことも出来なくなってしまう。調子に乗ったと反省しつつ、小さな背に声をかけた。
「書斎ですか」
「何で知ってる」
振り向いたトウカは、素直に驚いていた。
コールが「学舎にいる連中」の夢しか見ていないと言っていたから、敷地内で寝起きしていることは分かっていた。しかし、敷地内での目撃情報はほとんどなく、寮に関しても詳しくはない。それならば、敷地内のあまり人目のない場所に間借りしているのだろう。その上で、メルがヘルメスの書斎を指定したことを考えると、かなり疑わしく思える。そこを主な拠点にしているか、それに準じて馴染み深い場所だからではないか。確証はなかったが、当たったなら儲けである。
ただ、ここでメルとの話を持ち出した時、トウカがどう反応するか読み切れない。「……さる筋からの情報で?」と適当に誤魔化して、追及される前に続ける。
「それより、すみません。色々と言い過ぎました。トウカさんが気安く接してくれたので、いくらか信頼されているんじゃないかと、思い上がっていたかも知れません」
「お前を信頼などするものか」
トウカの顔は雨に濡れた子犬のように歪んだ。かわいそうだが、ほんの少し愛嬌があって面白い。
考えた末に、笑って告げる。
「また会いましょう」
鋭くユウケイを睨みつけた後、トウカは背を向けた。
足取りが確かであることを確認し、ユウケイは別方向へと歩いていく。
次に会う時までに、今日得た手がかりで、出来る限り情報収集をしておこう。トウカとメルについて、もっとよく知らなければならない。
残された時間はあまり多くはないが、生徒代表には、そう難しいことではない。
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