授業見学
自分の口の端を叩いて食べかすがついていることを伝えると、トウカは素知らぬ顔で拭った。
「ところで、今日はメルさんは一緒じゃないんですか?」
ふと思いついたように問いかけた。メルと話をしたあの場にいなかったトウカが、どれくらいメルとのやり取りについて把握しているのかが分からない。
トウカは面白くなさそうに顔をしかめる。
「彼奴、お前の所に来たらしいな。その時に貸し借りの話もしたと聞いたぞ」
「えぇ。そう言えばトウカさんはあの時いませんでしたね。正直なところ二人で一つの借りだと思ってたんで、個別に来られてびっくりしてます」
「ケチ臭いことを言うな」
本当に面倒臭い二人に捕まってしまった。
「それに……儂はその件について知らん。メルが勝手にやったことじゃ。聞いても教えてくれなんだし。だから儂も、お前に何を頼むか、内緒にすることにした」
「そうですか」
言い方に含みがある。メルが何を頼んだのか、教えてくれと言っているようにも聞こえる。口封じはされていないから、話したところでユウケイが責められることはないはずだが、厄介なことになりそうな予感がある。ヘルメスの書斎がこの二人にとってどういう意味を持つ場所なのかも、確かなことは分かっていない。よく知らない二人の喧嘩に介入して、さらに喧嘩をこじらせないとも限らない。
直接的に何か言われるまでは、我関せずを貫こうと決めた。
「別にいいですけどね。頼み事をされるのには慣れてますし。それで、トウカさんは何を頼みにいらっしゃったんです?」
「そうじゃな。メルのことは良い」
トウカは胸の前で、小さく両手を合わせた。祈るような仕草だが、表情はユウケイに挑みかからんとしているかのように怖い。
「儂はお前に、聞きたいことがあって来た。一切の誤魔化しなく、身命を賭して答えてもらうぞ」
聞きたいこと、と聞いてユウケイの脳裏に浮かんだのは、授業で分からなかったところや小論の書き方などを尋ねに来る生徒の姿だった。しかし、後半部分はあまりにも物騒だ。実はスフィンクスの遠縁だったりするのだろうか。
「ま、命の恩人ですから、質問に答えるくらいはしますけど……中々大層な謳い文句ですね。間違えたら食われる、みたいな罰があったりします?」
「それも面白いかも知れんが、あいにくと違う。儂が問うのは、確かな答えなどないかも知れない問い。その場しのぎの嘘であっても、確かめる術はない。それでは無意味だから、せめて、心底考えて出した答えであることだけでも確約してほしい」
専攻している分野の性質もあって、ユウケイの研究では確かな答えがある方が珍しく、ある意味では、答えのない問いの方が馴染み深いと言える。しかし、研究に関することを聞かれるとは、あまり思えない。
「実際、どういう問いなんですか」
首をひねると、トウカは目を落として考えた後に口を開いた。
「例えば、そうじゃの。これはあくまで例だが……真の悪とは何だと思う?」
少し驚いた。まさか本当に、その手の悩ましい問いをされることになるとは思わなかった。
「と、いうような問いじゃ」
「何となく分かりました。けれど、それへの答えは、「心底考えて出した」程度のものでいいんですか? 今のような問いに、本気で人生を懸けて……まさしく身命を賭して研究している方もいるのですが。そういう方に聞いた方が、有益な答えが聞けるのでは?」
トウカは眉を寄せた。
「知らん奴と話したくない」
「……俺も大概、知らん奴では?」
「儂は知っておる。お前は……」
少し顔を上げたことで光を受けて、青い目が鮮やかさを増す。
「善い奴じゃ。褒め言葉ではないが」
最後の注釈は必要だっただろうか。
「とにかく。お前の思うところを真摯に答えよ。つまらん誤魔化しをしたり、適当に答えている気配を感じたら、その時は……」
「え、その時は?」
「……け、軽蔑する」
それは真面目に答えなければならない。深くうなずいた。
「言葉通り、承りました」
頼みを聞く「前段階」としてヘルメスの書斎に侵入させられることに比べたら、質問に答えるのは楽とも言える。だが、命を救われたことへの返礼であることに変わりはない。何を問われるのか分からないが、出来る限り真摯に答えることを決める。
だが、心置きなく答えを考えるためには、心の余裕と時間が必要だ。
「ただ、この後、学庭で行われる授業の手伝いを頼まれているんです」
呆れた目で見られた。
「ひょいひょいと何でも引き受けるのう。お前は懲りるということを知らんのか?」
うっかり死にかけたところを助けてもらった恩人に言われると、苦笑いしか出来ない。
「痛い所を突いて来ますね……。さすがに懲りてますって」
死にかけたのだから、懲りないはずがない。やはり何の力もない人間が前線に出るべきではない、と胸に刻んだ。最悪でも後方支援、出来れば事件を未然に防ぐことが役目。求められれば応えるが、応え方は多少選ぶようにする。
トウカは鼻で笑う。
「嘘つけ。本当に懲りていたら、こんな便利屋さんみたいな扱いになっておらんじゃろ」
何か言おうとしたが、トウカの言葉に違和感を感じて、一瞬頭を巡らせ気づく。「こんな便利屋さんみたいな扱いになった」のは、もっとずっと前のことである。トウカが言っているのは、先日の魔獣食堂襲撃事件のことだけではない。
その意味を深く考える前に、トウカが話題を戻した。
「それで、手伝いがどうした。儂にも手伝えとか言わんじゃろうな」
「さすがにそこまでは言いません。お世話になっている方の頼みですし、直前で断る訳にもいきませんから、トウカさんの質問に答えるのはその後になってしまうんですが、よろしいですか? また待たせることにはなってしまいますけど」
「待ったのはこちらの都合じゃし。良かろう。あ、でも、待つ場所を教え……」
声が尻すぼみに消えていく。
「食堂では駄目なんですか?」
目が泳いでいたが、観念したように肩を落とした。
「……人の多い場所は、苦手で。魔術の抑えが効かん」
トウカの魔術に関しては、聞いたような気もするが、あのどさくさに紛れて忘れてしまった。
どのような魔術を使うのかも気になるが、それ以上に引っかかるのは、その妙に弱気な態度だ。
本当にそれは「苦手」で済むことなのだろうかと、疑問に思う。
開口一番ユウケイに罵声を浴びせた時の、挙動不審な態度を思い返す。その後もしばらく情緒不安定だった。そういう人なのかと思ったが、こうして話していると、やはりあれが普通の状態とは思えない。強い精神負荷によって一時的に調子を崩していたと思った方が、しっくり来る。
魔術の特性によって、一般的な日常生活に苦痛を感じる。そういう魔物は珍しくない。悪性研究會のオンニが良い例だ。触れた相手に病を与える体質の持ち主である彼の人は、食堂などの大人数が集まる場所に来ることが出来ない。そして自分の体質を気に病むあまり、他者に近づかれることを恐怖し、己を憎み、悪性研究會で自分との付き合い方を見出すまで、何度も自殺未遂を繰り返していた。
コールやシャラク、その他の悪性研究會の会員も似たような悪性を抱えて、その悪性のために己の精神を傷つけることがある。そもそも悪性研究會は、そういう「自分の悪性」を克服するために、シャラクが立ち上げたものである。
トウカもその類だとして、上手く生活に折り合いがつけられているのなら良いのだが、見る限りでは上手くいっていない。そしてユウケイは、その苦しみを、何も言わずに放置出来る性格をしていない。
大勢の耳目がある場で尋ねるのは憚られる。研究熱心が行き過ぎる人に聞かれると面倒でもある。今はひとまず、心に留めておくだけにする。
「じゃあ、人がいない場所がいいですね。とは言え、全く誰もいない場所ってのも、中々思いつかないんですが……」
正確に言えば、いくつか思い浮かびはするのだが、トウカを置いておくには不安が残る場所ばかりである。人がいない場所には人がいないだけの理由がある。短時間ならばともかく、授業の間ずっとそこにいろと言うのは酷に感じる。
「少し……十数人くらいは大丈夫ですか?」
「人がこう、いきなりドサーッと一度に来るようなことがなければ、ある程度は抑えられる」
「じゃあ……次に手伝う授業、少人数授業なので、受講しつつ待つってのはどうです? 目立っちゃうとは思いますが、授業中だから知らん人に話しかけられるようなことはありません。退屈はするかも知れませんけど」
トウカは少し驚いたように目を見開いて、口元に手を当てる。
「それは、良いのかの。儂、実は……生徒ではないのじゃが」
やはりそうだったかと納得する。生徒代表であるユウケイが本腰入れて調査しても身元が分からないという時点で、何となく予想していた。寮での呼び出しを知らないのも、生徒ではないため、寮の仕組みを目にする機会がなかったから。
生徒ではないとなると、何なのか。普段は何をしているのか。寮でなければ、どこを寝床にしているのか。
様々に疑問はあったが、今は不問に付す。他者を困らせるような悪事を企むような人物ではないだろう。魔術研究院附属第一学舎によくいる、自分の研究に没頭して無自覚に他者に迷惑をかける、という人物にもあまり見えない。
メルの方は分からないが、今、トウカを問い詰めたところで、実のある情報は手に入らないだろう。誤魔化されるか逃げられるが関の山。
トウカに安心させるように笑いかける。
「あまり良くはありません。だから、専攻を何にするか迷ってる初等科の生徒が、進路の参考にするために見学しに来た、という体でいきましょう。一応ちゃんと、学んでいる振りくらいはしてくださいね」
トウカは緊張と好奇心の混じった表情でうなずいた。
この時間で、色々と分かったら良いのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます