前世
物心ついた時には既に、その記憶はあった。
脳みそは年齢相応だったため、自分の中にある様々な風景や人が、何を意味しているかまでは理解していなかったが、何か懐かしくて仕方がなく、一心不乱に記憶の地層を掘っては、地の底で一人泣いていた。
両親を心配させていることに気がついてからは泣くことは少なくなったが、年重ねるに連れて記憶は益々増えていく。いつか「ユウケイ」を飲み込んでしまうのではないかと恐れる程に。
このままではいけないと思い始めたのは六歳頃。前世の記憶のお陰か、我ながら早熟な子供だった。
しかし、その頃はまだ、人間の子供が魔術を詳しく学ぶことの出来る学舎はなかった。個人的に市の図書館や人に尋ねて、何とか前世について知ろうとしたが、この世界では前世の記憶があるというのは一般的ではなく、戸惑われるだけだった。さらにその前世は、どうやら魔術も魔物もいない、全く異なる世界でのことらしい。ユウケイ自身そんな世界があるのかと理性では疑ってしまうくらいだったが、ふとした時に感じる郷愁は本当だった。
そうした折に、昔起こった魔物による革命を皮切りに推し進められて来た魔物解放運動の一環として、人間と魔物が共に学ぶことの出来る学舎が創設されることが決定した。さらに、各地に散り散りになっていた魔術師を集めて教師として、世界初の魔術に特化した公的な研究所も共に造られることとなった。
ユウケイはそれを聞いた瞬間、自分の進路を決めた。何があっても学舎に入学出来るよう、親に宣言し、金を貯め、勉強した。
そして無事、魔術研究院附属第一学舎が開校されるのと同時に、入学したのである。
華々しい入学式の場で生徒代表として指名され、全生徒の従僕として働く日々も始まったのだが。
「あの魔術研究院でやっていける程、研究一筋になれるか分かんねぇですけど。それでも、諦め切れなくて。……出来れば、何も面倒事に駆り出されることなく、研究に集中したいですねぇ」
少ししんみりしてしまったのが恥ずかしくなって、おどけて付け足すと、司書長は「あぁ……そうなるといいな」と気まずそうに相槌を打った。そうはならないだろうと思っていそうだ。ユウケイも、そうはならないだろうなと思っている。代表としての仕事がなくなっても、研究室の先輩やハンサ師の雑用の手伝いに駆り出されたりするのだろう。
「そうか、お前が生徒代表でいるのも、あと少しなんだな。お前って言や生徒代表って感じだったから、変な感じだぜ」
「ほとんどあだ名みたいになってますからね」
「そもそも、何でユウケイが生徒代表になったんだ? 入学式の時に急遽決まった、みてぇな話はちらっと聞いたけど、あの日は来客相手で忙しくて、他の所まで見てる余裕なかったんだよな
「確かに、忙しかったですね……。まさか新入生なのに入学式の手伝いさせられるとは、思ってませんでしたよ」
「研究者共がもうちょいマトモであれば良かったんだが」
思い出すと自然と顔が歪んでしまう。職員の数はまだ多くなく、ほとんどが社会不適合者の奔放な研究者たちは、魔術研究院内に隔離されていた。
「生徒代表にさせられたのは……急遽も急遽でしたよ。入学式当日に、学長に、生徒代表として一言言えって言われて」
「当日に?」
「当日に。元々は俺なんか比べ物にならんくらいにすごい優秀で立派な生徒が話す予定だったらしいんですが、入学式前日に地元が大火災になったんで、入学式蹴って地元の復興に向かったらしいですよ。ご立派なことに。そのまま一年間休学したとかしねぇとか。俺が選ばれたのは……まあ、人手が足りないって聞いて裏手で手伝ったりとかしてたんで、真面目な生徒だとでも思われたのかも知れません」
「あぁ、確かにそんなこともあったなぁ」
「それでまあ、広告塔としても使うから、他の生徒の模範になるようにって言われて、今みたいな感じに」
今更嘘をつく必要もないとは思いながらも、長年の癖で、微妙に嘘をついていた。
真面目な生徒だと思われたから、ではない。
入学式の手伝いに駆り出されている新入生は他にもいて、ユウケイより真面目に働いている生徒もいた。ユウケイは別に、特別ではなかった。
単なる偶然だ。
学長当人から、ユウケイを選んだのは、ただ「そこにいたから」という、それだけの理由だとはっきり告げられている。
「そこにいたから」でもなければ、あの頃のユウケイの器量では生徒代表になることはなかっただろう。
今となっては、幸運だったとも思う。何も持っていないただの人間であるはずのユウケイは、その大役に相応しい振る舞いを求められて、自分の実力以上のことをしようとする内に、役名があだ名になる程に成長することが出来た。今までの人生で一番良かったことだとすら思う。
しかし。大した理由もなく、心構えもなく生徒代表にさせられたおかげで、無闇矢鱈に大変だったのも事実だ。生徒代表になった経緯を隠す癖がついたのも、ユウケイがあれこれ言うことに大した根拠がないと知ると、言うことを聞かなくなる生徒が出て来るためだった。
「ここの人たち、ほんっと研究以外のこと適当ですよね……。正直なとこ俺だって、この性格でいる限りは、研究だけに集中するのは無理だって分かってますよ。えぇ、分かっていますとも」
「あー……まあ、色々と大変だろうけどよ、ユウケイなら研究院入っても、ついていけるって。俺も何か協力出来ることありゃ協力すっから、遠慮なく声かけろよ」
情の厚さを感じる申し出に礼を言いつつ、若干胸が痛んだ。
司書長も、どれだけ大変でもやり遂げられると勇気づけた相手が、ヘルメスの書斎に侵入するつもりだとは夢にも思っていないだろう。その腰についている鍵を欲していると知ったらどんな顔をするだろうか。
しかしユウケイは、メルからの「挑戦」を無視するつもりはなかった。一応命の恩人からの頼みだし、メルという魔物に興味がある。あのヘルメスの書斎に侵入するのも面白そうだ。代表としても生徒としても、ずっと真面目に過ごして来た自分の、卒業前の最後の「悪ふざけ」としては、上等の部類という気もする。
ただ、やはり自力では扉を開けることは出来なさそうだった。協力者が必要だ。それも口が堅く、信頼出来て、何より悪事に目を瞑ってくれる奴。
思い当たる友達はいる。
早速今晩、会いに行くことにしよう。
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