司書長ネリハス

 操縦桿を軽く動かし、一階へ向かう。ガタゴトという前時代的で少し懐かしい音を聞きながら、やはり本来の鍵を手に入れなければならないか――などと考える。

 メルは一体、どうやってヘルメスの書斎に入り込んでいるのだろうか。鍵なしで、特殊な方法でヘルメスの書斎への通路を開いているのか、それとも鍵を盗んでいるのか。

 ゆっくりと揺れが収まり、運搬機が停まった。

 肩を揉みつつ運搬機から出かけたが、どうも風景が一階とは違う。数歩戻って階数表示を見上げると、まだ五階までしか来ていなかった。再び操縦桿に手を伸ばした時、

「ユウケイ!」

 聞きたくなかった声に呼び止められた。

「……どうも、司書長さん」

 緑色の作業着を身に着け、小脇に本を抱え、一つ結びにした銀色の長髪を尻尾のように揺らしながら、風に乗って館内を駆ける。

 司書長ネリハス。魔術研究院附属図書館に勤める有能な司書たちの長であり、後天的に魔力器官を獲得した「元人間」、類稀なる「魔術師」の一人でもあった。

 使うのは自由に風を操る魔術。それによって司書長は、人間では有り得ない速度での移動や空中浮遊などを自在に行う。また魔術以外の能力も非常に優れている人物だ。ユウケイとさして年齢は変わらないにも関わらず、司書長という地位に就いていることからも、その能力の高さは伺い知れる。

 腰についている鍵束をちらと見て、ユウケイは眉をひそめる。

 その鍵束のうちのどれかが、ヘルメスの書斎の扉を開くための鍵だった。この他にも鍵は存在するかも知れないが、今のところその在処は明らかにされていない。

 ヘルメスの書斎に侵入するにあたって、最も大きな障害となる人物である。

「何か珍しい奴に乗ってんなぁ。もしかして幽霊騒ぎの調査でも頼まれたか?」

「把握してるんなら、調査してやってくださいよ」

「どうせ単なるいたずらだろ。俺ァ忙しいんだ。そっちでやってくれ」

「俺も大概忙しいんですけどね。まあ気が向いたらやっときます」

 ヘルメスの書斎に入るための唯一の入り口である。放置してくれるのなら、それはそれでありがたい。

「それで、何かご用事で?」

「用事があんのはそっちじゃねぇのか? 俺のこと探してるってさっき聞いたぞ。珍しいじゃあねえか。どうしたよ?」

 館内でうっかり鉢合わせることのないよう司書に居場所を聞いたと言うのに、裏目に出てしまったようだ。司書長は基本的に館内を駆け回っているから、一時の居場所を聞いたところで避け切れるものでもないけれど。

 司書長の居場所を聞く口実として、内密の用事があると適当に言ったが、内容までは考えていなかった。

「あぁまあ、ちょっと……」

「お、何だあ? ユウケイが口ごもるなんてマジで珍しいな。口先から生まれ来た口先太郎だってのに」

「俺の親は両方とも、四代遡っても人間しかいねえ生粋の人間一族です」

「もしかして進路相談か?」

 進路は既に決まっている、と言いかけて、まだ司書長には詳しく報告していないことを思い出した。司書長とは入学当時からの付き合いで、他の多くの生徒と同じように何度も世話になっている。

「相談というか、ある程度決まったんで、報告しておこうかなと思って来たんですが。どうもお忙しそうですし……」

「決まったんかー! めでてえな!」

 ぐいと強引に肩を抱かれ、がくがくと、運搬機の比でなく揺らされる。

「報告聞く聞く。今日はそんな忙しくねえ方だし。つっても館内じゃゆっくり話せねえな。ちょうど俺昼飯食ってねえし、屋上行くか! ちょっとムショに休憩の連絡入れるから待ってろ」

「事務所のことムショって言うの止めた方がいいですよ……」

 あれよあれよと言う間に司書長に連れられて屋上へ。屋上に上がるための移動手段が自力以外にないのと、落下防止用柵の他には何もなく殺風景なため、あまり出入りする者のない穴場だった。

 司書長は柵を背にあぐらをかいて弁当の蓋を開け、ユウケイはその隣に片膝を立てて座った。

「ハンサ船長の研究室かぁ! あの人ァ人使いはちぃっとばかし荒ぃが、面倒見良くて良い人だよな」

 簡単に報告を終えると、司書長は嬉しそうに言った。

「まあ、ちょっと意外な気もすっけど。お前はロアン師の所に行くかと思ってたぜ。気も合うし、著作も熱心に読んでたろ?」

「確かにロアン師とも迷ったんですけど……。元々、生徒代表としてやっていくために学び始めただけで。俺が本当にやりたい分野とは違ぇかなって」

 柵に頭をもたれさせかけ、空を仰ぐ。

「あぁ、そう言やお前、自分の前世について研究してんだっけ。それでハンサ師か。なるほどなぁ」

「……それ俺、話したことありましたっけ」

 司書長は弁当をかっ喰らって口をもごもごさせながらうなずいた。

 興味本位で根掘り葉掘り聞かれたり嘘呼ばわりされるのが嫌で、学舎に入学した時点で、他人に話すことは少なくなっていたような気がするのだが、研究書を見つけるために、図書館の司書に軽く話すことくらいはあったのかも知れない。それを未だに覚えているのは、さすが司書長にまでなった人である。

「ま、そうです。ずっと前世についてやってて……」

 目を瞑れば、今もはっきりと眼裏に浮かぶ。

 一度目の人生。

 魔術も魔物もいない世界に、「奥本悠」は生きていた。

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