書斎侵入作戦準備

立ちはだかる壁

魔術研究院附属図書館

 自分の知識量に絶対の自信があった新入生も、一秒足りとも口を閉じてはいられないようなお喋りも、魔術研究院附属図書館に入ると言葉を失う。本の形をした先人たちが、如何に迷える学徒を教え導いてやろうか、如何に自分の研究を後代に引き継がせようかと目を光らせて待ち構えているからだ。

 学舎に比べると簡素な石の扉をくぐると、まず目の前に、広大な玄関口が現れる。扉と同じく装飾は抑えられて落ち着いた雰囲気のある階だ。この階には本棚はあまり置かれておらず、休憩所や本の返却口、事務室などの機能的な施設が揃っている。

 中でも生徒や研究者たちに人気なのは、ずらりと机が並べられた閲覧区画だ。本の閲覧、自主学習はもちろんのこと、一部の防音の魔術がかかった席では魔道具の試用なども可能だ。また広々とした防音室も併設されているため熱のこもった話し合いも可能である。

 しかし、この場所が人気なのは、それだけが理由ではないように思う。

 ユウケイは閲覧区画の隅に立って、顔を上へ向けた。

 大量の本棚が、霞んで見えなくなるくらい奥まで続いている。

 閲覧区画は最上階まで吹き抜けになっている。この図書館は敷地を取り囲む無辺の森を部分的に再現することで、上へも奥へも拡張し続けられるようになっていた。

 魔術師や魔術研究者などの所持していた書物が見つかる度に、それらを収蔵するために棚が増え、図書館も広くなるという訳だ。従って階数は不定、今は果たして全部で何階あるのやら。外観では六階建ての建物のように見えるが、中身は無辺とまでは言えなくとも、人間の寿命では一生かかっても到底探索し切れない奥行きを持つようになっていた。

 図書館の隣にある博物館も同様の魔術を施されている。

 あまりにも壮麗。本棚や建物には、昔この場所にあった「ヘルメスの居城」の意匠も取り入れられて、景色としても素晴らしい。

 しかし、ユウケイが思うのは、これだけの書物が集まってもまだ解明されない謎が、この世にあるのだということ。

 そして――登らなければ、と思う。全知全能という頂に続く階梯を。積み上げ続けなければ、と思う。知識の煉瓦でバベルの塔を。

 他の研究者たちも、そんな風にやる気が出るからこの場所に来るのでは、という気がしてならない。

「すみません、お待たせしました。ネリハスの居所なんですけど、どうも……あの、代表さん?」

 我に返って振り向くと、作業着エプロンを身に着けた館員が立っていた。先程ユウケイが司書長ネリハスは今どこにいるか、と問い合せた時に対応した館員だ。

「ネリハスは今、開架七六一の五にいるみたいです。たぶん、利用者さんの検索補助をしてるんじゃないかと思うんですけど……。えっと、呼び戻さなくていいんですよね?」

「えぇ。どうせ俺も別件で探し物があるので、探し物をしつつ、司書長さんのことも探してみます。急ぎの用事でもないので、大丈夫です」

 嘘をついて悪いとは思いつつ、館員に礼を言って、ユウケイは閲覧区画の少し奥側にある、館内移動用の運搬機駐留所へ向かった。

 あまりにも広い図書館内。飛行や瞬間移動の出来る人々は自由に行き来するが、何ら力を持たない人間であるユウケイは、司書に本の移動を依頼するか、運搬機を用いて階を移動しなければならない。

 運搬機は機とついているが、その形態は機械に限らない。獣人の生徒が従者のようにつくものもあれば、他者に強化魔術をかけることが出来る魔物が立っていることもある。学舎内で外貨を稼ぐことが出来る数少ない手段の一つなので、運搬機の周辺はいつも賑わっている。

「おっ代表いらっしゃい! うちの人力車は速度は遅めですが、安定性抜群なんで酔う心配もなく、安心して乗ってられますよ。いかがですか!」

 あいにくと、今日は他人に見られる訳にはいかないことをする。いくつもの声かけを軽くかわしながら、ユウケイは駐留所の奥にひっそりと佇む木製の運搬機に近寄った。

 落ち着いた瀟洒な雰囲気で、図書館によく馴染む外観をしている。それもそのはずで、設立当初から図書館に備え付けられている運搬機の内の一つだった。縦移動しか出来ず、館内移動用としては不向きなためほとんど使われず、普段はこうして奥に鎮座している。取っ手を押そうとすると、薄く埃が舞った。

「代表、そんなのに乗るんですか? 遅いし揺れるのに。それにそこ、出るって噂ありますけど」

 扉に描かれた意匠の中に魔法陣があるのを確認していたユウケイは、話しかけてきた生徒の言葉が気になって、顔を向けた。

「出るって、幽霊の類ですか?」

「えぇまあ……。死んでるはずの奴を見たって話は聞かないんで、厳密に言えば、誰にも気配を感じさせずに意味不明なことをする、不気味な奴……ですけど。半年くらい前から流れてて、結構有名な噂ですよ。俺が聞いたのは、黒い炎が周囲を飛んでたって奴と、誰も入ってないのに箱が急に動き出したって奴です。……俺自身も、そこの近くで休憩してた時に、何か声を聞いたような気がしたりしなかったり」

「図書館の職員さん方には言ってないんですか?」

 学舎には悪戯な、あるいは実践に熱心な生徒によって、様々な場所に魔術がしかけられているが、図書館には外部の魔術師なども頻繁に訪れるため、無断での魔術の設置は禁止されている。この場合魔術かどうかは不明だが、可能性があるのなら調査くらいするだろう。しかし、取っ手には埃が乗っていて、しばらく誰にも触れられた様子がない。

「言いましたけど、実害がないなら後回しって言われて、そのまま今も放って置かれてます。あ、代表、良ければ調べてもらえません?」

「あー、申し訳ないのですが、俺も今は別件で忙しいので。また今度、時間があったらやりますよ」

 運搬機に乗り込んで後ろ手に扉を閉めつつ、「黒い炎ねえ」と独り言つ。

「ここを入り口にしてる、ってことだよな……」

 運搬機の中は外観から想像するよりは広く、両手を広げても大分余裕がある。そこに、ぽつんと安楽椅子と小さな円卓が置かれている。壁の木彫りは美しく、魔石灯は優しく手元を照らす。落ち着いた部屋の一角を切り取ったような内装である。しかし、やはり全体的に埃が積もっている。美しい意匠が台無しである。

 ユウケイは埃を払ってから安楽椅子に腰かけて、壁に据え付けられた移動用の操縦桿を下に向かって押す。少し動かすだけで、頭上にある階数表示が瞬く間に三、四、五と変わっていく。無節操に増築された図書館を移動するには、今はもうこの運搬機では不便過ぎる。音や揺れも激しく、長く乗っていると酔いそうだ。

 階数表示が二十になる辺りで揺れが収まる。薄く扉を開けて、この階に開架七六一の五がないことを確認してから、早く作業を済ませてしまおうと、ユウケイは扉の前に跪いた。

 取っ手の下部に、小さな鍵穴がある。

 かなり昔に工学部の輩から接収した後、密かに隠し持っていた鍵開け用特殊針金を、その鍵穴に差し込んだ。

 しばらくガチャガチャと鍵穴を弄る。しかし、開く気配はない

「……って、開く訳ねえんだよな」

 急に馬鹿らしくなって来て、ひょいと放り投げた。一応寮の自室の扉で開くことを確認はしたし、実際優れものではあるのだろうが、これでこの扉が開いたら、若干残念な気分になる気もする。開いた扉をそのままそっと閉じてしまいそうだ。

 次に取り出したるは、水芸同好会にもらった瞬間氷結水である。特定の音を聞かせることで任意の時に瞬時に凍らせることが出来る水で、魔術を使えない人間であっても扱える点が非常に優れている。

 しかし、横向きに鍵穴に水を入れるのは困難だった。受け皿などを用いて試行錯誤してはみたものの、あまりにも上手くいかない。諦めた。鍵穴の奥に霧吹きで吹き付けて、地道に凍らせることも考えはしたが、二週間という期日では、間に合う気がしない。それに、他者に見られないようにこそこそやっていても、あまりにも時間をかければ、怪しむ者も出て来るだろう。

 これで持って来た手は終わりである。別に開くと思っていた訳ではないが徒労感がある。床にあぐらをかいて、少し唸った。

 そもそもこの鍵は、鍵穴の形だけなぞらえたら開く、というものでもないだろう。

 何せ、立ち入り厳禁の、禁域ヘルメスの書斎へ続く扉なのだから。

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