鯛で餡を包む

 背筋にぞくりと悪寒が走った。

「やぁ、ユウケイ君。話したいことがあるんだが、少しいいかい?」

 度々危険な目に遭ううちに研ぎ澄まされてきた危機察知能力が、背後に危険があると知らせている。

 表面上は平静を保ちながらも迅速に振り返る。しかしそこにいたのは、見た目にはさして危険を感じない、凡庸な雰囲気の生徒だった。顔にあまり覚えもない。学舎で見かけたことはあるような気がするが、ただ授業が一緒だったり廊下や食堂ですれ違ったことがあるだろう、という程度のものだ。

「一応取り込み中なので、簡単な話であれ……ば……」

 警戒は解かないままに、いつも通りに応対しようとしたものの、一瞬感じた危うい雰囲気からはかけ離れた物が目に入って、ユウケイの視線は下に逸れた。鯛焼きである。しかも右手に二つ、左手に一つで、合計三つの鯛焼きを持っている。焼き立てなのか、指先がほのかに赤らんでいた。

 左手の鯛焼きが、ユウケイに向かってひょいと差し出された。

「お一つ如何かな?」

 気が抜けて、へらりと笑い返す。昼食をまだ食べられていないことを思い出したが、唾を飲み込んで首を振った。

「遠慮しておきます」

「実はこれ、ユウケイ君のためにもらって来たんだ。受け取ってくれるとありがたいのだが」

 生徒の笑みと鯛焼きを交互に見比べる。

「……餡こですか?」

「うん。嫌いかな?」

「好きですよ。ただ、中に入っているのがメルさんの一部とかだったら嫌だなと思って」

 生徒は「ふふふ!」と可笑しそうに目を細めて、ユウケイの顔に当たりそうなくらいに鯛焼きを近づけて来た。危うく避けて、鯛焼きを受け取る。

「やっぱりメルさんでしたか」

「よく分かったね?」

「俺のことを名前で呼ぶ人、あんまりいないんで。トウカさんは一緒じゃないんですね」

「あの子は人混みが苦手だからね」

 次に会ったら、喧嘩を売って来た件について聞こうと思っていたのだが、いないのならば仕方がない。それに、メルとも色々と話したいことがある。

「……と言うか、メルさんだとは気づかないだろうと思いつつ、あの話しかけ方ですか? 悪ぃけど、気づくまではまたヤベェ奴来たなと思ってましたよ」

「酷いことを言う……。気づいて欲しいなと思っていたのさ。運命のため結ばれず、来世での再会を誓った悲しき恋人たちのように」

 笑い飛ばすべきだったのだろうが、頬が引きつってしまった。

「……来世ねえ。何でそんな」

「浪漫的でかっこいいじゃないか」

「思いの外、何つうか、馬鹿みてぇな理由ですね」

 しかし、けして単なる馬鹿ではないことを、確信していた。先程の未知の異界に加えて、どういった系にある魔術かは分からないが、変化の手段も持っている。もし口調まで変えられていたら、全く分からなかっただろう。どうもこのメルという名の魔物は得体が知れない。

「愛があるから浪漫的になるんであって、こんな単なる間違い探しにゃ浪漫はありませんでしょう。それより、話はいいんですか? さっきの借りの話をしに来たんじゃ?」

 借りを作ってはならない人物に借りを作ってしまったのではないかと、おふざけに付き合いながらも思った。

「うん。実は頼み事があるんだ。……ただ、こうして周囲に人がいる環境では言いにくくてね」

「気が利かなくてすみません。場所移しますか」

「いや、今はいいよ」

 鯛焼きを持っている方の手首を、急につかまれた。

 ぐいと引っ張り上げられて、眼前に鯛焼きが迫る。

 何か、と聞こうとして、鯛焼きの包み紙に、硬筆で走り書きがあるのに気がついた。書かれているのは、今からおよそ二週間後の日付と、学舎の門が閉ざされた後の時刻。そして、「ヘルメスの書斎」という文字。

「来てくれ。そこで話そう」

 咄嗟に手首をつかむ手を払い、走り書きを隠すために包み紙を折る。ついでに鯛焼きを頬張り、熱々の餡を驚きと一緒に飲み込んだ。

「……ここ、ですか。マジに言ってます?」

「そこなら誰に聞かれる心配もないだろう?」

「待ち合わせ場所にするってことは、メルさんはここに入ることが出来るんですね?」

「我が家と呼んでいいくらい、馴染みの場所だよ」

 冗談だと一笑に付してしまいたいところだったが、こうなると、どこまでが冗談か分からなくなって来る。ヘルメスの書斎の名を出すこと自体、既に冗談かどうか危うい線上にある。

 まさか今頃になって、ヘルメスの書斎という名を見ることになるとは、思っていなかった。

「待ち合わせに相応しい目印がないのが難点ではあるが、ユウケイ君なら辿り着けるだろう?」

「いや、目印以前の……」

「どうせ、そこに辿り着くことも出来ないような人に頼むつもりはないんだ」

 メルは微笑みを浮かべて、ユウケイの言葉を遮った。場所に関しては間違いでもないし、譲る気もないという意志が感じられる。

 しかし、ヘルメスの書斎と言えば、学舎でも有数の禁域。下手を打てば、侵入するだけで退学も有り得る場所だ。

 命の恩と退学、助けられた身では天秤にかけ辛いが、さりとてそう簡単に退学になる訳にはいかない。退学になれば、せっかく決まった就院の道も閉ざされる。いっそ恩知らずの汚名を着せられても、無視を決め込む方がいいかも知れない。

「しかし、いくら命の恩人とは言え、君がそこまでしてくれるのか、少々不安もあったのでね……」

 ユウケイの臆病を見抜いたかのような時宜に、メルはいかにも不安そうに言って、

「あの魔獣を召喚した犯人の首級も持って来たんだが、足りないかな?」

 自分の顔を指差し、首を傾げた。

 その言葉の意味を理解するのに数秒。メルの変化か何かだと思っていたこの肉体が、「首級」なのだと理解した後は、言葉の真偽を見極めようと表情を観察した。だがすぐに、この肉体を観察してもあまり意味がなさそうなことに気がついて止めた。

「どうやって見つけたんですか?」

「真実かどうか疑っているのかい?」

「それもありますが、興味の方が強いですね」

「うぅん……。企業秘密、かな。どうしてもと言うのなら、君が待ち合わせ場所まで来ることが出来たら教えようか」

「……へぇ」

 どこか挑発的な視線を受けて、ユウケイは軽く笑った。

「分かりました。行きますよ。ちょっと腑に落ちねえ気もしますが……ちょうど身軽になったところですから」

 少し、楽しくなって来ている自分に気がついた。

「実のところ、ユウケイ君にしか頼めないと思っているんだ。待っているよ。どうか私の願いを叶えておくれ」

「叶えられるかどうか、まだ分かりませんけど。善処しますよ」

 メルは借り物の体で微笑んで、ふと、消えた。

「い、きなりッ……!?」

 そう呟いたのは、先程までメルとして話していた体だったが、メルではないことはすぐに分かった。犯人として連れて来られた生徒は、悪態をつきはしたものの周囲の状況に戸惑う様子はなく、素早く身を転じて逃げ出した。犯人かどうかまだ確証はなかったが、この時点でユウケイはこの生徒をほとんど犯人と見なした。

「お尋ね者です! 捕まえた奴には褒賞!」

 咄嗟に声を張り上げると何人かが駆け出した。犯人は即座に捕らえられ、連行されて来る。

 奇妙なことに、生徒の手から鯛焼きは消え去っていた。思い返してみれば、生徒の様子が変わる直前、一瞬、鯛焼きを携えた黒い塊が、目の端に映ったような気もした。

「くそ、あいつ……。あたしの金で鯛焼き買うし……」

 完全に体を乗っ取られた場合、記憶まで操られることもあるが、この生徒にはどうやらメルに関する記憶は残っているようだ。ユウケイへの当てつけの意味もあるのだろう、恨みがましい目が向けられる。さすがに今は、メルと一体どういう話をしたのか、などという聞き取りは出来そうになかった。

 問題を起こした生徒の処遇は管理局によって決められるため、どういった処分になるかはまだ不明だ。もし可能なら、ほとぼりが冷めた頃に、メルについて話を聞いておきたい。

 愚直にヘルメスの書斎を攻略するだけでは、メルの掌の上で踊らされるだけだ。あの魔物に掌があるのかは不明だが。

 鯛焼きをこそこそ食べながら、これからの段取りを組んでいく。

「……どーすっかなぁ」

 笑い混じりに呟いた。

 まずは、問題を起こした生徒の管理について教えるついでに、犯人をチルエルに引き渡して、さっさと終わらせてしまおう。こんなことに手間取っている暇は、たった今なくなった。

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