犯人

 ユウケイがチルエルに協力証明書を渡すのと同時刻。

 学舎を取り囲む深い緑の木立の中に、二体の魔獣を見つめる瞳があった。


「平和じゃのう」

 地面に突き出た岩に腰かけて足を揺らしながら、人間の少女のような見目をした人物は、呆れたように呟いた。

「良いことじゃないか。何か都合が悪いのかい?」

 紳士を想像させる気取った声が、少女に聞き返す。声ははっきりと聞こえるが、不思議なことに、近くに声の主は見当たらない。ただ魔獣の微かな羽ばたきが起こす風が吹くばかりである。しかし、少女は主のいない声を何ら不思議がることなく、視線を学庭に向けたまま答えた。

「悪かないが、あんまりにも立ち直りが早いんで呆れておる。見よ、メル。屋台まであるぞ」

「おや。あれは鯛焼きかな。……そう言えばトウカ、昼食の途中だったね。もらって来ようか?」

「いらぬ」

「しかし昼食抜きは良くないよ。うん、後でもらって来ることにしよう。何味がいい?」

 トウカは目だけを近くの木陰に向けて、何も言わずに正面に戻した。

 夏のよく晴れた日の空を思わせる、美しい青だった。じっと見ていると、青の奥に宇宙がありそうに思えて来る。

 白金の髪が風に流され、瞳が隠される。

 形の良い唇が開いた。

「お前はこの光景をどう思う?」

 答える者はない。トウカは軽く顔をしかめて、こちらを見た。

「おい、答えよ」

 それで自分が問われているのだと、気がついた。

「あたしですか」

「お前しかいなかろう。他に誰かいるように見えるのか?」

 岩の上から嘲笑が降って来る。

 しかし、ここにはもう一人、メルという名を持つ人物がいるはずだった。姿は見えないが、声だけはずっとしている。トウカも会話をしているのだから、自分一人の幻聴ではないはずだ。

「あまり虐めるものではないよ、トウカ」

 内心の訝しみに応えるように、先程トウカが見ていた木陰の方から声がした。しかし、トウカはちらともそちらを見ようとしない。

「疾く答え。言わずに時を引き延ばそうとしても、助けは来ぬぞ。皆復旧作業やら魔獣やらにかかりきりじゃから、声を上げても聞こえんしのう」

「そんなつもりでは……」

「おや、無視するつもりかい? いけないな。鯛焼き買って来てあげないよ」

 トウカは軽く顔をしかめた。

「……」

「君のことだから「端から頼んどらんわ」とでも思っているのだろうけれど、実際私一人で食べていると一口寄越せと言って、ほとんど全部食べてしまうだろ。いつもは育ち盛りだからと許してあげているけれど、今度という今度は一口だってあげないからね。私が買って来なければ、君の分の鯛焼きはなしだ。分かったね? 分かったらちゃんと返事をしなさい。……いいのかい? 本当に買って来てあげないよ?」

「……うるっさいわ」

 根負けしたように答えた。

 まるで反抗期の子供と鬱陶しい親のようなかけ合い。しかし、油断出来ない二人だった。

 ちらと足元を見る。軽く力を込めてみるものの、自分の足ではないみたいに動かなかった。この二人と出会ってから、ずっとこうなのだ。自由に体が動かすことが出来ない。ただ単に体を動かせないだけでなく、歩きたくもないのに歩かされ、この場所まで拉致された。まるで、自分の体を乗っ取られたようだ。今、自由に動かすことを許されているのは、口と顔だけだった。

「早く答えぬと、彼奴の買うて来た熱々の鯛焼きをその顔に投げつけるぞ」

 苛立った声で急かされた。

 この二人が何者なのか。どうしてこんな目に遭っているのか。分からないことだらけだが、確かなことが一つある。今の自分は、猫に弄ばれる鼠の立場である。

 せめて機嫌を損ねて殺されることのないように、質問に答えるため、木々の向こう側に見える光景に目をやった。治療される二体の魔獣、その周囲に集う人々。食堂の復旧作業をする人や、それを機会と捉えて自分の芸を披露し、協力者や出資者などを集めようとする人。青々とした芝生の上を吹き抜ける風、晴れ渡った空。

「えっと……良いお日柄ですね」

「それがこの光景を見て思うことか?」

「はい」

「挨拶か!」

 この光景をどう思う、という問いに素直に答えたのだが、トウカは頬を膨らませた。求めていた答えとは違ったらしい。

「もっとこう、何かあるじゃろ」

「何か、ですか……」

 舌打ちしたトウカは岩から飛び降りて反転すると、両手を広げた。

「食堂がほとんど崩壊! 二体の魔獣は混乱と恐怖を味わい、それに相対した者らは多かれ少なかれ手傷を負った! 授業は当然受けられず、昼食も食えず! 多くの者が迷惑しておる! 儂もその一人じゃ」

 眼球に突き刺さりそうなくらい間近に、人差し指が突きつけられた。

「全部お前のせいだと言うのに、良いお日柄ですねと、それだけか」

 そういうことか、と納得する。人を問答無用で拉致する割に、正義感がある子だ。感心はするけれども、少し困ってしまった。

「謝れば……いいんですか?」

「何じゃ、その言い様は」

「あっすみません、すみません」

「謝るところが違うじゃろう。……もしや、謝る気がないのか?」

 謝れば、許して、開放してくれるのだろうか。

 けれど、思ってもないことを言うのは苦手だった。

「……反省は、していますけど」

「ほう?」

 うん、とうなずいた。

「あれだけ魔石使ったのに、手負いの魔獣一体しか召喚出来なかったから……」

 口に出すと、悔しさが増した。

 計画では、もっと大きな個体を召喚するはずだった。しかし、実際に召喚されたのは、本来召喚する予定だった魔獣と同じ群れにいるが、予定していたよりも小さく弱い個体だった。その上召喚位置も、計画より大分学舎に近くなってしまった。

 成功か失敗かで言えば、大失敗だ。

 きちんとした検証はまだだが、召喚手順に間違いはなかったはずだ。群れの指定も何度も確認した。恐らく、用意した魔石の中に、粗悪な物が混じっていたせいで、少しずれが生じてしまったのだろう。しかし、今はそれだけ集めるのでも精一杯。

「まだまだ先は長いなぁ……」

 つかの間、状況も忘れてため息を吐いた。全く共感はなく、トウカはばさりと切り捨てる。

「そんな前向きな言葉は求めとらんわ」

「そう……でしょうね」

 この人が欲しているのは、魔術の失敗によって引き起こされた、この惨状への謝罪と反省。分かってはいる。しかし、口まで出て来ない。

「悪い、と思う気持ちはないのか? これだけのことを起こして、人に迷惑をかけて」

 同じような言葉を、友人や教師、親にも言われた。「人に迷惑をかけて、悪いとは思わないのか?」

「うーん……」

「ないんだね」

 濁した言葉を、優しい声がすくい上げた。たったそれだけの言葉だったのに妙に理解されたような気がして、声のする木陰を見やる。よくよく見てみればそこには人型をした、影よりも深い黒があった。

「君は己の成すべきことをしただけだ。悪いと思うようなことは、何一つやっていない。……むしろ、良かれと思ってのこと。そういうことなんだろうね」

 何かしら応えたくなって言葉を探すが、声は返事を待たずにトウカに呼びかけた。

「もういいよ、トウカ。ありがとう」

「もういいのか? 諦めが早いのう」

 顎の下に手を添えて、くいと上向かされる。相変わらず体は動かないままで、抵抗することは出来ない。

「心底から悪いと言うようになるまで、拷問でもしてみるか」

 軽い口調だったが、遥かな空を思わせる青い目は、本気と冗談との境を曖昧にした。

「それでは意味がない。……いや、あるのかな? 今度やってみようか」

「冗談だったんじゃが。引くわー。やるなら一人でやってくれよ」

「私だって冗談だよ。真に受けないでくれ」

「いや、今のは本気じゃったな」

 先程とは打って変わって、二人共楽しそうにしている。謝罪はいいのだろうか。メルがトウカに言った「もういいよ」とは、謝罪を強制しようとしていたことか。疑問符は次々浮かぶものの、何一つとして解消されることはない。たかが鼠には、猫が自分を構う理由など知る術はないし、知ったところで確かな理由があるとも限らない。

 鼠はただ藻掻くしかない。

「あ、あの。用事は終わりですか」

 思い切って問いかけるのと同時に、魔獣が羽を広げた。髪を抑えながら振り返ったトウカは、「そうじゃのう」と呟くように答えた。

「本当にいいのか、メル」

「いいんだよ。この人には悪の自覚がないのだから、その時点で真の悪とは言えない」

「はぁ……。どうも儂には、よう分からんが。まあ儂の方で用はないし……帰してやったらどうじゃ」

 やっと解放されそうな気配に内心で浮き立った。この二人の目的は結局よく分からなかったが、ともかく無事に解放さえしてくれたなら良い。

「そうだね。じゃあ、行こうか。付き合ってくれてありがとう」

「あ、いえ……」

 声と共に、己の体が勝手に動かされた。すぐには自由にしてもらえないらしい。

「あれ、トウカ。結局鯛焼きは何味がいいんだっけ?」

「いらんと言うたが……じゃあ黃餡味クリームで」

 トウカはその場に留まるようだ。自分の体は、トウカに向かって軽く手を振ると、森の外へと踏み出す。

 脳を一部乗っ取ることで他者の手足を操る魔術にかけられたことはあったが、この魔術はそれとは異なる、奇妙な質感だった。思考は鮮明で、内側から犯されている感覚は薄い。しかし、外側から力によって、無理やりに抑えつけられている感じでもなかった。普段と同じく、自然と体は動く。ただそれが自分の意志で行われていることではない。これだけ長く効果が持続していることも含め、余程強力な魔術のようだ。

 考察していたら、森から出た。陽の光が眩しい。体はそのまま真っすぐに進んでいく。

 あれ、と思った。

「……どこへ行くんですか?」

 ただ解放するだけならば場所を移す必要はない。

 声は快活に答えた。

「もちろん、代表のところさ。悪気はなかったとは言え、学舎を混乱させる原因となったのは間違いないのだから、きちんとお咎めは受けなければ」

「え――ちょっと待って!」

「待ってもいいけれど、未来は変えられないと思うよ」

 どれだけ思おうと足は勝手に、遠くに見える代表の方へと向かっていく。

「大丈夫。トウカが見たところでは、謹慎と課題で済むそうだから」

 叫ぼうと口を開いたが、声は出なかった。口も閉ざされる。とうとう言葉すらも奪われた。いっそ思考が残っているのが不思議なくらいに、この体は制圧された。

「あ、その前に屋台に寄りたいな。いいかい?」

 己の口から、己の声で問いかけられる。確認の体を取っているが、こちらの意を聞くつもりは全くない。邪悪とすら感じられる問いだった。

 魔獣が飛び立ち、風が吹く。視界から消え行く二体の姿は、自分を嘲笑っているかのように思えた。

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