チルエル
「魔獣の対処に参加してくださった方にー、学生講から協力証明書を発行していまーす! 外部の医療機関を使う時の金銭負担や壊れた所持品の補償に使えまーす。また学生講本部に持って行くと褒賞も出るのでー、忘れず取得してくださーい!」
「すみません、二枚」
「お、代表ー! いつもありがとうございまーす!」
「そちらもいつもお疲れ様です。……つかぬことをお伺いしますが、こちらに人間女性型の魔物と黒い犬っぽい魔物の二人組は来ましたか?」
「いえー。お知り合いですかー? もし良ければ、代表が探していたとお伝えしますよー?」
「んー……。ありがたい申し出ですが、名前が分からないので止めておきます」
「あー、取り違えてもアレですしねー。分かりましたー」
協力証明書をもらって、復旧作業の様子を見ているチルエルの元へ戻る。チルエルは協力証明書のことなどすっかり忘れていたようで、ユウケイが差し出した紙を不思議そうに見つめた。
「……あ。ありがとうございます!」
汚れがついて黒ずんだ頬を見下ろして、ユウケイは軽く息をつく。チルエルが慌てた。
「な、何か拙いことでもありましたか?」
「まさか。順調順調。世は並べて事もなし」
「さすがに、この有様を事もなしとは……」
「学舎の敷地内で事が収まったんだから、事もなしですよ」
「ハハ……。すごいところですね、ここ」
チルエルは視線を、魔獣へと向けた。二体の魔獣は広々とした学庭で治療を受けながら、仲睦まじく、声を交わしている。先程の嵐のような暴れ様が嘘のようである。
何とか一体目を外に出したことで、二体目の「苦情」は一旦収まった。しかし、怪我をしている一体目を守るためか、二体目は一体目を守るように翼を広げると、その場から動かなくなってしまった。
敷地の外れならばまだしも、授業棟や食堂のすぐ近くではさすがに邪魔になる。そのため、精神治癒や意思疎通の魔術を使って警戒心を解き、治療を施すことで、早期の退去を促すことになった。
治療はじき終わる。魔獣が飛び立つのは時間の問題だろう。
「そう言えばチルエルさん、入学したばかりでしたね」
「はい。三ヶ月程前に」
「何でこんなところに来てしまったんです?」
「以前は地元の人間用学舎に通っていたんですが、図書館で読んだククルー師の著作に感銘を受けて転入しました」
道理できちんとしている、と内心で納得する。附属第一学舎に長くいたり、附属第一学舎にしか通ったことがなかったりすると、もっとおかしくなるものだ。
「思い切ったことをしましたね。「すごいところ」だと知って、辞めたくなったりしません?」
「すごいというのは単純に、感嘆の意ですよ。辞めろと言われても辞めたくないくらいに、楽しいです」
「今日のを経験してそう言えるのなら大したものです。俺はさっさと卒業してぇと心から思いましたよ。……まあ、就院するんですけど」
「え、就院って、研究院に入るってことですよね? おめでとうございます」
「どうも。まあ、めでたいかは分かりませんけどね。俺の知りたいことを知っている人はこの世界にはいないってことなので」
一体目の魔獣が翼を広げた。会話を切って二人で様子を見守るが、飛び立たずに落ち着いてしまう。
「……俺の話はいいんだ。ちょっといくつか……三つ程、改まった話をさせてもらっていいですか? この後に授業に行くつもりがなければ、ですが」
「さすがに今日はもう、授業は諦めましたけど。……悪い話ですか?」
「さぁ。聞いて判断してください」
場所も移動しようかと思ったが、チルエルが二体の魔獣を気にかけているようだったので、その場で話すことにした。特に誰かに聞かれても困る話ではないし、誰も彼も復旧作業で魔術を披露したり観賞したり人材を探したりすることに夢中で、耳をそばだてるような人物はいない。
「まず、謝らせてください。途中、君の意向も聞かずに危ないからと遠ざけようとしてしまって、すみませんでした」
きちんと目を見て、頭を下げた。
「え、いえ、全然! 危なっかしかったんですよね。それに、いてもいなくても特に変わらなかったですし……。僕の不甲斐なさのせいですから」
やはり戦力外通告と思われていたかと後悔が込み上げる。邪魔な程に無力だったなら戦力外通告もするが、その場合は危ないから、などと鈍な言い回しはしない。チルエルに向けたあの言葉は単なる善意だった。子供扱いという、人を舐めた形で発揮された性質の悪い善意だ。
ただ、いてもいなくても変わらない人物である、とあの時点で思っていたことも、否定は出来ない。そういう意味では戦力外通告でも間違いではない。
その辺りは反省している。だが、くどくどと言い募られても困るだけだろう。
「君が不甲斐なかったのではなく、俺に見る目がなかっただけです。危ないから、などと遠ざけようとしたくせ、君に助けられました。……改まった話の二つ目ですが、俺を呼びに来たことや総指揮としての働きに、生徒代表として感謝します。ありがとうございます」
「お礼を言われるようなことでは! というか、こちらこそ、本当は学生講が処理すべきことだったのに、お力添えいただいてしまってすみません!」
「学生講が処理すべき、には同意ですが、結果的にチルエルさんの判断は正しかったです。今回は俺でなければ御しきれなかったでしょう」
実のところ他にも候補はいるが、どいつもこいつも一筋縄ではいかない連中である。ユウケイを頼るのが最善手だった。
さて、と軽く気合いを入れ直す。
「しかしそういう意識があるのはありがたい。という訳で三つ目。チルエルさんを学生講の新設部署の部長に推薦したいのですが、話を聞く気、あります?」
チルエルの様子をじっと見る。少しでも嫌だと思う素振りがあったら話をするのは止めようと思っていたが、チルエルは驚き、困惑するだけだった。
「……どういうことでしょう?」
「今日の有り様を見たら分かると思いますが、現在の学生講は優秀な人材がいるものの、「いる」だけで連携もなく、良くて各部、悪くて個々人で動く……一言で言えば、縦割り行政状態です。生粋の研究者の集団ですから仕方ないんですが……。それだと自治組織として機能しねぇし。ならばいっそ、学生講の指揮を担う専門集団を作ってしまえとなったのが五年前。ここの生徒は専門家になるのだけは上手なので」
「ちょっと待ってください。五年前ですか?」
「えぇ。未だ成らず。部の一つとは言え、実質学生講の上位組織ですし、各部の利権も絡むので、しゃあなしと言えばしゃあなしですが。にしても進まねぇんで、一番揉めてた部員の人選だけは外部でやることになりました。外部こと俺です」
「……代表ってそんな仕事もするんですね」
「いや、やりませんよ。何で俺がやってるんですか?」
「え、すみません……?」
怯えたような顔を見て我に返る。
「失礼。取り乱しました」
「いえ……。すると、その、学生講の指揮を担う、専門集団……」
「名称未設定ですが、まあ仮に司令部としましょう」
「司令部、の部長に。僕を?」
「えぇ」
チルエルの戸惑いは増していくばかりである。やはり話を持ちかけるべきではなかったかも知れないと思い始めた。
とどのつまり、学舎にいる人々は皆、ユウケイの後継を欲している。便利な問題解決者。時には矢面に立つ人物。
入学してから巻き込まれた事件の数々を思い出し、苦々しさが込み上げる。
「……現時点では推薦ですが、このまま決まってしまう可能性は高いので、嫌なら嫌と言ってください」
言わずに引きずり込めないかと思っていたが、結局自分自身の良心が許さなかった。
「今日のようなことが度々起きますし、終わった後に何が残るかも分からないし、授業は受けられないし、間違いなく大変です」
思い出して付け足した。
「自分の無力さを、何度も噛み締める羽目にもなりますし」
「……それは、嫌ですね」
その反応で、胸を撫で下ろしてしまった。
自分本位な者ばかりで、隙あらば自分の良いようにしようと画策する学生講を相手取り操るためには、買収や甘言に乗せられないと信用出来る人物が必要だ。しかし、信用出来る人物を投げ込みたくはない仕事内容という、二律背反だった。信用出来て、なおかつ嫌いな人物がいればいいが、あいにくとユウケイには思い当たる人物はいない。
「ですよね。では、止めておきましょう」
残念にも思うが、けして無理強いは出来ない。
しかし、「ちょっと待ってください」とチルエルは言った。
「代表は、それをどうして僕に?」
理由は様々にあった。目端が利くところや、目的のため、状況によっては先輩だろうが容赦なく手札と見なすところ。自信なさげにはしていても臆病ではないし、不承不承であっても、任せられたからには仕事をやり遂げようとする点も良かった。能力はどうでもいいと考えてはいたが、能力的に考えても充分な人材だ。
ただ、同じような部品を持つ人材は、他にもいる。チルエルが良い、と思った理由にはならない。
そこにいたから、では納得しないだろう。ある意味では正しいのだが。
どうして声をかけようと思ったのか、上手く言葉にならず悩んでいると、風が吹いた。
顔を上げる。
二体の魔獣が飛び立とうとしていた。復旧作業は中断され、風を抑え込むために人が動く。風を使って新作飛行機を飛ばそうとしている者もいる。風力で魔道具を動かそうとする者もいる。
歓声や安堵の声、もう行ってしまうのかと惜しむ声を浴びながら、二体の魔獣は空へ上っていく。
高度を上げて、学舎を取り囲む無辺の森の範囲を抜けて、何か意志を伝えるように上空で数回旋回すると、二体は遠く、遠くへと飛び去った。
青い空を背景にした二体に、ユウケイは目を細めた。
「良かった」
自分の言葉かと思えば、チルエルの声である。
二体の姿が彼方に消えて、周辺の人々が各々に動き出す。チルエルは思い出したようにユウケイに顔を向けて、まばたきした。何となく可笑しく、笑ってしまう。
「チルエルさんがいる学舎に通いたかったなーと思うから、ですかね」
少し考えるような顔をした後、チルエルはうなずいた。
「分かりました。推薦は受けるだけ受けます」
「え、いいんですか?」
止めた方がいいですよ、とまで言いかける。はい、という素直な返事に、口をつぐんだ。
「元々、断るつもりもありませんでした。僕に務まるとは思えませんが、もし任せてもらえるようなことになったら、頑張ってみます」
呆気に取られながらも、不思議な確信が胸を満たしていた。
半ば諦めかけていたが、もしかしたら本当に、代表と呼ばれて面倒事に駆り出されることはなくなっていくのかも知れない。
「学舎をよろしくお願いします」
そう告げた時、急に肩が軽くなったような気がして、内心驚く。長くこの役目に就いていたせいで、肩の荷の重さすら忘れていたらしかった。
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