第二話 いきなり婚約発表!? その一

「お嬢様! お嬢様!」


 誰かが呼ぶ声がする……。

 ゆっくりと瞼を開いて行くと、ふかふかとしたものが顔に触れた。夜なのか薄暗くその色は分からない。

 手探りで付近を探ると固く冷たいものに触れた。それに目をやると、キラリと光り硝子のようだった。

 ゆっくりと身体を起こし、その触れたものを持ち上げ見てみると、すぐにそれは硝子ではないことに気付いた。

 そこにはそれを持つ人間が写し出されていたからだ。

 華奢な装飾が縁取られたそれは、鏡だった。


 その鏡に写るその人は薄暗く色合いは分かりにくいが、見覚えのある顔だった。

 綺麗な浅葱色の髪に、キラキラと煌めく金色の瞳。とても美しく優しげな顔立ちの少女。

 しかしそれは私であって私ではない。


 そうだ、あの夢。

 あの夢に出て来た少女。あぁ、入れ替わりがどうとか……。

 鏡に写る姿を見詰めながら頬を触る。鏡の中に写る少女も同じ動きをする。

 あぁ、夢であって夢ではないんだ。本当に入れ替わってしまったんだ。

 鏡をそっと膝の上に置くと、ドレスが手に触れた。

 少女が着ていた深い赤色に金の刺繍が美しい、とても優雅なドレス。


 私、水嶌奏みずしまかなではリディア・ルーゼンベルグとなった。



「お嬢様! リディアお嬢様! 大丈夫ですか!?」


 声の主を探し周りを見渡すと、少し離れた場所から心配そうに見詰める女性がいた。

 その女性は茶色の髪と瞳で、所謂メイド服らしきものを纏い、手には一本の燭台に乗った蝋燭を持っていた。歳の頃はリディアよりも少し歳上といった感じか。


 まだ混乱している頭の中を必死で探り答えを導き出す。

 この女性は……


「マニカ?」

「!! あぁ、お嬢様! 良かった! ご無事ですか!?」


 マニカは近寄って来て、燭台を床に置くと、私の髪やら顔やら身体を確認するように優しく触れた。


 マニカはリディアの侍女。リディアよりも七歳歳上で、姉のような存在だ。マニカの母はリディアの乳母で幼い頃から姉妹のように一緒に育った。

 厳しい実母よりも優しい乳母と過ごすことの多かったリディアは必然的にマニカとも仲良くなっていった。

 本当の姉のように慕っている。

 今回のこの入れ替わりもマニカしか知らない。


 マニカはずっとリディアを心配していた。何か悩んでいるようだと。しかしリディアは厳しい教育のおかげで周りに頼ることが出来なかった。

 唯一マニカにだけは愚痴を溢すこともあった。

 マニカは街で聞いた噂をリディアに話した。望みを叶える魔術士がいる、と。


 マニカはその魔術士を見付けられるとは思っていなかった。気休めくらいになれば良いと、リディアに話したのだ。

 しかしリディアは必死にその魔術士を探した。信頼出来る下働きに街へ情報集めに行かせた。

 そして何年か探し続け、ついに魔術士を見付けたのだった。


 魔術士に望みを話し、術の危険性も聞いた上で、鏡を譲り受け、今回の入れ替わりを行った。


 マニカは自分が魔術士のことを教えなければ、と、後悔していた。リディアが魔術を発動させ、倒れ込んだときには血の気が引き、ただ見守るしか出来ない自分をずっと責めていた。


 目を覚ましたリディアを見て安堵したに違いない。


「心配かけてごめんね」

「お嬢様なのですね!? 入れ替わりは失敗だったのですね!?」

「ううん、ごめんなさい。私はリディアであってリディアじゃない」

「!?」


 マニカは目を見開き固まった。


「私とリディアは入れ替わった。私はカナデ。あなたのリディアじゃない。ごめんなさい」


 マニカは顔を両手で隠し、声を殺しながら泣いた。

 あぁ、リディア、こんなに心配してくれる人がいるのに……。


 マニカに私は何も言えなかった。ただ落ち着くのを待つしかなかった。


「取り乱し、申し訳ありません。えっと……カナデ様」

「リディアで良いよ。カナデだったけど、ここではリディアだしね。リディアの記憶もちゃんとあるし」


 カナデの記憶は前世のような感覚かな。リディアの記憶が主体にあって、カナデの記憶が重なった、という感じかな……。死んで生まれ変わった訳ではないんだけど。


「では、今まで通りリディアお嬢様とお呼びしますね」

「はい」


 お互いニコリと笑い合った。

 マニカも落ち着いたようだ。まだ複雑な顔付きだが。


「それで……お嬢様は……あ、元のお嬢様はカナデ様の身体になってしまったということでしょうか?」

「多分ね……実際見てる訳じゃないから分からないけど」

「そうですか……。お嬢様はそうすることが幸せだったのですね……」

「うーん、それはどうだろう」

「?」

「ただ他の生き方を体験したかっただけかもだし、飽きたら戻りたいって言い出すかもしれないし。カナデの人生、楽しいものとは言えないだろうし」


 言ってから自分で苦笑した。

 他の人と比べても結構苦労しているほうだと思うし、祖母がいて幸せだったけど、その祖母ももういないし……。天涯孤独だ。これからの人生自分一人で生きていかなければならない。それがリディアに出来るとは思えなかった。


「まあとりあえず一年で、って期限付きだし」


 マニカが安心出来るよう明るく言った。リディアの記憶とは言え、今は私の記憶でもある。マニカは大切な姉だ。


「分かりました。これからよろしくお願いします、お嬢様」


 マニカは私の両手をギュッと握り締め真っ直ぐ目を合わせて言った。

 味方がいて良かった。


「さて! ではお嬢様、早くお休みにならないと! 明日に差し支えます!」

「?」

「明日は大事なパーティーです。お嬢様の婚約発表もある大事な日です。眠たい顔のまま行けませんよ!」

「!!」


 あぁ! そういえば明日婚約発表って言ってた!

 えー!! いきなりそんな重大任務!?


「えっと、それって欠席とかは……」

「無理です」


 ですよねー。はぁぁあ。

 物凄い深い溜め息が出た。


「仕方ないです。頑張って! お嬢様!」


 マニカはガッツポーズをするように拳を握り締めたが、やる気はでない。

 とりあえず早く寝るか。寝不足で行ったら、絶対何かやらかしそう。


 鏡は鏡台の引き出しに大事に閉まった。失くしたり壊したりしたら大変だからね。

 マニカが寝衣に着替えるのを手伝ってくれ、豪華なベッドで眠りに就いた。



 翌朝、マニカの声で目が覚めた。


「お嬢様、おはようございます。よく眠れましたか?」

「おはよう、うん、まあそれなりに……」


 私は朝が弱い。半分ボーッとしたまま返事をした。


「フフ、リディアお嬢様も朝は弱かったです」


 マニカの言うリディアお嬢様は私と入れ替わった方のリディアだろう。ややこしいな。

 マニカは私を「お嬢様」、リディアを「リディアお嬢様」と呼ぶことにしたようだ。


 マニカは部屋にある大きな窓のカーテンを全て開けていき、部屋に朝日が射し込み、部屋の全貌が見えた。


 リディアの記憶にはあるが、改めて凄い豪華な部屋だな、と感心する。

 カナデは祖母と二人暮らしだったため、小さいアパートに住んでいた。そして祖母が亡くなり一人暮らしのワンルームに引っ越す予定だった。


 それから考えるとこの豪華さは無駄だな、と、思ってしまった。

 いやいや、無駄とかじゃなくて! 満喫しようよ! せっかくの大金持ち! どうも貧乏性が! どうしてもカナデの記憶に引きずられる。慣れるまで大変だな、と自分に溜め息が出た。


「お着替えを終えましたら、本日はこちらで朝食の準備を致しますね。旦那様はすでに王城へ出向かれていますし、奥様は本日の準備でお忙しいとのことですので」

「はーい」


 リディアのお父様とお母様。カナデは両親の記憶が曖昧だ。だから親というものがいまいち分からない。

 リディアの両親も優しい両親とは言えず、とても厳しい印象しかない。リディア自身は両親、特に母親には畏縮していたように思える。

 だからこそなおさらマニカの母に懐いたのだろう。

 母親も娘にあまり関心がないのか、マニカの母に任せきりだった。


「うーん、希薄な家族だよねぇ」


 天涯孤独な私が言うのも何だが、家族とはもっと温かいものなのでは? 天涯孤独だからこそ分からないのかな。家族ってこういうもの?


「どうかされましたか?」


 着替えを手伝ってくれているマニカが聞いて来た。


「あ、ううん、何でもない」


 気付けば今日のドレスは綺麗な青いドレスだった。


「これでパーティーに行くの?」

「いえ! とんでもない! パーティー用には別のドレスがございますよ」


 マニカは扉を見た。あの扉の向こうにはドレスルーム……。とんでもないドレスがあるんだろうな……。


 着替えが終わり、他の侍女たちが部屋に朝食を運んでくれた。

 マニカは横で給仕をする。


 朝食を終えると昼過ぎのパーティーのために、もうすでに準備が始まった。

 まずは身体を綺麗にするためにエステばりのマッサージ。香油を使ってのマッサージはとても気持ち良かった。


 次は顔に化粧を。派手にならず、しかし華やかに愛らしく見える化粧で、リディアの綺麗な顔がさらに美しく。いや、カナデの顔じゃないからね、良いじゃない、自分で誉めても。


 化粧が終わればドレスに着替え。

 綺麗な淡いピンク色の可憐なドレスだった。しかし細かく刺繍が入り、小さな宝石が鏤められ、可憐さの中にも上品で気品のあるドレスだった。


 そのドレスに身を包み、首にはそのドレスに合わせた上品なネックレス、お揃いのイヤリングで飾り、仕上げに髪型のセット。

 少し大人びたように見せるためか、後ろ髪はアップにし、所々にわざと出した後れ毛がふわふわと靡く。


 そうして仕上がった自身を姿見で見ると……


「お姫様みたい……」


 自分で言う程間抜けなものはないが、本当に絵本にでも出て来そうなお姫様なんだもの!


「お綺麗ですよ」


 仕上げてくれた、マニカや他の侍女が見惚れるかのようにそう言ってくれた。


「ありがとう」


 素直に嬉しかった。


「さあ、もうそろそろ出発のお時間ですよ」


 え、もう? 朝から準備してもう昼……、準備にこんなに時間がかかるなんて……。お貴族様って大変だね……。


 さあ勝負の時間だ! いや、勝負ではないか……。

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