13 報瀬川のジロチョウ河童
三日か、四日経った。
四日か五日かもしれない。時間の感覚が曖昧になってきている。
新島が監禁されているのは山道の途中にある、もとはコンビニが建っていた空きテナントだった。コンビニが潰れてからは頻繁に得体の知れない業者やセミナーが入れ替わり、現在はテナント募集の張り紙が日に焼けている。
窓にはすべて板が打ちつけられ、外から中の様子を窺うことはできない。これは空きテナントになってからずっと同じ状態で、今回のためにわざわざ目隠しを施したわけではない。
居抜きの監禁場所としては実に好都合。電気や水は来ているようだが、暗い室内に電灯が点ったことはない。
新島はただ、物の取り払われた思ったよりもだだっ広い室内に置かれたパイプ椅子に座らされていた。監視の者が常に交代で立っていて、トイレに行きたい場合は声をかける。コンビニ時代のトイレがそのまま残っていて、用を足すのに不便はない。
縛られたり、痛めつけたりといったことはされていない。だからいま立ち上がることも自由だ。監視の目があるのですぐさま座らされるだろうが。
「おっさん、話す気になったか」
一日に何度か、堀川が顔を出す。今日もそのタイミングがきたようだ。
「何も知りません」
壊れたテープのように、同じ文言を繰り返す。監禁が始まって半日で新島が覚えた自己防衛策だった。
堀川の質問はこうだ。
――ジロチョウ河童という言葉をどこで知った。
解答は何度も繰り返しているものですべてである。
新島は確かに滝尾の前でジロチョウ河童という言葉を口にしたが、それはふいに頭に去来したイメージのようなもので、どこかで見聞きしたという記憶とは接続されていない。なんならその場の思いつきだったのかもしれない。
一応そのことを告げてみたが、質問は繰り返された。新島はすっかり諦めて、同じ文言を繰り返すことに徹した。
監禁されたとはいえ、やくざたちは新島には直接手は出してこない。漫画などで見るような凄惨な拷問は行われる気配すらなく、ただ時間を浪費して同じ質問をぶつけ続ける。
ニュースで見た警察の悪質な取り調べに近い。ひたすらに新島の精神を摩耗させ続け、嘘でもいいから自白を迫る。
「なあおっさん。あんたがすっと話してくれりゃ、すぐに解放してそれなりの詫びもさせてもらうつもりなのよこっちは。なのになんでそうも意固地になっちまうんだ! ええ! おい!」
堀川が怒鳴りながら新島の座っているパイプ椅子を蹴る。これもよくあるパターンのひとつ。
「何も知りません。本当なんです……」
消え入りそうな声で繰り返す。
しかし、なぜやくざがジロチョウ河童の話の出所を必死に探しているのか。
考えられる可能性はひとつしか思い当たらない。
――滝尾彼方。
滝尾が新島の口を割らせるよう、やくざを使っている。
理由はわからない。だが、新島がジロチョウ河童という言葉を伝えたのは、ほかならぬ滝尾に対してであり、そのことを知っているのは滝尾ともうひとり、その場に居合わせた橋本しかいない。
滝尾は新島の発言をもとに調査を行い、ジロチョウ河童の伝説を再発見した。
世間ではジロチョウ河童伝説は時漏町に根づいたものと喧伝されているが、実際は滝尾が見つけ出したものだ。それまで町には河童伝説などひとつも残っていなかった。
新島の口から出たジロチョウ河童という伝説を、おそらく滝尾は実際には発見できなかったのではないか。最初から疑っていたが、今の状況を鑑みるにどうやらその通りだったらしい。
だから、ジロチョウ河童という言葉を世に出すきっかけとなった新島を監禁し、絞め上げている。
新島が自分こそがジロチョウ河童伝説の言い出しっぺだと名乗り出れば、滝尾の立場が危ういからだ。
ただ、それだけのために人間ひとりを監禁するような真似をするだろうかという疑問は常につきまとう。やくざを顎で使ったとしても、指示を出した時点で滝尾は大きなリスクを負う。
むしろ新島がジロチョウ河童伝説創始者だと名乗り出るよりも、監禁されて尋問を受けたとチンコロしたほうが危険度は高いはずだ。
ここまで大きくなったジロチョウ河童伝説を今さら自分のものにできるとは思えない。今こうして犯罪の渦中にいるという状況をのちに訴えたほうが、方々に飛び火し燃え上がるだろう。
そこまでのリスクを冒してまで、新島を詰問する理由。
ジロチョウ河童が、口から出任せの言葉ではなく、本当に存在していた伝説だったとしたら。加えて、その伝説がいま世間に広まっている時漏町の歴史としてのジロチョウ河童伝説と乖離したものだったとしたら。
過去からの逆襲。正当な歴史の真実が今の時漏町を覆う伝統と歴史を駆逐する。
ジロチョウ河童伝説を「再発見」した滝尾からすれば、恐るべき脅威となる。自分の築き上げたものが土台からひっくり返される羽目になりかねない。
考えがやっとここまでおよぶと、新島は急に、滝尾の力になりたいと願うようになった。滝尾はこれまで自分に大変よくしてくれてきた。もし滝尾が過去からの逆襲に怯えているのなら、新島が不安の芽を摘んでやらねばならない。
自分がいま置かれている状況などどうでもよくなっていた。ただ、滝尾の考えを理解できたことへの喜びが何物にも勝った。
では――新島はいつ、「ジロチョウ河童」という言葉を知ったのか。
記憶を遡る。今までとは比にならない真剣さで。
かなり昔だということは確かだった。成人してからはろくに本も読んでこない人生だった。ならば学生時代。大学――遊びと酒にほとんどを費やした。高校――図書館に立ち寄ったことは一度もない。
中学――時漏中学校の生徒だった当時、友人たちとたむろしていたのはいつも図書館だった。
ここだ――新島は中学時代のかすかな記憶を懸命に掘り起こす。
時漏中学校は当時荒れていた。校内では暴力が飛び交い、人気のない場所へ行けば煙草か薬をやっている不良に出くわす。
新島も素行は悪かったが、不良ではなかった。自分を少し尖って見せたかったが、喧嘩は御免被りたい。そこで新島が友人たちと集まっていたのが図書館だった。勉強をするわけでも読書するわけでもなく、ただ友人たちと集まって時間を潰す。時々性的な描写のある本を誰かが見つけてきて、それをみんなで囲って読むという、馬鹿なことをして過ごした。
ある時ちょっとはしゃぎすぎて、閉架されている書架に忍び込んで何冊かを読んでいたことがあった。メインは何年も前の卒業文集だった。親や知り合いの名前を見つけてけらけらと笑っていた。
その中に、あった。
いや、卒業文集ではない。昔の文芸部かどこかの部誌だった。
――「報瀬川のジロチョウ河童」
内容は覚えていない。だがその見出しだかタイトルだかが妙に記憶に残った。自分の町には歴史などないとこの時すでに理解していたから、河童などという伝説が残っているという報告らしきものにが、頭に焼きついて――今まで残っていたらしい。
「そうだ。中学校」
「あ?」
新島が初めて自発的に声を上げたことに、堀川は怪訝な顔をする。
「中学校の図書館です。時漏中学校。その普段入れない棚の中の文集か何かに、書いてあったんです」
ジロチョウ河童のことが――新島が叫ぶと、堀川は慌ててどこかへと電話をかけた。
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