11 蘇る町

 毎年ジロチョウ祭りの時期になると、この町は見る間に生き返っていく。

 目玉はなんといっても河童神輿。かつて報瀬川に住んでいた河童の親分、ジロチョウ河童への畏敬と感謝を捧げるために、男たちが声を張り上げ緑色の神輿を担いで町内を練り歩く。

 神社や周辺の公園のライトアップも人気だ。公園にはLEDライトで無数の河童の姿が浮かび上がり、さながら河童の国に迷い込んだかのような非日常感を味わえる。

 出店も賑やかだ。かつては数を減らしていたことが嘘のように、祭りの期間になれば公園は出店でいっぱいになり、以前は出店が置かれることのなかった神社前の通りにまで華やかな店が立ち並ぶ。

 市によって公園に設置された看板にはこのように書かれている。


 江戸時代はじめ、時漏町を流れる報瀬川は何度も大きな氾濫を繰り返し、人々の生活を脅かしていました。藩の命によって行われた治水工事は大きな困難を極め、何人もの犠牲者を出すこととなりました。これを見かねたのが報瀬川に住む河童たちの親分、ジロチョウ河童です。ジロチョウ河童と子分の河童たちは人々に力を貸し、治水工事を安全に推し進めることができるようになりました。今でも時漏町ではジロチョウ河童への感謝を伝えるため、毎年七月の第四土曜日から日曜日にかけて、ジロチョウ祭りという雄大なお祭りが行われています。


 観光客たちはみな一様に、素晴らしい歴史だと瞠目する。河童という町の歴史を、今も大切に守っている。

 メディアにも「忘れられていた本当の歴史」としてジロチョウ祭りは幾度となく取り上げられ、日本の伝統、地域の伝承を今に正しく伝える好例であるとみなが口を揃える。

 新島正人は一年前に新しく建て替えられた公民館の中で、「若い衆」から酌をされていた。

 七月の第三日曜日。来週にはジロチョウ祭りの本番とあって、河童神輿の練習にも熱が入っていた。

 新島はジロチョウ祭りが本格的に始まった四年前に担ぎ手を引退し、祭りの裏方として指導にあたっている。

 指導すべき相手はどんどん増えている。ジロチョウ祭りの名が知られるようになってから、都会に出た若者たちは夏休みを利用して時漏町に帰ってくるようになっていた。そのまま町に残る決意をした者も結構な数になるという。

 去年のジロチョウ祭りの時期に実家に帰ってきた新島の息子は、生まれ変わった祭りと、再発見された町の歴史を目の当たりにし、目を潤ませた。祭りが終わったあと、リビングでふたり酒を酌み交わした時に、息子は深く感じ入った様子で何度も繰り返した。

「俺、知らなかったよ。この町に、こんな誇らしい伝統があったなんて」

 新島も何度も頷きながら、息子に酒を注いでやった。

「新島さん、お久しぶりです」

 落ち着いた声に振り向くと、ポロシャツ姿の橋本誠也が立っていた。新島が立ち上がると一礼し、がっちりと握手を交わす。

 橋本はジロチョウ祭りの観光資源化の立役者だ。四年前には市役所内で大々的なキャンペーンを行い、見事に市にとっても重要な観光資源を打ち立てた。

 今は功績が認められ、出世を果たしていると聞いている。すっかり落ち着いた立ち振る舞いも堂に入ったものだ。観光課は離れているが、やはり郷土の誇りには思い入れがあるらしく、毎年こうして青年団の集まりに顔を出しにくる。

「おう、誠也。お前もこっちきて飲めや! おう、なにしてんだ。こっちはいいからさっさとコップと酒用意しろ」

 橋本の悪友、西原省吾が酌をしている若者に胴間声を張り上げる。慌てて橋本のもとにコップとビール瓶が用意され、西原に怒鳴られていた高校生と思わしき少年がラベルをきちんと上にして酌をする。

 ありがとう、と礼を言ってから、橋本はコップの中のビールを半分ほど飲む。西原はまだ何事か叫んでいるが、橋本は聞こえないふりをして新島に耳打ちする。

「ジロチョウ祭りの前日に、滝尾先生の講演会を行う予定です」

 それを聞いて新島の顔が一気に明るくなる。

 滝尾彼方は今や日本に欠かせない知識人だ。ジロチョウ祭りの成功は、彼のキャリアにも大きな業績として数えられることとなり、地方創生のキーパーソンとして政府の会議にもたびたび出席している。

 ジロチョウ祭りのプロデュースを行った当人が、凱旋として時漏町に帰ってくる。

 新島もずいぶんと滝尾とは会っていない。なにせ時の人となり毎日のようにテレビに出演している著名人である。

 その滝尾に、祭りのキーとなるアイデアを入れ知恵したのが自分であるということは、新島の自尊心を大きく充足させていた。自ら口外することはしないが、滝尾の新島への態度を見たことのある者ならばみな、滝尾が新島に一目置いていることはすぐにわかる。自然と新島の町内での立場は上がっていき、口答えできる者はもはやいなくなったと言っていい。

 久しぶりに滝尾と顔を合わせられる。町の連中に自分と滝尾の昵懇な関係を見せつけ、力を誇示することができる。新島の胸は高鳴っていた。

 だが橋本は、影の差した表情でさらに耳打ちをする。

「その場に、新島さんは来場しないでほしいと、滝尾先生からのお達しです」

 新島は驚愕のあまり思わず声を上げていた。周囲の若い衆たちが何事かと振り向くが、橋本がなんでもないと取り繕う。

「――どういうことだい」

「俺もよくわかりません。ただ、新島さんには非常に感謝しているので、また別の機会に面会したい、とも」

 釈然としない。

 五年前――滝尾が初めて時漏町を訪れた時に開かれた講演会には、新島は特等席を用意されて招待された。

 今は以前よりもさらに新島の待遇が上がったのだろうか。だから講演会などには呼ばず、別の場所を設けての会談を行いたいと。

 いや――新島にそこまでの価値はない。これはただ、新島を遠ざけるための方便でしかない。

「おい、電気屋のおっさん。いねえのか、俺だよ。堀川だ」

 西原のものよりも数段柄の悪い声が公民館の中に響く。異変に気づいた若い衆たちがざわつき始めた。

 半ば呆然としていた新島ははっとして、声のほうへと小走りで向かう。

「久しぶりじゃねえかおっさん。俺の顔、忘れてねえよな?」

「ええ、もちろん。堀川さん」

 賑やかな場に現れたのは時漏町のやくざ、堀川。五年前、新島の電気店に祭りのライトアップに使うLED電球の発注を任せるという滝尾の提案を伝えにきた小男だ。

 先ほどまで喚き散らしていた西原は、すっかり畏まって頭を下げている。そういえば堀川は西原とも知り合いであると話していた。

 しかしこの場に新島を探しにくる人物として適当とは思えない。なにせ相手はやくざ。復活した出店には関わっているが、こうして表に出てくるような職業ではないはずだ。

「なあおっさん、ちょっと付き合ってくれねえか」

「何に、でしょうか……?」

 堀川は下卑た笑い声を上げる。

「なあに、ちょっとあんたと話がしたいってだけだよ。ほんの少しだ。とはいえここじゃあれだしな。表、出ようぜ」

 新島は助けを求めて目線を泳がせる。だが誰も目を合わせる者はいなかった。

「……わかりました」

 新島は堀川のあとに続いて公民館を出た。駐車場には堀川のものと思わしき黒いセダンが悪目立ちしている。

「まあ乗ってくれ。外はクソ暑いだろ? 冷房効かせてあるからよ」

 後部座席のドアを開けられ、新島はおずおずと中に上がる。後部座席には先客がひとり。堀川と同じ黒スーツの男。運転席にはこれも同じ恰好の男。そして堀川が蓋をするように新島の隣に乗り込み、勢いよくドアを閉めた。

「出せ」

 新島が声を上げる間もなく、車は駐車場を出て走り始めた。

 遅れて狼狽と危機感が襲ってくる。これは――見ようによっては誘拐だ。いや、それどころか相手はやくざである。もっと悪い事態が待っていても不思議ではない。

 叫び出しそうになるのを隣の堀川が睨みを利かせて止める。よく見れば堀川のほうも脂汗を浮かべ、しきりに周囲を気にしていた。

「クソが。田舎のやくざ舐めんなよ。こちとら殺しなんざ十年単位で縁のねえ、ただ威張り散らして時々脅しをかけりゃあ金が転がり込んでくるちんけな商売だってのによ」

 ひとりごとらしい。堀川は震える自分の手を見ながら、自分に語りかけている。

「ただでさえ近頃は警察の目が厳しいってのに、なんでこんなことをしなきゃなんねえんだ。目撃者がいたら誘拐で通報。足がつきゃ即ご用だ。なあおっさん!」

 いきなり声をかけられ、新島はびくりと身を竦める。

「簡単。簡単な話をちょっと聞きたいだけなんだよ。なあ、頼むよ。すんなり話してくれよな? じゃねえと、俺たちの身も危ねえんだ」

 車はどんどん、人気のない山の中へと入っていった。

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