9 懇親会

 橋本に呼び出された場所に顔を出してすぐに、新島はしまったと己の不覚を悟った。

 公民館と言われた時点で予測しておくべきだった。この建物はそもそもが年寄り連中の寄り合い場としてばかり使われているのだから。

 都会にあるようなものとは違い、時漏町の公民館は少し大きい広間と最低限の生活スペースくらいしか持ち合わせていない。広間に年中並べられている机と椅子に座っているのは橋本ひとりだけで、あとの全員は立ち上がって橋本を取り囲んでいる。

 祭りの年寄り連中たちであった。

 若者連中の蛮行に我慢の限界を迎えた年寄りたちが、主犯格であると思われる橋本を呼び出し、尋問を行っているのだ。

 過酷な尋問に音を上げた橋本が、仲間を売るかたちで新島を呼び出した――逃げ出そうかとも思ったが、町での立場上不可能だ。シラを切り続けるしかない。

「おう正人くん。すまんね、急に呼び出して」

 愛想よく笑いながら手招きをするのは早川弘道ひろみち。現在神主を務めている早川弘樹の父親である。新島の子供のころから知っている顔なじみだが、目は笑っていなかった。

 引退した先代神主とあって、早川は町内でも大きな発言力を持っている。年寄り連中の中でも重鎮のひとりであり、怒らせてはならない相手だということは子供の時分から骨身に染みている。

「どうも、ご隠居。なんのご用でしょうか?」

「正人くん、君は橋本くんから連絡をもらってここに来たのだろう。であるなら、どういった話を行うのか、わかって来ていると思ったが」

 口の中がからからに乾いていた。

 当然、橋本が新島に電話をかけたところも今と同じ状況で、橋本の発言は一言一句聞かれていたに違いない。

 そもそも橋本が自分と新島の関係と、企てている「ジロチョウ祭り」について余すところなく吐いている可能性すらある。

 だが新島と橋本が話をすり合わせる暇は与えられないだろう。互いに互いを疑わせながら、話すべきことを絞らせていく。

 ならば余計なことは考えず、自分の知っていることを洗いざらい話してしまえばいいのではないか――そう思わせることこそが年寄り連中の作戦。

 ここは適度に知らないふりをして、相手から話と持っている情報を引き出すことに徹する。

「はあ、橋本くんとは最近付き合いがあるので、公民館に来てくれと言われたので来たんですが……」

「祭りの話でかね」

「さあ……それはなんとも。ただ『公民館に来てください』と言われただけなので……」

 早川はそうかと笑うと、新島を橋本とは離れた位置にある椅子に座らせた。新島は遠慮をする素振りで抵抗を試みたが、有無を言わせぬ力で椅子へと腰を落とされた。

「若いモンたちが『ジロチョウ祭り』、という呼び方を広めようとしているのは知っているね」

 早川は「ジロチョウ祭り」という言葉を口にするのも忌まわしげに、だがしっかりと聞き取れるようにはっきりと発音した。

「は、はい」

「それを広めているのがどうやら橋本くんらしいというので、じっくり話を聞こうとここに呼んだんだが、どうにも要領を得ない。それでもっと詳しく話ができる者を呼びなさいと言ったら、君に連絡をしたわけだ。さて、これはどういうことかな」

 橋本に視線を送ろうと顔を横に向けるが、間に何人かが立っており、互いの顔色を窺うこともできない。

 まずい――いずれにせよ、年寄り連中は新島が「ジロチョウ祭り」に一枚噛んでいることを掴んでいる。橋本が白状したのか、事前に知っていたのか。おそらくは前者だろうと思うが、橋本を強く責める気は消失していた。

 新島でも今のような状況に追い込まれれば、すぐにでも橋本の名前を挙げただろう。

「ええ……何度か相談は受けてます。ただ自分も詳しい話は知らないので、お伝えできることはあまりないと思いますが……」

「そうか。じゃあなんでこんなふざけた名前をつける必要があるのか、説明してもらおうかね」

「時漏町の祭りを観光資源化するべきだという動きが、若いモンたちの間で広まっているみたいです。名前がないのは不便だから、『ジロチョウ祭り』と呼ぶことにしよう、と」

 新島の言葉の途中で、年寄り連中は明らかに色めき立った。怒りを露わに新島に掴みかかろうとする者までいたが、早川が目で制してくれたおかげで事なきを得た。

「正人くん、私たちはね、この祭りをとても大切にしている。急に観光だと言われて、得体の知れない名前をつけられれば、反発を買うのは目に見えていると思うが」

 今まさに目の当たりにしているが、口に出すわけにもいかない。

「若いモンの考えることですから……」

「正人くん、君も君だと言っているんだ。年長者として、若いモンの馬鹿げた考えを叱ってやるのが役目だとは思わなかったのかね」

 自分はいま何をされているのだろうと新島は現実感を喪失し始めた。この年になって目上の相手からお説教を延々聞かされるのか。ああ、早く解放されたい――。

「聞いとるのか!」

 早川が初めて声を荒らげる。新島はびくりと首を竦め、生返事を返す。

「あのー」

 新島に説教が集中したことで手持ち無沙汰になったのか、橋本が少し間延びした声を上げた。

「なんだね」

「あっ、はい。この話に詳しいというか、先導してくださっている先生がいるので、お呼びしてもいいですか?」

 橋本はいつの間にかスマートフォンを手に持っていた。自分への視線が薄くなった頃合いを見計らってスマートフォンを取り出し、連絡を取っていたらしい。いくら持ち物までは没収されていないとはいえ、とんでもない図太さだ。

「ほう」

 しだいに薄くなっていく新島の反応に飽きていたのか、早川の目が怪しく光る。

「いいだろう。先生とやらに、詳しくお話を伺おうじゃないか」

「わかりました。あと三十分くらいでこっちに着くそうです」

 到着を待つ三十分は、新島にとって説教され続けるよりも長く感じられた。公民館の中の全員が押し黙りながらも、新島と橋本以外の年寄り連中はみな揃って凄まじい殺気を漲らせている。いったいこの町のどこにこんな活力が残っていたのかと、新島は驚愕しつつもあまりの息苦しさに呼吸すらままならなかった。

「お待たせしてすみません」

 公民館の中に入ってきた人物は、張り詰めた殺気など気にも留めず明るい笑顔を浮かべた。

 滝尾彼方――橋本が救援を呼んだということはこの男しかいないとは思っていたが、まさか本当に現れるとは。

 年寄り連中の中にも滝尾の顔にテレビで見覚えのある者がいたようだった。突如現れた別世界の人間に、いくらかのどよめきが起こる。

 新島はそれでもなお不安なままだった。滝尾は知識人である。彼の振るう言葉はどれも論理を重んじ、賢明な相手ならば瞬く間に説き伏せることができる。

 問題はいま集まっている連中が、頑迷な年寄りばかりだということだ。これでは滝尾の言葉の力は大きく損なわれてしまうのではないか――。

 一時間後、滝尾は年寄り連中から笑顔で酌をされていた。

 新島も橋本も先ほどまでの説教などなかったかのように酒を勧められている。公民館はたった一時間で宴会場に様変わりしていた。

 滝尾は年寄り連中からの詰問の前に、まず自分の熱弁を揮った。

 かつて自分が見てきた限界集落。過疎の村。やがて滅びるしかない町。

 そうした地方を救うことこそが自らに課せられた使命である。地方創生アドバイザーなどというボランティア同然の仕事を請け負うのも、すべては同じ悲劇を繰り返さないため。

 この時漏町もまた悲劇の種火が燻っている。滝尾はここでいつ調べたのか、この町の現状を詳らかに、センセーショナルに、感情に訴えるように説明した。

 年寄り連中はここで息を詰まらせた。みながわかっていたこととはいえ、部外者にこうしてデータをもとに話されると、否応なく現実に向き合わされる。しかもその言葉はとんでもなくエモーショナルに飾られている。

 だが――と滝尾はさらに言葉に熱を込める。

 この町はまだ生き残れる。素晴らしい歴史と伝統がある。それらをいかに魅力的に外に届けることができるかを請け負ったのが滝尾彼方という人物であるのだと、噛んで含めて言い聞かせた。

 滝尾の話が終わると、自然と拍手が起こっていた。涙を浮かべた者さえいる。そこからは「滝尾先生」への歓迎の証として酒が運ばれ、あっという間に宴会に移行した。

 やはり滝尾はすごい。新島はぬるいビールを呷り、年寄り連中に手揉みされながら囲まれている滝尾を遠目に見ていた。

 ただのクライアントであるはずの橋本の要請に応えてすぐさまこの場に駆けつけ、反目する勢力をいとも容易く手中に収めてしまった。

 ただのクライアント――滝尾は全国区の著名人であり、受け持っている仕事も多岐にわたる。果たして多様な仕事のひとつのためだけに、こうして現地まで馳せ参じる必要と余裕があるのか。

 さっき年寄り連中にかました演説通りの意志を持っているのだとしたら、なおさらひとつの町に固執する理由はないはずだ。

 ジロチョウ祭りが成功しても、そこまで大きな金になるとも思えない。そもそも成功するかどうかすら不透明なままである。

 なのに、町はすっかり浮かれ始めている。

 滝尾は信頼できる。滝尾は有能である。滝尾の言うことに従えば万事うまくいく。

 理解しているし、これまで実際に滝尾の力は目の当たりにしてきた。

 何より、滝尾についていかなければこちらの身が危うい。

 滝尾は地元のやくざすら手中に収めている。今のような話術か、計算された交渉術によってかはわからないが、どうやら時漏組は滝尾に全幅の信頼を寄せている。

 加えて、今やこの公民館に集まった年寄り連中――祭りの長老たちが、全員まとめて滝尾のシンパと化している。今さら滝尾に反発するような言動をすれば、先ほどの説教などではすまないレベルの詰問が行われるに決まっている。

 現状は悪いことばかりではない――どころか、いいことずくめと言っていい。よく考えれば、新島は現在、かなり優位な立場に置かれているではないか。

 理由はわからないが滝尾からは信を置かれ、丁重に扱われている。個人的に講演会に招待され、滝尾のはからいでライトアップ用のLED電球の発注を店に回してもらえることも決まっている。

 滝尾が町での存在感を増していくのなら、新島もまたうまい話にありつけるかもしれない。滝尾から重用されているということが知られれば、みなが新島を尊敬の目で見るだろう。

 注がれたぬるいビールを飲みながら、新島は自然と頬が緩んでいくのを感じた。

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