7 講演会
昨日テレビ番組に出演していた時とまるで同じスーツ姿で現れた滝尾彼方は、新島の顔を見つけると満面の笑みで握手を求めてきた。
市民会館で行われる滝尾彼方の講演会の開演直前のことである。
講演のタイトルは「日本の伝統と革新 滝尾彼方の超・民俗学入門」。新島はその講演会に招待されており、勝手がわからず会場の前でうろうろしていると、市民会館の裏手から滝尾が現れた。
「やっぱり新島さんだ。今日はよく来てくださいました」
滝尾にがっちりと手を握られた状態のまま、新島は市民会館の裏口へと連れていかれた。
「いや、すみません。もうすぐ開演ですので、簡単なご挨拶しかできず……」
言われてから、新島はテレビでよく芸能人が収録前に共演者への挨拶をしているという話を思い出す。新島も招待された身としてきちんと挨拶に出向くのが「業界」の礼儀だったのかもしれない。
だが当の滝尾は気分を害した様子は微塵もなく、むしろ新島が来場したことに感謝しているようですらあった。
「では私は準備に向かいますので、新島さんも、いい席をお取りしましたので、楽しんでいってください」
滝尾は控え室とおぼしき部屋へと引っ込んでいった。新島は慌てて会場のホールを探し出し、招待状に記された席へと着いた。最前列のど真ん中であった。
ホールには想像以上の人数が入っていた。意識してテレビを見ていると、滝尾があちこちの番組で引っ張りだこであることがすぐにわかった。ある時はワイドショーのコメンテーターとして、ある時はバラエティで扱った分野の専門家として、ある時はクイズ番組の回答者として。
もはや滝尾彼方という名前がひとつのブランドとして成立している。彼個人のファンという人間も多いのではないか。ならばこのひとの入りも納得できる。
しかし――そんな相手に招待状まで送られた自分は、いったいどこに行こうとしているのか。新島は特に「ジロチョウ祭り」を積極的に推進するような運動には――まだ――加担していない。あくまで橋本や西原たちの相談を聞くだけ、という立場のまま、表には出ずに通常通り祭りの運営を手伝っている。
滝尾がなぜ新島にこだわるのかはよくわからない。新島が言ったことといえば、「ジロチョウ河童」というどこで聞いたかも定かではない名前だけだ。ジロチョウ河童というキーワードが滝尾に天啓を与え、やくざまで丸め込んで祭りの変革を始めるまでに至ったのか。
滝尾のことだから、とっくにジロチョウ河童の伝説を調べ上げていてもおかしくはない。ならば新島の介在する余地はないのではないか。新島はただ名前を挙げただけで、実際に調べて見つけ出したのは滝尾の功績だ。新島にこうも待遇よく接する理由は見当たらない。
やくざ――堀川の言っていた、滝尾の義理の徹し方というやつなのか。新島の逃げ道を丁寧に塞いでいく、見えないプレッシャーのかけ方が。
気づくと会場には拍手が鳴り響いていた。滝尾が先ほどと変わらない恰好で壇上に姿を現した。演台に取りつけられたマイクに向かって一礼し、話し始める。
「みなさんこんにちは。滝尾彼方です。今日はよくお越しくださいました。短い時間ですが、その分情報の濃密な話をさせていただきます」
滝尾はそこから最近の自身の活躍を説明し始めた。特に会場からの受けがよかったのはテレビ番組で共演した芸能人のテレビでは映らない部分の暴露話だった。ある有名司会者の失敗談で爆笑が上がっている中、滝尾は「さて」と居住まいを正す。
「実は私はプライベートで何度かこの市を訪れているんですね。これほど歴史と情緒に溢れた町は、なかなかありません。最初の挨拶は『ただいま』にしておくべきだったかもしれませんね」
にわかに客席がざわめいた。テレビにも出ているような大人物がこんな地方の何もない小さな市を褒めそやすなど、前代未聞の出来事だった。
そこから滝尾はスライドを使って市の歴史や「民俗学スポット」なるものの紹介に移った。「民俗学スポット」とは滝尾曰く、土地の歴史や伝統を感じられる貴重な場所、ということだった。挙げられたのは市内の小さな神社や石碑、古い街道などだった。滝尾はすべてを見てきたらしく、写真とともにここにはこのようないわれが云々などの説明を淀みなく行っていく。
最後にスライドに映った写真は、新島もよく見知った光景だった。
時漏町の祭りだ。
「これは時漏町のお祭りです。この祭りは大変興味深く、本来の名前は『ジロチョウ祭り』というのですが、町の中では長い間その呼び方が忘れられていました。この度、町の歴史を調べてほしいと依頼を受けた私が調査を重ね、本来の祭りの名前を再発見しました。また、伝承が途絶えていた祭りの本来の意味や伝説なども再発見することができました。これを時漏町にお渡しし、日本の正しく美しい伝統を取り戻すお手伝いをさせていただいています」
講演会は興奮の中終了した。滝尾が壇上を離れたあとで、あちこちで話し声が響く。みな今の滝尾の講演に感じ入り、あの滝尾が褒めたこの市への誇りを胸に宿している。
新島は話す相手もいないので、足早にホールを出た。開場前の失態を思い出し、今度はきちんと挨拶に出向こうと裏口に回る。
さすがに芸能人とは違い、出待ちをしている客はいなかった。開場前と同じで警備員もおらず、新島は中に入ると滝尾の控え室を探して歩き回った。
柄の悪い笑い声が聞こえてきた。声音に確かに聞き覚えがある。
引き返そうかと足を止めると、すぐ前のドアが開いた。
「おう。なんだ電気屋のおっさん。滝尾先生に挨拶か? 感心な心がけじゃねえか。入れよ」
先日のやくざ――堀川が愛想よく手招きをする。新島は観念して部屋の中に入った。冷房の効いた部屋の中には大きめの机といくつかの椅子くらいしかない。机の上には菓子やペットボトル飲料が置かれていた。
椅子のひとつに座っていた滝尾は新島の顔を見ると立ち上がり、また握手を求めてきた。
「ああ、新島さん。最後まで聞いていってくださったんですね。ありがとうございます。退屈しませんでしたか?」
あんな席に座らされて途中で退席などできるわけがない。
「とても面白い話でした。感動しました」
新島がそう言うと滝尾は手を放し、椅子を指し示す。
「どうぞ。座って。お出しできるものもありませんが……」
「いや、お邪魔でしょうし、ご挨拶だけでもと思って」
堀川に目を向けないように注意する。やくざと同席することは避けたかったし、部屋に残っても話題はまったく思い浮かばない。居心地の悪い思いをするだけだ。
「じゃあ俺はそろそろおいとまするか。またお願いしますよ、先生」
「はい。よろしくお願いします」
堀川は上機嫌で部屋を出ていった。足音が遠ざかると、滝尾はほっと息を吐いた。
「すみません。コンサルタント業をしていると、どうしてもああいう方たちと折衝をしなくてはならない場合があるんです」
なるほどと新島は唸った。滝尾としても本意ではないということか。
確かに地方創生を謳い、行動に移そうとすれば、地域のやくざは頻繁に顔を出す障害となるに違いない。滝尾はあらかじめ障害になりそうな相手を抱き込み、円滑に仕事を進めようとしている。清濁併せ呑む度量を持った、堀川からも信頼される人物。
気づけば新島は椅子に腰かけ、滝尾と話を弾ませていた。ほとんどが新島から滝尾に向けた賞賛と賛辞だったが、滝尾は退屈する素振りも見せず満足げに新島の言葉に相槌を打ち続けた。
「滝尾先生、時間です」
短いが鋭い声。新島が振り向くと、パンツスーツ姿の若い女が冷たい目でドアを開け放っていた。全身黒ずくめで、絹らしき質感の手袋まで黒い。新島は異様な出で立ちに目を剥くが、その視線を滝尾が立ち上がって遮る。
「ああ、悪いね。すみません新島さん。私もそろそろ行かなければならなくて……」
新島は慌てて立ち上がる。
「こちらこそ、すっかり話し込んでしまって……」
平身低頭で謝罪をする新島をなだめて、滝尾は女の開けたドアへと向かう。
「では、また近いうちに」
深々と頭を下げた新島に会釈をして、滝尾は部屋を出ていった。
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