6 クラスのリーダー
堀川
月曜日になって学校に行くと、教室の教壇側で固まって話しているいつものメンバーの中から隼人が自然と抜け出し、自分の席に座った早希に向かって片手を上げて話しかけてきた。
「今井、ちょっといいか?」
「――何」
少しだけ、教室がざわめいた。クラスのトップと言ってもいい隼人が浮雲のような早希に話しかけるという事態はちょっとした事件だ。
早希と隼人は小学校に入学してから四年生に進級するまでの間だけ、特に親しい間柄だった。早希は隼人のことを気の置けないクラスメートだと思っていたし、隼人も早希に周囲の人間とは違った対応をしていた。
疎遠になったきっかけらしいきっかけはない。祭りの夜店で早希を置き去りにしていったことは、当時の早希にとってはまるで意図の汲めない行動でしかなかったからだ。よくわからないまま、早希は翌日の小学校では隼人に普段通りに接した。隼人も特に気にする素振りは見せず、変わらず気の置けない関係は続いていたはずだった。
四年生に進級した時に行われたクラス替えで、早希は初めて隼人と違うクラスになった。わざわざ隣のクラスに顔を出してまで隼人に話しかけるのは面倒だったし、周囲ではぎすぎすとした男女間の罵倒と、ふわふわとした男女間のやりとりが増え始めていた。
特に隼人は足が格別速いわけでもないのに男子のグループのトップに君臨し、女子からも一目置かれたり色目を使われたりと忙しそうだった。早希が話しかけずとも、隼人は今まで通り――ひょっとしたら今まで以上に強権を振るっていた。
距離を開けるようになって、早希はだんだん自分が場違いな立ち位置にいたのだと気づくようになっていった。周囲の話に耳を傾ければ隼人の人気と権力の理由も見えてくる。おっかないというより、結局自分の無知さ加減に嫌気が差す。
かつて早希と隼人が親しかったことを知るクラスメートは少ない。知っていたとしても今さら隼人が早希に話しかけるような事態は起こらないと思っていただろう。当の早希もそう思っていたのだから。
「放課後にちょっと話がある」
あちこちで小さな悲鳴になり損なった息が漏れる。
「部活あるから無理」
「部活って……郷土史部だろ? 何やってんだかわからない部活より大事な用なんだよ」
早希は極めて自然に、鋭い目で隼人を睨んでいた。
「何やってんだかわからないのはあんたが何も知らないから」
隼人に口答えできる者はこの教室にいない。早希の言葉は周囲に驚きよりむしろ敵意を呼び起こさせたらしかった。クラス全員が担いでいる隼人という神輿に唾をかけられたように感じたのだろう。見事な連帯感だった。
「すまん。言い方が悪かったな。部活の前に少し時間がとれないかって聞きたかったんだ」
「とれない」
隼人がすなおに謝ったことに驚いたクラスに冷や水を浴びせるがごとく、早希は即座に切り捨てる。
少し困った表情を見せた隼人は、短く逡巡してすぐに口を開く。
「じゃあ昼休み」
そこで朝のホームルームを告げる予鈴が鳴った。この短い時間にできる話ではないということはわかる。
教室に担任の教師が入ってきたので、散らばっていた生徒たちは慌てて自分の席に戻っていく。隼人もまた例外ではない。早希の返事を待つことなく、遠く離れた自分の席へと座り込んだ。
「ねえ今の何?」
後ろの席の女子が身を乗り出して早希に聞き込みを行ってくるが、教師に注意されて渋々身体を引っ込めた。
教室中からちらちらと視線を感じた。隼人はこの反応を見越して話しかけてきたのだろうか。彼は早希などよりもよっぽど世情に明るい。早希の逃げ道を塞ぐくらいのことは朝飯前だろう。
クラスは妙な興奮に包まれていた。休み時間になると早希は女子たちから質問攻めにされたが、ただひとつはっきりとわかっていることは口にしなかった。彼女たちが期待――恐れているような、告白などというイベントではない。
時漏中学校の昼休みは給食の時間と連続している。早く昼食を食べればそれだけ休み時間が増えるので、血気盛んな男子たちはみな早食い癖がついている。給食を呑み込んで即座に運動場にサッカーボールを持って駆け出していく光景は、いつ見ても胃の具合が悪くなる。
いつもならサッカーに加わる隼人は、今日はひとり、教室の前のほうでスマートフォンをいじっていた。周囲には男子とはまた違う女子の取り巻きたちが集まり、詳しい話を聞こうとせっついている。
早希はやっとのことで給食を食べ終えると、食器を配膳トレーに戻して自分の席に座った。同時に隼人が早希の机までやってきて、ついてくるように促す。
早希が了承したわけでもないのに、昼休みに話をすることはとっくに決定事項らしかった。
これ以上長引かせるのも面倒だったので、早希は大人しく隼人のあとについていく。教室の中からはきゃあきゃあという喚き声が響いていた。
廊下を無言で進み、体育館へと続く渡り廊下で隼人は立ち止まった。体育館は昼休みには開放されないから、確かにここなら人気はない。
「何」
早希は短く用件を訊ねる。
隼人はしばらく言葉を探していたようだが、意を決したように目を上げた。
「祭りの名前を変える話、知ってるか?」
予想外の言葉に、早希は少し面食らう。
「ジロチョウ祭り――っていうやつ?」
昨日祖父が激怒していた話題だ。実はあのチラシは鞄に入れて学校まで持ってきている。郷土史部顧問の加古川八重に見せて意見を聞きたいと思っていたからだ。
「知ってたか。なら話が早いな。今井、あれ――どう思う」
どう、と訊かれても、早希などが考えを突っ込んでいい領域の話ではないことしかわからない。だけど正直に答えると自分の無知さを晒すだけなので、なんの感想も持っていないことをアピールする。
「特に……何も」
「おいおい、郷土史部」
むっとして隼人を睨む。だが今の言葉は単に文化系の部活動を揶揄する調子ではなく、早希が郷土史部の部員であることを念頭に置いた挑発に思えた。早希の部活動を認めた上でのからかいは――たぶん初めてだ。
「これは内密に頼むが、実はあれ、時漏組が一枚噛んでるみたいなんだよ」
「時漏組……?」
隼人はおいおいと笑う。なんだか少し嬉しそうだった。少なくとも早希の無知を嘲笑っているのではない。
「地元のやくざだよ。俺の親父の入ってるとこだ」
「あ……」
地域の常識を知らなかった早希は居心地が悪くなり、隼人に話の続きを促した。
「うん。でな、どうにもきな臭いんだよ。まあ、やくざが間に入ってる時点できな臭いのは当たり前なんだが……そういうんじゃないんだ。郷土史部の早希ならジロチョウ祭りって呼び方がもともとあるのか、知ってるんじゃないかと思って」
「私は――ごめん。知らない」
自分の無知にほとほと嫌気が差す。地域社会の見えない常識だけでなく、部活動で調べているはずの地域の歴史すら知らないとは。
だが、これから知ろうとすることはできる。
「調べてみる。私もちょっと、気になってたから」
「助かる。この話は当分秘密な?」
肩の荷が下りたような顔をして教室に戻っていこうとする隼人を呼び止める。
「待って。なんでそんなに気になるの? ただ祭りの名前を変えるくらいで――」
「ああ……親父がな、最近妙に上機嫌なんだ」
隼人は苦々しげに顔を歪め、うつむいたまま話す。
「ひでぇ親なんだ。お前に言ってもしょうがないから言わないけど、ろくな親じゃない。それがジロチョウ祭りの話が進むうちに、目に見えて機嫌がよくなってった。家の中じゃずっとキレ散らかしてばかりだったはずのやつがだ。それで酔っ払うとしょっちゅう口走るんだよ。『先生がいてよかった』って。どう考えてもひとに教えを乞うような人間じゃない。ひょっとしたら時漏組がやばい案件掴まされたんじゃないかって……どうしても気になってな。親父はアレだけど、組のひとらには昔から可愛がってもらってたから」
「そう……わかった」
どうやら「ジロチョウ祭り」というものは早希の手の届かない範囲で行われている話らしい。首を突っ込もうとする隼人の気概は大したものだと思うが、早希としてはどこか遠いところで勝手にやっていてくれればいい。
ただ、引き受けたからには「ジロチョウ祭り」という呼称について調べなければならない。約束を簡単に反故にするような芸当は早希にはとてもできなかった。
「じゃあ教室戻るか。変な勘違いしてるやつらには俺がうまいこと説明しとくから」
早希は頷いて早足で廊下を突き進んだ。平然と椅子に座った早希の周りには当然女子たちが集まってきたが、すぐに戻ってきた隼人が軽口で煙に巻いてくれた。
告白の否定こそしているが、これでは変な噂が広まりかねない。隼人がそこまで気を回せるとはとても思えなかった。
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