5 町の電気店
新島は冷や汗を拭いながらスマートフォンを耳に押し当て、長い呼び出し音をこらえるように聞き続けた。ご丁寧に呼び出し音には最近のJ‐POPが設定されており、新島は耳慣れない軽快なリズムや合間合間に挟まる喚き声を聞きながら待ち続けることとなった。
――もしもし?
やっと電話口に出た橋本は明らかに声を潜めていた。時間的に今は勤務中だろうから、周囲の目を気にしてのことかもしれない。
「橋本くん、年寄り連中はもうみんなおかんむりだよ。俺も今日だけで何回怒鳴られたか……」
滝尾彼方が構想し、橋本たちがビラを作った「ジロチョウ祭り」なる呼び方の奨励はたちまち新島よりも上の世代たちを激怒させた。新島は何を聞かれても知らぬ存ぜぬで通してはいるが、いつ橋本たちとの密談が露呈するとも限らない。最悪年寄り連中の怒りがすべて新島に向けられる恐れすらある。
橋本は軽く笑って、市役所では順調に「ジロチョウ祭り」の宣伝を組んでいること、橋本たちや青年団に入ったばかりの若者たちにはウケがいいことを早口で説明すると、仕事があるので、と言って一方的に通話を切ってきた。
店の中に出ると店番をしていた妻の
新島電気店はいわゆる町の電気屋で、基本的に新規の顧客は現れない。店を訪れるのは顔見知りの得意先ばかりで直接買っていくことも稀なので、小さな店舗スペースには最低限のディスプレイ用の商品しか置かれていない。
「エアコン?」
康子が短く訊ねてくる。
この時期最大の収入源は、エアコンの修理依頼だった。販売では量販店や通販に勝てるはずもないので、エアコンが故障した際に電話一本で相手宅へと向かい、その場で速やかに修理する。この稼ぎ方をずっと続けてきたこともあり、周辺での新島電気店の評判は高いと自負している。
だが今年は、新島の肩がろくに上がらなくなってしまっている。高い位置にあるエアコンを分解したり組み立てたりする際に肩が悲鳴を上げることはわかりきっていた。
幸い今年はまだ修理依頼は入っていない。なので康子は新島が店舗に顔を出したのを見て来るものが来たかと疑ったのだろう。
「いや、なんでもない。ちょっとエアコンの効いた部屋にいたくて」
「なら店番代わってよ。私もそろそろ夕飯の買い物に行かなきゃならないんだから」
わかったわかったと頷き、康子を住居スペースに向かわせた。どうせ客など来ないのだから、涼しいスペースをひとりで占有できると思えば店番も悪くない。
康子が軽自動車で家を出ていったのを店の自動ドア越しに見送って、新島は椅子に深くもたれかかると大きく溜め息を吐いた。
来客を知らせるチャイムが鳴ったのはそれと同時だった。
だが新島も年季の入った電気店の主人であるから、慌てて立ち上がったりはしない。珍しく客が来たのなら店の中を自由に見て回らせ、声をかけられて初めてご用を伺いに向かう。
「おう、電気屋のおっさん、元気でやってるか」
声音を聞いて瞬時に血の気が引いた。
やくざだ。
柄の悪い連中は町の中にも割合多いが、こうも正面切って店のほうへと口を向けてくる手合いはまずいない。いるとしたら、地域に根を張った反社会的勢力の構成員くらいのもの。
だがなぜ――今まで新島電気店は暴力団と関わりを持ったことはない。
頭が回らないうちに、来客は新島の腰かけた椅子のすぐ目の前に立ちはだかっていた。本来なら客は立ち入ることのないようにテーブルなどで仕切られたスペースである。
参った。新島はやくざを相手にした時の商売人としての立ち振る舞いというものを知らない。地域に暴力団が存在していることは無論承知していたが、今日まで不干渉のまま過ごしてこられたくらいには安穏とした町だったはずだ。
黒のスーツ姿というわかりやすいやくざの男は、少し首を前に曲げて新島の目を覗き込んできた。これで椅子に座っている新島と目線が同じになるくらい背が低い。年は相手のほうが下だろう。
やくざはにんまりと笑った。
「そう怖い顔すんなよ。西原省吾って馬鹿、知ってんだろ? 昔あいつに俺の名前使わせてやったことがあってよ。まだちょこちょことやりとりがあんのさ」
まずい――新島は一気に青ざめる。西原は滝尾彼方への依頼を橋本と一緒に新島に提案してきた。つまり、この男に新島が「ジロチョウ祭り」計画に加担していることが伝わっている。
地域のやくざからすれば、祭りに勝手に手が加えられることが愉快であるはずがない。やはりここに来たのは脅しのためかと身構えると、男は馴れ馴れしく新島の肩に手を置いた。当然、新島は竦み上がる。
「いや、いや。だからそんなビビんなって。俺はあんたにお礼をしにきたんだからよ」
また新島が怯えるのを見て、男は笑い出す。
「悪ぃ悪ぃ。別の意味に聞こえちまうよな。あんたには感謝してる――って伝えにきたんだ。これでわかるな? そのままの意味だぜ」
そのままの意味と言われても、やくざに感謝される覚えはまったくない。
「ジロチョウ祭りの話だよ。あんたも一枚噛んでんだろ?」
やはり知っていた。だが相手に攻撃的な様子はまるでない。むしろ親しげに、感謝でも伝えるように――。
「昨日ウチの事務所に滝尾先生が来てな」
滝尾彼方の名前を出されて大きく驚く。何より男が『滝尾先生』という呼び方をしていることが衝撃だった。相手は仮にもやくざである。そんな人物が『先生』と呼ぶような相手は相当限られるはずだ。
「いろいろと話し合いをさせてもらって、ウチの組でもジロチョウ祭りに全面的に協力していくってことになったのよ。それで滝尾先生があんたにも都合よくしてやってくれって言うからよ。神社と公園のライトアップを考えてるんで、LED電球をこの店から発注してもらおうと思ってな」
大規模なライトアップ用のLEDライトの発注をすべて回してもらえれば、かつてない収入になる。だが、やくざとつながりを持つことになってしまうのではないか。
「と言っても、ライトアップをやるのは全部市のほうだから、ウチの組は直接は関係ねえよ。ただちょっと、市のほうにいい電気屋を紹介してやるくらいのもんさ」
「金は、出せませんよ」
やっと言葉を発した新島を一笑に付し、男は安心しろと請け負った。
「あんたの店からたかろうなんざ思ってねえよ。これはウチのシノギの話じゃねえ。滝尾先生の義理の徹し方っつう話だ」
「滝尾、先生の……?」
「ああ。あのひとは一本筋の通ったなかなかのモンだぜ。今回の『再発見』にはあんたの功績が大きいだとかいう話だから、あんたの取り分もしっかり考えてくれてんのさ」
新島は思わず息を呑んだ。鉛を呑んだように身体が重くなる。
滝尾は新島の逃げ道を塞いだのだ。
どうあっても滝尾に協力し、「ジロチョウ祭り」の邪魔をさせないために。わざわざやくざを遣いに出していることからも、半ば脅しの意が含まれていることは明白だ。
この男が滝尾の考えをどこまで把握しているかはわからない。だが、やくざが顔を出したことの持つ意味と威力は当然身をもって知っているだろう。
自分は何かとんでもないことの片棒を担いでしまったのではないか。今さらになって凄まじい不安がこみ上げてくる。この男が店を訪ねてきた時点でもはや逃げることはできない。
しかし――滝尾は滝尾で、新島の立場に理解を示してくれているようにも思えてくる。新島のためにライトアップ案を出し、暴力団と直接的なやりとりは行わないように取り計らってくれている。
滝尾はやくざに『先生』とまで呼ばれる人物である。信用できる――信用しなければこちらの身が危うい。現に今の段階で新島の不利益になることは何も起こってはいない。
よし、と腹を括る。どうあっても滝尾についていくしかないようだ。
「――ありがとうございます。滝尾先生にも、よろしくお伝えください」
新島は立ち上がって、背の低い男に丁寧に頭を下げた。
男は満足げに笑い、馴れ馴れしく新島の肩を叩くと店舗スペースへと出ていった。
「俺は時漏組の
言い置いて、男は店を出ていった。
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