3 時の過客
さすがに今年は無理ですね、と滝尾彼方と名乗る男は鷹揚に笑った。
市内のコーヒーチェーン店。時漏町にはそんな洒落たものはない。市役所のある中心部はまだ割合全国チェーンの店舗が多く展開されている。昔からの地元の店などというものは見つけるほうが難しいし、見つけたとしても利用しようという気は湧かない。
しかしなぜこの場に自分がいるのか。新島正人は数少ない四人がけの席で自分の隣に座っている橋本誠也に、今日何度目かわからない疑問の目を向ける。
「時漏町の歴史はあらかた調べ終わりました。あとなにかワンアイデアあれば、すぐにでも書き上げられるんですが――さすがに今年は無理ですけどね」
まあそうだろうな、と新島は滝尾の笑顔に不審の目を向ける。
時漏町に歴史はない。それは時漏町で育ってきた全員の共通見解だろう。ならば調べるのも、あっという間にすむ。そしてそこからなんらインスピレーションを受けないことも、容易に想像がつく。
滝尾のポケットの中の携帯電話が鳴り、ちょっと失礼と断ってから滝尾は席を立つ。
その隙に、新島は橋本にやっと不満をぶつけた。
「なあ橋本くん、なんで俺がこんな場にこなきゃならないんだ?」
「やだなあ新島さん。町ん中で一番話をわかってくれて、一番高い地位にいるのは新島さんじゃないですか」
おだてているようだが、橋本の言葉の趣旨はわかる。
橋本の考えた計画を理解し、かつむやみに口外せず、加えてもっとも年寄りなのが新島だったという話だ。
新島は半分自嘲しながらも、まだ自分が「若い衆」だと思っていたのだが――さらに若い橋本たちにとってはとっくに年寄り連中の一員だったらしい。
「というわけで新島さん、なんかアイデアないですか? 新島さん絶対俺らより町の歴史に詳しいし、先生に提供できれば株も上がりますよ」
時漏町の歴史に詳しいというのはつまり、この町にはなんの歴史もないことを知っているというだけの話である。それよりも気にかかるのは店の外で大きく身振りを交えながら電話をしている滝尾彼方なる人物のほうである。
渡された名刺には、以前に橋本に見せられたプロフィールと同様「作家」「ライター」「民俗学者」「地方創生アドバイザー」との文言が並んでいた。学のない新島には縁のない肩書きばかりだが、どうしても胡散臭さを感じ取ってしまう。
「橋本くんは、どこでこのひとと?」
「フェイスブックで相談を受けつけてくれたりもしてるんで、俺はそこから相談に乗ってもらいました。テレビにも結構出てますよ」
橋本の説明で、新島の疑念は呆気なく氷解した。テレビに出ているような人間ならば、怪しいはずはない。新島にとってテレビとは最大の信頼が置けるメディアだ。テレビさえ見ていれば死にゆく町でも安心して生きていくことができる。
「そうか。なにかあったかな……」
新島が提供するアイデアを考え始めると、電話を終えた滝尾が謝りながらこちらの席に戻ってきた。謝る姿に卑屈さは微塵もなく、堂々とした立ち振る舞いは見ていて安心感を覚える。
「時漏町のお祭りですが、これはとてもオーソドックスな神輿行事です。これを町おこしの最大のアピールポイントにすることは、とてもいい考えだと思います」
確かに祭りは時漏町の最大の誇りだ。町民はみな、年に一度のこの祭りに全霊を注ぐ。だがやはり、滝尾の言う「オーソドックス」という表現通りの代わり映えのしない凡庸なものであることは間違いない。
「たとえば、『時』が『漏る』と書いて時漏町ですから、漏刻と結びつけるということを考えてみました」
「すみません、漏刻とはなんですか?」
橋本が教師に質問をする生徒よりもはるかにへりくだって滝尾に訊ねる。新島も同じ疑問を抱いていたので、黙って滝尾の返答を待った。
「漏刻というのは、昔の時計――歴史上初めて作られた時計です。水の流れを利用して、時間を計るんです。日本では中大兄皇子が作ったとされています」
「大化の改新の……」
偶然昨日テレビのクイズ番組でやっていた問題――新島は思い出したばかりの日本史の知識を口にする。
「その通りです。中大兄皇子は即位して天智天皇となられたお方ですから、お祭りをやっている神社とは縁もあります。ご祭神は当然日本神話の神様ですから、天皇とは大いにゆかりがあると言えるでしょう」
感じ入ったように頷く橋本。「近頃の若者」と言える橋本や西原たちが、日本の伝統や万世一系の天皇家といった愛国心を大切にしていることを新島は知っている。自分たちのころと比べて大したものだと思うし、新島自身そうした雑誌や新書を時々本屋で購入するようになっていた。滝尾の話しぶりもまるでその愛国心を鼓舞するような言い回しだ。
「しかし、時漏町にそんな歴史はありませんよ」
新島の言葉に、滝尾は深く頷いた。
「ええ。ええ。その通りです。そこで、私が再発見するんですよ」
まさか――と新島は血の気が引く。
「でっち上げるんですか」
「その言い方は正確ではありませんね。いいですか、歴史というのは常に再発見の連続です。『いい国つくろう鎌倉幕府』はもはや正しくないのです。新島さんが教科書で習った歴史と、今の小学生が教科書で習っている歴史は違うんです。ですから、時漏町に新しい歴史が発見されたとしても、なにもおかしなことではないんですよ。歴史と伝統の再発見。そして観光資源への活用。私ができることは微々たるものですが、きっと時漏町のためになると思います」
ただ――滝尾は新島の動揺をかわすように、いったん落ち着いた声音で首を横に振る。
「漏刻というのは少し、伝わりにくいのも確かです。再発見できたとしても、これをそのまま観光資源にするのは難しいでしょう。そこでなにかもうワンアイデアを探しているんです」
新島は焦った。滝尾が適当な歴史をでっち上げることにではない。アイデア次第で時漏町の行く先が決まってしまうという重圧。迂闊なことを言えば新島の責任ということにされてしまうのではないか。
「日本の伝統はなにも歴史上の出来事だけではありません。地方に伝わる行事や伝承。それらもまた、大切な我々の伝統です」
それがないから困っているのではないか。
新島はふと、かつてどこかで読んだ、おぼろげな話を思い出した。内容はもはやぼやけて定かではないが、その名前だけがなぜか今になって降りてきた。
「ジロチョウ河童――」
滝尾が目を光らせる。獲物を見つけた捕食者の目。
「なんですか? それは」
「子供のころ、聞いた話です。そんな名前の河童が、報瀬川に住んでいるっていう」
「いいですね。実にいいです。河童は地方創生のキーです。たとえば岩手県遠野市では柳田國男の『遠野物語』で書かれた河童から、『カッパ捕獲許可証』を発行して人気を集めています。また柳田國男の生家のある兵庫県福崎町では2014年からリアルな河童像や妖怪の像を設立して観光客の獲得に成功しています」
滝尾は目に見えて上機嫌になっていた。柳田國男というのが誰なのかは知らないが、河童ならば新島にでもわかる。要はそこがキモだということなのだろう。
「ではその、ジロチョウ河童。その方向で調べてみます。いい報告ができると思いますよ」
滝尾は結局コーヒーには口をつけず、愛想よく店を出ていった。
「新島さん、ありがとうございます。でもよくそんな話知ってましたね。俺なんか聞いたこともないっすよ」
「ああ、うん。でもなあ、俺も、どこで聞いたかは思い出せないんだ」
「そのへんも先生が調べてくれますって。いいっすね。河童で町おこし」
いいのか悪いのかは知らない。だが成功例が多いのならそれに越したことはない。
祭りの準備は、そろそろ佳境に入ってきていた。
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