アンゴラウサギ

増田朋美

アンゴラウサギ

ある日、杉ちゃんとジョチさんは、フェレットの正輔くんと輝彦くんを連れて、公園に散歩に行った。やっぱりいくら足の悪いフェレットであっても、ちゃんと外へ出して運動させたほうがいいという杉ちゃんの主張でもあった。たいへん蒸し暑くて、なかなか外へ出るのは難しい季節でも有るが、動物を飼っていると、嫌でも外へ出なければならないこともあり、杉ちゃんたちは、どんなに暑い日でも、二匹を連れて、公園に行くのだった。

公園に着くと、杉ちゃんたちは、ベンチの近くで二匹を自由に遊ばせてあげるようにしてあげて、自分たちはベンチに座って、二匹がじゃれ合って遊ぶのを見ていた。すると、池の近くから、小さな動物を連れた女性が一人やってきた。それは、かつて短期間では有るけれど、製鉄所を利用していた女性であった。

「理事長さん、杉ちゃん。こんにちは。」

「ああ、鈴木さんですね。鈴木重美さん。確か、一ヶ月だけでしたけど、うちの事業所に、来てくれてましたよね。」

と、ジョチさんが明るく言うと、

「ええ、あのときは引っ越してしまったので、短期間しか利用できなかったんですけど、元気に過ごしています。ほら、新しい家族が一人増えました。」

と、鈴木さんは、にこやかに笑って、小さな動物を抱っこした。どこに目があるのかもわからない、白い被毛に覆われた、アンゴラウサギだ。

「はあ、アンゴラウサギを飼いはじめたんですか。それはまた、嬉しいことですね。いつから、うさぎを飼い始めたんですか?」

と、ジョチさんがきくと、

「ええ、まだ、数週間しか経っていないんですけどね。うさぎは、ずっと、わたしの事、必要としてくれるでしょ。名前は、ミミちゃんで、女の子です。」

と、鈴木さんは答えて、アンゴラウサギを抱っこし直した。長くてもふもふした被毛の下から、黒い目が、可愛らしく、杉ちゃんたちを眺めていた。

「まあ、そうだねえ、うさぎは寂しいと死んでしまうという都市伝説も有るし。側にいて、うんと可愛がりたい人は、いいんじゃないの。犬以上に、愛情をかけてやることが必要だとも言うし。ウサギちゃんにとっても、人間にとっても、嬉しいだろうね。」

確かにそういう伝説もある。鈴木さんにとっては、うさぎを飼うことによって、酒をやめるという目的が有るのだろう。製鉄所を利用していた時、ウイスキーをがぶ飲みして、周りの利用者がそれを止めるのが、大変だった事もあったのだ。犬よりも、細かい愛情を必要とするウサギちゃんを選んで、毛の手入れが大変なアンゴラウサギを選んだのがそのことをしっかり示していた。

「週に一度は、トリミングしているんです。もともとわたしは、美容師になりたかったので、こういう事は、大変じゃないんです。」

彼女が酒を始めたのもそのせいだった。美容学校で、いじめにあったとかそういうことだった。誰も相談できる人がいなかったから、酒に走ってしまったということである。それからの日々は地獄だったと、彼女も、彼女の両親も思っていたことだろう。酒を飲まないと、辛いことを思い出して、大暴れして、物を壊したり、壁に虫がいるということで、壁を叩いて穴を開けたり。そんなことを繰り返す日々だった。今ようやく、アンゴラウサギを飼うことで、酒をやめようという気持ちになったのだろう。

「そうですか。じゃあ、僕らのフェレットも遊び仲間に入れてくれよ。」

と、杉ちゃんが言って、正輔と輝彦を、膝の上に乗せた。二匹のフェレットも、ウサギのミミちゃんに興味を持っているようだ。フェレットたちは、ミミちゃんに向けて、ちーちーと声をかける。

「この子達は、足が悪いの?かまぼこの板に乗っているみたいだけど。」

と、鈴木さんがきくと、

「ああ、まあそういうことだ。でも、こいつらの足のことは、気にしないで飼っていることにしている。足が悪いせいで、遊べないとか、そういう事は気にしないで飼っている。」

と、杉ちゃんは言った。

「そうなんですか。まあ、完璧に良いペットを求めるというわけではありませんよね。」

と、鈴木さんは、ちょっと変な顔で見た。

「そういうふうに、足が悪くても、可愛がってやるのが一番かなって。」

杉ちゃんは、カラカラと笑った。

「また、製鉄所に来たくなったらいつでも来てください。最近は暑いせいか、利用者も少ないので、空きはありますから。」

と、ジョチさんが言うと、

「そのウサギちゃんも連れてきてくれていいからね。きっと、人気者になるよ。うちの正輔たちも、水穂さんのたまも、仲良くしてくれることだろう。」

杉ちゃんがそれを続けた。

「ああ、そういえば、水穂さんはどうしています?あたし、水穂さんに、焼き芋もらったことがありました。あの人、わたしが酒浸りだった時、焼き芋くれて、嬉しかったなあ。わたし、誰にもいらない存在だったと思ってたから、ああしてくれたことは絶対に忘れませんよ。」

鈴木重美さんは、思い出しながら言った。

「水穂さんなら、容態が良くなくて寝ているよ。まあ、それはしょうがないよねえ。この暑さだし。」

と、杉ちゃんが言うと、

「それは、残念です。あんなに優しくしてくれた人、わたし、はじめて見ましたので。なんか、もうちょっと、元気になって欲しいんですけど。それは無理なのかな。」

と、鈴木重美さんは、申し訳無さそうに言った。

「そうですか。じゃあ、そのことを、今度は、そのアンゴラウサギちゃんにしてやってください。そうすれば、ウサギちゃんも、喜ぶと思います。」

ジョチさんは、彼女に言った。そうですか、と言って、彼女は、ちょっと黙ってしまった。その間に、小さなフェレットたちは、彼女が抱いているアンゴラウサギちゃんの顔の匂いを嗅いだりしているのだった。匂いをかぐのは動物たちにとっては、珍しいことではない。

「わかりました。わたし、もう一度水穂さんに会いたかったけど、それは無理なのかな。それなら、ミミちゃんを水穂さんだと思って大事にします。」

と、重美さんは、ちょっと残念そうに言った。まあ、そういう別れと言うものは、誰でも有ることである。それは、仕方ないことでもあるが、人間は、そういうときに、しっかりと自分が納得しないと、決別できない事もある。

「決して、お酒には頼らないでくださいね。もし、またお酒が飲みたいなら、ウサギちゃんの毛を刈るとかそういうことをしてやってくださいね。まあ、しばらくは、ウサギちゃんが、一緒に生きてくれると思いますから。ウサギちゃんと一緒の人生を楽しんでください。」

「はい。わかりました。ペットも大事な家族ですし、大切にします。」

ジョチさんがそう言うと、鈴木さんは、にこやかに笑った。ちょうどその時、12時の鐘がなったため、杉ちゃんとジョチさんは、お昼だからもう帰るかといった。ミミちゃんを抱っこした、鈴木重美さんも、ありがとうございましたと言って、二人に軽く一礼し、自宅へ戻っていった。

杉ちゃんとジョチさんは、製鉄所に戻って行くと、確かに製鉄所の利用者は少ないのであるが、その分、利用者たちが抱えている問題は、大変大きなものになってしまっているような気がした。おばあさまが亡くなったせいで、家に居場所がなくなってしまったので、ここへ来たいという女性も居るし、お父さんもお母さんも忙しすぎて家にいないので、ここへ来たいという女性も居る。製鉄所は、家に居場所がない人たちが、そこへ通って、勉強したり仕事したりするために、開放しているいわばフリースペースのような施設であるが、利用する人たちは、みんなワケアリで、問題を抱えている人ばかりであった。特徴的なのは、その八割が、女性で有るということだった。

「只今戻りました。」

と、杉ちゃんとジョチさんが、段差のない玄関から中に入ると、

「理事長さん、また宇佐美さんが、泣いています。彼女、理由もないのに、泣き出すんです。」

と、利用者が言った。宇佐美さんというのは、先月からこちらに通っている女性のことで、正式な名前は宇佐美千明さんという。これまでも、問題の有る利用者は、たくさんいた。でも、彼女の場合、数年前にアメリカ合衆国からやってきた女性だ。自己主張の多いアメリカでは、明るくて積極的に話をするタイプが好まれる。ところが、そうではない日本では、彼女は嫌われてしまうのであった。そういうことで、彼女は同級生から妬まれて、結局高校を中退しなければならなかった。彼女の場合だと、日本人の黙っているのが美徳という、国民性を受け入れなければならないので、非常に難しいところであった。

「まあ、そうですよね。彼女の場合、その積極的に何でもしようとしてしまう姿勢が嫌われる一因では有ると思うんですが、そこが美徳とされている国家で、長らく暮らしていたとなると、難しいですよね。」

ジョチさんは、大きなため息を付いた。

「いずれにしても、皆さんは毅然としていてください。彼女が、彼女自身で、日本という場所は、こういうところ何だと思ってもらうまでは、難しいと思います。」

「そうですか。そうなると、宇佐美さんもかわいそうですね。私達は、これでいいんだと思っていたことが、彼女にとっては、いけないことになるでしょうから。」

利用者は、ちょっと悲しそうに言った。

「まあ確かに、海外から来たとなれば、色々乗り越えなければならない問題も有るんだろうな。彼女の何でも積極的にやってしまうという姿勢が評価されるところに行けばいいんだけどね。」

と、杉ちゃんが利用者の話に合わせた。

「そんな場所なんて、どこにあるかな。」

杉ちゃんは、そういった。ちょうどその時、わーっという金切り声が聞こえてきて、

「わたしは、もう誰にも必要となんかされてないんだ!わたしなんて、死んだほうがいいんだ!そういうことなんですね!」

と、いう声が聞こえてきたので、杉ちゃんもジョチさんもびっくりする。急いで、食堂に言ってみると、宇佐美千明さんがいて、涙をこぼしながら、食堂の皿をガーンと床に落とした。

「おい!皿は、お前さんのうさを晴らすためにあるんじゃないんだよ。おまえさんも、それくらいわかるだろ?そんなことで、みんなが使うお皿を割られちゃ困るね。」

杉ちゃんはいつもと変わらないように言った。

「まあ確かに、それでは、困るんだけどね。まあお前さんの怒る気持ちも、わからないわけではないけれど、自分で、自分の中に処理できないんだな。それは、僕たちには、できないことだからさ、影浦先生か誰かに見てもらおうか?」

「そうだけど。わたしの気持ちは、誰も聞いてくれないんだね。皆私のことを、変なやつって言って、学校の先生は、もう少し、謙虚になれとか訳のわからないこと言い出して。わたしは、どうしたらいいのか。もう、こっちに来て、わたしの家はめちゃくちゃよ。なんで、こんな事になっちゃったんだろ。ほんと、何も居場所がない。」

そう言って泣き出す宇佐美さんに、

「まあ、そういうことか。それは、しょうがないわな。日本の国民性というか、そういうことでも有るからな。こっちでは、黙っている方が、美徳でも有るんだよ。静かに怒るという言葉があるだろう。日本はそういうところだからな、それは、お前さんが受け入れなきゃ。」

と、杉ちゃんがいうが、彼女はさらに泣き出すのだった。

「杉ちゃん、もう説得するのはやめましょう。自傷が悪化する恐れがあります。それよりも、僕たちは、医療関係者に引き渡すことなんじゃないですか。僕、影浦先生に電話しますから。」

と、ジョチさんが言って、スマートフォンをとった。それと同時に、

「まって!」

と、水穂さんの声が聞こえてくる。

「どうしたんだよ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「彼女を障害者としてしまう前に、彼女の主張を最後までいわせてやってくれませんか?」

と、水穂さんは、ちょっと苦しそうに言った。

「まあ、そうだけどさ。どうせ、彼女の思うようにはならないんだぜ。日本の国家ってのは。そこをわかってもらうために、彼女を、影浦先生に引き渡すんだぞ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「それはわかってます。僕も海外へ渡航したことはありますから、そういう事は、よく知ってます。逆を言えばそれだけじゃないですか。海外から帰ってきて、日本に馴染めなかっただけでしょう。それなのになんで、精神障害ということになってしまうんでしょうか。それは、おかしいと思うんです。彼女を、そうしてしまうことは。」

と、水穂さんは言った。でも杉ちゃんは、

「いやあねえ、それはしょうがないよ。それは頚椎を損傷して、車椅子に人間になったのと同じじゃないか。どこの国家でもさ。人間誰でも、万能に生きていけるわけじゃないんだ。それは、しょうがないことだからさ。もう諦めてもらうしかない。」

と言った。ジョチさんが僕もそうおもいますね。と、小さい声で言った。

「そういうことだから、早く医療用のやつを呼んでくるんだな。幸い警察に保護してもらう必要はなさそうだからさ。それはしなくていいと思うけど。でも、彼女を、病院へ連れて行ってもらうように、タクシーを呼ばなきゃいけないかもな。」

と、杉ちゃんは言った。

「でも、彼女は、一生、普通の人として生きていくことはできなくなります。そうなれば、社会的な活動に参加することも、したくなってもできないかもしれない。それを、僕たちが、そうさせてしまうのは、かわいそうでなりません。」

確かに、水穂さんの言うとおりでもある。障害者になってしまったからと言って、それ以外、得をすることは何もない。ただひたすら、邪魔な存在として、普通の人から疎ましがられてしまうしかない。

「でもさ、もう根本的な事は、直すことはできないんだぜ。足がとれたら、二度と、足を生やすことなんてできないじゃないか。それと同じだよ。彼女だって。確かに、お前さんの言うこともわかるけど、でも、そうなっちまったんだから、受け入れるしかないよなあ。」

と、杉ちゃんは、言った。しかし、いや待てよ、と少し考え直すような仕草をした。

「あの、鈴木重美さんみたいに、この辛い世の中で、一生懸命生きているやつも居るんだよな。」

と、つぶやく。

「そういえば、重美さんは大変でしたね。お酒を飲んで、お風呂場の蓋を割るほど大暴れして。」

と水穂さんは言った。

「彼女はどうしているんですか。また、お酒の専門病棟に入ってしまったとか?」

「いや。娑婆世界で生きてるよ。」

と、杉ちゃんは言った。

「あの、アンゴラウサギのミミちゃんというウサギを相棒にな。あいつは、そういうふうに、ペットの世話をすることで、生きがいを見つけているんだ。そういうやつも居るんだな。」

「アンゴラウサギ?毛皮を刈るための、ウサギですね。今は、ペットとしても飼育されているそうですが、毛を定期的に刈る必要があって、飼育に手間がかかることから、現在はあまり人気はないというウサギだそうですが、、、。」

と、水穂さんが言った。

「まあ、いずれにしてもだな。彼女は、そうやって、少しだけでも、社会から必要とされようと思って、ウサギ飼って生きてるんだ。おまえさんも、そういうやつを持ったらどうだ?別にウサギじゃなくてもいいよ。ほかの動物でもいいし、造花を作るとか、そういうことを、してもいいじゃないか。まずは、お前さんのことを、医療関係者に落ち着かせてもらってさ。その後で、また、お前さんが、社会から必要とされるためのことを考えればいいんだ。そのためには、焦っちゃいけないよ。それはゆっくり考えるんだな。こういう事は、道を外すことになるからな。それをするんだから、まずは、ゆっくり、頭とからだを休めることだな。」

と、杉ちゃんが言った。

「お前さんは、ただ、ちょっと疲れただけのことだ。それが解決できたら、また、なにか打ち込んでやれることを見つけるといいよ。」

杉ちゃんは、にこやかに笑った。

「じゃあ、僕、影浦先生に電話してよろしいですかね。今の時間だったら、さほど混雑はしていないと思いますので。」

と、ジョチさんは急いで電話をかけ始めた。その時、水穂さんが、理事長さんその場を離れてくれませんか、と言ったので、ジョチさんは、電話をしながら、隣の部屋へ行った。水穂さんがしてくれた考慮は、彼女を本当に邪魔な存在だと思わせないための配慮なのだ。ジョチさんが、影浦先生に話がついたと戻ってくるまで、水穂さんは、ずっと彼女のそばを離れなかった。杉ちゃんが、お前さんからだは大丈夫なのかときくが、それには答えなかった。

「影浦先生、直ぐに来てくれるそうです。良かったですね。多分注射を打って貰えば落ち着いてくると思いますよ。」

「それに影浦先生は、患者さんを、物というか、社会からの脱退者とか、そういうふうに視る医者ではありませんから。それは、大丈夫ですからね。」

水穂さんが、やさしくそういうが、もう疲れてしまったらしく、少し咳き込んだ。

「ほら、水穂さんまでそうなっては、ミイラ取りがミイラになってしまいますよ。あとは僕たちでやりますから、水穂さんは、早く布団に入って、安静にしてください。」

と、ジョチさんがいった。水穂さんは、それは自覚してくれたようで、ごめんなさいと言って、咳き込みながら、四畳半に戻っていった。やれやれ、水穂さんも、困ったもんだよなと杉ちゃんがわざと明るく言うが、ジョチさんは、彼の言うことも一理ありますと言った。確かに、そのとおりでは有るのだ。でも、それに対する救いの手などないのが、今の日本社会というものだ。あのときの、鈴木さんのように、ペットを飼って、自分が必要とされていると思い込むことで、なんとか体制を保っているという人も多いだろう。

ちょうどその時、製鉄所の前で、一台の車が止まった音がした。影浦たちが到着したのだ。









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アンゴラウサギ 増田朋美 @masubuchi4996

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