6. 再訪
冷たい雨の降る日だった。
執務を終え、塔に戻ろうと回廊を歩いていると、後ろからばたばたと大勢の足音が聞こえてきた。
「───止まっていただこう、アイリス妃殿下!」
高い天井まで届くような大音声で叫ばれては足を止めないわけにはいかない。
後ろに控えていたカトレアを制して一歩前へ出る。
「私に何か御用ですか、近衛隊長」
「お聞きしたいことがございます」
近衛兵数人を従え、高い位置から私を睥睨する男は、アレク=ザナウッド。国王の身辺警護をはじめ、王城全体の守護を請け負う精鋭部隊である近衛隊の隊長だ。
彼は陛下と同じく、私のことを快く思っていないようだった。
「今までどこにおられましたか?」
「執務室に。侍女のカトレアも一緒でしたが」
「……付き人の証言では信に値しません」
「では、室外に控えていた近衛兵にお聞きなさい。昼餉から今まで、一歩も外に出ていないと判るでしょう」
「…………」
口惜しげに唇を噛む隊長。王妃に対してあるまじき態度だが、彼がこのような強硬な姿勢でいる理由はだいたい想像がつく。
「リオに何かありましたか?」
「……くっ、抜け抜けと……!」
「不敬ですよ近衛隊長! 慎みなさい!」
声を上げたカトレアをもう一度手で制する。
「どうなのです」
「……リオ様が先ほど階段から転落いたしました」
「!」
「幸い階段下に巡回中の兵士がおり、うまく受け止められたため大事には至りませんでした。しかしリオ様はひどく怯えておいでです……何者かに、突き飛ばされたのだと」
「それが、私の仕業だと?」
「あらゆる可能性を鑑みるのが近衛兵の仕事です」
この様子ならば本当に彼女に怪我はなかったのだろう。
そっと胸を撫で下ろしながら、完全に私を犯人だと決め付けにかかっている目の前の彼には言ってやらねばならない。
「私ではありません。それとも私が仕掛けたと裏付ける証拠があるというのですか? くだらない憶測でしか物事を測れないのであれば王の守護たる近衛兵失格です。恥を知りなさい」
「…………っ」
「それではこれで失礼します。……陛下にも宜しくお伝え願います」
踵を返して回廊を抜けると、後方から苛立たしげな声が聞こえてきた。
「くそ……っ、絶対にあの悪女の仕業なんだ……! 直接手を下していなくとも人を雇った可能性もある! 洗い出せ!」
「はっ!」
顔を真っ赤にして震えているカトレアに目配せしてそのまま歩を進める。
なんとでも言えばいい。私ではないのだから、どうせ何も出てこない。
しかし、ついに悪女とまで呼ばれるようになったとは。
一体どこでどう話が拗れているのか。あるいは、全ての悪を私に押し付けようとする勢力がいるのか。
味方が極端に少ない今の状況では城内を探ることすらできない。
一人歩きする物語は、近く暗転するのかもしれない。
◇ ◇ ◇
「…………どういうおつもりですか」
自分で思ったよりも随分冷たい声が出た。
夜も更けた窓の向こう。
降りしきる雨の中、その翼まで濡れそぼったまま、彼が───魔王が、再び私の下に訪れた。
ヴォーデルム王は相変わらず困ったような顔をして、小さく頰を掻いた。
「貴女の体調が回復したと聞いたから……」
「そういうことをお聞きしたのではありません」
彼の言葉をぴしゃりと撥ね付ける。
「お友達になりたいと言うなら正式な手順を踏むようにお伝えしたはずですが?」
「……我が国が唐突に交友を申し入れたとして、クレルシェンド王は受け入れると思うか?」
「無理でしょうね。だからこそそう言ったのですが、伝わらなかったのなら謝罪します」
「……貴女は存外意地悪だな」
濡れた髪をかきあげながら彼はくっと喉の奥で笑った。
「イシュタリアの聖女というのは、もっとおとなしい女性だと思っていた」
「ご期待に添えず恐縮です。……それから、その呼び方。私はそんな大それた存在ではありません。聖女などと……」
「でも、貴女がこの国を生かしているのだろう」
「…………」
本当に、なんでも知っている。
精霊と当たり前に共存しその力を我が物とする魔族にしてみれば当然のことなのかもしれないが。
「生かしているのは精霊です。私はそのための手助けをしているに過ぎません」
「謙虚さは美徳だが……しかしクレルシェンド妃、そのままでいくと貴女はいずれ……」
「ヴォーデルム王」
強い言葉で遮れば、石壁で隔てられた二人の間に微かに緊張が走る。
「……それ以上は内政干渉にあたります」
「……そうだな、言葉が過ぎた。貴国の事情に口出しするのはやめよう」
俺は貴女と友達になりに来たのだからな、と彼は笑う。
どうしてもそこを譲る気はないらしい。
「また来てもいいだろうか?」
「お断りしてもいらっしゃるつもりですね。供も付けず、ヴォーデルムは随分自由なお国なのですね」
「まあ、俺をどうにか出来る者などそうそう居ないからな」
そうだ、これを。
そう言って彼が差し出したのは、闇の中にあってもなお白く輝く一輪の花だった。
その美しさに、思わず手を伸ばして受け取ってしまう。雨の雫を弾いてきらきらと光る花弁は、それ自体が発光しているようだった。
「快気祝いだ。あまり大きなものは持ち込めないんだ」
「……ありがとう、ございます」
「そろそろお暇しよう。無理せずゆっくり休んでくれ」
「……貴方も、お風邪を召されませんよう」
私の言葉にふっと目を細めた彼は、あの日のように羽搏きと共に姿を消した。
自分の手の中に残った、この古びた塔にまるで似つかわしくない、美しい花を眺める。
……今のは、少し。
少しだけ、「友達」らしいやりとりだったかも、しれない。
それでも魔王は聖女を攫う 大和 @yamato_m
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